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第8話「ラスボス、閉鎖にキレる」

 閉鎖。


 その二文字は、音がしないのに耳が痛い。


 ミナトのスマホが震え、協会からの通知が画面いっぱいに広がった。

 文面は丁寧で、理由も丁寧で、結論だけが乱暴だった。


【安全確保のため、当該ダンジョンの閉鎖を決定しました】

【関係者は現場にて指示に従い、速やかに退去してください】

【配信は停止してください】


「……閉鎖、決定……」


 声に出した瞬間、喉が詰まった。

 言葉が喉の奥に引っかかって動かない。


 目の前にはダンジョンのゲート。

 その向こうには、これまで映してきた通路や扉や、あの冷たい空気がある。

 視聴者のコメントも、今も流れ続けていた。


『閉鎖!?』

『マジ?』

『安全確保って便利ワード』

『配信止めろってきた』

『ここで切ったら闇だろ』


 闇、って言うな。

 でも、そう思うのも分かってしまう。


 ミナトは反論したかった。

 危険行為なんてしてない。

 対策もした。監視員もいた。

 言えることはあるはずなのに――喉が動かない。


 “安全確保のため”が強すぎる。


 誰だって安全は否定できない。

 否定した瞬間に「危険を軽視する人」になる。

 そのレッテルを貼られたら、もう勝てない。


 ミナトは唇を噛んだ。

 喉が乾いて、舌が張り付く。

 言葉が出ないのが悔しくて、胃が痛い。


 横で、サエキが通知を見て固まっていた。

 目が死んでいない人が、今だけ少しだけ死にかけている。


「……閉鎖、ですか」


 サエキの声は小さかった。


「俺たち、今、どうすれば……」


「現場指示に従う、が原則です。……ただ」


 ただ、の先が出ない。

 言いたいことがあるのに、言えない顔だ。


 その背後で、ノクスが立っている。


 ノクスは怒鳴らなかった。

 けれど、空気が冷えた。


 冷房の冷えじゃない。

 息を吸うと肺の奥がきゅっと縮む冷え方だ。


 光が、微妙に揺れた。

 ゲート脇の照明が、ほんの少しだけ暗くなる。

 影が、濃くなる。


 ミナトの背中がぞわっとした。


「……ノクスさん」


 ノクスはゆっくりとゲートを見た。

 表情は変わらない。

 でも目の奥が、静かに燃えているように見えた。


「閉じる、だと」


 声が低い。

 抑えているのが分かる低さだった。


 その瞬間。


 足元の影が、ぬるり、と動いた。


「え……?」


 ミナトは自分の足元を見た。

 影が粘っている。

 まるで黒い水が床に広がっているみたいだ。


 影の縁が、ゆっくり這う。

 線じゃない。生き物みたいに、うねうね動く。


『影が動いた?』

『バグ?』

『今の見えた』

『こわ』


 嫌な予感しかしない。

 そして、嫌な予感の当たり方が最近ずっと正確すぎる。


 サエキが測定器を見て、声を上げた。


「反応が……! 足元に――」


 ゲート付近の床から、黒いものがにゅるりと現れた。


 ナメクジ。


 ただのナメクジじゃない。

 影でできたナメクジだ。光を吸い込むみたいに黒い。

 しかも一匹じゃない。影の濃いところから、次々に湧いてくる。


「うわっ……!」


 ミナトは反射で一歩引こうとした。

 ――でも足が重い。


「……え?」


 足首が影に引っかかったみたいに動かない。

 粘る。まとわりつく。

 踏んでも踏んでも、剥がれない。


「今それどころじゃないのに!」


 ミナトは心の中で叫んだ。

 閉鎖の話だけでも胃が死ぬのに、影ナメクジまで来るな。


『影踏みナメクジだ!』

『怒り連動系?』

『ノクスさん…?』

『やばいやばい』


 サエキが足元を見て、顔を青くする。


「これ……拘束です。しかも、増えてる」


 増えてる。

 影が濃くなるほど、ナメクジが増える。


 そして――ライトがあるほど影は濃くなる。


 ミナトは自分のライトを見た。

 配信用に明るくしていた。見えるように、と。


 でも今、それが逆効果だ。


