中途半端な前世の記憶は役に立たない
「庶民の分際で西園寺様と親しくなろうなど、思い上がりもいい加減になさい!」
私は目の前に立つ少女の頬を叩こうと右手を振り上げ……雷に撃たれたようにその姿勢で静止した。背筋を冷たいものが伝い、冷や汗がだらだらと流れる。
制裁の様子を嬉々として見守っていた両隣から訝しむ気配が伝わってきた。
「……美咲様?」
「どうなさったのです?」
沈黙に堪え切れなくなったのだろう、遠慮がちに声がかけられるが、やはり固まったまま動けない。
叩かれる恐怖にギュッと目を瞑っていたピンク色の髪の少女が恐る恐る片目を開けるのを見て、はっと我に返った。
「ここここ今回はこのへんで許してあげるわ!!!」
いかにも小物なセリフを言い残すと、唖然とする親衛隊員たちを残して脱兎のごとく逃げ出した。
後から聞いた話だと、「あのときの美咲様は鬼気迫る顔をしていた」らしい。間違ってはいない。そのとき私の脳内に響いた声が鬼のものなのか天からのものなのかはわからなかったのだから。
でも、逆らってはいけないという直感はきっと正しかった。
校舎裏から中庭へと移動すると、しゃがみ込んで頭を抱える。自分が混乱しているのはわかっていたので、情報を整理したかった。
「わたくしは西園寺様親衛隊隊長、中館美咲……」
そう、由緒ある中館財閥の一人娘だ。
婚約者の西園寺様が転校生の庶民に籠絡されている状況にいてもたってもいられず、正々堂々と呼び出したところである。
立場の違いというものを懇切丁寧に教えて差し上げたのに、あの身の程知らずが「友達を選ぶ権利は西園寺先輩にあります!」などとのたまうものだから、私としたことが気が荒ぶって思わず……。
……。
……………。
「なんでわたくしの思考こんなに突っ込みどころが多いの!?」
頭を抱えたまま叫んだ。
庶民とか身の程とか言ってるけど、私は何様なの? お貴族様なの?
校舎裏に呼び出したあげく3対1の状況を作っておいて正々堂々ってどういう了見なの?
というか親衛隊って何なの!?
いや、わかってはいる。親衛隊はこの学園独特のファンクラブのようなもので、お金持ちかつ美形の生徒をお慕いし、お守りし、恥知らずにも釣り合わない者が近づこうものなら全力で排除しちゃったりする、ちょっとイッチャッテル系の集団である。
そしてそのボスが私だ! なんてことだ、アチャーッ! 私は額に手を置いて「あちゃー」のポーズをした。
つい数分前まではその存在にも自分の行動にも1ミリの疑問も持っていなかったのに、手を振り上げた瞬間に何かが私に囁いた。それをやったらおしまいだと。
その瞬間背筋に怖気が走り、よくわからないまま逃げ出し、転校生から遠ざかると徐々に私の思考がちょっとアレな件に気づき始めて今に至る。
私はゆらりと立ち上がると、天を仰いだ。
「わたくし……わたくし……頭がおかしくなったのかしら!?」
翌日、中館様御乱心の噂が学園中を駆け巡った。中庭だから相当数の目撃者がいたらしい……。
私は教室へ入るや否や親衛隊員たちに囲まれた。
「おはようございます、美咲様」
「美咲様、またあの転校生が西園寺様に近づいているようです」
「何度忠告しても聞かないのですから、やはり少し脅しつけなければ!」
ややややめなさい、脅しつけるなんて物騒な!
やるならやるで私の関係ないところでやってちょうだい。その人はもれなく没落ルートを辿るでしょうけど。……没落ルートって、何だ?
昨日から説明のつかない自分の思考に小さく溜息をつき、表面上はゆったりと席に座った。
「ごきげんよう、皆さん。転校生は放っておきなさい。いずれ西園寺様も目が覚めるでしょう」
「ですがっ」
正直転校生周辺には近寄りたくないのだ。恐ろしい予感しかしない。
しかし親衛隊員たちは引かなかった。ああいやだ、なぜ私がと内心で呻くが、これまでの私の役割を思えば当然なのだろう。なんせ、率先して呼び出しをしていたのはこの私だからな、ハハッ!
隊員に腕を引かれてしぶしぶ連れて行かれた先には、ご歓談中の転校生と西園寺様がいた。西園寺様の婚約者がいくら私だからといっても……ねえ。婚約者なんて時代遅れでしょう? それに遠目から見ればあの2人なかなかお似合いなんじゃないかしら、ええ。
だから教室へ帰りましょう、とはやっぱりいかなかった。足の重い私の背を隊員が押す。近づく私に2人が気づき、対照的な反応を見せた。転校生は当たり前だが顔を強張らせ、西園寺様は面白そうに口角を上げる。
親衛隊員たちの手前、出来れば2人をどうにかして離れさせたいのは山々だったが、いい策は思い浮かばず、私は当たり障りなくこの場を済ませようと口を開いた。
「あなたまだわかってないようね。少し頭がよろしいからって西園寺様に近づくのはおやめなさい。あなたの品格も家柄も西園寺様には釣りあわないのよ!」
違う! 違うんだ!! 私が言いたいのはそんなことじゃないんだあああ!!!
なのに私の口は何かの力が働いているかのように、思ってもいないことばかりを発する。
「西園寺様もお戯れはほどほどになさってください。西園寺様のお優しい態度に勘違いする者がこれ以上増えては困りますもの」
「美咲、俺は彼女と話していて気づいたんだ。家柄で友人を選ぶのは馬鹿らしいと。身分が高いから、庶民だからという理由で取捨選択しようとする君は間違っている」
西園寺様、言ってることは私を責めていますが、なにゆえそんなに楽しそうなんでしょうか?
そして、おっしゃってる内容には完全に同意です。
「そ、そんな……西園寺様はその庶民に騙されているのですわ!」
同意なんですけど、なぜか交渉は決裂してます。不思議だなあ。
私は耐えきれなくなって(色んな意味で)その場を逃げ出した。少し離れたところで崩れるように座り込む。
「美咲様……」
「おいたわしい……」
私が西園寺様の答えにショックを受けていると思っているのだろう、隊員たちがそばにしゃがんで励ましてくれるが、違うのよ、私は自分の言動に嘆いているのよ……。
私の身が小刻みに震える。
「ああ、泣かないでくださいまし」
「ふ、ふふふ……」
「み、美咲様?」
心配する隊員をよそに、私は立ち上がった。
「この勝負、受けて立つわ!」
「美咲様!」
「その意気ですわ、美咲様!」
多分勘違いしている隊員たちの鼓舞を受けて、私は拳を握った。
何を勝負するのかすら自分でもわかっていないが、未知の物が私を操っているに違いない。そうでなければ説明がつかない。それに打ち勝つのである。
まずは普通に話すことから始めよう。最終目標は謝ることだ!
しばらくして、中館様ツンデレ説が学園中を駆け巡った。
おしまい