第八話
電車は大きな音を立てて、四番線のホームに入った。ビブリオシュタットは比較的大きな街で、駅の規模も大きい。ユーディーとエファの乗ってきた電車の他にも、何本かの電車が停車しているのが見えた。ホームを行き来する人の数も、スピンデルドルフとは比較にならない多さだった。二人の少女は、その人の多いホームに大きな荷物を持って降り立つ。
改札へ向かう間、何人かの見知らぬ人が、エファの真白な頭髪と紅い瞳に気付いたらしく、好奇の目を向けた。ユーディーはその視線を遮るようにホームを歩いた。すると、今度は品のない男達が、洋服越しでも大きいと分かるユーディーの胸にねっとりとした眼差しを向けた。エファは、自分に向けられる好奇の目よりもむしろ、ユーディーに向けられる視線のせいで少し不機嫌になった。
「ここは人が多い。早く出よう」
人の多さは、護衛の観点からいっても不都合なので、ユーディーはエファの手を引いて歩みを速めた。ホームの階段を上り、人の流れにのって、二人は改札で駅員に乗車券を渡す。駅の構内を足早に出ると、大きな駅前広場が広がっていた。その広場から南に向かって真っ直ぐに大通りが延びている。その先には時代を感じさせる赤煉瓦の巨大な建物が見える。それがビブリオシュタットの象徴、この国随一の蔵書数を誇る図書館であった。
その雰囲気ある建物を遠目に見て、エファの機嫌はすっかり良くなっていた。西日を避ける為に黒い折りたたみの日傘を開いて、珍しくユーディーよりも先に歩き出した。ユーディーはその後ろ姿を穏やかに見つめた。
二人が大通りを歩きはじめるのと同時に、同じく駅から出てきた人達も何人か図書館へ向かって歩き出していた。図書館が有名なだけに、ビブリオシュタットの駅で降りる人の多くが図書館を目指していることが分かる。夕暮れの中でも、少なくない人が大通りを図書館目当てで移動していた。
通り沿いには古書店が軒を並べていて、落ち着いた本と知識の都を演出するのに一役買っている。エファは非常に興味を引かれたが、まずは図書館が第一だったので、それらの店は後の楽しみに取っておくことにした。
いくつもの古本屋を横目に歩いていくと、図書館の目の前まで辿り着いた。赤煉瓦の巨大な建物が西日に照らされて、オレンジ色を強く放っている。建物の大きさに見合う巨大な入口はアーチになっていて、どこか古代の建造物を連想させた。ユーディーとエファはその赤煉瓦のアーチに吸い込まれるように、図書館の中へと入った。
「さすがに広いね」
「ええ、凄いです。本当に」
エファはたたんだ傘をしまいながら、感心しきった様子で館内を見回した。
図書館は三階建てで、それぞれの階が運動場のように広い。加えて地下書庫もあるようだった。エントランスは吹き抜けになっていて、見上げる天井はどこまでも高く感じられる。
案内を見ると、二階に詩や小説といった文学作品がまとめられているらしいので、二人はとりあえず入口近くのロッカーに大きな荷物を預け、階段を上った。
ほんの少し暗い空間に、等間隔に木棚が並び、その中に多種多様な装丁の本がびっしりと並んでいる。エファはゆっくりと棚を巡り、ユーディーはその姿を見失わないように後ろに付き添った。
しばらくして、エファは窓の光が届かない、ひと際暗い一角で足を止めた。そこには時代がかった詩集が並んでいるようだった。
「詩も読むのかい?」
「はい、少し」
答えながら、エファは棚から何冊かの詩集を抜き取った。
「運ぶよ」
「あ、ありがとうございます」
エファが片手では持ちきれない量の本を手に取っていたので、ユーディーはそれを近くの閲覧席まで運んであげた。エファは帽子を脱いでそっと席に座り、小さな手提げを膝の上に乗せてから、選んだ本の一冊を開いた。
「近くに居るから、何かあったら呼んで」
ユーディーは昨晩と同じような台詞を残してから、エファが読書に集中できるように、少し離れた場所で彼女を見守ることにした。
