第30話「二人で“核”に入る」
扉の隙間から漏れていた白い光は、まぶしいというより、冷たかった。
ミナトはその前に立って、足元の影が薄くなるのを感じた。
さっきまで濃かった影が、どこかへ吸い込まれていく。
代わりに、音が遠のく。
外では人が叫んでいるはずだ。避難誘導の声。装備の鳴る音。誰かの泣き声。ニュースの通知音。
世界に開いた“穴”のせいで、現実そのものがざわついているはずだ。
なのに、この扉の前だけ、世界が布で包まれたみたいに静かだった。
静かすぎる。
ミナトは喉を鳴らして、息を飲み込んだ。
(配信を切った静けさって、こんなに怖かったっけ)
配信中なら、反応が返ってくる。
コメントが流れる。笑いも来る。怒りも来る。
良くても悪くても、空気が動く。
でも今は違う。
スマホの画面に赤い●はない。
耳に入るのは、自分の鼓動だけ。
頼れるのは、胃の奥に居座る嫌な痛みだけ。
隣でノクスが、扉を見たまま言った。
「戻るなら、今だ」
ミナトは即答した。
「戻る気ないです」
言い切ってから、少し後悔した。
強がりが速すぎる。
強がりが速いほど、心臓がうるさい。
ノクスは小さく息を吐いた。
「……ならば、守れ」
「俺が?」
「お前の足元をだ。お前は、よく転ぶ」
「そこ、今言う!?」
ツッコミが口を滑ったのに、変に助かった。
こういうズレがあると、人は怖さを握りつぶせる。
胃痛の優先順位が一瞬だけ下がる。
白い光の隙間が、わずかに広がる。
扉が“開く”というより、“許可が出る”感じだった。
外側では監視員サエキが止まっていた。
彼女の手には測定器。
さっき、あの丁寧な声で「公的記録になります」と言い切った、その重さがまだ残っている。
少し離れたところでは、討伐隊のリーダーが仲間に指示を飛ばしながら、こちらを見ていた。
目が「行くな」と言っているのに、口は言わない。
言えば、現場が揺れるから。
ミナトはその視線を背中に受けながら、扉の隙間へ足を出した。
――踏み込んだ瞬間。
音が、切れた。
世界のボリュームがゼロになる。
耳鳴りすらない。
自分の鼓動だけが、内側で鳴っている。
次に気づいた時、ミナトは白い廊下の中に立っていた。
壁も床も天井も白。
でも、ただの白じゃない。
薄い膜の向こうで、映像が流れている。
写真じゃない。動画だ。
誰かの目線で切り取られた過去が、壁そのものになっている。
「……ここ、何?」
声を出したのに、反響が薄い。
言葉が吸い込まれていく感じがした。
ノクスが一歩遅れて入ってくる。
白い光が肩に触れても、影がほとんどできない。
「核の中だ」
「核って、もっと機械っぽいと思ってました」
「お前の世界では、そうなのか」
「うん。配線とか、ファンの音とか、サーバー室みたいな」
口にした瞬間、壁の映像がふっと切り替わった。
赤い文字。
警告音みたいなチカチカ。
そして、読める言葉。
【規約】
【同意】
【禁止事項】
【違反時の処置】
ミナトの眉が勝手に寄る。
「うわ……」
ノクスが首をかしげる。
「何だ、その顔は」
「これ、俺が一番嫌いなタイプです」
「敵か」
「敵です。しかも長文の敵」
白い壁に文字が流れていく。
やたら丁寧な文章で、やたら怖いことが書いてある。
ミナトは反射で読み上げてしまった。
「えー……『核内部への侵入者は、管理権限を持たない場合、以下の条件を満たす必要がある』……」
途中で息を吐く。
「当たり前のことを、当たり前じゃない圧で言うな」
ノクスが真面目に頷く。
「圧が強いほど、守らせやすい」
「それ、ラスボス側の発言ですよね?」
「我は守る側だ」
言い切る声が静かで、逆に強い。
ミナトは「はい」としか返せなかった。
規約の文字列は、最後に一文だけ大きく表示した。
【同意しますか】
床の白が少しだけ暗くなる。
まるで二択を迫るみたいに。
「……同意しないと、進めないやつ?」
ミナトがぼそっと言うと、ノクスが短く答える。
「そのようだ」
ミナトは、押すボタンもない空間で、なぜか指を動かした。
押したくなる。
