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残光のシグルド ―黄昏の智慧と竜の威風で、二度目の生を謳歌する―  作者: 和本明子


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002

街の喧騒というものは、静寂に慣れきった耳には物理的な暴力となって襲いかかってくる。

石畳を無遠慮に叩く馬蹄の乾いた音、安物をさも希少品のようにがなり立てる商人の卑屈な呼び声、そして人々の欲望が擦れ合って生じる、金貨の擦れるような卑俗な音の濁流。


リアの買い物という名の無慈悲な行軍に付き合わされ、節々の悲鳴を魔法で誤魔化しながら歩くジークが辿り着いたのは、街の北端、日の当たらない裏路地で細々と開かれていた骨董市だった。


そこは、過去の栄光を剥ぎ取られたガラクタたちの終着駅であり、墓場でもあった。


湿った錆の臭いと、誰のものとも知れぬ古い脂の混じった悪臭。並べられているのは、苔むして本来の重さを失った甲冑や、持ち主の死と共に折れたであろう儀礼剣、そして出所不明の、呪物ともつかぬ怪しげな木屑。


ジークは埃の舞う山に視線を落とす。長年、竜という絶頂の生命を追い求め、その姿に変化しようと研鑽してきた男の直感。


それが、視界の隅で沈黙を守る「それ」に触れた瞬間、心臓の奥で氷が砕けるような鋭い衝撃が走った。


それは、歪で、火災の跡から拾い上げられた薪のような、黒く焦げた棒だった。

通り過ぎる誰もが、ただの燃えカスとして一瞥して過ぎるだろう。


だが、ジークの指先が、その奥に潜む「波動」を捉えていた。

それは素肌に感じるものではなく、魂の表層を撫でる、静かで、しかし暴力的なまでの魔力の揺らぎ。



「店主、これは売り物か?」



ジークが指さした先では、脂ぎった顔を拭いもしない男が、退屈そうに鼻を鳴らした。



「ああ、そいつか。目が高いねぇ、旦那。ただの棒に見えるが、どこぞの命知らずな冒険者が、名前も残ってねえ古戦場の遺跡から拾ってきた『魔法の棒』ってやつさ。なんでも魔力が秘められている棒とかなんとか。なんなら魔道具の素材にでも使えるものだぜ」



その価値を知ってか知らぬか。粗末なものだからこそ、出来る限り言葉で飾り立てる。



「なるほど……。売り物なのだな。それで、いくらだ?」



 店主はジークの薄汚れた外套と、震える指先を交互に眺め、足元を見るような、粘り気のある笑みを浮かべた。


「そうさね。旦那のその熱意に免じて、銅貨十枚……いや、特別だ五枚でどうだい?」


「銅貨五枚!?」



付いてきていたリアが隣で素っ頓狂な声を上げた。



「ただの燃え残りの薪じゃないですか!?」



提示された額は、貨幣の収入がほぼ途絶えている今のジークにとって、決して「安い」と言えるものではなかった。

だが、彼は迷わなかった。迷えるほど、時間が残されていないからだ。


懐から、革袋に包まれた小さな塊を取り出した。それは、かつての冒険者時代、唯一誇れる功績として手に入れた名誉の品。



「あいにく、今それほどの金は持ち合わせていない。だが、代わりにこれと交換してくれないか?」



 ジークが差し出したのは、未加工の宝石の原石だった。くすんではいるが、内側に潜む深い翠色は、一流の鑑定眼を待つまでもなく価値がある。



「これは……。ふん、形が悪ぃな。磨く手間を考えりゃ、大した値にはならねえが……」


 店主の瞳に、隠しきれない欲望の火が灯る。物欲という重力に引かれた男の表情だ。



「物々交換はうちの主義じゃねえが、まあ、旦那の顔を立てて、特別に手を打ってやるよ」


「……感謝するよ、賢明な店主殿」



店主が「カモを仕留めた」とばかりに下卑た勝利の笑みを浮かべるのを、ジークは憐れみさえ感じながら無視した。


彼はゆっくりと、その黒い棒――いや、“杖”を握りしめる。


刹那。

指先から心臓へと、凄まじい熱量が駆け抜けた。


それは温もりなどという生易しいものではない。血管を焼き、肉を溶かし、魂を別の形へと強制的に上書きしようとする、根源的な「変化」の予兆。


リアは、杖を握ったジークが苦悶の表情を浮かべているのに気付き、声をかける。



「ジークさん、どうしたんですか? 今すぐにでも、その棒を返品した方が」


「いや、大丈夫だ。これはただの木端こっぱなどではない。良い買い物をしたよ」



ジークは、杖の表面に刻まれた、肉眼では捉えきれないほど微細な古代文字の溝を指でなぞる。


竜化の魔法を追い求める頃から欲し続けていた「世界の扉を開く鍵」。

願いを叶う為の最後の欠片。


重かった。

物理的な重さではなく、その杖に込められた、秘められた力の重みが、ジークの腕を伝って全身に染み渡っていくようだった。



「行こうか、リア。……もう、買い物は十分だ」


ジークは、背筋をかつてないほど真っ直ぐに伸ばし、喧騒のただなかへと歩き出す。


手にした杖は、まだ黒い沈黙を守っている。だが、ジークの耳には、そこから漏れ出る、古龍の咆哮にも似た狂おしいまでの振動が、はっきりと聞こえていた。


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