第五話
スピンデルドルフは小さな村であるが、古くから紡績と織物で栄えている。観光客相手に売っている特産品の織物や衣類も有名で、駅前通りには質の良い布製品を扱う店が並んでいる。
二人の少女が駅から出て、最初に目にしたのはそんな街並であった。
「少し早いけど、今日は予定通りこの村に泊まろう」
時間は既に午後二時を過ぎている。この村でも朝は雨が降っていたのだろう。冷たい湿気が肌に感じられる。ユーディーはあらかじめ、宿泊するこの村の地図を頭に入れていた。すばやく実際の風景と頭の中の情報を照らし合わせて、通りを歩いた。エファはシルクハットを手でおさえながら、少し離れた斜め後ろをトコトコとついていく。その間、ダークブルーのサングラス越しに見る様々な店のディスプレイや看板が珍しくて、視線を忙しく動かした。
「もしかして、服とか買いたい?」
ユーディーは歩みは止めずに、小さく振り返った。
「いえ、そうではなくて、オーステンの外の町が新鮮というか……やはり本で読み知った知識とは違いますね、実際の風景を見ると」
エファは一通り周りを眺めてから、小走りでユーディーへ近づき、今度はぴったりと後ろへついた。
「時間があるから観光もできると思う。でも、まずはホテルにチェックインだね。この荷物を持って歩き回るわけにもいかないし」
ユーディーは大きな麻袋と飾り気のない革袋を肩から提げていた。これはユーディー自身の荷である。加えて電車降りるとき、エファが持ってきたワインレッドの旅行鞄も引き受けて、左手に持っている。
「すみません、私の荷物まで持ってもらって」
エファは折りたたみの日傘や小物類の入った手提げだけを持った手許と、ボディガードの重そうな荷物を見比べた。
「このくらい、気にすることはないさ。それに、キミにはいざという時のために身軽でいてもらわないと」
エファはそれでも申し訳なさそうに、ユーディーの左手を見た。ミリタリーコートの袖口に半分隠れているけれど、そこには少女に似つかわしくない傷痕が確かにある。暗い色のガラスを隔てても、エファにはそれがはっきり見えた。小さな棘が胸を刺して痛むので、シルクハットを目深にかぶりなおして、紅い瞳を伏目にした。
ひどく小さくなってしまったエファの様子に、ユーディは少し慌てて、言葉を足した。
「あの、つまりだね、ボクがキミの荷物を持つのも、護衛という仕事の範疇だから、キミが遠慮したり悪く思う必要なんてないんだ。困ったな。そんなに深刻にならないでほしいんだが」
おろおろするユーディーの態度は、ボディガードというより、自分より少し年下の塞ぎ込んだ子供の扱いに困るお姉さんだった。エファは、急にそんな面を見せた彼女に、しばらく呆気にとられて、それからクスリと笑った。
「ユーディーさん、なんだか可愛いです」
ユーディは、俯き加減だったエファが急に笑い出した理由がいまいち解せなかったが、それよりも急に可愛いなどといわれて、気恥ずかしくなった。
「と、とにかくホテルへ行こう」
二人の少女は再びホテルへ向かい、駅前通りの道を歩き出した。エファは、もう荷物のことは言わなかった。
しばらく歩くと、落ち着いた雰囲気の婦人服専門店とソーセージが売りらしいレストランに挟まれて建つ、目的のホテルが見えてきた。小さく、部屋数の少なそうなホテルだが、白レンガ造りの外観は清潔感がある。近づいてみると、入口はガラス扉で、赤茶色の木枠が白い壁に映えていた。ユーディーはその前に立つと、ガラスの向こうに見えるロビーの様子を一寸窺ってから扉を開いた。ドアを押さえて先にエファを通し、それから自分も扉を抜けた。
「ありがとうございます」
扉を押さえる左手に提げられた、自分のトラベルバッグを受け取りながら、エファは上目遣いで礼を言った。それに応えるように、ユーディーは紅い瞳に微笑んだ。
それから二人はフロントでツインの部屋を取り、荷物を部屋まで運んでもらうように頼んだ。大きな荷物を預け、ユーディーは無骨な革袋、エファは大荷物と同じ色をした小さな手提げ鞄だけを持って、スピンデルドルフの観光をすることにした。
といっても、少女達は観光客がいくべき店や名所を知っているわけではなかった。エファはオーステンシュタットの街の外を歩くのがほとんど初めてだった。ユーディーも、護衛の都合上スピンデルドルフの地図は頭に入っているとはいえ、買い物をする店や観光名所などということは当初全く意識の外であった。そこで二人は、とりあえず駅まで戻ることにした。駅に近ければ近い方が、旅の客相手の店が見つけやすいと考えたのだ。
