表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/30

第21話「ノクス、過去を語りたがらない」

 事件が終わったあとの静けさは、音が少ないぶん、やけに刺さる。


 叫び声も、警告音も、金属がきしむ音も消える。

 残るのは、自分の呼吸だけ。

 それが、いちばん怖い。


 ミナトは民間ダンジョンの裏区画を出て、外の空気を吸ったはずなのに、喉の乾きが消えなかった。

 水を飲んでも戻ってくる。

 疲れって体に溜まるんじゃなくて、内側に貼りつくんだなと知った。


 アパートに戻っても、胸の奥がまだ熱い。

 ベッドに倒れたいのに、倒れたら眠れない気がする。

 通知が鳴る。鳴る。鳴る。

 スマホが震えるたびに胃が縮む。


(数字が伸びても、体力は増えない)


 登録者は増えた。

 切り抜きも増えた。

 応援も増えた。


 でも、そのぶん責任が増えた気がして、肩が重い。

 背中に誰かが乗っているみたいだ。


 ミナトは椅子に座って机に肘をついた。

 配信端末を見つめる。赤い●は消えている。

 消えているのに、まだ見られている感じがする。


 玄関のほうでノクスが立っていた。

 外套のまま。

 椅子に座るでもなく、壁にもたれるでもなく、ただ立っている。


 その姿が、妙に遠い。


 床に座り込んだヒカリがペットボトルを飲む。

 サエキは端末を手に、黙ってログを確認している。

 部屋の中に人がいるのに、静かすぎた。


 ミナトは咳払いをして、ようやく口を開く。


「……みんな、大丈夫?」


 ヒカリが片手を上げる。


「私は大丈夫じゃないけど、大丈夫っぽくしてる。配信者っぽいから」


 軽口なのに、笑えない。

 ミナトは口の端だけ上げた。


 サエキが小さく頷く。


「怪我人は軽傷が多いです。致命傷は……出ませんでした」


 その言葉で、胸の奥が少しだけほどけた。


 致命傷が出なかった。

 それだけで救われる。


 ミナトは息を吐いた。

 息を吐いた瞬間、スマホがまた震えた。


 通知。

 DM。

 タグ付け。

 名前を呼ばれる回数が増えるほど、心が落ち着かなくなる。


(こんなに呼ばれるの、向いてないかも)


 弱音が喉まで上がる。

 でも飲み込む。今は飲み込む。


 画面を見ないふりをしながら、ミナトは配信アプリを開いた。

 チャット欄に質問が溜まっている。


『ノクスさん何者?』

『ラスボスなのに優しすぎない?』

『どこから来たの?』

『本名教えて!』

『過去回ないの?』


 ミナトの胃が、また痛くなる。


(これ、答えるべき? 答えられる?)


 配信は“返事”を期待される。

 返事をしないと不安を煽る。

 でも返事を間違えると燃える。


 ミナトは視線を上げてノクスを見る。


 ノクスはスマホの画面を見ていた。

 見ているのに顔が動かない。

 まるで石像みたいだ。


「……ノクス」


 ミナトが呼ぶと、ノクスはゆっくり瞬きをした。

 その瞬きが遅い。

 疲れているのか、考えているのか。


「何だ」


 声が硬い。

 いつもより硬い。


「コメントでさ。……“何者?”って」


 喉が乾く。言葉がひっかかる。


「俺、なんて言えばいい?」


 ノクスは少しだけ眉を動かした。

 その動きが、微妙に嫌そうだった。


「……知らぬ」


「知らぬって……」


 ミナトは笑いそうになって、やめた。

 笑いにすると軽くなる。今は軽くしたくない。


 ノクスは視線を窓のほうへ逸らす。


「配信とやらに必要なのは、過去か?」


「必要っていうか……」


 ミナトは言葉を探す。

 喉に砂が詰まったみたいに乾く。


「知りたいって言われるんだよ。視聴者が」


 ノクスの肩が、ほんの少しだけ沈んだ。


「……知る必要はない」


 その言い方が、拒絶に聞こえた。


 ミナトの胸がきゅっとなる。


(踏み込んだら壊れる)


 強いのに、触れたら割れそうなものがノクスの中にある。


 ヒカリが空気を変えるように明るく言う。


「でも気になるよね、ラスボスの履歴書」


「履歴書って言うな!」


 ミナトがツッコミを入れる。

 ヒカリが肩をすくめた。


「だってさ。『趣味:玉座』って書けそうじゃん」


 ミナトは笑いかけて、途中で止まった。

 ノクスの表情が動かなかったからだ。


 ヒカリもそれに気づいて、言葉を飲み込む。


 サエキが静かに言った。


「……無理に聞かなくていいと思います」


 ミナトはサエキを見る。

 その目は監視員としてじゃなく、人として優しかった。


 ミナトは小さく頷いた。


「うん……」


 知りたい。

 でも壊したくない。


 この二つが胸の中で綱引きをしている。


(知りたいのは、俺の都合だ)


 ノクスが話したくないなら、それが答えだ。

 配信者としては情報が欲しい。

 でも人としては、待つべきだ。


 ミナトは決めた。


 今は待つ。

 無理に引っ張らない。


「……ごめん。今のなしで」


 ミナトがそう言うと、ノクスは一瞬だけ目を細めた。

 怒った顔じゃない。

 どちらかというと、ほっとした顔に見えた。


「……良い」


 たったそれだけ。

 でもミナトの胃が少しだけ軽くなった。


 その時だった。


 机の上の端末が、ピッ、と鳴った。


 通知音。

 心臓が跳ねる。


 ミナトは反射で端末を掴んだ。

 画面を見た瞬間、背筋が冷える。


 未返信DMの数。

 表示される“既読”の文字。

 返信を求める名前。名前。名前。


 目が痛くなるほどの数だ。


 そして――画面の端に、黒い影が見えた。


 瞬きをする。

 影は消えない。


 まるで画面から抜け出したみたいに、そこにいる。


 白い顔。

 薄い体。

 目だけが大きくて、口がない。


 通知アイコンみたいに浮かび、ふわふわと視界の端にまとわりつく。


 既読スルー・ゴースト。


 ミナトの喉が鳴った。


「……うわ」


 声が出てしまった。


 ヒカリが顔を上げる。


「出た?」


「出た……」


 ミナトは画面を閉じる。

 でもゴーストは消えない。

 視線を合わせると胸が重くなる。


 “返せ”

