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第一話

全二十二話です。感想等ありましたらお気軽にどうぞ。

「ボクはベビーシッターじゃない」

 秋の盛り、高く広がる晴天からの陽光が、窓枠にはめられた歪んだガラスを通して差し込んでいる。渡された依頼の資料が机の上に置かれた。自らをボクと称する少女、ユーディット・グライリヒは屈強な白髪老人に向けて口を尖らせる。

「いや、わからんぞ」

 老人は憎たらしく口角を吊り上げ、顔の皺を深くした。

「なにせ依頼料も子守り並だ」

 ユーディーは溜め息を吐く。依頼料がベビーシッター並みというのは流石に言い過ぎではあるけれど、依頼の内容からいって格安なのは間違いなかった。

「おじいさんのマネジメント手腕に問題があるんじゃないの」

 少女は投げやりな悪態をついてみた。目の上に人目を引く傷跡が残るこの老人は、しかし全く悪びれる様子をみせないまま、懐からシガレットケースを取り出す。

「戦争屋が戦争が無くなった時分でも仕事を貰えるんだ。贅沢は言わないさ」

 老人がシガレットにくすんだチタンのライターで火を着ける。贅沢を言えないのは事実だ。かつて戦争で名を挙げた老人が個人経営する何でも屋。戦時中の繋がりで依頼はいくつか舞い込んでくるものの、どれも比喩ではなく死と隣り合わせの危険なものばかり。身体に戦争の傷が無い依頼主は珍しく、その手のクライアントがこの胡乱な会社に払う報酬は少ない。それでもユーディーはシビリアンな依頼人の仕事の方を長生きできそうだという理由で、歓迎している。金銭の問題は二の次だった。実際今回の依頼は悪態をつきながらも心の内では好ましい仕事に思えていた。

「ボクは戦争屋でもない。戦争は知らない」

 とりあえず、ユーディーは自分まで戦争屋にカテゴライズされてはたまらないので、そこにだけ反論しておいた。

「あぁ、おまえのような馬鹿みたいに綺麗なツラじゃ戦争屋には向かないな」

 煙をふかしながら、老人は笑う。ユーディーは自分の長い黒髪をかきあげた。

「ボクの顔の話なんてどうでもいいよ。依頼の話」

 年季の入ったオーク材のデスクを指で叩く。老人は部屋の上座でタバコの煙を吐き出した。

「真面目に話をすると、今回の依頼はボディガードだ。その資料の通り、依頼人は金満の豪商で護衛の対象は養子の娘」

 老人は依頼書の内容をなぞりながら、所々説明を加えつつ、依頼内容を孫娘に語った。ユーディーは牛皮でカバーが装丁された、無骨な手帳に必要と思われる事項をメモする。室内の決して明るくない照明を反射して、手にした万年筆の先がやわらかい金色の光を放つ。

「金満なのに、こんなケチ臭いボディガードを格安で雇う理由が知りたいんだけど」

 万年筆を机の上に置いて手を休める。黒い軸胴部がオーク材と軽くぶつかり、小気味の良い音を立てた。

「外からは金を持ってそうに見えるってだけで、内実は苦しいのかもな。それか養子娘への愛の無さが表れてるか……」

 あるいは両方だな、と老人はまたひとつ大きな煙を口から吐いた。

 どちらも当人にとっては重い問題なのかもしれない。けれど依頼の遂行に支障をきたすような厄介な特筆事項はなさそうだったので、ユーディーはひとまず安堵の息を吐いた。

「出発は?」

 ユーディーは手帳を見直しながら祖父に尋ねる。三日後朝八時にオーステンシュタットと、タバコの煙が答えた。ユーディーはそれを手帳に書き加える。続いてデスクの引き出しを引いて、一丁の拳銃を取り出した。鈍色の八インチ銃身に黒檀のグリップはどこか骨董品のようであった。

「おまえ、相変わらずリボルバーか。しかもそんな古いヤツを」

 老人は呆れた顔で、ユーディーが宝物を磨くのを見遣った。

「引っかかる言い方だなぁ。良いじゃないか、手に馴染んでるんだ。いまさら短銃身の自動拳銃なんか使えないよ」

 ふん、好きにしろ。老人はタバコを灰皿に押し付けた。慣れた手つきでリボルバーの手入れを続ける孫娘の姿は、年頃の浮いた話を想起させるに難い。

 ユーディット・グライリヒは容姿の美しい少女ではあった。肌は瑞々しい薄桃色の果実であり、伸びた濡れ羽色の髪は麗しく宙を流れる。潤みがちな瞳は大きく、人を吸い込む揺らめきが在った。唇には幼げな柔らかさと艶っぽさが同居する。脚は尻からの健康的な肉付きを残しつつも、すっきりと長く伸びている。腹部や腰回りはしぼられていて細い。胸だけが十代半ばの年齢にしてはふくよかであった。およそ十代の少女が体現し得る美しさと可愛らしさ備えた、あるいは若々しい彫塑品のモデルにもなりそうな容姿である。しかし、当の本人はその類稀なる容姿に全く無頓着であったし、左手の甲から腕にかかる一条の傷跡と彼女の仕事の性質も相まって、女と男の青春に絡むようなものは未だ影すら見えないのであった。

 老人は自らが彼女に仕込んだ様々な技術のために、彼女が人並みの青春を送れていないことを少なからず後悔した。けれど、あまりに長く戦火の中でその身を焦がしてきた彼が、生後間もなく両親を失ったユーディーと共に身を立てる手段は他に無かった。

 老人、グスタフ・グライリヒが悔恨を払うために二本目のシガレットを取り出したとき、無頓着な美貌をくすぶらせている少女はリボルバーの手入れを終えた。

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