第19話「民間ダンジョン潜入」
民間ダンジョンは、綺麗すぎた。
入口のゲートはガラス張りで、床は光沢のある石。
受付のカウンターは高級ホテルみたいに角が丸く、スタッフの制服は無駄にパリッとしている。
照明は明るい。明るすぎる。影ができないように計算された明るさだ。
ミナトは一歩入っただけで、胃が冷えた。
(綺麗な場所ほど、隠すのが上手い)
自分でも嫌なことを思ったと思う。
でも、そう思ってしまった。
ダンジョンって、本来は汚い。
泥がある。汗がある。傷がある。
危険の匂いがする。
ここは匂いがしない。
あるのは消臭剤の匂いだけ。
不自然に“無臭”な場所は、それだけで怖い。
ミナトは胸元のピンマイクを確かめ、配信の赤い●を見た。
今日は“潜入”という言葉を使うだけで胃が痛い。
でも使う。使わないと空気に負ける。
「えー、こちら……民間ダンジョン施設、です」
声が少し高い。
緊張すると声が裏返る。
分かりやすい体質、やめたい。
『うお、綺麗』
『テーマパークみたい』
『安心感あるな』
『ミナトの胃は安心してないw』
『ノクスさんもいる?』
「います。……いますよ」
ミナトは視線をずらして答えた。
ノクスは一歩後ろに立っている。
黒い外套みたいな服が、この場所の白さに浮いて見えた。
スタッフがちらちら視線を向ける。なのに笑顔は崩さない。
それが怖い。
受付のスタッフが、にこやかに近づいてきた。
「本日はご来館ありがとうございます。ご予約番号をお伺いしてもよろしいでしょうか」
言葉が丁寧すぎる。
声が柔らかすぎる。
角がなさすぎて、逆に角がある。
サエキがすぐ前に出た。
いつもより姿勢が硬い。
「協会の監視員です。今回は視察として同行しています。手続きは確認済みです」
スタッフの笑顔が一ミリだけ薄くなった。
でもすぐ戻った。
「もちろんでございます。では、こちらの同意書にサインを」
出てきた紙の束。
束。
“同意書”が束。
ミナトの胃がまた痛んだ。
「え、え、こんなに……?」
「安心してお楽しみいただくための必要書類でございます」
安心。
またその単語だ。
便利すぎる。
便利だからどこにでも挟める。
そして挟まれたものは、大抵拒否しづらい。
ヒカリが小声で言う。
「書類のページ数が呪い」
「呪いって言うな、呪いに見えてくる」
ミナトが返すと、ノクスが真顔で頷いた。
「確かに呪いだな」
やめてほしい。
ラスボスに同意されると、呪いが確定する。
サエキが書類をめくる。
眉がひそむ。
その回数が多い。それだけで不安が増える。
「……『映像の二次利用権』? 『施設判断による配信停止』? 『緊急時の免責』……」
サエキの声が低くなる。
「これ、普通の見学施設の同意書ではありません」
スタッフは笑顔のまま、少しだけ胸を張った。
「安全と品質を守るための、最新の基準でございます」
最新。基準。安全。
全部、正しそうな単語。
でも、その正しさの中に“都合”が混じっている匂いがした。
ミナトは喉を鳴らした。
コメント欄がざわつく。
『権利強すぎない?』
『配信停止は草』
『免責って何が起きるんだ』
『やっぱ怪しい』
『ミナトの胃が死ぬ』
「えー……とりあえず、サインします」
ミナトは一度、視聴者を見るようにカメラを見た。
「でも今のところ……“安心”って言葉、ちょっと怖いです」
言った瞬間、背中がひやっとした。
ラスト一行が独り歩きする怖さがよぎる。
でもここは言った。言わないと始まらない。
『わかる』
『安心って免責セット』
『言葉のトリック』
『ヒカリ先生いるから大丈夫』
『ノクスさんの顔w』
ノクスは真顔だった。
真顔で周囲の“整いすぎ”を見ている。
それだけでこの場所が少し揺らぐ気がする。
