暗闇のなかで
5.
ショウキは無我夢中で走っていた。止まることなくただ一心不乱に走り続けていた。
また彼は色々な意味で後ろを振り向くことが出来ないでいた。
まず、ひとつ。狭くて非常に暗く、まるで暗闇のような路地をわりと全力疾走していて、かつ色々なものが置かれているので、よそ見なんてしたら高確率で何かにぶつかってしまうと予想されるから。
そしてもうひとつ。
「絶対に逃がさないんだから!!」
彼の後ろから冗談だとは思えない異様な熱気と怒号が迫ってきているからである。
「なんでこんなことに……」
彼はこうなってしまった理由を思い返してげんなりしていた。
それはつい数分前まで遡る。共に歩いていた少女、ファーラに向けて言った一言で、彼女の顔が真っ赤に染まったかと思えば、怒ったように言葉を返され、彼女の力である火まで出されてしまい、彼は恐怖感のあまり逃走を試みて、今に至るのであった。
全く、女心というのは分からないものである。
ショウキはどうしたらこの状況に平和的な方法、例えば会話等で解決できるかを考えたかったが、どうやらそんな余裕はないようだ。
「誰か助けて……くれるわけないね……」
そもそも大通りを外れた路地である。人通りを避けて入った筈の路地に人がいることを期待している方がどうかしている。
というかなんで怒られたのか本人が分かっていない以上、他人に説明するのはちょっと無理があるだろう。
「でも……」
かといってこのまま逃げるのは彼女に悪いような気がしてならない。
「待ちなさいっ!」
「だけど、やっぱり無理だ!」
得体のしれない恐怖感には人間は逆らえないということは確かだということをショウキは思い知った。
二人の頓珍漢な駆けっこは明後日な方向に進んだまま、日の当たらないような路地の中へ消えていった。
暗礁に乗り上げたような感じがずっと続いた。うまくいくことだけを願っていたと考えていたが、やがてこんなことが起こることは分かっていたが、思う以上にうまくはいってくれないようだ。
「賊は『人』なのだな?」
ノワールは静かに立ち上がり、成長を続ける街を見つめながら背後に立つタイトに聞いた。
だが、タイトは何故か薄く笑うと、
「賊っていうんだから、それは人だぜ? 獣だったら災いとでも言うだろうな」
と茶化すように言った。
「そうか」
「安心しな、あんたが指示した軍備増強だ。制圧を指示しようが、拿捕を指示しようが簡単に済ましてやれるさ」
「そうか」
二度同じ台詞で頷いたノワールを見てタイトは神妙な顔を見せて呟いた。
「まだ歯車が狂うには時期尚早なんだろうが、まずはデモンストレーションだな」
その言葉に対してノワールは何も答えなかった。
それをどう受け取ったのか、タイトはただ静かにノワールの背中を見つめていた。まるで、あとはあんた次第だと言わんばかりに。
そこはいわゆる行き止まりというものであった。具体的に言えば家や川などによって道が続かず、道が終わってしまっているポイントのことである。
逃げるため、或いは隠れるために逃げ込んだ人一人通るのがやっとの通路でショウキが目にしたのは家に囲まれた行き止まりと、後ろに仁王立ちする少女の姿であった。
後方に立つ少女、ファーラは、ゆっくりと歩みを進めながら口を開いた。
「なんで逃げるのよこのバカ!!」
歩調はゆっくりでも口調は勢いがあった。
「生命の危機から逃げない生き物なんていないと思うんだけど」
ぎりぎりまで壁に体を張り付けながら、ショウキは答えた。こちらは言葉は冷静であっても、顔は切羽詰まっている。
「あんたが余計なことを言うからでしょ!」
「僕なんか余計なこと言ったの!?」
「なんでそんな何事もなかったかのように言えるの!?」
「少なくともここまでのランニングのせいで何事もなかったということはないんだけど」
狭い通路だからか、ファーラは自分の頭上で火をゆらゆらと燃やしていた。そこでショウキはふとまもなくファーラが通過する所の上に、影になって見えづらいが日よけがぶら下っているのが目に入った。
「あのさ、ファーラ。さすがにこんな狭い通路だと何かに引火したら怖いからさ、そろそろ消してくれない?」
「引火? そうね、ここだと火だるまになったショウキがまた全力疾走して、道においてある物に引火してしまいそうね」
「僕は燃えること前提なの!?」
