第21話「ノクス、過去を語りたがらない」
事件が終わったあとの静けさは、音が少ないぶん、やけに刺さる。
叫び声も、警告音も、金属がきしむ音も消える。
残るのは、自分の呼吸だけ。
それが、いちばん怖い。
ミナトは民間ダンジョンの裏区画を出て、外の空気を吸ったはずなのに、喉の乾きが消えなかった。
水を飲んでも戻ってくる。
疲れって体に溜まるんじゃなくて、内側に貼りつくんだなと知った。
アパートに戻っても、胸の奥がまだ熱い。
ベッドに倒れたいのに、倒れたら眠れない気がする。
通知が鳴る。鳴る。鳴る。
スマホが震えるたびに胃が縮む。
(数字が伸びても、体力は増えない)
登録者は増えた。
切り抜きも増えた。
応援も増えた。
でも、そのぶん責任が増えた気がして、肩が重い。
背中に誰かが乗っているみたいだ。
ミナトは椅子に座って机に肘をついた。
配信端末を見つめる。赤い●は消えている。
消えているのに、まだ見られている感じがする。
玄関のほうでノクスが立っていた。
外套のまま。
椅子に座るでもなく、壁にもたれるでもなく、ただ立っている。
その姿が、妙に遠い。
床に座り込んだヒカリがペットボトルを飲む。
サエキは端末を手に、黙ってログを確認している。
部屋の中に人がいるのに、静かすぎた。
ミナトは咳払いをして、ようやく口を開く。
「……みんな、大丈夫?」
ヒカリが片手を上げる。
「私は大丈夫じゃないけど、大丈夫っぽくしてる。配信者っぽいから」
軽口なのに、笑えない。
ミナトは口の端だけ上げた。
サエキが小さく頷く。
「怪我人は軽傷が多いです。致命傷は……出ませんでした」
その言葉で、胸の奥が少しだけほどけた。
致命傷が出なかった。
それだけで救われる。
ミナトは息を吐いた。
息を吐いた瞬間、スマホがまた震えた。
通知。
DM。
タグ付け。
名前を呼ばれる回数が増えるほど、心が落ち着かなくなる。
(こんなに呼ばれるの、向いてないかも)
弱音が喉まで上がる。
でも飲み込む。今は飲み込む。
画面を見ないふりをしながら、ミナトは配信アプリを開いた。
チャット欄に質問が溜まっている。
『ノクスさん何者?』
『ラスボスなのに優しすぎない?』
『どこから来たの?』
『本名教えて!』
『過去回ないの?』
ミナトの胃が、また痛くなる。
(これ、答えるべき? 答えられる?)
配信は“返事”を期待される。
返事をしないと不安を煽る。
でも返事を間違えると燃える。
ミナトは視線を上げてノクスを見る。
ノクスはスマホの画面を見ていた。
見ているのに顔が動かない。
まるで石像みたいだ。
「……ノクス」
ミナトが呼ぶと、ノクスはゆっくり瞬きをした。
その瞬きが遅い。
疲れているのか、考えているのか。
「何だ」
声が硬い。
いつもより硬い。
「コメントでさ。……“何者?”って」
喉が乾く。言葉がひっかかる。
「俺、なんて言えばいい?」
ノクスは少しだけ眉を動かした。
その動きが、微妙に嫌そうだった。
「……知らぬ」
「知らぬって……」
ミナトは笑いそうになって、やめた。
笑いにすると軽くなる。今は軽くしたくない。
ノクスは視線を窓のほうへ逸らす。
「配信とやらに必要なのは、過去か?」
「必要っていうか……」
ミナトは言葉を探す。
喉に砂が詰まったみたいに乾く。
「知りたいって言われるんだよ。視聴者が」
ノクスの肩が、ほんの少しだけ沈んだ。
「……知る必要はない」
その言い方が、拒絶に聞こえた。
ミナトの胸がきゅっとなる。
(踏み込んだら壊れる)
強いのに、触れたら割れそうなものがノクスの中にある。
ヒカリが空気を変えるように明るく言う。
「でも気になるよね、ラスボスの履歴書」
「履歴書って言うな!」
ミナトがツッコミを入れる。
ヒカリが肩をすくめた。
「だってさ。『趣味:玉座』って書けそうじゃん」
ミナトは笑いかけて、途中で止まった。
ノクスの表情が動かなかったからだ。
ヒカリもそれに気づいて、言葉を飲み込む。
サエキが静かに言った。
「……無理に聞かなくていいと思います」
ミナトはサエキを見る。
その目は監視員としてじゃなく、人として優しかった。
ミナトは小さく頷いた。
「うん……」
知りたい。
でも壊したくない。
この二つが胸の中で綱引きをしている。
(知りたいのは、俺の都合だ)
ノクスが話したくないなら、それが答えだ。
配信者としては情報が欲しい。
でも人としては、待つべきだ。
ミナトは決めた。
今は待つ。
無理に引っ張らない。
「……ごめん。今のなしで」
ミナトがそう言うと、ノクスは一瞬だけ目を細めた。
怒った顔じゃない。
どちらかというと、ほっとした顔に見えた。
「……良い」
たったそれだけ。
でもミナトの胃が少しだけ軽くなった。
その時だった。
机の上の端末が、ピッ、と鳴った。
通知音。
心臓が跳ねる。
ミナトは反射で端末を掴んだ。
画面を見た瞬間、背筋が冷える。
未返信DMの数。
表示される“既読”の文字。
返信を求める名前。名前。名前。
目が痛くなるほどの数だ。
