第24話「ミナト、初めて“配信を捨てる”覚悟」
数字が伸びると、世界が味方になる。
少し前までミナトは、わりと本気でそう思っていた。
登録者が増える。コメントが増える。切り抜きが増える。
味方が増えた気になる。理解者が増えた気になる。
でも現実は違った。
数字が伸びると、世界は“固くなる”。
期待が固まり、空気が固まり、物語が固まる。
そして一度固まったものは、簡単には形を変えない。
ミナトは椅子に座ったまま、画面を見つめていた。
サエキが机の上に測定器を置き、淡々とログを並べていく。
ヒカリはソファの端で膝を抱えている。
ノクスは壁際に立ち、窓の外を見ていた。
今夜の部屋は静かすぎた。
静かな場所ほど怖い。
音がないと心臓の音だけが目立つ。
目立つものは、刺さる。
サエキが口を開いた。
「結論から言います。ノクスの権限が、剥がされ続けています」
ミナトの胃が、冷たい水を流し込まれたみたいに冷えた。
「……剥がされるって、なに」
自分の声が情けないくらい細い。
それでもサエキは淡々と続ける。
「役割の割り当てが弱まってる。
“管理”の権限が削られて、“討伐対象”の部分だけが強く残っている」
数字が並ぶ。
グラフが下がる。
“時間”が減っていく。
ミナトはその画面を見ながら、別の数字を思い浮かべてしまった。
同時視聴数。
登録者数。
再生回数。
全部、伸びてる。
伸びてる間に、相棒が消える。
ミナトは笑いそうになった。
笑えないのに、笑いが出そうになる。
「……うわ。最悪の勝ち方だ」
ヒカリが小さく息を吐く。
「伸びるほど呪いが強くなるやつね」
ノクスは黙っていた。
黙っているだけで空気が少し重くなる。
でも今日の重さは威圧じゃない。疲れだ。
ミナトはノクスの横顔を見た。
強い。
怖い。
それでも守る側だった。
なのに世界は、そこに“倒す役”だけを押し付けていく。
サエキが続ける。
「もう一つ。
世論の期待が“討伐イベント”に寄っています」
「……討伐イベント?」
ミナトは言葉を繰り返すだけで精一杯だった。
サエキはスマホを出し、ニュースとSNSの画面を見せる。
タイトルが踊っている。
【ついに討伐隊が動く】
【ラスボス討伐は正義か】
【配信者ミナト、次は何を映す?】
討伐。
正義。
次は何を映す。
全部、軽い。
軽いのに首が締まる。
「……期待って怖いな」
ミナトが呟くと、ヒカリが即答した。
「人気の正体って期待だよ。
期待は優しそうに見えて、すぐ縛る」
ミナトは喉を鳴らした。胃が痛い。ずっと痛い。
配信を続ければ、世間はさらに盛り上がる。
盛り上がれば、物語が固まる。
固まれば、ノクスは“討伐対象”として強制される。
逆に配信を止めれば沈む。
数字は落ちる。
影響力が落ちる。
協会の言葉だけが残る。
どっちに転んでも地獄が待っている。
ミナトは両手を見た。
手汗で少し湿っている。
スマホが滑りそうで、怖い。
その瞬間、ポケットのスマホが震えた。
通知。
通知。
通知。
音が怖い。
音がするだけで心臓が跳ねる。
ミナトは画面を開いてしまった。
DMの山。
『次いつ配信?』
『逃げるなよ』
『説明しろ』
『裏切るな』
『討伐見せろ』
『ノクスは危険なんだろ?』
読める。
読めるけど、読むほど重くなる。
既読スルー・ゴースト。
未返信の責任が幽霊みたいにまとわりつく。
視線を合わせると、心が引っ張られる。
ミナトの背後に薄い影ができた気がした。
“続けろ”
“黙るな”
“裏切るな”
幽霊が口を揃えて囁く。
ミナトはスマホを伏せた。
伏せても重さは消えない。
伏せた画面の向こうで声だけが残る。
「……配信者って、休んだら終わる職業だと思ってた」
自分で言って、笑いそうになる。
笑えないのに。
ヒカリがソファから身を起こした。
顔は笑ってない。
でも声はいつも通り軽い。
「配信者は、選ぶ仕事だよ」
「……選ぶ?」
「そう。
何を映すか。何を言うか。何を黙るか。
それ全部、選ぶ」
ミナトはその言葉を飲み込んだ。
胸の奥で何かがほどけそうになる。
救われたくて、でも救われるのが怖い。
そんな気持ちのまま、ミナトは小さく笑ってしまった。
「……泣きそう。やめて、いいこと言うの」
「いいこと言うのが私の仕事なので」
ヒカリはわざとらしく胸を張る。
そのノリがありがたかった。
ミナトは息を吸った。
そして決めた。
決めるって怖い。
でも決めないと流される。
流された先はだいたい碌なことにならない。
「……配信、止める」