ショウキは悲鳴を上げたものの、ファーラが上を見ずにそのまま通路を通過しようとし
ため、ショウキの危惧した通りぶら下っていた日よけを焼き切ってしまい、日よけは落下した。
「危ないっ!!」
一部始終を見ていたショウキは、張り付いていた壁を蹴って、ファーラへと飛びついた。
その刹那、落ちてきた日よけが重力に従い、二人のいたポイントへと落下し、辺りは砂埃が立ち込めた。
普段からそこは寡黙であったが、ここまで重い寡黙というのもまた珍しいことであった。
ノワールは後ろで黙っているタイトの方は見ずにただ静かに街を見つめていた。
それを心配だと思ったのか、タイトは再び口を開いた。
「心配なんかしなくても、たとえ賊がこっちの動きに気付いて先手を打ってきたってこの街には指一本ふれさせねえよ。少なくても俺がいる限りはな」
そこでようやくノワールは振り返った。
「そんな心配をしているのではないさ。お前がいてくれる限りはそんな心配だけはしなくて済むのだろう?」
「分かってんじゃねえか。まあ、他の連中もそんなヤワじゃねえし、何よりあんたがいるだろ?」
「……」
「勿体ぶらずに教えてくれよ? 現時点において俺は歯車が狂う前にピリオドを打てると思ってる。なのにあんたは一体何を心配してるんだ?」
再び沈黙となったノワールは、先程と同じように街角を見つめるだけしかしなかった。
タイトも特に答えを急いでいないのか、それ以上は何も問わずにノワールと同じように静かに窓の外を見つめた。
しかし、そんな沈黙を破ったのはどこからか吹いてきた熱風だった。
「……」
「もしかしなくてもあいつらだろうな……」
突然のことにノワールは絶句し、何故かタイトはニヤニヤという笑みを浮かべた。
ファーラが見たのは、『危ないっ!』と駆け寄ってきたショウキと、突然上がった砂埃であった。
「大丈夫?」
そして今の目の前に見えている、自分の上にショウキが覆いかぶさっている光景である。
「……」
彼女にとって、それは理解が追いつかないことであった。
「本当に大丈夫? 落ちてきたもの自体はギリギリそれて当たらなかったんだけど?」
そこで初めてファーラは自らの傍らに落ちていた日よけに気が付いた。
「庇ってくれたの?」
「だってファーラは上の状態に全く気が付いてなかったでしょ? あれじゃ絶対大けがしていたからね」
「あ、ありがとう…」
その言葉を聞いてショウキは起き上がり、一度自分に付いていた埃を払うと、まだ寝ころんだままのファーラに手を差し伸べる。
「ありがとう」
再び礼を告げると、ショウキの手を取りファーラは立ち上がった。
「でもなんで庇ってくれたの?」
立ち上がって、ショウキと同じように自分についた土や埃を落としてから、そう聞いた。
するとショウキは何でもないように、
「いやだって、さっき言ったじゃん、『守るよ』って。もっともこれは戦闘ではないけどさ」
と、答えた。
すると、みるみるうちにファーラの顔は朱に染まっていった。やがて顔全体が染まり切ると、
「本当は分かっててやってるんじゃないの! このバカ!!!」
と大声で叫び、自暴自棄になるかのように、かすかに見えていた青空に向かってまた造りだした火の玉を放ち、上空で爆破させた。
「本当に物騒だ……」
ショウキは唖然としながら、ここ数秒の推移にそう結論付けた。
ノワールはタイトが去ってからも一瞬現れた昼間の花火が上がった方向を見続けていた。
タイト自身は誰が打ち上げたのか分かっていたようで、始末書を書かせてくると言って出ていった。
「こんな光景は見たいものではないな」
と、誰に言うでもなく呟くと席に着き、また呟いた。
「見たくはないからこそ、打って出るしかないのか」
肘をついてそう呟く姿にはどこか深い闇が見えた。
親戚の葬式や事故等によって大幅に遅れてしまい、気付けば半年未更新のままでした…。
それでも、最後までやりきる覚悟なので、ここに再開を宣言させて頂きます。
さて、今回は特に必要がなかったので、幕間を入れておりません。
幕間は完全に別の話なのですが、もともと本編の区切り区切りで入れる予定にしていたのですが、一遍に入れると大幅に字数を使うことに気付いてしまったため、幕間自体も複数に区切って入れることにしていたのです。
今後は幕間を入れる回入れない回に分けることが多くなるので、ご了承下さい。