空中散歩からその後
落下から着地までの数秒は、不思議と長く感じた。
籠の高さは暗闇でよくわからなかったが、骨の一本や二本は覚悟しなくてはいけないぐらいだろう。
自由落下に内臓がぐぅっと引きつり、地面が迫った。
マーガレットの受けるダメージを最低限にしなくてはと、アベルは抱える腕の力を込めた。
アベルが息を止め衝撃を覚悟したところ、突然足元から強風が吹き上げた。
落下速度はうまく相殺されたが、マーガレットを抱えていたアベルは体勢を崩し地面に投げ出された。
「大丈夫か!!」
「担架はあるか? 早く持ってこい!」
遠くから騎士達の叫ぶ声が聞こえてきた。
吹き上げた突風がクッションになり、着地の衝撃は思った以上に軽かった。しかしあまりの非現実的な出来事に、二人はしばらく何も言えず抱き合ったまま地面に転がっていた。
先に我を取り戻したアベルは、マーガレットを抱えたままということに気づき、震えて上手く動かない腕を何とか解いた。
マーガレットはしかしアベルに体を預けたまま、ぼんやりと空を見ていた。
それを見て声をかけようとしたアベルは突然気づいた。
もしかして、マーガレットはバレットと一緒に行きたかったのだろうか?
バレットの身分が本当なら、女は誰でも夢見る玉の輿だ。
俺は余計なお世話をしてしまったのか?
アベルは目の前が真っ暗になった。
あの時はマーガレットを奪い返すことしか考えられなかったのだ。
なぜだか胸の奥から締め付けられるような痛みを感じた。
「・・・・・・マーガレット。」
何と言えばよいのだろう。言葉が出て来ない。
するとマーガレットが預けていた身を起こした。そしてアベルに抱えられていることも構わず、拳を天に突き上げた。
「・・・・・・やってくれたね、あの狐ぇー!」
マーガレットは我を取り戻し、固く握った拳を振り回して叫んだ。
落下の混乱から抜け出せたら、次は理不尽な連れ去りに対する怒りがやって来たらしい。マーガレットは飛空籠が去った方向に向かって力の限り叫んだ。
「二度と来るなーーーーー!!!」
「・・・・・・担架、要らないか。」
向こうで騎士の一人が言った。
しかし、担架が必要なけが人は出た。
踏み台にされた中年騎士だ。アベルが踏んだせいで軽いむち打ちと脳しんとうを起こして倒れたのだ。
アベルとマーガレットを助けに来た騎士達と、倒れた中年騎士を介抱する騎士達の二つの人だかりが出来ていた。
日頃鍛錬をつんでいる騎士であるからだろう、中年騎士はすぐに意識は取り戻した。しかし彼の役職上、大事を取って丁寧に運ばれた。
「団長!このまま城の救護棟までお連れします。動かないで下さい。」
「騒ぎの客人方も帰ったことだ、今日はもう解散しようか。ブラウン団長もゆっくりしなさい。」
「申し訳ない、領主様。私も年ですかね。駆け出しの坊主にしてやられるとは情けない。」
「はは。彼は特別だ。雷光の獅子とでも名付けようか?」
「それは良いですな。さすがに雷には誰も勝てませんからね。」
だんちょう? ダンチョウ? 断腸?
・・・・・・いま団長って言ってた。
アベルは良すぎる耳を恨んだ。そりゃあ見たことがるはずだ。聞いた途端に、騎士の任命式で見たブラウン団長の姿を思い出した。まさしくあの中年騎士だった。自分たち騎士の頂点に立つお方だ。
俺、踏んづけたな。さらに言えば、悪態付きながら。
アベルは遠い目をして出世を諦めた。
「領主様、こちらの二人も無事です。ケガも無いようです!」
こちらの救助に来てくれた騎士の一人が報告に声を張り上げた。
そう、最後の突風が吹きあげてくれたおかげで、身体はところどころ痛むが、二人は無傷だった。
間違いなくバレットの力のおかげだろう。あの大きな飛空籠を操りつつ、こちらに風も送ってくれたのだ。
バレットは相当負担がかかったに違いない。その上マーガレットを逃して悔しがっていると思えば、アベルは溜飲も下がった。
なにせ大事な獲物は取り返したのだ。
大事な?
