第29話「暴走、世界に穴が開く」
最深部の手前。
巨大な扉の前で、空気が一段、冷えた。
討論はまだ続いている。
言葉は飛んでいる。
でも、足元の現実のほうが先に崩れ始めていた。
協会代表の手にある紙。
【緊急停止権限】
その黒い文字が、なぜか“光って”見える。
「危険が確認されたため、直ちに――」
言い切る前に、床がもう一度揺れた。
今度は揺れじゃない。
世界が、引っかかった。
配信画面が一瞬カクつく。
音が遅れて来る。
視聴者のコメントも、数秒ズレて流れてきた。
『ラグ!?』
『回線?』
『いや、場所だろこれ』
『画面バグった!』
ミナトは瞬きをした。
見えているのに、見えていない。
音と動きがズレる。
自分の心臓の鼓動だけが、変に鮮明になる。
(やばい。これ、回線じゃない)
ノクスが低い声で言った。
「……止める気だ」
その声の圧で、ミナトの背筋が固まる。
協会代表の目が、ほんの少しだけ泳いだ。
「安全のためです。暴走の兆候が――」
「お前たちが触るからだ」
ノクスは怒鳴らない。
ただ、言い切った。
切り取れない、逃げ道のない形で。
次の瞬間。
協会側の端末が光った。
監視員サエキの測定器が、耳障りな警告音を鳴らす。
ピ、ピ、ピ、ピ――
数字が跳ねる。
いつもなら“危険度の表示”に見えるそれが、今は心電図みたいだった。
上がって、乱れて、崩れていく。
「……介入が入った」
サエキの声がかすれる。
その一言で、ミナトの胃が底に落ちた。
協会代表は、薄い笑顔のまま言う。
「緊急停止です。あなたがたの配信も、ここで終了――」
言葉が終わる前に、世界が“止まった”。
音が一瞬、消える。
足元の感覚が抜ける。
視界の端が白くなる。
そして、すぐ戻る。
戻るのが一番怖い。
戻った時、何かが変わっているからだ。
ミナトは咄嗟にスマホを握り直した。
画面の赤い●。
まだ点いている。
(切れてない。切れてない、けど……)
配信画面がカクカクする。
フレームが落ちる。
ノイズが走る。
コメントが二重に流れる。
『今の何!?』
『協会が止めた?』
『画面おかしい』
『扉の向こう光った!』
ミナトは息を吸った。
吸ったのに、肺に空気が入ってこない。
喉が張り付く。
背中の皮膚だけが冷たくなる。
ノクスが扉のほうを見た。
「……穴が開く」
その言葉が終わった瞬間。
扉の向こうじゃない。
足元でもない。
もっと“外”から、低い悲鳴みたいな音がした。
ズ……ン。
何かが、現実の地面を押し広げる音。
理解するより先に、通知が連打で飛んできた。
【緊急速報】
【ダンジョン周辺に未知の亀裂】
【避難指示】
【現地映像】
ミナトの胃がひっくり返る。
スマホに、誰かが送ってきた動画が映る。
地上の道路。
普通のコンクリート。
そこに、黒い線が走っている。
線が裂け目になる。
裂け目が、口みたいに開く。
入口じゃない。
ゲートでもない。
ただの地面に、“穴”が生まれている。
『世界に穴開いてる!?』
『ニュース来た!』
『これ本当にやばいって!』
『ダンジョンが滲んでる!』
ミナトは喉の奥で音を飲み込んだ。
(現実側に……染み出してる?)
協会代表が声を強くした。
「危険度が上昇しました!討論は終了です!
安全確保のため――」
その瞬間、足元の影が“濃く”なった。
ただ暗いだけじゃない。
影が勝手に広がる。
黒い水が流れるみたいに床を這う。
誰かが一歩踏み出した。
そして、動けなくなった。
「え……? 足……!」
討論の立ち会いで来ていた関係者もいる。
一般の探索者もいる。
空気が一気に、パニックの匂いになる。
影踏み。
足が重い。
動けない。
逃げられない。
ミナトの喉が完全に張り付いた。
叫びそうになる。
でも、叫んだら終わる。
叫びは混乱を増やす。
混乱は影を育てる。
(ここで煽ったら、終わる)
ミナトは自分の声を探した。
配信者の声じゃなく、“避難の声”。
低く。短く。
「……全員、止まって。
走らない。押さない。深呼吸」
自分の声が自分のものじゃないみたいだった。
それでも言えた。
言えたことが怖い。
コメント欄の空気が、少しだけ落ち着く。
『声落ち着いてる』
『ミナト冷静』
『走るな!』
『止まれ!止まれ!』
視聴者が同じ言葉を繰り返す。
拡散が、今だけは毒じゃなく薬になる。
ミナトは続けた。
「壁に寄らない。
影を踏まない。
明かり、強くしないで。余計に影が増える」
誰かが泣き声を漏らす。
誰かが「助けて」と言いかける。
でも叫びにはならない。
そこに低い声が落ちた。
「止まれ」
ノクスだ。
その一言で場が止まる。
影が少し揺らぐ。
命令というより、世界の仕様みたいに。
スター討伐隊のリーダーが状況を見て、すぐ判断した。
目が変わる。討伐の目じゃない。救助の目。
「隊列を変える!
討伐じゃない、救助だ!」
声が通る。迷いがない。
その瞬間、討伐隊の空気が切り替わった。
「負傷者を外へ!
影に足を取られた者は腕を取れ!