 明るいほど影が濃い。

 影が濃いほど拘束が増える。

 拘束が増えるほど危険になる。


 配信は続けたい。

 でも続けるほどライトが必要になる。

 ライトを上げれば上げるほど危険が増える。


 また地獄の式が出てきた。


「……映え、捨てる」


 ミナトは震える指でライトの出力を落とした。

 画面が暗くなる。コメントが飛ぶ。


『暗い!』

『見えない!』

『でも危ない!』

『ミナト判断いい』


「ごめん、暗いけど……今は安全優先!」


 声が少し裏返った。

 でも言えた。


 ライトが弱まると、影の濃さが少し薄くなる。

 ナメクジの動きも、ほんの少しだけ鈍った。


 それでも足は重い。

 完全には抜けない。


 ノクスが、ゆっくり足元を見た。

 影のナメクジが、ノクスの影から伸びているようにも見える。


 ノクスは静かに言った。


「……これは」


 言葉が途中で止まる。

 ノクス自身が何かに気づいた顔だった。


「……我の感情に反応している」


 ミナトの背中が冷えた。


「え、ノクスさんの……怒り?」


 ノクスは否定しない。

 ただ目が、ほんの少し揺れた。


 怒りを認めるのは屈辱みたいな顔。

 でも屈辱より先に、責任が来ている。


 ――自分が怒ると、周りが危険になる。


 それを理解した顔だ。


 ノクスの肩が、ほんの少しだけ硬くなる。


「抑える」


 短く言って、ノクスは目を閉じた。

 深く息を吸う。


 ……なのに。


 影が、さらに粘った。


 ナメクジが増える。

 足首にまとわりつく黒が、じわじわ強くなる。


「え、逆に!?」


 ミナトの心臓が跳ねた。


 怒りを抑えようとして、逆に強まる。

 頭で止めようとするほど、体が反発する。

 感情って、そういうところがある。


 でもその“そういうところ”が、ここでは危険になる。


 ノクスの眉間に、初めて皺が寄った。

 怒鳴らない。

 けれど“抑えきれない”が顔に出ている。


 ミナトは無理に明るくしなかった。

 ここで変に笑ったら、火に油だ。


 ミナトは真剣に言う。


「閉鎖されるの、嫌です。俺も、嫌です」


 ノクスがこちらを見る。


 ミナトは続けた。


「でも今は……足を動かしましょう。ここで誰かが転んだら、協会の言い分が正しくなる。……悔しいけど、そうなります」


 サエキが息を飲んだ気配がした。

 協会の人間の前で言うには危ない言葉だ。

 でも、ミナトは止めなかった。


 悔しい。

 悔しいからこそ、今は事故を起こせない。


 ノクスの目の色が、ほんの少しだけ変わった。


 ノクスは、ゆっくり息を吐いた。


 長い息。

 熱を外に出すみたいに吐く。


 影が、ほどけた。


 足元の粘りが、するりと薄れる。

 影ナメクジが、しゅる、と床に溶けて消えていく。

 光の揺れも落ち着いた。


 ミナトはやっと足を一歩動かせた。

 足首が軽い。呼吸が戻る。


 ノクスは低い声で言う。


「……力は、壊すためにあるのではない」


 その言葉に重みがあった。

 冷えが、別の形で胸に残る。


 ノクスはゲートを見たまま続ける。


「抑えるためにある。守るためにある」


 そして決意の目で振り返った。


「ならば証明しよう。協会の嘘を」


「……うっ」


 ミナトの胃が、また痛くなった。

 でかい話が始まる予感がする。いや、もう始まってる。


「証明って……どうやって」


 サエキが口を開きかけて、途中で止まった。

 言っていいか迷う顔。協会職員の“迷う”はだいたい危ない。


「協会内部のデータにアクセスできれば……」


 言いかけて、サエキは口を閉じた。

 自分で言って、自分で止めた。


 ミナトはサエキを見て、苦笑いする。


「……それ、言っていいやつ?」


 サエキは目を逸らした。

 答えないのが答えだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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