最終話
思わぬ形であの護衛の仕事を終えてから、数週間が経った。ヘルマン・エグナーから親権手続きのための書類も送られてきたし、リーゼにマティーニも奢った。
ユーディット・グライリヒはいつもの日常に戻ってきていた。ただひとつ、あの仕事の後で変わったことは、グライリヒの何でも屋に助手が加わったことだ。
「おい、ユーディー、スタッフも増えたことだし、名簿を作ってみたんだが」
グスタフ・グライリヒは一枚の紙を掲げている。
「おじいさん、増えたっていっても結局のところボクたち三人だけじゃないか。わざわざ名簿なんて……」
ユーディーは面倒そうに答えた。
「いいから、ここに名前を書け。ほら、お嬢ちゃんも」
「はい」
元気の良い返事で、シルクハットの少女は老人から紙を受け取る。そして、丸いダークブルーのサングラスの奥で紅い瞳を嬉しそうに細めながら、ペンを手に取り紙に向かう。
エファ・グライリヒ。少女は流麗な文字で自分の名前記すと、満足げに頷いた。シルクハットから覗く、真っ白な髪が揺れた。
ユーディーはその姿を眺めながら、首元の黒いスカーフを指で触った。そして立ち上がり、自分のデスクを離れて部屋の外向かう。
「おい、名前」
「後で書いておくよ」
祖父が咎めるのも気にせず、部屋を後にする。なんだか外の空気が吸いたい気分だった。
屋外の空気はここ数日、どんどんと冬の準備を始めている。特に今日は、弱い雨のせいで気温が低い。深呼吸すると、冷たい空気が肺の中に流れ込んで気持ちいい。しばらく外の空気を吸っていると、ユーディーの後を追って、エファが建物から出てきた。静かにユーディーの側に立つ。
「それ、ずっと着けてくれていますね」
エファはユーディーのスカーフを指差した。
「うん、とても気に入っているよ。いつか、何かお返しでプレゼントをしないといけないな」
ユーディーはスカーフを大事に撫でながら、笑う。
「本当ですか?」
ユーディーは当然というように頷いた。
「あの、それじゃあ欲しいものがあるんですけど」
エファは恥じらいながら、おねだりをする。普段遠慮深いエファが自分から言いだすくらいだから、よほど欲しいものがあるのだろうとユーディーは思った。
そしてエファは、思い切ってユーディーに希望のプレゼントを伝えた。
「それなら、いますぐにプレゼントできるね」
エファを正面に見据え、膝を軽く曲げて、顔の高さを合わせる。
そして、ユーディーはエファに優しく、口づけをする。
静かに降る秋雨が、太陽の光からアルビノの少女を守っていた。




