第2話「ラスボス、配信を理解する」
赤い●が点いていた。
スマホ画面の上、配信アプリの端にある小さな印。
たったそれだけのものが、ミナトの胃をひっくり返した。
「……あ」
声が出ない。喉が乾きすぎて、息だけが漏れた。
――配信、切れてない。
巨大な扉。大広間。玉座。黒い影。
そして今、目の前でこちらを見下ろしている“玉座の主”。
全部、生放送。
ミナトはスマホを握りしめたまま固まった。
逃げたい。いや、逃げたところでどこに。帰り道も分からない。
なのに、体が動かないのは恐怖だけじゃない。
今さら、“見られている”。
コメント通知の小さな音が鳴った。
画面の下に文字が流れる。
『ラスボス!?』
『え、ガチ? 演出じゃないよな?』
『逃げろ!!』
『初配信で何してんのwww』
『赤い●ついてるぞ、切れ切れ!』
人数は多くない。十人もいないだろう。
それでも熱い。たった数行の文字が、画面の中で火花を散らしている。
ミナトの胃が、きゅっと縮む。
笑えない。現場は現実だ。
「……えっと。みなさん、落ち着いて。俺が一番落ち着いてないけど」
喋ってしまう。
怖い時ほど、口を動かしていないと頭の中が真っ黒になる。配信者というより、ただの臆病者の抵抗だ。
玉座の主は、ミナトをじっと見ていた。
声を荒げるでもなく、ただ、逃げ道を塞ぐような視線だけがある。
「答えろ」
低い声が落ちた。
それだけで空気が重くなる。肩に見えない手を置かれたみたいに、体が沈んだ。
「は、はい……」
スマホ。配信。説明。
言葉が喉の手前で引っかかる。
“こっちの常識”を出していいのか分からない。
でも黙ったら終わる。終わるのが怖い。
「えっと……これは、その……」
ミナトが必死に言葉を探していると、玉座の主が少しだけ首をかしげた。
「儀式具か」
「ぎ、儀式具?」
「お前は、それを通じて何を捧げている」
捧げる、って何の話だ。
頭の中で叫びながら、ミナトは口を動かしてしまった。
「さ、捧げ……えっと……視聴者に……」
言ってから、血の気が引く。
違う違う違う。視聴者に捧げるって何だ。俺は何を言ってるんだ。
でも玉座の主は真顔のまま頷いた。
「観衆か。なるほど」
「なるほどじゃなくて!」
ミナトが慌てて手を振ると、相手はますます真面目な顔になった。
「ならば観衆の言葉は、神託だな」
「しんたく……?」
「上から落ちてくる言葉だ」
「……コメントのこと?」
ミナトが小さく呟く。
玉座の主はスマホに視線を落とした。怖いほど真剣に。
「読め」
「え?」
「神託を読め。今、そこに落ちている」
コメント欄。
ミナトは背筋が変な方向に冷えた。
「いや、コメントは……神託とかじゃなくて、ただの感想というか……」
「感想か。ならば、そこにあるのは全て“真”だな」
「そうでもないです!」
即答してしまった。
だってコメントなんて、冗談も煽りも嘘も混ざる。そこまでの重みはない。――普通は。
玉座の主は、ミナトの反応を見て少しだけ目を細めた。
「……お前、名は」
唐突に聞かれた。
ミナトは反射で背筋を伸ばした。
「み、ミナトです。ミナトって言います」
「ミナト」
名前を呼ばれただけで、胸が跳ねる。
次の瞬間、相手が短く言った。
「我は――ノクス」
音が落ちる、という表現がぴったりだった。
名前が空気に沈んで、床まで響く感じがする。
コメント欄が一斉にざわついた。
『名乗った!』
『ノクス!?』
『それっぽすぎる名前w』
『ガチじゃん……』
ミナトは思わず言ってしまう。
「……の、ノクス……」
「繰り返すな。刻まれる」
「え、刻まれるって何!? 怖いこと言わないで!」
ノクスは微動だにしない。
威厳がぶれないのが、逆に怖い。
「読め」
「……はい」
ミナトは腹をくくってコメントを読み上げた。
