総督府
幕間.
ふと、彼が目を覚ますと、そこはまるで深海のような闇の中であった。
目を開けていると知覚しているのに、真っ暗な闇しか見えない。
浮いているのか、足に着地感がなく、上下左右の感覚というのが掴めない。
「……!!」
思わず言葉を叫ぼうとしたが、どういうわけか声が響かない。
暑いのか、はたまた寒いのかが分からない。
ほんの一筋の光も、人のいる気配も、何一つとして感じない。本当になにもない場所であった。
彼は直感として自分が世界を作り変えたいと念じた結果、新しい世界を作ってしまったのだと感じた。
その答えが正しいのかは分からないが、彼はそのままうずくまり、ぽろぽろと涙を流し始めた。
涙はどこへ流れたのかは正直分からなかったが、彼は本能として、今まで以上の孤独や不安で涙を流し続けているのはかろうじて知覚出来た。
しばらく泣き続けて息苦しくなっていくのを感じた。
それと同時になにもないのだから自分すら生きていける環境もないことに気付いた。
「……」
彼は何かを念じだすと、彼の周りにどこからか火が燃え上がり、水が湧きだし、風が吹いてきた。
火によって少し照らし出された彼はそれらに向けて手をかざし、ひたすら何かに語りかけるように念じ続けた。
そうしていると、やがて彼の目の前に光が現れた。
彼はそれに構うことなく念じ続けると、それに応えるように光が大きくなっていき、闇に覆われていた全てが光に包まれていった。
その眩しさに思わず目を閉じると、彼自身もその光にのまれていった。
目を開けると今度は鬱蒼とした森の中にいた。
いつも自分がいた森とは全く違う場所であることは一瞬で見抜いたが、相変わらず人気がなかった。
さっき程深い悲しみは襲ってこなかったものの、彼にこみ上げてくる悲しみは相当なものであった。
動植物が目の前にあったとしても自分と話せるものがなくては彼の孤独が今まで以上になるだけなのだ。
「……」
言葉を失うことしかできなかった。
表情を暗くしていく彼に合わせるように、晴れていた空に黒雲が広がり、瞬く間に世界を暗くした。
しばらくは暗い世界の中で何も思うこともなく、その場に佇んでいただけであったが、やがて何か思いついたように、口を開いた。
「そうだ、仲間がいれば一人じゃないんだ」
そう言って空を見上げれば、不思議と光が彼をさしていた。
2.
厳かという一言で例えられる雰囲気がその部屋を包んでいた。
その部屋にいたのは四人であった。
「で、頼んでいたものはそっちのけで喧嘩を裁いてきたと」
一番奥の窓際に座っていた男は、つい先ほど入ってきた少年の話を聞いてから溜め息をついた。
「そうなりますね。もっとも、頼まれた方を忘れていたわけではないですけど」
少年、ショウキはつい先程拘束した男二人を纏めて縄で縛ったまま座らせると、男の方に向き直り、報告を続ける。
「まあ、場所を言わなかったノワールさんにも原因はあると思いますけど」
「場所?」
ショウキの言葉にノワールと呼ばれた男はキョトンとした顔を見せる。
「……まさかと思いますけど、場所も分かってなかったのに使いに走らせたんですか?」
「……」
黙り込んだノワールはおもむろに立ち上がり窓の方を見ると、そのまま話を続けた。
「まあ、そこはすまないと思う」
「そうですか。まあ場所は分かったんで、もう一回行きますよ」
「そうか。それは助かる」
ノワールは少しだけ微笑むと、話題を変えた。
「ときにショウキ。君はその力をここで使う事に慣れたか?」
ショウキはその話題に一瞬顔を歪めるが、すぐに言葉を紡いだ。
「そりゃ帰れないなら、慣れるしかないでしょ。…と言ってもまだ力加減がいまいち勝手が違うみたいです…」
ショウキはすぐ真後ろで意気消沈しているほぼ全力の剣技で倒した男を横目に見ながらそう答えた。
「そうか」
ノワールはその答えを聞いて、少しだけ三ヵ月前の出来事を思い出した。
その頃は多くの人間が自分の境遇に戸惑っていた。
ほぼ全ての人間が今までいた世界から気付いたらこの世界に飛ばされていたのだから。
