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使い魔とは、その主人である人間――魔族同士のケースも有る――と契約を結び、魔力リンクに依る繋がりによって魔力の供給や意思の疎通を可能にするものである。
契約した者同士は互いに互いの魔力を借りて使用することが出来、当然契約主も使い魔も魔力が多ければ多いほどその効果は高まる。
しかし契約の成功条件はなかなか厳しい。それが、シンシアの中に迷いを生み出していた。
まずおおまかに、契約者が使役できる使い魔は1体のみ。しかもこれは使い魔が死亡した後でも他のものと契約が結べないようになっている。初回の契約の際に、魔力がその相手に適した形に変異して固定されるためと言われているが、シンシアは今回が初回なのでこの点は問題ない。
次に双方が相手に好感情を持っていないといけない。魔力をリンクさせる際に、どちらかに悪感情があって拒絶されればそれで失敗なのだ。この点、髑髏は好意的なのでクリアー。
そして基本的な能力差。契約主が使い魔となる魔族よりも大幅に強くなければいけない。これは契約の際に魔族の核である魔晶に干渉し、その性質を変化させるためと言われている。本能的に反発する魔晶の力を抑えこむ、強い魔力が必要なのだ。シンシアの考える不安材料その1である。
それと契約の魔法の難易度。魔術はその術式の複雑さや必要最低魔力から上、中、下級と分けられており、この魔術は中級。これが不安材料その2。
人は大なり小なり誰しもが魔力をもって生まれてくる。その時に必ず火、水、風、土の中から1つだけの属性を持って生まれてくる。これは各属性の大精霊から与えられる祝福であるとされている。
質量を持たないエネルギー体である火と風どちらかを持つものが9割程を占めており、地面を動かせる土が3番目に多く、水を生み出せる水が最も少ない。全体の1%に満たないほどだ。
通常通りに成長すれば簡単なものなら扱えるし、先天的な才能と厳しい修練を詰んだものは魔術士としてより強力な魔術を扱うことができるようになる。
更にその修練を詰んだ魔術士の中で、自身の魔術の性質を意図的に変化させ、2度と魔術士として強力な術を扱えない代わりに魔力を別の方法で扱う道を選ぶことができる。
光を司る神へと祈りを捧げ、神の依り代となり聖なる力を扱う神聖術士。生誕時には祝福を与えない、闇の大精霊と後天的に契約して特殊な術を扱う呪術士。
そして自身の持つ魔力を根本的に変質させ、強力な魔術を捨て新たに創造の力を得た錬金術士。これら3つは、魔術士から派生した術士であり、魔術士と比べるとその数はかなり少ない。
錬金術士が他の術士たちと違うのは、彼ら魔力は魔術を行使する際に必ず必要になる魔法陣、その回路を描くために必要な力を大きく失ったことにある。
簡単な下級魔術ならば難なく使えるが、中級以上となると陣を実際に書かねばまともに行使することが出来ない。他の術士は体内で魔術の陣を完成させることができる上、威力も精度も錬金術士は劣る。
その代わりに得たのが”精製”のための魔力。術式としての役割を捨て、より純粋なエネルギーとなった魔力。他の物質に浸透させ、その根本まで干渉して変異させ、他の物質と混ぜて強力な効果や新たな効果を生み出す力。
魔力の篭った物体を生み出すことを得意としており、先ほどシンシアが使用したこの部屋の明かりも、錬金術士である彼女が作った、魔力を込めるだけで長時間発光させるというものである。
髑髏はコレを見て、部屋に明かりを灯したシンシアを魔術師だと思ったのだ。実際、彼女の生きていた時代には、魔術を使わずに魔力だけで光を生み出すとができるのは高位の魔術士だけだった。
だからこそ髑髏は決意し、契約の魔法陣を書き表すに至ったのだが。実際はシンシアは高位の魔術師ではないのだ。
術式を描くための回路としての力を捨て、物体に干渉するための純粋なエネルギーとしての力を得たのだ。
そんなシンシアが、中級の魔術である使い魔契約を行う。だからこその不安材料その2。
シンシアの中では、不安材料が2つもある時点でもう正直この手段は取りたくないのだ。
なぜなら使い魔契約の術式は、上記4つの条件すべてが揃っていても成功確率はさほど高くないのだ。コレには未だ解明されていない部分がある、と言われていたり、単純に運だと言われていたりする。
しかもこの術式、契約の際に魔族の核である魔晶へと干渉する。そのため失敗時にはそれを傷つけてしまい、高確率で魔族が死んでしまうのだ。
「んー……、……。使い魔かぁ……」
机に両肘を付け、組んだ手の平に額を載せてシンシアは唸る。短い時間ではあるけれど、なんとなく愛嬌がある存在。できれば失いたくない。
他の方法を模索し、多少効率が悪くともそちらを実行したいところではあるのだが……。
チラリ、と目線だけを髑髏に向ければ、その真っ暗な眼窩からは期待の眼差し……、……眼差し? が返ってくる。
(絶対に、絶対にコレ! 異論は認めませんっ!)