エファの座っている席がよく見える位置で、彼女を常に視界の端に入れながら、ユーディーは適当に本を物色する。けれども琴線に触れるような本は見つけることができなかった。
そこでユーディーはひとつ思い出し、近くに居た司書に声をかけた。
「あの、アルビノについて書かれた資料を探しているんだけど……」
「はい、では目録から検索致しますのでこちらへ」
司書はユーディーを目録のある場所まで案内しようとした。
ユーディーはエファの方を見遣った。
「いや、実は子供を見てないといけなくて……。申し訳ないんだけど、アルビノ関連の本を、なるべく内容の似通わないように二、三冊持ってきてもらうことはできないかな」
「わかりました。少々お待ちください」
面倒な頼み事だが、司書は快く引き受けてくれた。
司書を待つ間、ユーディーはエファを眺めた。真面目な顔で本のページを繰る姿を見て、本当に本が好きなんだなと思った。
エファが一冊目の詩集を読み終える頃に、先程の司書がユーディーのところへ戻ってきた。
「すみません、アルビノに関する資料は数があまり多くないようです」
司書の手には三冊の本があった。
「いや、十分だよ。どうもありがとう」
ユーディーは本を司書の手から受け取り、礼を言う。
「貸し出しをご希望でない場合は、館内閲覧用の返却棚にお願いします」
司書はそう言って、返却棚の位置を示した。ユーディーが再び礼を告げると、司書は仕事に戻っていった。
ユーディーは渡された三冊の本を確認した。一冊はタイトルからすると、どうやら医学的にアルビノを解説している本のようだ。もう一冊は、アルビノの作家が書いた随筆らしい。そして、最後の一冊がユーディーの興味を引いた。それはアルビノを神秘的なものとして扱う『教団』について記されていた。
「これって、確かリーゼが言っていた……」
ユーディーはとりあえず『教団』について書かれた本を開いてみた。
本は『教団』の内部の人間による著作で、『教団』の歴史や教義からはじまって、最近の活動について仰々しく謳っている。ユーディーの頭には、宗教の匂いしかしない文字列がさっぱり入ってこなかった。ただ、狂信ともいえる文面に、リーゼのいう胡散臭さを感じない訳ではない。
一通り目を通して、この本からたいした情報も得られそうにないと判断したユーディーは、残りの二冊を適当に開いてみた。
アルビノ作家のエッセイで、好きな天気について書かれている箇所を読んで、そういえば初めて会ったときエファは雨が好きだと言っていたことを思い出した。そのとき、図書館の外から午後六時を知らせる鐘が聞こえた。窓の外を見ると日が沈み、暗くなっている。
ユーディーは図書館に入ってから結構な時間が経っていることに気付いた。あまり遅くなると護衛にも問題があるので、本を返却棚に返してからエファを呼びに行くことにした。
閲覧席の近くまで行くと、エファは丁度選んだ詩集をすべて読み終えた様子だった。
「さぁ、そろそろホテルへ行こう」
「はい」
横に立ったユーディーを見上げながら、エファは手に持っていた詩集を閉じた。
「何かいい本は見つかった?」
「ええ、この白い花の詩でまとめた詩集、とても良かったです。古本屋で見つけたら一冊買って持っておきたいですね」
エファは今閉じた本を、胸の前に掲げてみせた。黒い装丁に白文字で詩集のタイトルが入っていて、その下に白い花が描かれている。
「そっか。それなら、あまり時間はないけど、ホテルまでの道すがら古本屋を見てみようか」
エファは明るく快活な声で、はいと返事をした。そして読んだ本を重ね、シルクハットをかぶって席を立った。
二人は詩集を返却棚へ置いて、手をつないで階段を下りる。
その間も、エファはこの知識の宝庫の空気を目一杯吸い込んだ。
「来てよかったです。本当に」
エファはつないだ手に少しだけ力を込めた。
「うん。よかったね、エファ」
白髪の少女の隣で、ユーディーも微笑んだ。