第20話「ラスボス、ラスボスらしく救う」
檻が開く音は、意外と軽かった。
カチリ。
たったそれだけで、空気が変わる。
白い壁の裏区画。
冷たいライト。
金属と薬品の匂い。
その真ん中で、檻の扉がゆっくり外側へ倒れた。
中から出てきたものは――“ラスボスっぽい何か”だった。
大きい。
黒い。
肩のあたりに角みたいな突起があり、胸の中心には赤い光が脈打っている。
鎧のような装甲が重なり、足元の床をきしませながら歩く。
見た目だけなら派手だ。
配信映えする。サムネ向きだ。
だが。
目が、空っぽだった。
黒い瞳の奥が何も映していない。
人も状況も見ていない。
ただ命令された通りに動く機械みたいに、前へ出る。
動きも雑だ。
腕を振るだけでレールがへしゃげ、一歩踏み込むだけで床が鳴る。
力の加減という概念がない。
ミナトの喉が鳴った。
「……冗談でしょ」
コメント欄は、別の意味で爆発する。
『うおおおおおお!!』
『ラスボス出た!!!!』
『神回!!!!』
『これこれこれ!!』
『ミナトの胃、今しぬ』
盛り上がり。熱。
でもミナトは笑えなかった。
(映えとか言ってる場合じゃない)
脳が理解するより先に体が怖がっている。
手のひらに汗が滲み、息が浅くなる。
心臓が耳の裏で鳴っている。
ノクスが隣で小さく息を吐いた。
「……偽物だ」
声の低さだけで空気が締まる。
本物のラスボスが横にいるのに、偽物のラスボスが出てくる。
世界のバグみたいだ。
その時、裏区画の入口側から足音が増えた。
白い制服のスタッフが数人、慌てた顔で駆け込んでくる。
「お客様! 落ち着いてください! 安全装置があります!」
言葉は丁寧。
だが目が笑っていない。
「救護が対応します! すぐに――」
スタッフが合図を出すと、天井の隅から“それ”が降りてきた。
白い外装。
医療マークみたいな模様。
柔らかい光。
救護用の自動装置。そう見える。
だが降りてきたものは獣だった。
胴体は猫科のようにしなやかで、肩には翼の形。
尾は蛇みたいにうねり、頭の横には救急灯のようなランプが点滅する。
見た目は“安心”を詰め込んだキメラ。
セーフティ・キマイラ。
ミナトの背中が冷えた。
(救護の皮を被ってる……)
キマイラは怪我人へ向かった――と思った瞬間、違った。
近くの一般客に飛びつき、腕と肩を押さえて床に伏せさせる。
拘束。
救護じゃない。
「動かないでください」を力でやるやつだ。
倒された客が悲鳴を上げる。
「ちょ、なに!? 痛っ!」
スタッフが笑顔のまま言った。
「安全のためです! そのままお待ちください!」
安全。
またその言葉。
ミナトの胃が、きゅっと縮んだ。
偽物が腕を振り上げた。
その動きに合わせて空気が震える。
棚が揺れ、工具が落ちる。
誰かが叫びそうになる。
叫び声は連鎖する。
連鎖したら終わる。
ここは狭い。
観光ルートの横の裏区画だ。
人が逃げる前提で作られていない。
出入口はひとつ。
しかも入口側はスタッフとキマイラが塞ぎかけている。
ミナトの喉の奥まで声が上がってきた。
(危ないって叫べ)
だが叫んだら混乱が増える。
配信者の声は、武器にも毒にもなる。
ミナトは歯を食いしばった。
息を吸って吐く。深呼吸をひとつ。
自分の声を“落ち着かせるため”に使う。
「みんな……落ち着いて! 走らないで!」
声を張る。でも怒鳴らない。
音量だけ上げて、温度は下げる。
コメント欄がざわつく。
『うわガチだ』
『逃げろ!』
『救護が拘束してる?』
『民間やばい』
『ミナトの声、落ち着いてる』
心臓は暴れているのに、声だけは落ち着かせる。
これが今の自分にできる最大の仕事だ。
その瞬間、ノクスが一歩前に出た。
ゆっくり。
でも誰より速い“圧”。
「下がれ」
低い声が床を打つ。
それだけで空気が止まった。
偽物の動きが、一瞬だけ鈍る。
まるで耳があるみたいに。
まるで恐怖が分かるみたいに。
(本物の圧……)
ノクスは立っているだけで秩序になる。
ミナトの背中が少しだけ軽くなる。
偽物がうなり声のような音を出した。
目は空っぽのままノクスへ向きを変える。
ぶつかる。激突する。
普通なら“討伐”の絵面になる。
でもノクスは、剣を抜かなかった。
手を上げる。
それだけ。
偽物が腕を振り下ろす。
ノクスは避けずに、指先で関節の角度だけを変えた。
ガキン、と嫌な音。
振り下ろした腕が床に刺さり、体勢が崩れる。
次の瞬間、ノクスが膝へ触れた。
膝が抜けたみたいに折れる。
倒れた。
だが破壊じゃない。
壊れているのに、壊されていない。
鎮圧だ。
ノクスは淡々と動いた。
関節。
出力の継ぎ目。
力が集まる場所だけを見て、順に封じる。
偽物の胸の赤い光が、強く脈打つ。
危ない。
暴走する。爆発する。
スタッフが叫んだ。
「やめてください! それは施設の資産です!」
資産。
この場で言う単語じゃない。
人より先に出る言葉じゃない。
ノクスは振り向かない。
一言だけ落とす。
「命より重い資産はない」
短い。
でも切り抜けない言葉だ。
誤解できない。
偽物が最後の抵抗みたいに暴れた。
床を引っかき、壁を叩く。
その揺れで棚が倒れ、ガラスが割れた。
薬品の匂いが濃くなる。
ミナトの耳に、人の呼吸が入ってくる。
泣き声。歯を食いしばる音。震え。
そこへ、もう一つの危険が動いた。
セーフティ・キマイラ。
拘束されていた客が苦しそうにもがく。
スタッフが近寄り、耳元で囁くように言った。
「大丈夫です。すぐに隔離しますから」
隔離。
守る言葉にも聞こえる。
だが状況次第で、隠す言葉にもなる。
ミナトの胃が冷えた。
(このままだと、事故ごと消される)
アーカイブは消される。
救護は拘束する。
スタッフは資産を守る。
じゃあ、誰が人を守る?
