第二話
ヘルマン・エグナーは不機嫌に、革張りの立派な椅子へ背を凭れた。長く家を空け、東方に出向いて行った仕事は期待したほどの利益を生まなかった。それを除いても、近年の経営は上手くいっているとは言い難い。加えて、仕事を終えて久しぶりに自宅へ戻ると、妻が施設に預けている養子を自宅に引き取りたいと言った。それがまた頭を悩ませた。問題の養子というのは、戦時特需の折に関係のあった知人から話を持ちかけられ、引き取った身寄りの無い赤子であった。書類上は養父ということでサインをしたが、それから十余年施設へ預けて育てた。会うのは年に数回であり、互いに親子の愛情は全く育んでいなかった。養父としての責任を放棄することも考えたが、社会的な立場が一度引き受けた案件を投げ出すことを彼に許さなかった。この状態に変化をもたらしたのは妻、アマンダの我がままであった。彼女が突然の提案をしたのは、養子がアルビノであったことに起因する。エグナー夫人は社交の場で、近年アルビノが神聖な力を持つという信仰から人間の中の宝石と呼ばれていることを知った。そして自らの養子がアルビノであったことをそこでようやく思い出したのであった。他人からの羨望の視線を快とするアマンダは、誠に不純な動機で養子を手許に置くことを決めた。
ヘルマンは養子を迎え入れること自体にも頭を痛めたが、妻に頭の上がらない彼は養子を自宅に引き取る手筈を粗方整えた。直近の面倒ごとは、養子を自宅まで送り届けるボディガードの手配であった。アマンダは貴重な宝飾品の護衛以上のクオリティを求めたが、当然質の良いボディガードは報酬も割高である。事業の芳しくない状況で、彼には高い報酬を払うことは難しかった。安く雇えて、なおかつアマンダが納得する人材を見つけるという難題が彼に提示された。
困り果てた彼は親しい商売仲間に相談したところ、光明を得た。オーステンシュタットより北に外れた田舎町に、歴戦の雄グスタフ・グライリヒが厄介事を請け負う事務所を開いていると聞き知ったのである。しかも仕事の少なさに困っているらしく、どんな仕事でも格安で引き受けているとのことであった。グスタフ・グライリヒといえば、先の戦争で数々の功績を上げ、その名を聞けば味方は士気を昂らせ、敵は恐怖で遁走するとまでいわれた勇士である。その看板をもってすれば妻を納得させることは容易い。金銭も問題ないとなれば迷う理由も無かった。
早速依頼を出し、ようやく一息ついたヘルマンであったが、無益な案件に振り回された彼はひどく不機嫌であった。
彼が憮然としていると、書斎の扉がノックされた。彼が促すと、薄桃色の部屋着に身を包んだアマンダが入ってくる。
「養子引き取りの件は問題なくって? あなた」
「問題ないよ。護衛も依頼を出した」
「安くて野蛮で腕の無い護衛では困るのよ」
分かってる。彼は聞き飽きたというように答える。それからグスタフ・グライリヒの名を出した。
「まぁ、それは頼もしいわ」
世間知らずのエグナー夫人も、流石にその高名は知っているようであった。
「正確には彼の事務所が派遣するエージェント、ということだがね。彼自身が護衛に付く可能性が無いわけではないが、難しいだろう」
彼はそう説明したが、夫人はすっかり看板に満足してしまって、些細なことは気にしないと彼の言葉を一蹴した。それから、彼女は上機嫌に夫の頬に口づけをして部屋から出て行った。
世間からの評価ばかりを気に掛ける妻に呆れたヘルマンは嘆息した。
書斎に据え付けられた黒塗りのサイドボードの上に置かれた鉢植えの中、赤いダリアが生気を失い枯れかかっている。いくつかの花弁は散り落ちて、鉢植えの黒い土の上、あるいは鉢植えの下に据えられた水受け皿の中でくすんだ赤を放っていた。
書斎の電話が鳴る。
電話の向こうは、戦時に繋がりのあった取引相手であった。
ヘルマンはすぐに頭を仕事用に切り替えた。