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第十八話

 ビブリオシュタットから鉄道を使って、ツェントゥルムに着いたのは西日が空を茜に染める時刻だった。ツェントゥルム駅舎の広大なアーチ天井の下では、人の波がうねっている。その波を抜けて、ユーディーはツェントゥルムの街並を望んだ。

 駅から放射状に伸びる何本かの大通りを軸にして、機能的に都市区画が整備されているのがツェントゥルムという街である。その内の一本、北東に伸びる通りを行くと、駅前の一等地から外れた辺りに多少の開けた区画がある。『教団』の本拠地である大聖堂はその区画に建立されていた。

 ユーディーは沈む太陽を背に、迷うことなくそこを目指して歩き出す。静かな、けれどしっかりとした足取りで。冷気を運ぶ向かい風がミリタリーコートの裾を暴れさせ、長い黒髪を乱すが、意に介せず体で風を切っていく。

 大聖堂へと繋がる通りは、大通りの中でも人通りの多い方ではない。閑散とはいかないが、道行く人と肩がぶつかるようなこともない。自分の靴が石畳を叩く音を聴き取ることができるくらいにはうるさくない。通りに店舗を構えるのは職人系の工房が多く、華美な看板や装飾とは無縁である。日没に備えて、各店舗の窓にはオレンジ色の光が灯っていた。

 その光をいくつも通り過ぎていくと、通りの終りを告げるように円形に開けた場所に出る。ユーディーはそこで足を止めた。

「エファ……」

 猛る気持ちを落ち着かせるように、少女の名前を唱える。

 円形広場の中心、古びた噴水の水音だけがそれに応える。

 その噴水を挟んで、ちょうどユーディーと反対の場所に『教団』の大聖堂が在った。

 『教団』の歴史はそれほど深いものではないが、伝統的な建築様式の巨大な聖堂からは、宗教的な威厳を主張しようとする意図が見て取れる。

 ツェントゥルムに夜の帳が下りる中、ユーディーはその欺瞞と狂信の象徴を睨みつけ、自らの気配を闇の中へと忍ばせた。

 仮にも宗教の御堂ということで建っているために、大聖堂の守備は軍事施設のように仰々しくはない。裏門に目立たないように見張りをする一人の男がいるだけだ。さして関心のない街の人々の目には留まらないが、この見張りの体にはよくよく見ると無数の傷があり、明らかに堅気の人間ではないことを物語っている。正門は解放されているが、出入りする一般の信者が邪魔になるし、エファの安全を確保するまでできるだけ派手な立ち回りは避けたい。ユーディーは、見張りのいる裏門から侵入するべく、闇の中を動いた。

 見張りの男は、退屈な仕事に大きな欠伸をしていた。その時、鼻頭を撫でる風の中に、最近すっかり縁のない若い女の匂いが混じったことに気づいた。欠伸でぼやけた焦点を元に戻すと、目の前に髪の長い美少女が、不釣り合いなミリタリーコートを着て立っていた。俄に現れたその存在に、男は一瞬驚き目を見張る。それからすぐに卑しい笑いを浮かべた。ほとんど本能的に、美しい少女の顔とミリタリーコートの下の豊満な胸の膨らみ、プリーツスカートから伸びる白い脚を視姦する。

 次の瞬間、男はみぞおちと股間に強い衝撃を受け、激痛で呼吸が止まった。ユーディーが電光石火で急所への攻撃を行ったのだ。

「っあ……」

 男は前屈みになりながら何事か言おうとするが、呼吸がろくにできず声が出ない。

 ユーディーが手にしたリボルバーのグリップで男のこめかみを思い切り殴りつけると、男の意識はそこで途切れた。伸びた男を塀の陰に隠し、ユーディーは裏門から静かに聖堂へ入り込む。

 裏口から続く廊下は狭く、薄暗かった。気配を殺しながら、迷いなく廊下を進む。ユーディーが目指すのは、礼拝の間の裏に位置する部屋。一般の信者や外部からの来訪者の目には決して留まらぬよう、巧妙に隠された地下への入口である。

 しばらく廊下を進むと、壁の向こうから厳かな説法とそれに続く祈りの声が聞こえてきた。礼拝の間が近い証拠だ。廊下の幅も広がり、複数の曲がり角が現れる。ユーディーはあらかじめ見取り図で決めたルートを辿り、声の聞こえる空間の裏に回り込む。そこには金属扉の小部屋があった。ユーディーがそこへ辿り着いた時、ちょうど部屋から出てくる人間が居たらしく、重そうな鈍色の扉が開かれようとしていた。ユーディーはすかさず音を殺して扉の脇に立つ。扉が開かれると、ガウンに身を包んだ男が現れたので、ユーディーは間髪入れずにその男の頭部を強打する。

 足元に倒れた男の顔には見覚えがあった。あの講堂で司教と呼ばれていた初老の男だ。ユーディーは男のガウンを踏みつけて部屋の中へ入った。

 部屋の中はごく狭く、地下への石階段があるだけだ。一般の参拝者の目につく恐れがあるからか、地上階には幸い武装した敵がいなかった。しかし『教団』の暗部であるこの地下では、そうはいかないだろう。ひとつ大きな息を吐き、リボルバーを構えてユーディーは階段に足をかけた。

 予想よりも長い地下への階段を下りると、随分と幅の広い石壁の廊下が伸びていた。廊下の中程、右側にひとつドアハンドルのついた木の扉がある。そして、廊下の奥にはレリーフで飾られた両開きの扉が見えている。

