第4話「協会が来た」
入口の白い照明が、やけに眩しかった。
戻れた。
生きて戻れた。
胸の奥で、ほっとする音がした――その直後だった。
白い通路の先に、人影が並んでいる。
スーツ。腕章。タブレット。動きが揃っていて、表情が仕事用で、立ち位置まで「慣れてる」。
協会職員。
ミナトの喉が、きゅっと縮んだ。
「……あ、終わった」
口から漏れた声は、笑いにもならない。
スマホの赤い●は、まだ点いている。
コメント欄が、ざわざわと揺れていた。
『協会きた!』
『詰んだ?』
『逃げろw』
『逃げるなw』
『ノクスさんどうする』
どうするも何も――囲まれている。
先頭の職員が、丁寧すぎる笑顔で一歩前に出た。
声も丁寧。言葉も丁寧。丁寧だからこそ、逃げ道が消えていく。
「お疲れさまでした。配信者の方ですね」
「……はい」
「まず、無事に戻られたことは何よりです。ですが、確認させてください。深部映像の配信は、規約に抵触する可能性があります」
可能性。
便利な言葉だ。どこまでも伸びる。どこまでも締め付ける。
「す、すみません。俺、初めてで……」
「初めてかどうかは関係ありません。安全のためです」
安全。
正しい言葉が、柔らかい声で胸に刺さる。
別の職員が続ける。こちらも同じ温度、同じ調子。
「規約上、危険区域の撮影は原則禁止です。視聴者に危険行為を誘発する恐れがあります」
誘発。恐れ。
全部、正しそうで、反論しづらい。
ミナトは口を開いた。
――でも、言葉が出ない。
喉が乾く。舌が張り付く。
「すみません」が出そうになる。出したら負ける気がして、出せない。だから黙る。黙ると余計に詰む。
胃が、ぎゅっと縮んだ。
「本日は状況の確認と、今後の指導のためにお話を伺います。配信は停止してください」
停止してください。
命令じゃない。お願いの形だ。
お願いの形だから断りにくい。断った瞬間に、“協力しない人”になる。
コメントが流れる。
『切るな!』
『切ったら証拠消える?』
『でも切れ!』
『ミナトの胃が死ぬ』
『胃の実況やめろw』
胃は、ほんとに死にそうだった。
笑えないのに笑われる。配信ってそういう場所だ。
協会職員の言葉が、ミナトの中でだんだん形を持ちはじめた。
規約。安全。確認。指導。原則。可能性。
ひとつひとつが石みたいに固くて重い。
積み上がって、目の前に壁ができる。
壁の向こうに、ミナトの言葉が届かない。
――これが“現代のラスボス”だ。
剣も魔法も通じない。
怒鳴っても無意味。泣いても通らない。
ちゃんとした言葉で、ちゃんと詰めてくる。
ミナトが黙ったままスマホを握りしめていると。
背後の空気が、変わった。
ぴん、と張る。
誰かが息を吸う音まで大きく聞こえるほど、入口の空間が静かになる。
協会職員たちが、同時に視線をそちらへ向けた。
ミナトも、ゆっくり振り返る。
そこに、ノクスが立っていた。
白い照明の下でも、ノクスの影は濃い。
顔は見えるのに、目が光を弾かない。
立っているだけで、周りの温度が少し下がった気がした。
『地上に出たw』
『やばい、現実に来た』
『協会、気絶するぞ』
『ノクスさん空気重い』
先頭の職員の表情が、すっと固くなる。
丁寧な笑顔が消えて、仕事の顔だけが残った。
「……危険存在の確認が取れました」
危険存在。
その言葉が、ミナトの背中を冷やした。
別の職員がタブレットを操作する。手早い。慣れてる。
その手つきが、いちばん怖い。
「封鎖を検討します。一般人の接触は危険です」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ミナトの声が裏返った。
封鎖。危険存在。
その先にある結論が、嫌でも見える。
――俺のせいだ。
配信したせいで、ここまで引っ張り出してしまった。
目立たせたせいで、“処分対象”みたいに扱われるかもしれない。
喉が乾く。
言い返したいのに、言葉が組み立てられない。
でもノクスは、怒鳴らなかった。
威圧はある。空気は重い。けれど声は落ち着いていた。
「……根拠は」
短く、はっきり。
協会職員が一瞬だけ詰まる。
すぐに丁寧な声に戻した。
「規約に基づく判断です。安全のため――」
「根拠は」
ノクスが同じ言葉を繰り返す。
怒鳴っていないのに、逃げ場がない。理屈で詰める声だ。
職員が視線を逸らす。
「危険区域からの未確認存在が、一般区域へ――」
「危険だと言うなら、何が危険なのか示せ」
ノクスの言葉は、理屈だった。
感情じゃない。挑発でもない。
ただ、問い。
なのに協会側は、具体を出さない。
規約。原則。可能性。安全。
また石が積まれていく。壁が厚くなる。
ミナトの胃が、きりきりと痛んだ。
ノクスが理性的であるほど、協会の言葉は固くなる。
固い言葉が増えるほど、ミナトは息が浅くなる。
『ノクスさん理詰めw』
『制度ラスボスすぎる』
『協会、根拠言えないの草』
『ミナト、胃薬飲め』
胃薬どころじゃない。
ミナトはノクスと協会の間で、ただ立っているだけだった。
そして職員のひとりが、笑顔を作り直す。
「本件は、現場で判断できる範囲を超えます。上席の指示を仰ぎますので――まず配信を停止してください」
それが本音だ。
現場で言い切れない。だから上に投げる。
その間に、配信を止めて、話を見えないところで進める。
ミナトの背中がぞわっとした。
配信を止めたら、何が起きる?