シンシアの視線を受けて、髑髏は必死にアピールをする。顎をガッコンガッコンと机の上の魔法陣へと打ち付け、シンシアへと訴える。
髑髏とて自身の危険は百も承知。ただそれはシンシアが思うよりも確率を低く見積もっているが、それでも彼女はもはや死を恐れない。
そもそも一度死んでいる身。ボロボロになりながらも生き抜き、漸く掴んだもの。
文字では上手く伝えられない。戯言だと思われるかもしれない。
自分が真に伝えたいものを、確実に伝えるために必要なこと。どんな方法でもいい、自分の元の姿を取り戻すこと。
それが出来なければ、今まで死んだ身体を動かしてここまで来た意味など無いのだ、と。
その強い思いで、シンシアへと必死に訴えるのだ。
シンシアも髑髏がこの方法を強く推しているのは察したが、同時に髑髏もその迷いを察している。
(やらないのであれば、全身全霊を持って呪います! 神よ、今一度貴方様の御力を我が身に!!)
「うぅ、なんか寒気が……分かった、やるよ、やりますよ」
しばし目線だけの応酬だったけれど、結局シンシアが折れた。
元聖女、神に最も愛された存在。つまり神の力を一番強く行使できる、最高の神聖術士だった髑髏。その彼女が使ったのは、まさかの闇の大精霊の領分の呪いという奇跡。
いや、まぁただ単に気圧されただけかもしれないが、とにかくシンシアの心を動かしたのだ。
実際には、他の方法提案しても却下されそうだなーとシンシアがちょっと思ったという理由もあったりするが。
(ああ、神よ! 貴方様の変わらぬ愛に感謝します……!)
内心涙を流しそうな勢いで今の成果に感動している髑髏を尻目に、シンシアは椅子から立ち上がり、奥の扉を目指した。
鍵のかかっていないその扉を開けると、そこは色々なものがたくさんの棚や箱に収納され、整ってはいるがスペースに余裕のない部屋だった。微妙に変な匂いまでする。
そこから一つ、小さな牙だけをもって出てきたシンシアを、髑髏は不思議そうに見守る。
やがて中央の机にあったすり鉢ももって椅子へ座り直すと、シンシアはその牙をゴリゴリと砕き粉末状にし始めた。
(うわ、なっ、なんですかいきなり!?)
「やるん、だったら! 成功率、少しでもっ、上げ、ないと!!」
顎関節をガコンと鳴らして驚く髑髏を視界の端に捉えたシンシアが、力んだ声を出しながらも簡単な説明をする。
シンシアも腹をくくったのだ。魔力は同じくらいだけど純粋な魔術師である幼馴染を頼ろうかとも思ったが、そもそもそっちに懐くとも限らない。何らかの拍子に壊されでもしたら大変だ。
それにこの方法、成功すれば意思疎通が他の方法と比べてかなり容易になる。
元々この邂逅さえも偶々訪れたもの。運が招いた出会いなら、更なる運に期待してみせようじゃあないか、と。
そう結論づけたシンシアは、すり鉢の中で粉々になった牙を机にサラサラと零しながら、息も絶え絶えに言う。
「はぁ、はぁ……。今家にある中で最も魔力の篭った牙、コレで陣を書けば……!」
(目が血走っててちょっと怖い……)
魔力を多く含んだもので陣を書き、その効力をあげる。
錬金術士が使い魔と契約した、という話は聞かない。戦力としては必要ないし、助手としても知能が低いからもっと必要ない。
しかも食事などで維持費がかかる使い魔。そもそも錬金術士は錬成材料を集めるのにかなりお金を使うから、必要のない金食い虫を得ようとする者はいなかったか、或いは1度の失敗でやめていた。所詮は無理なのだと。
成功の話は聞かないが、そもそも試行回数が少ないので実際は未知数。そのため確率を上げるためかなり高価なものを使用したため、シンシアの目は興奮から若干怖いことになっており、息が乱れているのも相まって髑髏は少し引いた。
「ふー……。こんなもんかな。じゃあ、この中に入ってね」
やがて書き終えたシンシアは、真っ白い牙の粉で書かれた魔法陣の上へと髑髏を誘う。
ゆっくりとその上に移動した髑髏は、シンシアが目を閉じて精神を集中しているのを見て、自分もそれに倣う。