 ユーディーはまず右の部屋の扉へ近づくと、聞き耳を立てた。部屋の中から複数人の声が聞こえている。ベルトから下げた革袋を探り、ユーディーは手榴弾と丈夫な紐を取り出した。そして手際よく、ドアハンドルが下がると手榴弾のピンが抜けるように細工する。細工が済むと、リボルバーを構えなおして奥の扉へと走った。

 レリーフの扉には鍵が掛っていない。ユーディーは銃を構えたまま、肩で扉を押して開いた。

 扉の奥は異様な空間であった。地下の圧迫感を全く感じさせない高さと広さを持つその部屋は、廊下の石壁とは全く異なり四方は白壁である。壁だけではない。天井も床も白で統一されており、一瞬距離感が狂いそうになる。内装といえる内装は何もなく、ただ扉の向かいに紅いクロスとキャンドルで飾られた巨大な祭壇が鎮座し、その脇に白く目立たない扉がある。そして、祭壇の前に二人の男。

「おやおや、お嬢さん。迷い込まれたのですかな? ここは立ち入り禁止ですよ」

 豪奢な祭服の老人が嗄れた声で、侵入者へ声をかけた。その鋭い眼光は、ユーディーの手許、八インチの銃身を捉えている。

「エファを返してもらいに来た」

「教主様、彼女は例のアルビノを護衛していたボディガードです」

 もう一人の男、見覚えのある赤髪が老人に告げる。

「なるほど、仕事熱心にアルビノを取り戻しに来たという訳ですか。なんと無謀な」

 そう言って祭服の老人はわざとらしく笑う。

「無謀かどうか、やってみないとわからないさ」

 ユーディーは自身の心に怒りと闘志の炎が燃え、同時に頭脳は驚くほど冷静に冴えていくのを感じていた。愛銃の黒檀製グリップが手によく馴染む。

「殺せ」

 凍りつくような冷たい声で、教主は赤髪の男に命令する。

「御意」

 赤髪とユーディーは同時に床を蹴って走り出した。

 お互い狙いを絞らせないよう、ステップに変化をつけながら白い箱の中を駆ける。赤髪は自動拳銃から三度弾丸を放つが、その全てがユーディーの脇を通り過ぎていく。ユーディーは必殺の機会だけを狙い、無駄玉を撃ち返すことはしない。切り返しのステップを踏む度、黒髪が宙を踊る。四度目の乾いた音が鳴り、男の手元から薬莢が落ちた。弾丸は踊る髪をかすめその束を少し切り飛ばす。

 はらはらと宙を舞う黒糸の切れ端を背後に残して、ユーディーは前方へ走った。それを見て、赤髪の男も間合いを詰め、近接格闘の構えを取る。

 近距離の格闘は、体格や筋力の差があるためどうしてもユーディーが不利になる。それでもユーディーが接近戦を仕掛けたのは、相手の足を止め確実な一撃をを放つ瞬間を作り出すためである。

 互いに銃を使うには近すぎる距離まで接近すると、素早い拳打の応酬が始まる。ユーディーは巧みなガードで敵の攻撃のダメージを殺すが、もちろんダメージをゼロにできるわけではない。それは敵も同様だが、やはり体格差のために、ガードの上から蓄積する痛みや痺れはユーディーの方が影響が大きい。次第にユーディーの守りの割合が高くなっていく。

 赤髪は状況を有利と判断すると、溜めをつくり、体重の乗ったストレートを放つ。

 それは、ユーディーが待っていた攻撃であった。

 ユーディーは素早くストレートに反応すると、男の腕を左手で掴み、流れるような動作でそれをいなす。そして、自分の攻撃の勢いで体勢を崩した男の腹部へ蹴りを放つ。さらにその反動で自分も距離を取るため後ろに跳ぶ。

 必殺の間合い。ユーディーは八インチの銃身を赤髪へと向ける。赤髪の男も、崩れた体勢をなんとか捻って自動拳銃でユーディーを狙う。二丁の銃の引き金が同時に引かれた。

 火薬の爆ぜる音は共鳴し、一際大きく、白い部屋の中に轟く。

 ユーディーの左肩は弾丸に貫かれていた。ミリタリーコートの灰色がその部分を中心に赤黒く染まっていく。ユーディーは痛みをこらえ、リボルバーを握ったままの右手を左肩に添えた。

 赤髪の男は、銃を撃った時の無理な体勢を立て直し、銃口をユーディーに向けたまま直立する。男の胸には、赤い染み。ユーディーの左肩よりもずっと大きく、速く広がる。

 赤髪は膝から崩れ落ちた。

 その直後、ユーディーは背中で豪快な爆発音を聞く。おそらく銃声に気づいた誰かが、罠を仕掛けた扉を開いたのだろう。

 突然の爆発音。突っ伏して白い床に赤い池を作る赤髪の屍体。それらの事象を理解できず祭服を震わせる教主に、ユーディーはゆっくり視線と銃口を移す。

「エファはどこに居る」

 静かな口調で、しかしよく通る声でユーディーは問いかける。

「ま、待て、撃つな」

 醜い老人は、そう言いながら祭壇横の白い扉へ逃げ込もうと足を運ぶ。

 ユーディーはその足元をリボルバーで撃った。

「エファは」

 銃を構えたまま近づき、質問を繰り返す。

「あ、あのアルビノならこの奥に居る。解放する。だから命だけは……」

 尻餅をつき、豪奢な祭服に見合う威厳を全く失った惨めな老人を、ユーディーは見下ろす。そして、皺だらけの顔に銃口を突きつけた。

「他にもいくつか聞きたいことがある。全部喋ってもらうよ」

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