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 日が暮れ始めて来た頃に、シンシアは漸く森から出た。

 あの後はとりあえず用事を済ませて早く帰ろうということになり、その用事であるレコの草の採取も1ヶ所で済んだため、余計な時間を消費したとはいえ暗くなる前には村に着いたのだ。

 彼女の生まれ育ったこのミスロ村は、神聖国エルザードの東端に位置し、一応は隣国との国境の村である。

 とはいっても国境線は深い森の中。しかもとある事情により明確な線引がされていないため、便宜上この森全体を両国の領土として扱っている。

 しかし隣国はこの森の近くに人里がなく、また態々入ろうという酔狂な人も滅多にいないため、この森はほぼ神聖国エルザードのものとなっている。

 でもそれは別に軍がどうのこうの、というのではなくてミスロ村の住人が好き勝手入って採取や狩りをしているだけということなので、事実上のという注釈がつくが。


「おや、おかえりシアちゃん」


 傾き始めた日に村全体が赤く染められ、木々や家屋などがその影を長く伸ばして足元を黒く彩る。

 そんな夜が訪れる前の、急いで帰路につくための僅かな慌ただしさがあるミスロ村。

 村人たちと同じように平らに整えられた道を歩いて帰路を急いでいたシンシアに、向かい側から歩いてきた恰幅のいい女性が朗らかに声をかけてきた。

 グレーのズボンとブラウンのシャツを身に纏い、頭巾とエプロンを装備した、柔和な顔立ちの口元と目元に僅かな皺を蓄え、ハニーブロンドの長い髪を頭の後ろで団子にしている。

 自身を愛称で呼ぶ女性に気づいたシンシアは、足を止めて笑顔で挨拶を返した。


「ただいま、リンおばさん」


 女性の名はリンジー・フィルポット。シンシアが住んでいる家のお隣さんだ。

 ただ村の広さはそこそこなのに、神聖国の東端というド田舎な地理事情のせいで、人が都会の方へと流れ出てしまっている関係上村民の数があまり多くなく、土地が余っているので家屋同士の間隔はやたら広いが。

 立ち止まったシンシアにその笑顔を濃くしたリンジーは、近くまで歩み寄って改めてシンシアの全身を眺める。


「今日も森に採取に行ってたのかい? 家の馬鹿娘も連れてってやりゃあよかったのに」

「あはは、エレナってば今日はデートだったみたいで。まぁ一人でも問題ないし、荷物も多くはないから大丈夫だよ」


 籠のみならず、ベルトに幾つも括りつけられたパンパンの麻袋を見れば、何も言わずとも村の人は彼女が何をしていたのかは分かる。

 リンジーのその言葉にカラカラと笑い、背負った籠を地面に下ろしながら返すシンシア。

 そのままゴソゴソと籠を漁りだしたシンシアを尻目に、ああ、ディー君かと得心した様子のリンジー。

 リンジーの娘であるエレナ・フィルポットとシンシア、そしてディー君ことディード・ウォーカーは年が近いということもあり幼馴染としてよく行動を共にする。錬成素材の採取への同行を2人に頼むことも多かった。

 そんなエレナの母であり、またシンシアの母とも仲の良いリンジーが相手ということで、シンシアも自分の親と同じように砕けた言葉遣いで接する。

 やがて顔を上げ立ち上がったシンシアの手には、今日食用に採ってきたココの実を10個詰めた麻袋。

 色艶が良く美味しそうな物を選んだそれをリンジーへと手渡す。


「ハイこれ、たくさん採れたからおすそ分け」

「こんなにいいのかい? 何だか悪いねぇ」

「こんなにあってもウチじゃ消化しきれないし、気にしないでよ」


 渡された麻袋を大事に抱えて嬉しそうに笑うリンジーに、シンシアも自然に笑みが深まる。

 今年は何だか例年よりも鳥に囓られている物が少なかったため、ついつい取りすぎてしまったけれど、この笑顔を見れたのならばその甲斐はあったと思う。

 実際、例年この甘酸っぱい実は木の実を餌とする動物たちに大人気で、熟れたら間もなく鳥や虫達が口をつけ、手を付けられていない果実は人が収穫に来る頃には1つの木にあまり残っていないはずなのだ。

 シンシアがそのことについて疑問に思った次の瞬間、地面におろしたままの籠から何やらと小さな音がした。


(もう家に着いたんですかね?)