「『逃げろ!』、『ガチ?』、『名乗った!』……えっと、『ノクス!?』って、今みんな驚いてます」
ノクスは頷いた。
「『逃げろ』……恐れるな、という励ましだな」
「違います! 直球で逃げろって言ってます!」
「『驚いている』……我の名が観衆に届いたのだな」
「届きました。めちゃくちゃ届きました」
ノクスの口元が、ほんの少しだけ上がった。
上がったが、すぐに戻った。威厳を保つための反射みたいに。
ミナトは目をぱちぱちさせた。
この人、コメントに反応してる。ラスボスっぽいのに、思ったより人間っぽい。
その瞬間だった。
足元が、ぬるり、と動いた。
「……え?」
ライトの輪の中、床の石の隙間から透明な塊が盛り上がってきた。
水みたいでゼリーみたいで、でも明らかに“生きてる”動き。
ミナトは反射で一歩下がった。
靴底が、ぴちゃ、と嫌な音を立てる。もう触ってしまった。
透明な塊の表面に、文字が流れていた。
小さな白い文字が、するする動く。コメント欄みたいに。
コメント通知が鳴る。
『足元www』
『スライムだ!』
『コメントで増えるやつ!』
『叫ぶな!』
「スライム……?」
ミナトが声を上げた瞬間、透明な塊がぐにゃ、と膨らんだ。
「え、待って! 俺の声で!?」
スライムがぬるぬる伸びて、ミナトの靴に絡みつこうとする。
ミナトは足を引き抜こうとしたが、粘りが強くて抜けない。
「うわっ、やだ! やだやだやだ!」
叫ぶ。
叫ぶほど、スライムが大きくなる。
「……最悪!」
コメント欄が一気に騒ぐ。
『増える増える!』
『落ち着け!』
『煽れ煽れww』
『草』
『ミナト落ち着いて!』
煽りが混じった瞬間、スライムの体が白っぽく濁った。
透明だったはずの体が、少し重く見える。粘りが増す。嫌な重さ。
そして――ぐにゃ、と割れた。
ひとつが、二つに。
二つが、三つに。
ぬるり、ぬるり、と床を這ってミナトの足元に寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待って! 待って待って待って!」
ミナトは青ざめた。
画面の盛り上がりと、現場の危険が直結している。
配信者としての頭のどこかが「今、伸びてる」と感じてしまったのが分かって、さらに気持ち悪くなる。
そんな場合じゃないのに。命がかかってるのに。
ノクスが、ゆっくりとスライムに視線を落とした。
「神託が荒れている」
「荒れてるって言わないで!」
ミナトは必死にスマホを見る。
コメント欄は応援と煽りでぐちゃぐちゃだ。
『逃げろ!』
『煽れ!』
『落ち着け!』
『ミナト死ぬなよ!』
死ぬなよ、が本気で刺さる。
死ぬのは嫌だ。配信も嫌だ。帰りたい。
でも足元は増えている。
ノクスが静かに言った。
「儀式に協力しよう」
「え?」
「観衆に捧げているのだろう。ならば観衆の言葉を鎮めればいい」
「鎮めるって……どうやって」
ノクスの視線がミナトに刺さる。逃げられない。
「優しい言葉を言え」
「……は?」
「恐れや煽りは荒い神託を呼ぶ。ならば優しい言葉で上書きすればいい」
ミナトは一瞬、理解できなかった。
でもスライムがぬるりと靴に絡み、現実が背中を殴る。
「……俺が、視聴者に?」
「そうだ」
「優しい言葉を言えば、コメントが優しくなるって?」
「観衆は、お前の声に引かれる」
“従う”じゃないのが、少しだけ救いだった。
ミナトは息を吸って、スマホを正面に向ける。喉がカラカラで声がかすれそうだ。
「み、みんな……煽るの、やめて。お願い。ほんとに危ない。これ、コメントで増えてる」
言葉が足りない。焦ってる。伝わらないかもしれない。
でも、正直に言うしかない。
「……俺、今、めちゃくちゃ怖い。助けてほしい。落ち着くコメント、ください。応援とか、指示とか……そういうの」