自分の意図とは無関係に気付いたらそこにいたのだから。
そして周りには『他の世界からの未知の人類』が溢れていたのだから。
もうそれはある意味地獄絵図であった。
理由もなく異世界へ渡航して、戻る方法の答えなど誰も持っていなかったことから始まった混乱。
そしてこの世界に来てしまった人間の多くは武芸の道を行くものであったり、そんな力を持たない人間から見れば到底理解の出来ぬ異能や魔法を操る人間だったりしたのだった。
数日すれば血を見ない日などなくなっていた。
人々は疑心暗鬼になっていたり、あるいは少ない食べ物を求めたりと要因は様々であったが、小さなことで諍いが起こっていた。
だが、不思議なことに死人はほとんど出なかった。
本人達曰く、この世界で力や武器を振るうにはいつもいた世界と同じようには出来なかったと言うのだ。
しばらくいがみ合っていた人類ではあったが、やがて纏まることを主張していたノワールを中心のもとに集まりだし、平和を築くようになっていった。
ノワールがショウキと会ったのはそんな時期だった。
瞳はまるで周りの狂気にあてられたように歳不相応に紅く怪しく光ったように見えた。
だが、弱気だったショウキは実際にはそんなことはなく、ただひっそりと人から逃げていた。だが、その一方で戦闘を避けられない場合で発揮する潜在能力には目を見張るものがあった。
初めてノワールが彼の光輝く剣を見た時の衝撃は未だに忘れることは出来そうにない。
「ノワールさん?」
ふと、過去の事を考えていたノワールは現実での呼びかけで不意に意識を戻した。
「すまない。ちょっと考え事をしていただけだ」
振り向いてみると少し心配そうな顔をしているショウキがいたので思わずそう言った。
「そうですか…」
ショウキは不審そうな表情をするが、それ以上は何も言わなかった。
「あとは私がしておく。下がってくれていいよ」
ノワールがそういうと、ショウキは一礼し部屋を出ていった。
ノワールはそれを見送ると、何も言わず意気消沈している男たちに向かって声を掛けた。
「今この世界に必要なものはなんだと思うかね?」
それは男たちにとって自問自答している様に聞こえた。
男たちはその問いに答えることは出来なかったが、すぐにノワールは口を開いた。
「それは平和だ」
ショウキは本来の用事をしようと部屋を出ると一階に向かおうとしたが、一体ノワールが何を思ったのかが気になって振り向き、『長官室』と書かれた扉を見つめた。
『総督府』。それは協力体制を敷いた人々が作り上げた組織だ。
人々が今を生きるために政治部を、いつか帰る日のために研究部を、そして未だ何があるのか分からない世界への対策として武装部からなる機関で、ショウキも先月の立ち上げから参加し、今は武装部でもトップの部隊に所属していた。
だが、先の喧嘩云々はさておいても武装部が仕事することはほとんどなかった。常に力仕事を請け負うことが日常と化している。
そんな武装部の立ち上げに最も熱を上げたのは、『総督府』の長官を務めるようになったノワールで、実状こんなになってしまっていても解散どころか、増強も考えているらしいという話も聞いた。
自分たちは本当に必要なのか、時間を持て余すといつも浮かんでくる疑問はこれだ。
だが、今の所その答えは見つかりそうにない。
ノワールが何を考えているのかは分からず仕舞いだが、ショウキは特にそれ以上考えることなく、その場所から移動した。
入り口の辺りは多くの人が相談等の要件で訪れるため、常に人が溢れている。
以前は人々が狂気に見舞われ、そのせいで他人に対し恐怖を抱きかけたことのあるショウキであったが、この人々が集う場所は好きだった。
あちこちから人々の話す声が聞こえて、平和が実感できるからである。
周り見渡しながら歩くと、人混みの中に同僚を見つけた。
向こうもショウキに気付いたのか、近寄ってきた。
「お疲れショウキ」
赤い髪にショウキよりやや明るい赤い目が印象的な少女がショウキの目の前に立った。
ショウキも挨拶を返す。
「お疲れファーラ」
その言葉に目の前にいた少女、ファーラは微笑んだ。