 その音の原因はココの実と一緒に籠の中に突っ込んであった髑髏だ。

 その中に入っていたのは頭部しか無いため戦闘能力に乏しい髑髏が魔族によって破壊されるのを避けるため、自宅に付くまではこの中に隠れているようにとのシンシアの提案に依るものだった。

 髑髏はココの実に埋もれていたため周囲の声が聞き取りにくく、しかし籠が降ろされたというのだけは感覚的に理解できたので、ココの実の山からひょっこり顔を出そうとしたのだが。

 内部で動いてしまったためココの実の山も動き、結果として山が揺らめいて音をたててしまったのだ。


「うん? 今の音は?」

(やっば!)


 それを訝しげに思ったリンジーに、音の原因に心当たりがあるシンシアは表情にこそ出さないもののかなり焦る。

 僅かな首の動きと、限界ギリギリの眼球の動きで背後の籠の様子を見たシンシアは、髑髏がまだ見える位置までは上がってきていないことに活路を見出す。

 流石に言葉が分かるとは言っても見た目が髑髏、こんなところで姿を晒してリンジーが騒ぎでもしたら一大事である。

 とりあえず動きを止めないと、とシンシアは足を後ろに振って踵で籠を蹴りつける。


(きゃあ!?)


 その衝撃に声には出せないから心で悲鳴をあげる髑髏。当然その声は誰にも届くこと無く、驚愕に動きが止まったため籠も大人しくなる。

 そのことに胸をなでおろしたシンシアだったが、見えてはいなかったがどこからか変な音が聞こえたこと、そしてシンシアの動きをバッチリ見ていたリンジー。

 当然シンシアの行動を怪しみ、顔を近づけ目を細めて彼女に追求しようと口を開く。

 が、その口から言葉が紡がれるより先に、明後日の方向に目をそらしたシンシアが態とらしく大きな声を出す。


「い、いやぁー、今年のココの実は採れたて新鮮で活きが良いなぁーっ!! これはかなり美味しそうだなー!!」

「えっ、ちょっとシアちゃん? それはなんか違う気が……」

(もしかして出ちゃいけないタイミングでしたかね……?)


 その勢いに押されて、リンジーは追求するのを忘れ、面食らった表情で思わずツッコミを入れてしまう。

 そして髑髏も今のシンシアの声がハッキリと聞こえた事により、まだ彼女の自宅ではないのだと早とちりしてしまったことを反省し、大人しくしていることに決めた。

 シンシアは正面の勢いが削がれ、背後も完全に沈黙したことを悟ると強硬策に出た。


「じゃあ私これから取り急いで錬成しなければならないものが山ほどあったりなかったりなので一旦帰りますねそれじゃあおやすみなさいっ!!」

「あ、シアちゃん!?」


 即ち、有無を言わさぬ強引な逃亡だ。

 呼吸を挟まず早口で言い切ったシンシアは、背中に突き刺さるリンジーの声を振り切り、すぐさま籠を抱えて脱兎のごとく自宅へ向かって駆け出した。


(うわ、わわっ! ゆ、揺れが……!)


 しかし物凄い勢いで走るシンシアの腕に抱えられた籠の中のとしてはたまったものではない。もうさっきからガックンガックンと揺れに揺れまくっている。

 本来なら三半規管を刺激されて目眩や吐き気を催してしまいそうなものではあるが、臓器的なものが一切ない骨の身体は特に不調を訴えない。

 揺れによって気分が悪くなることはなかったけれど、その事実がすっかり変わってしまった自分の肉体を嫌でも意識させ、そのせいで気分が悪くなる。

 でも、それも今日この日を境に変わるのだ。

 髑髏は自分の心にそう言い聞かせ、沈んだ気分をなんとか浮き上がらせる。

 自分の話を聞いてくれる存在。今一度肉の身体を、在りし日の自分の姿を取り戻すその足がかりになるであろう存在。

 そしてこの姿になってからすぐに気付き、半年間かけてその疑念が徐々に確信に変わっていった事。それを説明し、自分と同じ道を歩んでくれるかもしれない存在との出会い。


(彼女と言葉を交わすためには……!)