こういう場所は、押させる空気を作るのが上手い。
その瞬間、壁の文字が消えた。
白い廊下が、すっと伸びる。
「え、今ので同意した扱い……?」
「同意したのだろう」
「してないけど!? 怖いな、この場所!」
文句を言いながら歩き出すと、今度は壁の映像が変わった。
白が、色に変わる。
人の顔が映る。
コメント欄が流れる。
炎上の文字。
切り抜きの断片。
誤解の言葉。
ミナトの喉が、きゅっと縮む。
目の前の壁に映っているのは、自分だった。
机の前で、原稿を書いては消す姿。
通知の山に埋もれて、笑おうとして失敗している顔。
(やめてくれ……そこ、今見せなくていい)
壁がやけに近い。
手を伸ばせば届く距離だ。
触ったら、これが現実になる気がした。
映像の中の自分が、言葉に殴られている。
『危険を煽るな』
『責任取れ』
『謝れ』
『消えろ』
映像なのに、胸が痛い。
胃が痛い。いつも通りだ。
でも、いつもより逃げ場がない。
ミナトは一歩、後ろに下がった。
その瞬間、ノクスの声が背中に落ちた。
「見るな」
命令みたいに聞こえる。
でも、ただの命令じゃない。
守る声だ。
ミナトは苦笑した。
「……見たくないの、バレました?」
「弱さを晒す場所ではない」
「俺の弱さ、勝手に晒されてますけど」
軽口を言っても、壁の映像は消えない。
むしろ増える。別の角度。別の場面。別の言葉。
ここは、見たくないものを隠せない場所だ。
逃げ道はある。
でも逃げる方向に、嫌な映像がずっと並んでいる。
ミナトは歯を食いしばって、前を見た。
「……行きます」
ノクスは黙って頷いた。
その頷きが、妙に心強い。
白い廊下を進むと、温度が変わった。
さっきまで無臭で冷たい白だったのに、少しだけ暖かい。
壁の映像が切り替わる。
玉座。
暗い広間。
一人で座る影。
言葉はない。音もない。
でも“時間”だけがある。
長い。長すぎる。
ミナトは、その映像を見た瞬間、息が止まった。
ノクスが映っている。
玉座に座っている。
誰もいない。
誰も来ない。
ただ、座っている。
一秒じゃない。十秒でもない。
何十秒も続く。
その間、ノクスは動かない。
動かないのに、疲れているのが分かる。
肩がほんの少し沈んでいる。
目が“待つ目”をしている。
(これ……何年分だよ)
ミナトは喉の奥が熱くなる。
泣くんじゃない。
笑えなくなるタイプのやつだ。
隣でノクスが、小さく言った。
「……見たか」
「見ました」
「……忘れろ」
「無理です」
即答した自分に、ミナトは少し驚いた。
いつもなら冗談で逃げる。
でも今は逃げたくない。
壁の中のノクスが立ち上がり、また座る。
それを繰り返す。
守るためにいる。
でも守っていることを、誰にも褒められない。
誰にも触れられない。
ミナトは心の中で、変な結論に辿り着く。
(ラスボスって、孤独が標準仕様なのか? いや、そんな仕様いらないだろ)
白い廊下の先が、少しだけ暗くなった。
暗いというより、影が“形”になっている。
壁の映像が一斉に止まる。
空気が固まる。
正面に“言葉”が出た。
【討伐】
【更新】
二択。
ミナトは、笑いそうになった。
笑える状況じゃないのに。
「うわ、分かりやす……って言っていいのか分かんないけど」
ノクスの声が、いつもより低い。
「選べ」
ミナトは唾を飲み込んだ。
討伐。
倒す。終わらせる。分かりやすい。
更新。
書き換える。役割を変える。面倒くさい。分かりにくい。
でも、繰り返さない。
ミナトは自分の怖さを数えた。
討伐なら、物語として成立する。
視聴者も納得する。
協会も喜ぶ。
ヒーローが光る。
更新は、成立しないかもしれない。
納得されないかもしれない。
笑われるかもしれない。叩かれるかもしれない。
でも。
玉座に一人で座る映像が、まだ目の奥に残っている。
ミナトは息を吐いて、言った。
「……更新」
声は思ったより真っ直ぐに出た。
胃は痛い。
でも、声は逃げなかった。
白い空間が、すっと明るくなる。
拍手も歓声もない。
ただ、次の言葉が出る。
【更新には、承認が必要です】