⸻
案内スタッフは、親切すぎた。
「こちらでお履き物をお預かりします」
「お荷物はこちらへ」
「お客様の安全のため、こちらの腕輪を装着いただきます」
「体温と脈拍の測定を行います」
「万が一の際は、こちらの救護室へ」
丁寧。親切。
でも、過剰。
過剰な親切は、管理に見える。
管理は安心に似ている。
似ているから気づきにくい。
腕輪は白いプラスチックだった。
薄い。軽い。
でも“外せない感じ”がある。
ミナトが触ろうとすると、スタッフが優しく制した。
「そちらは安全装置ですので、外さないようお願いいたします」
お願い。
またお願い。
サエキが小さく言う。
「……これ、位置情報も取れますね」
「もちろんでございます。お客様が迷われないために」
迷わないため。
でも、逃げられないためにも使える。
両方成立するのが嫌だ。
ミナトは笑ってごまかした。
「迷子にならないのはありがたいんですけど……俺の胃は迷子です」
『草』
『胃が迷子w』
『ほんとにテーマパークだ』
『でも怖いな』
『サエキさんガチ顔』
ノクスが小さく呟いた。
「人が笑うように作られている」
「……え?」
「恐怖を薄め、危険を忘れさせる」
ミナトの背中が冷えた。
そういう設計。そういう仕組み。
笑いは大事だ。
でも笑いで危険が隠れるなら、それは毒にもなる。
⸻
通路に入ると、景色が変わった。
壁は金属。床は白い石。
天井に並ぶライトが、光をぎらつかせる。
目が眩む。
配信画面は派手で、視聴者が好きそうな色だ。
『うわ、映える』
『光すご』
『ラスボスも光ってる』
『サムネ最強』
『ここ人気って言ってた?』
案内スタッフが誇らしげに言った。
「こちら、当施設でもっとも人気の回廊でございます。反射演出が大変美しいと評判で」
ミナトの胃が冷えた。
演出。
危険を“演出”と言った。
反射演出の正体は、甲虫だった。
床の隙間から金属みたいな甲虫が出てくる。
背中が鏡のように光を反射する。
甲虫が動くたび、レーザーみたいな光が跳ねた。
壁に当たり、床に当たり、跳ね返る。
一本の光が十本になる。十本が百本になる。
「うわっ……!」
ミナトは思わず身を引いた。
光が頬をかすめる。熱い。
ちゃんと熱を持っている。
反射レーザー甲虫。
名前からして厄介だ。
スタッフは笑顔で言った。
「ご安心ください。安全設計です」
この場で“安心”を聞くと、嫌な笑いが出そうになる。
甲虫は安全に見えなかった。
光が跳ね返る角度が読めない。
腕輪のセンサーが震える。ピッ、ピッ、と軽い警告音。
数メートル先で一般客らしい探索者が叫んだ。
「やばっ、腕に当たった!」
細い赤い線が腕に走っている。
切り傷。浅いけど確実に傷だ。
救護スタッフが駆け寄る。
でも回廊が狭い。光が跳ねる。
救護が近づくほど危険が増える。
設計が嫌だ。
派手で、狭くて、逃げにくい。
映えるけど、守りにくい。
(危険を商品にしてる)
ミナトは歯を食いしばった。
配信者として、映える絵が欲しい気持ちは分かる。
でもこれは違う。
視聴者の盛り上がりと現場の危険が比例している。
この比例は、間違ってる。
ノクスが前に出た。
光が当たりそうになる瞬間、手を伸ばす。
指先の動きだけで、反射角が少し変わる。
甲虫のレーザーが壁へ逸れ、床へ逸れた。
ミナトは息を止めた。
(今の、何……)
ノクスは淡々と呟く。
「光の癖がある。ここは制御されていない」
サエキが険しい声を出した。
「救護が追いつかない構造です。事故が起きたら二次被害が出る」
スタッフは笑顔を崩さない。
「人気の演出ですので」
人気。
その言葉が恐ろしい。
コメントが荒れ始める。
『危ないだろこれ』
『映えのために?』
『怪我してるじゃん』