アベルは自分の思考について、今は深く考えないように蓋をした。任務中だったし、相当取り乱しそうな予感がしたからだ。
「アベル、今度も助けてくれてありがとう! はは、今度はさすがにダメかと思ったー・・・・・・・。」
マーガレットは空に向かって思うさま怒りを吐き出したら、反対に抑えていた恐怖が出てきてしまったようだ。
マーガレットはアベルの腕の中で震える身体を必死に抑えていた。アベルはマーガレットの背中をやさしく何度もさすった。
その後アベルは領主直々に、三日後に城から迎えをやるまで休暇を取れと言われた。
領主は疲れて寝てしまったマーガレットを見て心配したのだろう。今は彼女を休ませてあげなさい、と心配そうに付け加え、さらに馬車まで貸してもらえることになった。
だいぶ夜も更け、ここら一帯は獣が徘徊する地域だ。いくらかがり火を焚いていても危険なことに変わりはない。
アベルはありがたく馬車へ乗り込んだ。しっかりとマーガレットを抱いて。
あれが金の獅子か。いや雷光の獅子か。
3日後。
領主の呼び出しにマーガレットと共に登城したところ、行きかう人々にそうささやかれる。
「・・・・・・俺の事だよなあ。」
「アベル光ってたし、迫力あったよー。」
「アリガトウ。」
行きかう人々の憧憬の目に、アベルはなんとも苦い気持ちを味わった。
正直、アレをもう一度やれと言われてもできそうにないからだ。無我夢中というか怒りに我を忘れたという方が近いか。そんなまぐれを崇められても身の置き場がないだけだった。
休暇の間に、あれが力を扱うことなのだとマーガレットに教えられた。
アベルはマーガレットのように力を扱えるようになりたいと教えを乞うたのだ。
しかし二人は早々に諦めるしかなかった。アベルは根本的に力を感じられなかったのだ。アベルは物心ついたときから身体の強化のために力を巡らせていたようだが、自分の意思で感じ取れなければ扱うことはできない。
やはり純血と先祖返りの薄い血は比べ物にならないようだった。
力を扱うことを諦めても、休暇の間中アベルは遠慮するマーガレットを男爵家に留めた。
やはり、彼女を城下の宿屋に置けば何か問題を起こしそうで心配だったのだ。何せ能力が開花したのだ。前回よりさらに危険度が上がっている。それに思った以上の世間知らずが加われば、想像をしたくない。
「そんなこと言って、手放したくないだけでしょ。」
「あれ、初恋じゃないかな。」
「今いくつだよ、アイツ。キモいな。」
「そっとしておいてあげようか?
そしてみんな、仕事して・・・・・・・。」
無駄口を叩いていた人々は、家長の泣きの入った声を期にあわただしく手を動かし始めた。貴族に珍しく、キルラー男爵家の人々は日々身を粉にして働いていた。城下町周辺の役所業務を一手に請け負っているのだ。
アベルは三男坊の気安さで騎士になれたが、実は実家の忙しさから逃げるためでもあった。
逃げ損ねた次男からは未だに少々風当たりがきつい。
「でも私、ちょっと協力してあげちゃったぁ。」
「!」
「!」
「!」
母親が書類を持って席を立つついでのように言った。固まる男達。母の協力はろくなことにならないと、彼らは長年の経験で思い知っている。
「アベルは? もう領主様に呼ばれて行ったか?」
「ああ、二人で。」
「・・・・・・ご愁傷さま。」
次男は憐みを込めて、心からそう言った。
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