 明日への希望を感じ、自分の意志を正確に伝えるためにはどうするべきなのだろうかと思案に暮れる髑髏を他所に、シンシアは後ろを振り返りながら明日の不安を感じていた。

 リンジーが追ってくる気配はない。完全に挙動不審ではあったけれど、とりあえずあの場は切り抜けることは出来たようだが。


「か、確実に明日問い詰められる……!」


 柳眉の下がった情けない顔のシンシアの口から思わずそんな言葉が漏れる。

 世話焼きでおせっかい、そして好奇心旺盛。そしてその気質から、シンシアを単純に心配しているリンジーは、さっき起きたことの原因を必ず明かそうとするだろうとシンシアは思っている。

 今日やられるはずだったものを明日に伸ばしただけ。しかも明日は今日出来なかった分更にその勢いを増すので、おそらくシンシアは何らかの答えを返さなくてはならない。


(まぁ仕方ないことだよね。まだよく分かってないんだし、おいそれと見せられるものじゃないし)


 正直に話すにせよ、テキトウに誤魔化すにせよ、判断するにはこの髑髏について何らかの情報を得ることが先決だとシンシアは思う。


(できれば言葉をかわしたいけど……この子、声は出せないみたいだし)


 漸くシンシアの考えることも髑髏に追いついた頃、一行はシンシア宅の前へと到着していた。

 これで狭苦しい場所から開放される、と内心ほっと一息つく髑髏。不調にはならずとも、やはりギュウギュウ詰めはお気に召さなかったらしい。

 シンシアは少し上がっていた息を整えながら籠を地面におろし、ココの実に埋もれた髑髏を取り出し、両手で持って顔同士を突き合わせて語りかける。

 

「ハイ到着。……って、走ってて思いっきり振っちゃったね、大丈夫だった?」

(全然問題ありません!)

(うーん、これは大丈夫ってことでいいんだよね?)


 頭を持たれているため頷けないので、歯をカチカチとならせて肯定の意を伝えようとする髑髏。

 それはシンシアにも何とか伝わり、微笑みを返した彼女は自宅の玄関扉の前に髑髏をそっと置いて、少し待っててと言い残してドアを開けた。


(ここがこの少女……シアさんの家)


 先ほどのリンジーとシンシアの会話から、名前の情報を少しだけ知った髑髏は、置かれる前に見えた家を思い出す。

 シンシアの家は一般的なサイズの2階建ての茶色い木造住宅だ。両親が結婚する際に建てられたものなので、既に築20年近くになるその家は、少し色あせながらもしっかりと家族の暮らしの基盤となっている。

 家を見て、家族という言葉が頭をよぎり、少し物哀しくなった髑髏だが、宣言通りすぐさま戻ってきたシンシアに抱え上げられ、意識を現実に戻した。

 シンシアはというと、家には一時帰宅というよりはココの実が入った籠を家の中に置くだけのつもりだったようで、今度は家から離れていく。

 そのことを髑髏が疑問に思っていると、シンシアがそれに気づいて笑いかける。


「家だと家族に見られるかもしれないし、私のアトリエに行こう」

(……アトリエ?)