『民間やば』
『協会推してたよね?』
ミナトの心臓が嫌な跳ね方をした。
ここから先は、言葉選びが地雷だ。
その時、回廊の横に小さな扉が見えた。
観光ルートの壁面に、鍵付きの扉。
目立たない。けど不自然。
ノクスが足を止めた。
扉を見て、低い声で言う。
「ここは匂いが違う」
「匂い?」
「生成の匂いだ。生き物の匂いではない」
人工。
作られた何か。
ミナトの背中がぞくっとした。
「……あれ、行けないですよね」
スタッフが即座に答える。
「関係者専用です。お客様は立ち入れません」
立ち入れない。
だから余計に気になる。
ミナトは視線だけでサエキに聞いた。
サエキは小さく首を振る。
今は無理。正式な監視でも権限外。
その瞬間だった。
甲虫が急に暴れた。
反射光が壁の一点に集中する。まぶしい。熱い。
ミナトは目を細めた。
次の瞬間。
バチン、と音がして壁が爆ぜた。
白い石が砕け、粉が舞う。
通路の一部が崩れた。
そして――扉の鍵が壊れた。
扉が、ゆっくり開く。
ミナトは息を飲んだ。
(偶然……?)
偶然なのに、仕組まれたみたいな嫌な感覚。
派手すぎる演出は事故が起きやすい。
事故が起きた結果、扉が開く。
繋がりが綺麗すぎて怖い。
「下がってください!」
サエキが叫んだ。
でも声の裏に、別の迷いが混じっている。
開いた扉の向こうから冷たい空気が流れてきた。
消臭剤の匂いじゃない。
金属と薬品の匂い。
ヒカリが小声で言う。
「……当たり、引いちゃったね」
ミナトは笑えなかった。
胃が冷えすぎて、笑う筋肉が動かない。
ミナトはカメラを向けた。
向けたくないのに、向けた。
配信者の習性が怖い。
⸻
中は、裏区画だった。
白い壁。冷たいライト。
床にはレール。
そして、檻。
檻が並んでいる。
その中に、何かがいる。
動物じゃない。
魔物でもない。
“途中”の何か。
ミナトの喉が鳴った。
「……これ、出したら世界がひっくり返る」
サエキが息を呑んだ。
「……ログがある。装置も」
壁際に、コアに似た装置があった。
似ているのに違う。作りが新しい。
機械の匂いが強い。
コメントが止まる。
『……え?』
『何これ』
『実験?』
『檻??』
『やばい』
ミナトは震える指で装置の表示を映した。
【生成試験ログ】
【反射耐性:調整中】
【観測:外部反応あり】
【封印:有効】
封印。
その単語を見た瞬間、背中が冷たくなった。
そして――。
画面が一瞬暗転した。
スマホが震え、表示が切り替わる。
録画データが消える。アーカイブが空になる。
「……また?」
ミナトの声が震えた。
『消えた?』
『録画ゼロ?』
『また封印!?』
『ここ民間だぞ!?』
今回は分かりやすかった。
発動源が“この施設”だ。
装置の端に、小さな表示が出る。
【アーカイブ保護機能:有効】
【施設資産の情報漏洩を防止します】
保護。資産。情報漏洩。
意図がはっきりしすぎて、吐き気がした。
(守ってるのは、人じゃない)
守ってるのは“秘密”だ。
ヒカリが歯を食いしばる。
「やっぱり……」
サエキが唇を噛んだ。
「……協会が推すわけだ」
ノクスだけが静かだった。
静かに檻を見ている。
そして、低い声で言った。
「ここは危険だ。出るぞ」
その瞬間、奥の檻がカチリと音を立てた。
鍵がひとつ外れる。
中から呼吸の音がした。
スゥ――
ズゥ――
重い。湿った。
生きている音。
ミナトは一歩、後ずさった。
胃がひっくり返りそうだ。
「……やばいの出る」
扉の向こうで、何かが動いた。
配信の赤い●は点いたまま。
現実の危険は、確実に近づいていた。
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