第十五話
ユーディーは廊下の角から、講堂の中の様子をうかがった。
講堂の真ん中に白いガウンを着た初老の男が立っている。誘拐されたときには見なかった顔である。その前にエファの姿が見える。外傷はなく表情も毅然としていたので、ユーディーはひとまず安堵した。その二人を囲むようにして、三人の男が銃を持って立っている。いままでの六人とは明らかに警戒心の強さが違う。やはり銃声を聞かれたのだろう。ユーディーは位置的にエファの一番近くに立つ、赤髪の男を注視した。この男をなんとか排除して、まずエファを敵の手中から取り戻せないかと考える。しかし、赤髪は他の男達よりも兵士として熟練している。ユーディーはプロとしての洞察でそれを察知していた。力任せの突破では、まず間違いなくエファの状況を悪くする。愛銃の撃鉄を親指で撫でながら、心の焦りを鎮めようと努める。
「こちらへ来ないかね、お嬢さん」
ガウンの男の大音声が講堂の中で反響する。それは明らかにユーディーの存在を知り、投げかけられる言葉であった。ユーディーはわずかな逡巡の後、講堂へ向かって声を張り上げた。
「その子をどうするつもりだ。どうしたらその子を返してもらえる?」
廊下の角に身を隠しながら、慎重にリボルバーの撃鉄を起こす。
「それは難しい相談ですな。このアルビノは我等が『教団』にとって貴重な存在」
先ほどと変わらない、演説のような声が返ってくる。
……やっぱり『教団』か。ユーディーは心の中で呟く。するとやはり、エファをこの後どこかへ連れて行くつもりだろう。そうなれば、状況はより難しくなる。ここでエファを取り戻さなければ……。ユーディーが握る黒檀のグリップに、汗が染み込んでいく。
「なぜその子を連れ去る必要があるんだ」
ユーディーは再び講堂へ声を投げつける。
「アルビノは信仰の対象だよ。人間は生まれながらに罪を背負っている。穢れている。しかしアルビノは違う。血統や民族に関わらず現れるその白き身体は純真の証。そしてその紅き瞳で、世界の行末を見通す。我々は清きアルビノがこの汚濁した世界に染まらぬよう保護し、そして崇拝するのだ」
姿の見えない相手に対して、ガウンの男は両腕を大きく広げ、本格的に演説を開始した。
そのために、こんな乱暴な手段か。ガウンの男が吐き出すエゴに、ユーディーは気分が悪くなる。
「もうじき『教団』本部からの迎えが来る。いつまで隠れているつもりですかな? お嬢さん。
ここまでアルビノを無傷で届けてくれたお礼を差し上げたいのだがね」
ガウンの男がそう言うと、三人の銃を持った男たちが講堂と繋がる廊下に狙いを集中させる。
「ユーディーさん!」
それを見て、いままで消沈していたエファが声を張る。勢い余って駆け出しそうになるが、ガウンの男がエファの両肩を掴んで、それを制する。
一方ユーディーはエファの声に弾かれるように、廊下から講堂の中へ飛び出していた。その動線をなぞるように、三つの銃口からの弾丸が弾痕を残していく。無数の銃声は講堂内の反響で増幅し頭を揺さぶるような音の渦を作り上げる。
講堂の中に規則正しく並ぶ長椅子の陰へ身体を丸めながら飛び込み、ユーディーは銃撃をやり過ごす。汗で手許が狂わないように、リボルバーのグリップをしっかりと握り直した。
ガウンの男がエファの肩に置いていた右手を挙げると、男たちは銃撃をピタリと止めた。ガウンの男はまた講堂の中にその声を響かせる。
「お嬢さん、君の任務はここで終わりだ。どうやら迎えもきたようだしねぇ」
建物の外では自動車のエンジン音が近づき、講堂の入り口近くで停車したようであった。
ガウンの男が目配せすると、赤髪の男以外の二人がエファの左右に回り込んだ。そして黒いワンピースの腕を掴み、外へ連れ出そうとする。
「ユーディーさん!」
エファが再び名前を叫ぶ。
「待て!」
ユーディーは思わず長椅子の陰から身を乗り出す。赤髪の男がまだ銃口を向けているのが見えた。銃声と同時にユーディーは横転し、別の長椅子の陰へ転がり込む。寸前までユーディーの左肩があった場所を銃弾が通り過ぎていく。
「くっ……」
ユーディーは歯噛みする。
「アルビノが車へ行くまで、相手をしてやりなさい」
ガウンの男の声が、赤髪の男へ向けられる。赤髪の男はそれを承知すると、静かにユーディーの隠れた長椅子の方へ一歩踏み出した。
もはや残された時間は少ない。今この状況でユーディーは相手の射線上へ進み出る以外の選択肢を持たなかった。
エファをこの場で救うため、強く床を蹴って走りだす。身を屈め、姿勢を低くし、両手でリボルバーのグリップを握りながら、できる限りの脚力を働かせる。地を這う稲妻の如き速さで、赤髪との距離を詰める。赤髪は二度、迫り来るユーディーに発砲したが、ユーディーは先読みで左右にステップし、紙一重で躱した。さらに距離を詰め、両者は肉薄する。
仕掛けた側のユーディーはもちろん、赤髪も銃撃から近接戦闘の構えに移っていた。ユーディーは助走の勢いをつけた回し蹴りを放つが、赤髪は両腕でガードを固めこれを防ぐ。すかさずユーディーはガードを崩すためコンビネーションで攻めるが、焦りのためかその打撃はどこか精彩を欠いていた。赤髪は熟練の動きでユーディーの連続攻撃を全て防ぎ、あるいは回避する。
相手が予想以上の近接戦闘能力を発揮したために、ユーディーの焦りはさらに強くなる。そして焦燥は戦闘において隙をもたらす。
攻撃の切れ目に生じた隙を見逃さず、赤髪は反撃の蹴りをユーディーの腹に向かって放つ。咄嗟に腕で腹部をガードし、直撃だけは防ぐ。しかし体格差のせいもあり、ユーディーの身体は後方に吹き飛ばされ、長椅子の一つに叩きつけられた。赤髪は銃口をユーディーに向ける。
そこで講堂の出入口に立つガウンの男から赤髪に指示が飛んだ。
「もう遊び相手は十分だろう。行くぞ」
「はい、司教様」
赤髪は銃を下げ、背中を向けて講堂の外へ向かう。
ユーディーはダメージの残る身体をすぐには動かせないでいた。
赤髪と司教と呼ばれたガウンの男が講堂から出て行くと、すぐに先ほどと同じ自動車のエンジン音が鳴り、だんだんと遠ざかっていった。
ユーディーは埃っぽい講堂の中で、無力感に苛まれながら、遠のくその音聞くことしかできなかった。
そしてエファを乗せた車の音が完全に聞こえなくなった後、ようやく自由に動くようになった身体で立ち上がり、首元に巻かれた黒いスカーフを強く握る。状況は確かに悪い。だが、諦めるという選択肢はない。
「まだ任務は終わりじゃない。まだ……終わらせない」
自分の助けを信じると言ったエファの言葉を反芻しながら、ユーディーは講堂を後にした。




