第5話「BAN回避の裏技は“正規コラボ申請”」
ダンジョンより怖い場所がある。
それは、協会の申請窓口だ。
ミナトは自動ドアの前で、いちど深呼吸した。
空気は普通。白い床、白い壁、消毒の匂い。案内板に受付カウンター。
見た目は「安全」そのものなのに、胃だけが勝手に警戒している。
――ここで言い間違えたら終わる。
ダンジョンで言い間違えたら、だいたい死ぬ。
それも十分最悪なんだけど、こっちは種類が違う。
死なない代わりに、あとからじわじわ終わるやつだ。
スマホの赤い●は、まだ点いていた。
『窓口きたw』
『ダンジョン外が本番』
『書類ダンジョン』
『ミナトの胃、まだ生きてる?』
「胃の話やめろ!」とツッコミたいのに、喉が乾いて声が出ない。
ミナトはスマホを胸の高さに構えたまま、受付へ向かった。
隣にはヒカリ。
コンビニに行くみたいな足取りで歩く。
その後ろ、少し距離を空けてノクス。白い天井の光の下でも影が濃い。
通りすがりの人が二度見、三度見していく。
そして最後尾に、協会職員が二人。
監視というより護送に見えるのが嫌だった。
受付の女性が、にこやかに言った。
「本日は、申請でお越しでしょうか」
申請。
この施設では、たいていのことが申請から始まる。
ヒカリが即答した。
「はい。偶発事案の緊急枠で、正規コラボ申請です。配信ログもあります」
ミナトは小さく頷き、スマホを見た。コメント欄が盛り上がっている。
『正規コラボ申請www』
『BAN回避裏技』
『制度を攻略する配信』
『ノクスさん役所にいるの草』
草じゃない。胃が草になる。
受付の女性はタブレットを操作し、淡々と案内した。
「それでは、番号札をお取りいただいて、こちらの同意事項をご確認ください」
番号札。
同意事項。
確認。
来た。ダンジョン外の迷宮。
ミナトは「はい」と言いながら、内心で小さく泣いた。
待合の椅子に座る。
目の前には紙の束とタブレット。注意書きのポスター。
「危険行為禁止」「撮影範囲」「救護の免責」「規約違反時の措置」。
読んでも読んでも、終わらない。
文章が長い。言い回しが硬い。途中で眠くなるのに、眠ったら負ける。
ミナトは小声で言った。
「……ダンジョンより怖い」
ヒカリが笑う。
「わかる。ここは“文章で殴ってくるタイプ”のダンジョン」
「それ、今言っていい?」
「配信中だから、むしろ言ったほうがいい」
『文章で殴ってくるw』
『規約ミミックいそう』
『ミナトのHP削ってくる』
ミナトはタブレットをスクロールしながら、ため息を飲み込もうとして失敗した。
胃が痛い。
隣のノクスが同意事項を覗き込み、眉間にしわを寄せた。
「……この文は、長いな」
「それが規約です」
「規約とは、ここまで言葉を重ねるものなのか」
「重ねます。重ねて、逃げ道を塞ぎます」
言ってから、ミナトはハッとした。
近くに協会の人がいる。言い方が悪い。
でも赤い●は容赦なく点いている。
『逃げ道塞ぐは草』
『監視員いるぞw』
『胃、覚悟』
覚悟したくない。
番号が呼ばれた。
「13番の方、窓口へどうぞ」
ミナトは立ち上がった。
足が重い。ダンジョンで走った後より重い。
窓口のガラス越しに、担当者が待っている。仕事の笑顔。
担当者は書類を揃えながら言った。
「では、正規コラボ申請について確認します。配信は継続中ですね」
「は、はい……」
「大丈夫です。むしろ記録として助かります」
助かります、の言い方が怖い。
“材料になります”に聞こえる。
ヒカリがすぐ挟む。
「全行程を記録することで透明性を確保します。申請内容も読み上げますね」
「はい、問題ありません」
問題ありません、がまた怖い。
“今は”の二文字が隠れていそうだった。
担当者が一枚の紙を差し出す。
「こちらに同意いただければ、形式上は通ります。ただし、監視員の同行が条件となります」
来た。監視員。
ミナトの喉が鳴った。ごくり、と飲み込む音が自分で分かる。
『監視員w』
『監視つきコラボ草』
『胃が鳴ったw』
やめて。
担当者は続けた。言い方が、いやに丁寧になる。
「なお、関連するご案内として――」
こういう「関連する」は、大体ろくでもない。
担当者は机の下から箱を出した。
木目調の箱。金色の金具。
妙に宝箱っぽい。
「ついでに、スポンサー案件のご提案もできます。こちら、提供枠の――」
『案件きたwww』
『急に商売w』
『スポンサー箱w』
『ミミックだろそれ』
ミナトは笑いそうになって止めた。
笑ってる場合じゃない。箱が、嫌な予感しかしない。
ヒカリの目が細くなる。
「それ、今ここで?」
「はい。注目が集まっていますので。配信者の方には良い機会かと」
良い機会。
甘い言葉は、だいたい胃に悪い。
担当者が箱の蓋に手をかける。
ぱか。
次の瞬間――箱が噛んだ。
「いっ……!」
ミナトの指先に、鋭い痛み。
反射で手を引くが、金具が歯みたいに噛みついて離れない。
『噛まれたwww』
『ミミックだw』
『スポンサー・ミミックw』
『提供箱こわ』
「ちょ、ちょっと! 何これ!?」
ミナトが声を上げると、担当者は驚かない。
驚かないのが一番怖い。慣れている。
「失礼。反応が出ましたね。提供案件は、同意がないと噛みます」
「噛む必要あります!?」
「規約です」
規約で片づけるな!