そして――画面の端に、黒い影が見えた。
瞬きをする。
影は消えない。
まるで画面から抜け出したみたいに、そこにいる。
白い顔。
薄い体。
目だけが大きくて、口がない。
通知アイコンみたいに浮かび、ふわふわと視界の端にまとわりつく。
既読スルー・ゴースト。
ミナトの喉が鳴った。
「……うわ」
声が出てしまった。
ヒカリが顔を上げる。
「出た?」
「出た……」
ミナトは画面を閉じる。
でもゴーストは消えない。
視線を合わせると胸が重くなる。
“返せ”
“答えろ”
“逃げるな”
言葉は聞こえない。
でも圧がある。
ミナトは目を逸らした。
逸らした瞬間、少し楽になる。
それが逆に罪悪感を増やした。
(返せない。全部は返せない)
配信者は返すべきだ。
でも一人で全部は無理だ。
頭では分かっているのに心が追いつかない。
ミナトは机に額をつけた。
冷たい木の感触で、少しだけ落ち着く。
「……俺、向いてないかも」
ぽろっと出た言葉。
自分で言って、自分で驚く。
ヒカリが即座に言った。
「向いてないって言いながらやってる人が、一番向いてる」
「それ、慰めになってない」
「慰めじゃない。現実」
ヒカリの言い方は軽い。
でも、優しい。
ノクスが小さく言った。
「……責任を背負いすぎだ」
ミナトは顔を上げる。
「でもさ。俺の言葉で人が動くんだよ? 怖いよ」
ノクスはミナトを見た。
その目は空っぽじゃない。ちゃんとミナトを見ている。
「怖いなら、制御すればいい」
「簡単に言うな……」
ミナトは笑いかけて、今度はちゃんと笑えた。少しだけ。
その瞬間。
空気が、ふっと揺れた。
明かりが一瞬暗くなった気がする。
でも電気は落ちていない。
画面がカクついた。
『ラグ?』
『今、止まった?』
『フレーム落ち?』
配信はしていない。
それなのに、コメントが流れるような錯覚が走る。
ミナトの背筋が冷えた。
「……いや、場所だ」
口から勝手に出た。
自分の声なのに遠い。
ノクスの顔色が、一瞬だけ変わった。
ほんの一瞬。
でも確かに、変わった。
ミナトが言う前に、壁がふっと光った。
白い壁に、映像みたいなものが一瞬だけ映る。
テレビのノイズみたいにぼやけた映像。
玉座じゃない場所。
白い廊下。
白い天井。
白い制服みたいな服。
そこに――ノクスがいた。
黒い外套じゃない。
白い服。
表情が硬い。どこか若い。
ミナトの心臓が跳ねる。
「……え」
映像はすぐ消えた。
でも確かに見た。
錯覚じゃない。
ヒカリが息を呑む。
「今の……」
サエキも目を見開いている。
測定器が小さく鳴った。
ノクスがミナトの前に立った。
早い。一瞬で距離が詰まる。
そして低い声で言った。
「それは見るな」
命令に聞こえた。
でもミナトには違って聞こえた。
(守ってる)
見せたくないんじゃない。
見たら危ない。
見たらミナトが巻き込まれる。
そういう“止め方”だった。
ミナトは喉が乾いたまま頷く。
「……わかった」
ノクスの肩が少しだけ落ちる。
それだけで、どれだけ緊張していたのか分かった。
サエキが小さく言った。
「……コアログは、都合の悪い歴史を勝手に出すことがあります」
ミナトはサエキを見る。
「都合の悪い歴史?」
サエキは口を閉じた。
一瞬迷って、低い声で続ける。
「協会の資料でも……“完全には消せない記録”があると聞いたことがあります。
表に出たら困るものが、勝手に浮く」
ミナトの背中がぞくっとした。
(隠蔽の匂いが濃くなってきた)
ノクスは黙っている。
その黙り方が、さっきより重い。
ミナトは思った。
ノクスが過去を語りたがらないのは、恥ずかしいからじゃない。
怖いからだ。
触れたら何かが動く。
既読スルー・ゴーストが、まだ視界の端にいる。
未返信の重さが胸にまとわりつく。
でも今は、それより重いものがある。
ミナトは息を吐いた。
「……今日はもう、配信しない」
ヒカリが頷く。
「それがいい。今のは“次の話”の匂いがする」
ミナトは笑いかけて、止めた。
次の話。
そんな言葉で片づけていいのか分からない。
でも確かに何かが始まりかけている。
⸻
夜。
部屋の明かりを落としても、眠れなかった。
ミナトはベッドの上でスマホを握ったまま、天井を見ていた。
通知を切っても、幻みたいに振動を感じる。
(今日のこと、ちゃんと受け止められてない)
怖かった。
救えてよかった。
でも、救えなかったらどうなってた?
考えると喉が乾く。
その時。
机の上の配信端末が、ふっと光った。
青白い光。
触っていないのに勝手に点く。
ミナトは起き上がった。
心臓が嫌な跳ね方をする。
画面の中央に、小さなアイコンが出ていた。
見慣れない通知。
丸い光の中に文字が浮かぶ。
【CORE LOG】
ミナトの背筋が凍った。
「……おい」
声が小さく震える。
「今の通知、嫌なやつだ」
返事はない。
でも光は消えない。
まるで、扉の向こうで誰かが呼んでいるみたいに。
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