言った言わないになる? 記録が消える? 都合のいい形に整えられる?
制度が怖いのは、そういう時に静かに勝つからだ。
そのとき。
遠くから、軽い声が飛んできた。
「いやー、それ、炎上しますよ」
場違いなほど明るい。
軽い。
なのに、よく通る。
協会職員たちが一斉にそちらを見る。
ミナトも振り向く。
見学エリアの端から、ひょいと手を上げる女性がいた。
薄いジャケットに肩掛けバッグ。片手にスマホ。
目は笑っているのに、足取りは迷いがない。
「……誰」
ミナトが呟くと、その女性が近づきながら言った。
「配信見てました。ミナトさんですよね? 初配信でここまで来るの、才能というより事故ですけど」
「事故って言わないで! いや、事故だけど!」
ツッコミが出た。
出たことに自分で驚く。こんな状況でツッコミが出るなんて。
女性はニッと笑った。
「私はヒカリ。配信とか運用とか、そのへん噛んでる側です」
「運用……?」
ヒカリは協会職員を見て、肩をすくめる。
「今のやり方、いちばん燃えるやつです。『配信止めろ』って言って、話を見えないところで進めたら、視聴者は『何か隠した』って思う。で、切り抜きが回って、余計に面倒になる」
協会職員の笑顔が固まった。
丁寧な声で返す。
「本件は安全のためです」
「安全、大事。わかる。でも、やり方が下手。今の時代、下手な安全は危険です」
軽い言い方なのに内容が刺さる。
ヒカリは“配信者の言語”で喋っている。
協会に効く種類の言葉だ。
ヒカリはミナトとノクスを交互に見た。
「協会が嫌なのは、たぶん『見えないところで何が起きるか分からない』って状況なんですよね。逆です。公開しましょう」
「公開……?」
「制度を逆手に取る。正規の手続きに落とす。コラボ申請、出しましょう」
コラボ申請。
その単語が場違いすぎて、ミナトの頭が追いつかない。
「え、コラボって……この人と?」
ミナトがノクスを見ると、ノクスも眉をひそめた。
「……コラボ。呪文か」
「呪文じゃないです。書類です」
ミナトは心の中で深く頷いた。
書類は呪い。読めない。効く。逃げられない。
ヒカリはスマホで何かを開いている。
フォーム画面。申請ページ。チェック項目。添付資料。
「これ、協会の公式窓口。『深部取材・協力者同行』の枠がある。使いましょう。手続きに乗せたら、協会は勝手に動きにくくなる」
協会職員が口を開く。
「その枠は、事前申請が必要で――」
「はい、だから今出す。緊急枠ありますよね。『偶発事案』扱いで」
言い切るのが強い。
制度を知ってる人の声だ。協会側が黙るのが分かる。
「……あなたは」
「関係者です。いつもの『配信事故対応』やってる側。今ここ放置したら大炎上します。だから最短で鎮める」
ミナトは口を開けたまま、ヒカリを見ていた。
頼もしい。軽いのに頼もしい。
重い空気には、こういう軽さが刺さる。
ノクスが、ヒカリの画面を覗き込む。
難しい文言。規約番号。チェックボックス。
ノクスの眉間が、さらに寄った。
「……これは、何を書けばいい」
「名前と、同意と、危険説明の確認です」
「同意……」
ノクスの声が低くなる。
怒っているわけじゃない。慎重になっている。
ヒカリが笑う。
「書類って面倒ですよね。わかります。私も苦手。でも、相手がルールで来るなら、こっちもルールで返すのが一番です」
ミナトは小さく頷きかけて、止めた。
今頷いたら、胃が痛い話に全力で同意してしまう。
協会職員が言った。
「……手続きに乗せるなら、条件があります。監視員を付けます」
監視員。
ミナトの背中が冷える。
監視される。言葉を取られる。自由がなくなる。
でも拒否したら、もっと悪い方向に行く。
ヒカリはあっさり笑った。
「いいですね。むしろ付けてください。証拠になります」
「……証拠?」
「監視員がいるなら、『こっちが危険なことをしてない』って証明になる。協会にとっても、視聴者にとっても、ちゃんと状況が見えるようになります」
協会職員が黙った。
“見えるようになる”
その言葉が急所なのが、なんとなく分かる。見えない所で動きたいものは、見える形にされると動きにくい。
ミナトは息を吐いた。
胃の奥が少しだけゆるむ。まだ痛いけど、さっきより呼吸ができる。
ノクスが、ヒカリの差し出した端末を受け取った。
受け取った、というより恐る恐る持った、が正しい。
「……この棒で書くのか」
「ペンです」
「ペン……武器ではないのか」
「武器ではないです。たぶん」
ミナトは心の中で付け足す。
制度相手には、ペンは武器だ。間違いなく。
ノクスは端末上の署名欄を見下ろした。
そして、ゆっくりペンを持つ。
『ラスボスがサインwww』
『歴史的瞬間』
『書類に屈するラスボス』
『ヒカリ有能すぎ』
ノクスが低く言った。
「我が名を記せばいいのか」
ミナトの心臓が跳ねた。
“名”が書類に乗る。
それは、この世界の制度に、この存在が触れるということだ。
ノクスはペン先を落とした。
――ラスボスのサインが、始まる。
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