言った瞬間、部屋の空気が変わった。
サエキが目を瞬かせる。
ヒカリは頷く。
ノクスだけが静かにミナトを見る。
「一回、止める。
少なくとも……重要な部分は映さない」
ミナトは自分の声が思ったよりしっかりしていることに驚いた。
「コアに触るのも、オフでやる。
“見せ場”じゃなくて、“守り”を優先する」
その言葉を口にした途端、胸の奥が少し軽くなった。
怖い。
でも軽い。
不思議だ。
ノクスがゆっくり口を開いた。
「……なぜ、そこまで」
低い声なのにどこか弱い。
ミナトは一瞬、言葉に詰まった。
重い本音は口に出すと壊れそうだった。
だから、軽口で誤魔化す。
「だって俺、コラボ相手だし」
ノクスの眉が僅かに動く。
「……軽いな」
「軽くしないと死ぬ」
ミナトは笑ってみせた。
笑いの中に震えが混ざる。
でも本音はもっと重い。
(消えないでほしい)
それだけだ。
それだけなのに、言えない。
サエキが咳払いをした。
「配信を切るなら、記録が残らない部分が増えます。
それは“負け”につながる」
ミナトの胃がまた痛む。
そうだ。
記録がないと嘘だと言われる。
証拠がないと潰される。
罠I――アーカイブ封印。
今回は“録画が消える”じゃない。
“黙る恐怖”だ。
映像がない。
言葉が残らない。
残らないものは、なかったことにされる。
ミナトは拳を握った。
「……それでもやる。
証拠がないと負けるの、分かってる。
でも……守るために踏み込む」
その言い方が、もう自分の声じゃないみたいだった。
配信者の声じゃない。
誰かを守りたい人の声だ。
サエキが一拍置いて言う。
「担保なら、あります」
「担保?」
サエキは自分の腕章を軽く指で叩いた。
「私の記録は、公文書になります。
私が同行して記録すれば、勝手に消せない」
ミナトは一瞬、息を止めた。
それは、協会の中にいる人が言っていい言葉じゃない。
それを言うだけで立場が危うくなる。
ミナトは小さく呟く。
「……サエキさん、本気だ」
サエキは視線を外さず答えた。
「見たものを見なかったことにするほうが、怖いです」
ミナトは唇を噛んだ。喉の奥が熱い。
ノクスが小さく息を吐く。
「……人は、弱いな」
ミナトは首を振る。
「弱いよ。だから選ぶしかない」
ヒカリが笑う。
「今、めっちゃ主人公みたいなこと言った」
「言ってない。言ってないから。切り抜き禁止」
「切り抜き禁止は無理。私は切り抜き職人だから」
軽口が部屋を少し暖める。
でも時間は待ってくれない。
ミナトは配信端末を手に取った。
久しぶりに“配信者の顔”を作る。
怖い。
怖いけど逃げない。
ミナトは配信を開始した。
赤い●が点く。
コメント欄が一瞬で流れ始める。
『きた!』
『今日討伐?』
『ノクス出る?』
『逃げるなよ?』
『説明しろ!』
ミナトは喉を鳴らした。
胃が痛い。
でも声は震えないように出す。
「……次の回、派手じゃない」
ざわつきが増える。
『は?』
『盛り上げろよ』
『逃げ回?』
『オワタ』
『裏で何する気?』
ミナトは続けた。
短く。
余計な言い訳はしない。
「でも、必要な回になる。
守るための回だ」
コメントが止まりかける。
止まらないけど、勢いが変わる。
『守るって何』
『ノクス守るの?』
『まじ?』
『証拠出せ』
『ちゃんと説明して』
ミナトは一度だけ笑った。
怖いから笑う。
笑って、腹の奥の震えをごまかす。
「説明はする。ちゃんとする。
でも今は……選ぶ。俺は選ぶ」
その言葉に、自分が一番びっくりした。
選ぶ。
それが配信者の仕事。
そして今は、バズより相棒を選ぶ。
配信端末の光がミナトの指を照らしていた。
赤い●は点いたままだ。
でもミナトは、その赤を“怖さ”じゃなく“決意”として見つめた。
画面の向こうは騒がしい。
現実は静かだ。
静かな現実のほうが怖い。
だからミナトは、短く言った。
「次、派手じゃない。
でも――必要だ」
コメント欄がざわつく。
そしてそのざわつきの中で、端末の隅にほんの一瞬だけ淡い光が灯った。
見覚えのある表示。
【TIME TO ERASE : 00:??】
ミナトの背筋が冷えた。
「……今の、また出た」
ヒカリが小声で言う。
「うん。タイムリミット。嫌だね」
ノクスは目を細め、静かに呟いた。
「……急げ」
ミナトは頷いた。
今度は、逃げないために。
配信を“捨てる”覚悟を持って進むために。
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