ミナトはカメラを自分の顔へ向けた。
震えるのを笑って隠す。
でも目だけは真剣にする。
「みんな、お願い。今は煽らないで」
コメント欄が一瞬止まった。
ミナトは続ける。短く、はっきり。
「逃げ道案内する。
画面の情報で助ける。
場所、共有して」
ヒカリが即座に反応した。
『固定コメ出す! 落ち着いて!』
『スクショ班、位置情報!』
『救護連絡、今!』
『外部にも通報!』
コメント欄が協力モードに切り替わっていく。
正義の暴走じゃない。
現実の救護に繋がる動き。
ミナトは息を吐いた。
(視聴者、頼む。今だけ、優しくしてくれ)
その瞬間、サエキが動いた。
監視員の顔が、もう“協会の人”じゃない。
現場の人の顔だった。
サエキは測定器を取り出し、裏区画の装置へ近づく。
スタッフが止めようとする。
「触れないでください! 施設の管理区域です!」
サエキは一歩も引かなかった。
「私は協会の監視員です。
重大事故の可能性がある以上、記録します」
測定器の画面が光る。
数字が並ぶ。ログが残る。
録画は消されても、測定ログは消しにくい。
現場の証拠は、残せる。
サエキは震える指で装置の端子にクリップを付けた。
古いやり方。
でも強い。“消せない形”で残すやり方だ。
スタッフの顔から、ついに笑顔が消えた。
「……やめろ」
丁寧さが剥がれる。中身が出る。
サエキは目を逸らさずに言った。
「やめません」
それだけで覚悟が見えた。
ノクスが偽物の胸の光へ手を伸ばした。
赤い光が暴れる。空気が熱い。
ノクスは壊さない。
壊さずに止める。
指先で出力点を押さえる。
乱暴じゃない。
ちゃんと“止まれ”の力だ。
赤い光が乱れ、弱くなる。
偽物の腕が、ゆっくり床に落ちた。
動きが止まる。
止まった瞬間の静けさが怖いほど静かだった。
誰も息をしていないみたいな静けさ。
次に来たのは、吐き出すような呼吸。
ハァ……ハァ……。
人の息が戻る。
泣き声が混じる。
「大丈夫?」が聞こえる。
大事故は止まった。
でも被害がゼロではない。
床には血が少し落ちている。
腕を押さえる人。
膝を抱えて座り込む人。
震えが止まらない人。
ミナトの手も震えていた。
自分が震えているのに、今さら気づいたみたいに。
ミナトは笑ってごまかそうとした。
「……えー、皆さん。ミナトの胃は、今、魂が抜けかけてます」
『笑えないw』
『でも生きててよかった』
『ノクスさん強すぎ』
『殺してないの偉い』
『サエキさんガチ』
ノクスが背中越しに言った。
「我は、倒すために在るのではない」
ミナトはその背中を見て、涙が出そうになった。
でも飲み込んだ。泣くのは後でいい。
スタッフが逃げるように奥へ下がっていく。
笑顔は戻らない。
サエキが小さく息を吐き、測定器を握りしめた。
「……記録は残しました」
「ありがとうございます」
ミナトは素直に言った。
その言葉だけは嘘にしたくない。
ノクスが静かに振り向いた。
偽物を見下ろし、低い声で言う。
「我が倒される物語は、誰かの利益になる」
ミナトの胃がまた痛んだ。
でも今度は怖さだけじゃない。
怒りも混じっている。
「……じゃあ、その物語ごと書き換えよう」
口にした瞬間、背中が少しだけ伸びた。
怖いのに立てる。
配信の赤い●は点いたまま。
でも今日はその赤が“燃やす火”じゃなく、
“残す光”になってほしいと願った。
ミナトはカメラを見て、短く言った。
「次、行きます。真面目に」
視聴者のコメントが、今度は静かに流れた。
『いこう』
『見る』
『逃げない』
『証拠残そう』
熱が、火傷じゃなく支えになる熱に変わる。
その瞬間が確かにあった。
ミナトの胃は、痛いまま前を向いていた。
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