冷たい文章。丁寧な文章。
そして、嫌な予感のする言い回し。
ミナトは反射で突っ込んだ。
「承認って、誰の?」
答えるように文字が続く。
【世界の承認】
ミナトの胃が、きゅっと縮む。
「……“世界”って言えば重いと思ってるだろ」
ノクスが、かすかに息を吐いた。
笑ったのか、呆れたのか、判断できないやつ。
ミナトは続けた。
「正直、まだやり方は分かんないです。
でも……倒すのだけは嫌です」
白い空間が沈黙する。
沈黙が長いと、人は余計な想像をする。
想像はだいたい最悪だ。
その沈黙の中で、ノクスの声が落ちた。
「……怖い」
ミナトは固まった。
ラスボスが言う「怖い」は重い。
冗談でごまかせない重さがある。
ミナトは軽口を探した。
でも出てこなかった。
代わりに出たのは、正直な声だった。
「……俺も怖いです」
言った瞬間、胸の奥が少しだけ楽になった。
怖いって言うのは、逃げじゃない。
今のミナトはそれを知っている。
ノクスが視線を落とす。
「我が存在すれば、世界が歪む。そう言われ続けた」
「歪んでるの、今の物語のほうです」
言ってしまった。
喉が震えた。
今の言葉は、切り抜かれたら燃えるタイプのやつだ。
でも配信はない。
コメントもない。
ここには“逃げ場がない”代わりに、“火が付きにくい”。
ノクスが短く息を吐く。
「……お前は、言葉を持つ」
「持ってるっていうか、持たされてるっていうか」
「ならば、使え」
ミナトはノクスを見上げた。
光のせいで輪郭が少し曖昧なのに、目だけははっきり見えた。
そこで気づく。
ノクスは、任せようとしている。
今までは守ってきた。
守るために立ってきた。
でも今は、“守られる側”になることを選ぼうとしている。
それがどれだけ怖いか、ミナトにも分かる。
自分も、誰かに任せるのが苦手なタイプだから。
ミナトは一歩近づいて、言った。
「怖くてもやります。
俺が、伝えます。ちゃんと。全部じゃなくても、必要なことを」
胃がまた痛くなった。
責任の形が変わっただけだ。
軽くなったわけじゃない。
でも――背負える形になった。
ノクスは一瞬黙ってから、短く言った。
「……任せる」
その一言が、胸の奥に熱を残した。
息が少しだけ苦しくなる。
でも、その苦しさは嫌じゃない。
相棒になる瞬間って、派手な握手じゃない。
こういう静かな一言で決まる。
白い空間が、また文字を出した。
今度は、さらに冷たい。
【最後の条件】
ミナトは反射で叫びそうになって、声を抑えた。
「……やっぱりあるよね、そういうやつ!」
ノクスが小さく頷く。
「条件がなければ、更新はできぬ」
文字が続く。
【承認イベントを実施せよ】
【公開の場で合意を形成せよ】
【討伐ではなく、承認を得よ】
ミナトは目を細めた。
「つまり……世界に見せろってこと?」
文字は、やけに素直に答えた。
【はい】
あまりに素直で、ミナトは思わず噴きそうになった。
こんな時に笑っていいのか分からない。
でも笑わないと胃が壊れる。
ミナトは小さく笑って、呟いた。
「じゃあ、史上最大の“討伐配信”をやろう」
ノクスが眉をひそめる。
「討伐ではないのだろう」
「そう。討伐しないやつ」
ミナトは口の端を上げた。
怖いのに、ちょっとワクワクしてしまう自分がいる。
配信者の悪い癖だ。
でも今のワクワクは、バズのためじゃない。
守るためだ。
白い空間の奥で、光が静かに点滅した。
心臓の鼓動みたいに、一定のリズムで。
ミナトはその光を見つめて、息を吸った。
「……世界、巻き込むしかないな」
ノクスが低い声で答える。
「そうだ。世界に認めさせろ」
白い廊下が、ゆっくりと開いていく。
外の音はまだ戻らない。
でも、戻るべき場所があるのは分かった。
ミナトはノクスの隣に立ち、歩き出した。
相棒として。
怖さを抱えたまま、前に進むために。
白い光が、また静かに点滅した。
次の戦いが始まる合図みたいに。
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