 “答えろ”

 “逃げるな”


 言葉は聞こえない。

 でも圧がある。


 ミナトは目を逸らした。

 逸らした瞬間、少し楽になる。

 それが逆に罪悪感を増やした。


(返せない。全部は返せない)


 配信者は返すべきだ。

 でも一人で全部は無理だ。

 頭では分かっているのに心が追いつかない。


 ミナトは机に額をつけた。

 冷たい木の感触で、少しだけ落ち着く。


「……俺、向いてないかも」


 ぽろっと出た言葉。

 自分で言って、自分で驚く。


 ヒカリが即座に言った。


「向いてないって言いながらやってる人が、一番向いてる」


「それ、慰めになってない」


「慰めじゃない。現実」


 ヒカリの言い方は軽い。

 でも、優しい。


 ノクスが小さく言った。


「……責任を背負いすぎだ」


 ミナトは顔を上げる。


「でもさ。俺の言葉で人が動くんだよ? 怖いよ」


 ノクスはミナトを見た。

 その目は空っぽじゃない。ちゃんとミナトを見ている。


「怖いなら、制御すればいい」


「簡単に言うな……」


 ミナトは笑いかけて、今度はちゃんと笑えた。少しだけ。


 その瞬間。


 空気が、ふっと揺れた。


 明かりが一瞬暗くなった気がする。

 でも電気は落ちていない。


 画面がカクついた。


『ラグ?』

『今、止まった?』

『フレーム落ち?』


 配信はしていない。

 それなのに、コメントが流れるような錯覚が走る。


 ミナトの背筋が冷えた。


「……いや、場所だ」


 口から勝手に出た。

 自分の声なのに遠い。


 ノクスの顔色が、一瞬だけ変わった。


 ほんの一瞬。

 でも確かに、変わった。


 ミナトが言う前に、壁がふっと光った。


 白い壁に、映像みたいなものが一瞬だけ映る。

 テレビのノイズみたいにぼやけた映像。


 玉座じゃない場所。


 白い廊下。

 白い天井。

 白い制服みたいな服。


 そこに――ノクスがいた。


 黒い外套じゃない。

 白い服。

 表情が硬い。どこか若い。


 ミナトの心臓が跳ねる。


「……え」


 映像はすぐ消えた。

 でも確かに見た。

 錯覚じゃない。


 ヒカリが息を呑む。


「今の……」


 サエキも目を見開いている。

 測定器が小さく鳴った。


 ノクスがミナトの前に立った。

 早い。一瞬で距離が詰まる。


 そして低い声で言った。


「それは見るな」


 命令に聞こえた。

 でもミナトには違って聞こえた。


(守ってる)


 見せたくないんじゃない。

 見たら危ない。

 見たらミナトが巻き込まれる。


 そういう“止め方”だった。


 ミナトは喉が乾いたまま頷く。


「……わかった」


 ノクスの肩が少しだけ落ちる。

 それだけで、どれだけ緊張していたのか分かった。


 サエキが小さく言った。


「……コアログは、都合の悪い歴史を勝手に出すことがあります」


 ミナトはサエキを見る。


「都合の悪い歴史?」


 サエキは口を閉じた。

 一瞬迷って、低い声で続ける。


「協会の資料でも……“完全には消せない記録”があると聞いたことがあります。

 表に出たら困るものが、勝手に浮く」


 ミナトの背中がぞくっとした。


(隠蔽の匂いが濃くなってきた)


 ノクスは黙っている。

 その黙り方が、さっきより重い。


 ミナトは思った。

 ノクスが過去を語りたがらないのは、恥ずかしいからじゃない。

 怖いからだ。

 触れたら何かが動く。


 既読スルー・ゴーストが、まだ視界の端にいる。

 未返信の重さが胸にまとわりつく。

 でも今は、それより重いものがある。


 ミナトは息を吐いた。


「……今日はもう、配信しない」


 ヒカリが頷く。


「それがいい。今のは“次の話”の匂いがする」


 ミナトは笑いかけて、止めた。


 次の話。

 そんな言葉で片づけていいのか分からない。

 でも確かに何かが始まりかけている。



 夜。


 部屋の明かりを落としても、眠れなかった。


 ミナトはベッドの上でスマホを握ったまま、天井を見ていた。

 通知を切っても、幻みたいに振動を感じる。


(今日のこと、ちゃんと受け止められてない)


 怖かった。

 救えてよかった。

 でも、救えなかったらどうなってた?


 考えると喉が乾く。


 その時。


 机の上の配信端末が、ふっと光った。


 青白い光。

 触っていないのに勝手に点く。


 ミナトは起き上がった。

 心臓が嫌な跳ね方をする。


 画面の中央に、小さなアイコンが出ていた。

 見慣れない通知。


 丸い光の中に文字が浮かぶ。


【CORE LOG】


 ミナトの背筋が凍った。


「……おい」


 声が小さく震える。


「今の通知、嫌なやつだ」


 返事はない。

 でも光は消えない。


 まるで、扉の向こうで誰かが呼んでいるみたいに。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


もし続きが気になりましたら、ブックマークや★評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