髑髏も使い魔契約の魔法は知識の上では知っていた。だからこそ成功しにくいことも知っているし、こうやって確率を上げるために協力もする。
ただ、髑髏のみが知っており、シンシアが知らない不安要素があった。
それは、髑髏が元は人間だということ。そして、今も純粋な魔族とは言い難い存在であること。
自分がこの状態で生きていることに関して、ある程度の推論はあった。それを告げる前に実行に踏み切られてしまったことを申し訳ないと思う。
だからこそ、絶対に成功させる。成功させて、自分の言葉で告げるのだ。
ありがとうを。そして、ごめんなさいを。
「準備はいい? 始めるよ」
髑髏がその心を確かなものにした時、シンシアもまた心と体の準備を整えた。
ただの研究サンプルではなくて、一個の生命として。共に歩むパートナーとして見よう、と。
(ただの魔族じゃない。私と意思を交わした、特別な存在)
自分に助けを求めてきた、とても人間臭いアンデッド。ただの魔族とはどうしても見られないこの子と、契約をするのであればどちらかが死ぬまで、永遠に手を取り合っていこうと。
開いた目に宿る光は、済んだ輝きで目の前の生命を見つめる。そして、再び目を閉じ、体内で魔力を練り上げる。
机の上の小さな魔法陣。そこに両手を差し出したシンシアの手から、青い魔力の光があふれだす。
その光はゆっくりと周囲に広がり、魔法陣に触れるとその白を青へと染め上げる。シンシアの”精製”のための魔力が、純粋なエネルギーとして牙へ伝わり、その根本から染め上げる。
青い魔法陣の中、光は更に広がる。小さな青い粒子が浮かび上がり、一つ、また一つと髑髏の側を取り囲む。
(優しい光……)
髑髏はその光が体に触れるたびに、とても心が安らぐのを感じていた。
青い粒が体に触れ、吸い込まれていくたびに、そこがとても暖かく感じた。
その温度はとても懐かしいもの。彼女の主観では半年ぶりに、しかしその実は500年ぶりに感じる、温度。
冷たい風、そして感情に晒されていたその体に、痛いほど染みこんでくる柔らかい熱。
(悲しみ、それと喜びが流れ込んでくる)
その狂おしいほど感動は、シンシアにも伝わっていた。心の底から震えが伝わり、そのくせ非常に穏やかで。
シンシアは目を開け、目の前の存在を確認する。静かな光をたたえた翡翠の瞳は、青い光の中の眼窩に目を向ける。
(温かい)
そう思ったのは、一体どちらか。それとも、どちらもか。
いずれにせよその瞬間、両者は確かに互いの目が合い、何かがつながるのを感じた。
『我が魂の下、永久の盟約を』
互いの心の声が、互いに届く。契約の言葉が重なる。
刹那、髑髏、いや聖女は青い光の奔流に飲まれた。あまりの眩しさに目を閉じたシンシアの魔力が魔晶にするりと入り込み、その存在を刻み、変質させる。
錬金術士の魔力は、他の物質の根底に染みこむ、とても純粋な魔力。核である魔晶に干渉するにあたって、これほど適したものはなかった。
錬金術士に依る契約の失敗は、その全てが、錬金術士が魔族のことを純粋な生命と見ていなかったこと。研究材料、道具、そんな気持ちで魔術を行使したこと。
今までも、これからも。研究では明かされない事実。契約に最も大切な気持ち。上辺を取り繕うだけではどうしようもないそれが、失敗の際、自身に歩み寄ってきた魔族を殺してしまう。
感情の根っこ、生命の認識。それを乗り越えて、錬金術士と髑髏聖女は魔力を重ねる。
ゆらり、ゆらりと煙のような白い光が、シンシアの胸へと吸い込まれ。
同じような青い光が、聖女の全身を包み込む。
やがてその煙さえもまじり合わさった時、それまで以上の光の奔流が爆発的に広がり、シンシアのアトリエを揺らす。
魔力の嵐が巻き起こり、中においてあった備品や材料が倒れ、床に落ちる。
その中にいても揺るがない2つの存在。ゆっくりとあふれだす魔力を操り、自分たちへと収束させていく。
ふわり、と最後に穏やかな風を残し、すべての光が消え。
アトリエの中は、魔術発動前の静けさを取り戻し。
シンシアは瞳を静かに開け、目の前の存在を見据えた。