一拍。
その一拍が、長い。
そしてコメントが流れ始めた。
『深呼吸! 声出さないで!』
『ゆっくり足を抜け!』
『煽りやめよう! 危ない!』
『大丈夫! 落ち着け!』
『応援してる!』
画面の空気が、少しだけ整った。
足元のスライムが、ぴたりと止まった。
濁っていた体が薄くなる。粘りが減る。重さが抜ける。
「……え?」
ミナトは息を飲む。
スライムがぐにゃ、と縮んだ。靴に絡む力が弱まる。
ミナトはゆっくり足を引く。
今度は抜けた。ぺた、と床に戻る。
「効いてる……!」
スライムが床に広がり、薄い水の膜みたいになり、文字の流れも消えていく。
最後に、ぷくん、と泡がひとつ。ぱち、と弾けて――消えた。
ミナトは膝が笑いそうになるのを必死でこらえた。
吸って、吐いて、また吸う。
「……はぁ……はぁ……」
コメント欄には応援が流れ続ける。
『助かった!』
『優しいコメントが攻略法か』
『ノクス有能』
『ラスボスなのに味方っぽいw』
ミナトは汗を拭いながら、ノクスを見上げた。
ノクスは相変わらず威厳のある顔をしている。
している、のに。
『今ちょっと嬉しそうだった』
『コメント気にしてるの草』
コメントに反応して、ノクスの眉がほんのわずかに動いた。
そして、咳払いをひとつ。
「……観衆は素直だな」
「それ、褒めてます?」
「褒めている」
短く言い切られて、ミナトは変な笑いが出た。
怖いのに、少し笑える。笑えるのが信じられない。
その時、スマホが短く鳴った。
コメント通知とは違う、硬い音。
画面の端にメッセージが表示される。
送信元:協会(自動通知)
『警告:深部映像の配信は規約違反の可能性があります。直ちに配信を停止してください』
『警告:危険区域への立ち入りを確認。救護班が向かいます。配信停止を命じます』
「……うそだろ」
ミナトの胃が、また痛くなる。
やっと息ができるようになったのに、今度は別の種類の怖さが来た。
コメント欄もざわつく。
『協会きた』
『規約違反?』
『強制って何するんだよ』
『切るな! でも死ぬな!』
ミナトはスマホを握りしめた。
切れば助かるかもしれない。切らなければ燃えるかもしれない。
燃える前に、現場が壊れるかもしれない。
ノクスが、ミナトの手元を覗き込むようにして言った。
「“協会”とは何だ」
「え?」
「その者たちが、お前に命じている」
ノクスの声が少し低い。
スライムの時とは違う低さ。警戒の低音。
「……協会は、えっと。ダンジョンを管理してるところです」
「管理?」
「入口の警備とか、規約とか、救護とか……そういうの」
説明しながら、ミナトの胸の奥がざらついた。
規約も管理も救護も、本来は正しいはずだ。なのに今は“命令”にしか見えない。
ノクスは少し考えるように黙った。
それから、短く言った。
「新しい敵か」
「敵って言い方は……」
ミナトは苦笑しようとして失敗した。喉が引きつる。
視聴者数が増えていく表示が、逆に怖い。盛り上がりがまた危険につながる気がする。
その時、スマホがさらに強い音で鳴った。
『最終警告:配信停止。従わない場合、強制措置を行います』
「……最終って」
ミナトの胃が、きゅっと縮む。
コメントが一斉に流れる。
『来るぞ』
『強制措置って何だよ』
『逃げろ!』
『ミナト、選べ!』
ミナトは小さく呟いた。
「……選ぶしかないやつ、二回目なんだけど」
ノクスが低く言う。
「ミナト。お前は観衆の前に立った。ならば、立ち方を選べ」
怖い。
でも、逃げたくない。
ミナトは震える息を吸って、スマホを正面に向け直した。
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