 髑髏にとっては聞き慣れない言葉。しかしシンシアにとってはかなり馴染み深い言葉。

 最も重かった荷を降ろして小脇に髑髏を抱えたシンシアが揚々と向かう先は、彼女の家のすぐ側の小さな小屋だった。

 見た目はシンシアの家よりも小さいし、同じ木造建築ではあるけれど外壁がまだ真新しく、何よりも1階建てという差もある。


「散らかってるように見えるかもしれないけど、別にそんなでもないからあまり気にしないでね」


 そう注釈をつけてから、ズボンのポケットに突っ込んでいた鍵を取り出して解錠し、扉を開ける。

 その中にあったのは、なんとも雑多な光景だった。

 部屋の中央の机の一角に置かれた大中小様々なサイズの釜や壺。中に液体が満たしてあるものもある。すり鉢や様々な形の容器もある。

 部屋の片側には錬成した道具や錬成前の材料が置かれており、きれいな黒い球体が整頓されて置かれていたり、なんだかよくわからない草が壁にかけられたりしている。

 そしてその反対側には本がぎっしり詰まった幾つかの本棚、部屋の隅に置かれた小さな椅子と机には羊皮紙や筆記用具が置かれている。

 いまシンシア達がいる場所の正面の壁には、奥の部屋へと続く扉。その先は完全に物置扱いであり、比較的使用頻度の低いものが収納されている。

 他人から見れば雑多な空間ではあるが、この絵屋の主からしてみれば快適空間。それが錬金術士にとっての自分のアトリエである。


(な、なんだかすごいところ……)


 中には魔物の体の一部があったりもして、少し圧倒されている髑髏。でも自分も似たようなものである。

 そんな髑髏の小さな動揺には気づかず、シンシアは魔力を使い部屋の明かりをつけると羊皮紙がある机へと歩み寄り、髑髏を机において自分は椅子に腰掛けた。

 閉めきっていたため室内の空気は少し湿っぽく、また熱も少し篭っている室内をそわそわキョロキョロと見渡す髑髏をじっと見つめ、シンシアは考える。


(さて、どうするべきか……とりあえず、色々と質問してみる?)


 漸く落ち着いて対話できる環境が整のい、さあ後は実行に移すだけとなったのだけれど、如何せん意思疎通のための手段が彼女には思いつかない。

 とりあえずダメ元で提案してみようかな、とシンシアは机においてあった羊皮紙と羽ペン、そしてインクを手に取る。

 その動きに気づいた髑髏が、その真っ黒い空虚な眼窩をシンシアに向ける。

 何やら気圧されるような息苦しさを感じたが、それを意識的に無視して問いかける。


「文字って、”助けて”以外にも書ける? もし書けるなら、色々と教えて欲しいんだけど。その言葉の真意とかさ」


 髑髏はしばし迷うように動きを止め、そしてゆっくりと身体を浮かせた。

 口で羽ペンを咥え、インクに浸し、たどたどしいながらも必死で形にしていく。

 上手く書けなくてもどかしい。けれど、きっと彼女なら気づいてくれる。


(きっと、これが最善。私はこれに賭ける)


 先ほどシンシアが感じていたのは、この髑髏の強い決意。

 このアトリエに入ってから確信し、これ以上の手はないと覚悟していたもの。

 それは。


「これって……」


 髑髏が書くのを止めたとき、羊皮紙にあったのは、文字ではなく図だった。

 歪なそれを注意深く眺めていたシンシアは、自身の記憶と照らし合わせ、何が書きたかったのかを推察する。

 てんでぐちゃぐちゃな図だったけれど、それでも要所要所の特徴は伝わるように書いたはずだ、と髑髏はその様子を見守る。

 窓から差し込む夕日と部屋の明かりが室内を照らす中、不意にシンシアが新たな羊皮紙を手に取り、そこへ流暢にペンを滑らせて図形を描いていく。

 やがて完成したものを、互いに覗き込む。

 そこに書きだされていたものは。


「契約の魔法陣……?」


 髑髏がゆっくりと頷き、その呟きを肯定した。

 人間に魔族が隷属する際に使われるモノ。使い魔としての契約を結ぶための魔法陣。

 シンシアも髑髏も、契約を結んだ主と使い魔はある程度精神がリンクすることを知っていた。聴覚を介さず脳へ直接、声に出さずとも意思を届け、知能が低くとも簡単な命令を実行させられることも。。

 確かにこの方法であれば、知能が高く感情もある髑髏であれば、その心の声をシンシアに届けることが可能だろう。

 だけど、そう簡単に行くことではないことは互いに察しが付いていた。


――――それは、危険な賭けだった。

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