その結果、駅にほど近いところで都合良く、女性向けの布製小物を土産品として売る小さな店を見つけることができた。エファはまずショーウィンドウをしげしげと眺めた。
「中も見てみようか」
ユーディーが促すと、エファはうなずいてから足取り軽く店内へ入った。
店内は明るく、雑然としていた。鮮やかな色の布が、棚に所狭しと並べられている。ユーディーは、入口の通路の脇に突っ立って、極彩色の店内をぼんやりと見回した。可愛い小物や服飾とは今まで無縁だっただけに、店の商品の大半は、どのようにして身につけるものなのかさえ分からなかった。エファは壁に面した棚の前に陣取り、いくつかのリボンやスカーフ、ハンカチを手にしては、色柄や手触りを吟味している。随分と真剣な様子なので、ユーディーは声を掛けずにいた。ただ、店内を見渡すのにはすぐに飽きてしまったので、自然と彼女の目はエファに向いた。色の強い空間にあって、黒い服を着た、髪も肌も白いエファは目に優しかった。それに、小さな体をくねらせながら、うんうんと唸って商品選びに困っている姿が面白く、また可愛らしかった。ひとしきり悩んだ末に、エファはユーディーはの方を向いた。
「ユーディーさんの好きな色、聞いてもいいですか?」
特に色の好みがあるわけではなかった。けれど、強い色の名前を挙げる気分でないのだけは、確かだった。
「白と黒かな。落ち着く」
今、この時の正直な気持ちをユーディは口に出してみた。
エファは目を丸くして、私と同じですねと言って笑った。
「あと、私は赤も好きなんです」
エファの手には赤いリボンがあった。なるほど、エファの服は白いフリル付きの黒いワンピースドレスで、頭にのせたシルクハットも黒く、赤いリボンが巻いてある。手にしているリボンは、シルクハットのリボンと替えるのだろうか。
エファは再び棚の商品を具に眺め、赤いリボンに加えて、決心したように黒染めの生地に白い百合の花が刺繍されたスカーフも手に取った。そして、それを店の奥のレジに持っていくと、線の細い赤毛のお姉さんが、洒落た包み紙でラッピングして紙袋に入れて渡してくれた。エファは満足したようで、ユーディーもそれだけで気分が良かった。
それから二人は駅前のいくつかの店を見て回り、その後小さな村の唯一といっても良い観光施設である、紡績資料館へも行った。資料館は古い紡績工場を改築した造りで、館内にはいくつも紡績機が展示され、その脇にはスピンデルドルフの紡績の歴史と解説が小難しい言葉で書かれていた。ユーディーは、子供には面白くないのではないかと心配したが、エファは丁寧に解説文を読み、時には資料館の職員に質問を投げかけた。今までの会話から、年齢の割に聡明だとは感じていたが、改めてユーディーはエファの頭の良さに感心した。
資料館を出ると、辺りはもう暗くなりはじめていた。街灯も少ないので、暗くなってから歩き回るのは得策ではなかった。そのため二人は少し足早にホテルの前まで戻った。
「夕食にしようか」
すこしだけ早めの夕食は、ホテルに隣接するレストランで取ることにした。ドアベルを鳴らして店内に入ると、通りのよく見える窓際の席に案内されたので、向かい合って座った。小さな村のレストランらしく、気楽で家庭的な雰囲気の店だった。
ソーセージの盛り合わせを二人前、キノコのソテー、ピクルス、ジャガイモのスープ、白パンを注文した。その際、ユーディーはエファに好き嫌いを尋ねたが、エファはシルクハットを脱ぎながら、嫌いなものはありませんと言った。ユーディーはそのとき初めてエファの透き通るような白い髪の全容を意識して眺めた。どんな貴金属や宝石よりも美しく、そして静かに輝く白髪にユーディーは息をのんだ。その様子を不思議そうに見つめるエファの視線で我にかえると、彼女の手のシルクハットを受け取り、自分の席の後ろにあった帽子掛けに掛けてあげた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ユーディーが慣れない笑顔を作りながら応えると、エファの表情もつられて柔らかくなった。
「今日は、私の観光に付き合っていただいたので、そのお礼も言わなければいけませんね」
「いや、構わないよ。キミが満足したなら、それで」
「はい。初めてオーステンの外の街を見ることができて、とっても満足です」
目を細めて、エファは明るい笑顔を見せた。同時に、白い髪が微かに揺れた。
「そう、なら良かった」
ユーディーも再び笑った。人と話していて、こんなに自然と笑顔になるのは今までの彼女には無い経験だった。
しばらくすると、笑顔の二人の前に、注文した食事が運ばれてきた。この日、二人の少女はとても穏やかな気持ちで、店自慢のソーセージに舌鼓を打った。