ミナトは痛みに顔をしかめながら、必死に台詞をひねり出す。
「えっと……提供、えー……本配信は、協会公認の安全指導のもと……えー……」
噛まれてる。
指が痛い。
焦るほど言葉が出ない。
コメント欄が爆笑の勢いで流れた。
『提供読み強制www』
『噛まれながら提供読みは新しい』
『ミナトのHPが削れてる』
『頑張れw』
担当者がさらに丁寧に言う。
「提供読みは、今ここでお願いします。視聴者が多いので」
「今ここで!?」
「はい。今が一番効果的です」
効果とか言うな。俺の指のほうが効果的に痛い。
ミナトは涙目で口を回す。
「本配信は……えっと……協会の……安全な……えっと……」
言葉が崩壊しかけた、その時。
隣から低い声が落ちた。
「我が読む」
ノクスだった。
「え、ノクス!?」
止める間もなく、ノクスが箱に手を伸ばす。
箱が当然のように噛みつく。
がり。
ノクスの指に噛みついたまま、箱は離れない。
なのにノクスは眉ひとつ動かさず、淡々と口を開いた。
「――本配信は、協会の定める手続きに基づき、危険区域での撮影を管理下に置いたものである。視聴者諸君は模倣を避け、安全を守れ」
低音が綺麗に響く。
噛まれているのに声がブレない。
言葉が一気に整う。格が違う。
『格が違うwww』
『声が良すぎる』
『提供読みが荘厳w』
『ミミック噛みついたままw』
ミナトは口を開けたままノクスを見た。
完璧すぎる。しかも内容がちゃんとしてる。危険行為を止める方向に寄せてる。協会が好きそう。
担当者が満足げに頷いた。
「素晴らしいですね。では、この提供枠の――」
「待って」
ヒカリが軽い声で止めた。
軽いのに、空気が変わる。
ヒカリは箱をじっと見て、鼻で笑う。
「それ、協会の紐付きですよね」
担当者の笑顔が、ほんの少し固まった。
「いえ、一般のスポンサーです」
「一般のスポンサーは、箱が噛まない。噛むのは、契約の縛りがきつい時。で、今この場で押し切ろうとするのは、だいたい逃げ道を消すやつ」
さらっと言うのが怖い。
ヒカリは制度の匂いに慣れている。
ミナトの胸が揺れた。
伸びたい。
今の視聴者数。今の空気。今の流れ。
スポンサーが付いたら、生活が変わるかもしれない。機材も揃う。配信も続けられる。
でも、嫌な匂いがする。
規約。監視。提供。
全部が繋がっている気がする。
ミナトは唇を噛んだ。
断ったら何が起きる? 怖い。
でも指が痛い。痛みが「やめろ」と言っている。
ミナトは、震える息で言った。
「……案件は、受けません」
言えた。
言った瞬間、空気が止まった気がした。
箱が、すっと静かになった。
噛みついていた金具がゆるみ、ぱか、と口を閉じる。
まるで「了解」と言ったみたいに。
ミナトは指を引き抜いた。
痛みは残る。じんじんする。
でも胸が軽い。
『断った!』
『線引きできた!』
『ミミック寝たw』
『ミナト偉い』
偉いのかは分からない。
ただ「自分で決めた」感覚が、ちゃんと残った。
それが、少しだけ嬉しい。
担当者は表情を崩さず、丁寧に箱を引っ込める。
「承知しました。では案件の件は、また機会があれば」
さらっと引くのが、逆に怖い。
また機会。つまり、また来る。
ヒカリは笑って切る。
「機会、来なくていいです」
ミナトは小さく笑って、すぐ真顔に戻した。
今笑うと胃が戻ってくる。
担当者は書類を整え、話を戻す。
「では、正規コラボ申請の確認です。形式上は通ります。ただし監視員が付きます。違反があれば即停止です」
即停止。
ミナトの喉が鳴る。
「……はい」
怖い。
でも、ここまで来たら引けない。
その時、窓口の横から若い職員が一歩出てきた。
スーツはまだ新しい。目が死んでいない。
それが妙に印象に残った。
「監視員担当のサエキです。よろしくお願いします」
「……ミナトです。よろしくお願いします」
サエキは丁寧に頭を下げて、丁寧に釘を刺す。
「規約違反があれば、即座に配信を停止します。そこはご了承ください」
丁寧な声。丁寧な釘。
胃がまた縮む。
『監視員いい人そう』
『目が死んでない』
『サエキさん良心枠?』
ミナトはコメントを見て、少しだけ救われた気がした。
人間だ。少なくとも目は人間だ。
ノクスが、担当者とサエキを見て、静かに言う。
「見張りが必要なのは、我ではなく――貴殿らの言葉だろう」
ぴし、と空気が硬くなる。
担当者の笑顔が止まる。
サエキの眉がほんの少し動く。
ヒカリは肩をすくめて、「言うねえ」と目だけで笑った。
ミナトは胃がひゅっと冷えるのを感じた。
こういう発言は危ない。
でも言いたいことは分かってしまうのがつらい。
担当者は丁寧さを保ったまま、声を少しだけ低くした。
「……では、こちらに署名を」
ノクスがペンを持つ。
署名欄に、静かにペン先を落とす。
――その時。
サエキがミナトの横にすっと寄った。
声を落として、小さく言う。
「……本当は、閉鎖したくないんです」
「え?」
ミナトは思わず聞き返した。
サエキは笑わなかった。
目が、真剣だった。
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