引きずるな、支えて運べ!」
正統派が“守り”に回る。
その光景に、ミナトの胸が熱くなる。
熱いのに涙は出ない。今は出してる場合じゃない。
サエキは測定器を見ながら、必死に端末を操作していた。
指が震えているのに、止めない。
「……今の介入ログ、取れた」
小さい声。
でも、はっきりした声。
(証拠だ。協会が触った証拠)
協会代表が、顔色を変えた。
「その記録は――」
「公的記録になります」
サエキが言い切った。
丁寧な声で、硬い釘を刺す。
影踏みはさらに濃くなる。
フレーム落ちはひどくなる。
世界が動画みたいに途切れる。
カク、カク、カク。
ミナトは気づく。
これは“画面”だけじゃない。
体の動きも遅れる。
転びそうになった瞬間、リーダーが腕を掴んで引き戻した。
「危ない!」
「す、すみません……」
謝ってる場合じゃないのに、口が勝手に謝る。
ミナトの癖だ。胃が痛い。
ノクスが前に出た。
影の中心。
扉の前。
最深部に近い場所。
その背中が、やけに大きく見えた。
「ここで止める」
ノクスの声が落ちる。
重い。重すぎる。
「……我が残れば、止まる」
その言葉だけで未来が見えた。
自己犠牲の形。
置いていかれる形。
ミナトの胃が反射でひっくり返る。
「は?」
声が出た。
出るつもりじゃなかったのに。
「何それ。置いてく気?」
自分でも驚くほど、素直な声だった。
ノクスが振り返る。
目がほんの少し揺れる。
「お前は、外へ――」
言い終わる前に、ミナトは走ろうとした。
走れない。影で足が重い。
でも手は伸びた。
ミナトはノクスの手首を掴んだ。
硬い。冷たい。
なのに、掴んだ瞬間、自分の手が震えた。
「置いてくな」
声が震える。
震えてるのが分かるのが悔しい。
でも離せない。
ノクスの目が細くなる。
怒りじゃない。困っている目だ。
「……愚かだ」
「うるさい。愚かでいい」
ミナトは笑おうとして失敗した。
顔が引きつる。
でも、それでも言う。
「俺、コラボ相手だろ」
ノクスが、ほんの少し息を吐いた。
ため息みたいな、諦めみたいな、でも優しい吐息。
リーダーが叫ぶ。
「最深部前から離脱!
一般人を先に!
ミナトさん、ノクス氏!二人とも戻れ!」
討伐隊が動く。
救助導線を作る。
派手なスターが、今は現場の星になる。
眩しいのに、ちゃんと温かい。
ミナトは配信画面を見た。
同接はさらに増えている。
増えるほど怖い。
今の配信はバズのためじゃない。
生き残るためだ。
ミナトは声を落として、短く言う。
「みんな、落ち着いて。
切り抜かないで。煽らないで。
今は助ける」
『了解』
『救助優先!』
『煽るな!』
『逃げ道どこ!?』
視聴者が救助に参加する空気に変わる。
避難先の情報が流れる。
救護連絡が共有される。
言葉が、今だけは味方だった。
だが影は濃くなる。
世界のカクつきも増える。
現実の穴が、広がっていく気配がする。
協会代表が声を荒げた。
「緊急停止の実施は正当です!
これは安全のための――」
ノクスが低く言った。
「黙れ」
その一言で協会代表の声が止まった。
空気が凍る。
影が一瞬だけ揺らいだ。
ノクスの怒りは、影を育てる。
でも怒らないでいられる状況じゃない。
ミナトは必死に言葉を探す。
殴らないで、止める言葉。
「ノクス、今は――」
言った瞬間、世界がまたカクつく。
言葉が途中で切れる。
そして、扉が――
ギィ……。
音がした。
巨大な扉が、少しだけ開く。
開くはずのない扉。
今開いたら終わる扉。
隙間から白い光が漏れた。
白いのに、冷たい光。
希望の光じゃない。
“中身”が露出した光だ。
サエキが叫ぶ。
「コアへの通路が……開いてる!」
リーダーが即座に判断する。
「全員、下がれ!
中に入れるのは――」
視線が集まる。
ミナト。ノクス。サエキ。リーダー。
誰でも入れる空気じゃない。
入ったら戻れない空気だ。
ミナトの喉が鳴る。
胃が冷たい。
でも目だけは妙に冴えていた。
(今入らないと、外側が裂ける)
現実に穴が開く。
人が巻き込まれる。
それはもう配信の問題じゃない。社会の問題だ。
ミナトはノクスの手首を掴んだまま言った。
「……入る」
声が震えてないのが不思議だった。
決めた瞬間、人は震えない。
震えるのは、後だ。
ノクスが目を見開く。
「正気か」
「正気じゃないと、やれないやつだろ。これ」
ミナトは苦笑した。
胃が痛い。
でも逃げない。
サエキが短く言う。
「私も行きます。記録が必要です」
リーダーが拳を握った。
「俺もだ。
……救うルートがあるなら、最後まで見届ける」
協会代表が声を出そうとした。
でもその声は影に飲まれる。
ミナトは配信画面に向かって短く言った。
「ここから先、危ない。
でも……見てて。
煽らないで。助けるために入る」
コメント欄が揺れる。
『行くな!』
『でも行ってくれ』
『頼む』
『生きて戻れ』
『救ってくれ』
その“頼む”が、ミナトの背中を押した。
扉の隙間から冷たい白い光が漏れる。
世界がカクつく。
影が足を引く。
それでもミナトは前に出た。
ノクスの手を掴んだまま。
離さないまま。
扉の奥から、息をする音がした。
まるで、世界そのものが苦しんでいるみたいな音だった。
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