第16話「視聴者が“正義”を振りかざす」
正義って、たぶん熱い。
熱いものは、持ち方を間違えると火傷する。
自分だけじゃない。周りも一緒に。
ミナトは朝、スマホの画面を見た瞬間、血の気が引いた。
【協会施設前で揉め事】
【職員への嫌がらせ・暴言】
【配信者ファンを名乗る集団】
【対応中】
「……え?」
文字が目に入ってくるのに、意味が遅れて追いつく。
同期ズレの影響じゃない。これはただのショックだ。
指が震えた。
手が冷たい。
胃が落ちたみたいに重い。
通知は一つじゃない。
【現場動画が拡散】
【“協会に抗議だ!”】
【“ミナトを守れ!”】
【“閉鎖派は敵!”】
守れ。抗議だ。敵。
言葉が強い。強い言葉は早い。
早すぎて、止まらない。
ミナトはスマホを落としそうになって、両手で握りしめた。
「……俺のせいだ」
声は床に落ちるみたいに小さい。
でも胸の中は大きい音で満ちている。
ドクドクじゃない。ザワザワだ。
ノクスが部屋の隅に立っていた。
無言で、存在感だけはある。
「誰かが……傷ついたのか」
低い声が落ちる。
ミナトは頷くしかなかった。
「多分……職員さん。協会の人。あと、近所の人も……」
胃が痛い。喉が乾く。
自分の言葉が刃物みたいに怖い。
そこへ、インターホンが鳴った。
ピンポーン。
今のミナトにとって、その音は“現実が来た音”だった。
現実はいつも、逃げたいタイミングで来る。
玄関を開けると、サエキが立っていた。
顔色が悪い。
でも姿勢は崩れていない。崩せない。
「……おはようございます」
「おはようございますじゃないですよね、それ」
ミナトが言うと、サエキは小さく息を吐いた。
「……現場、荒れました。止めに入りましたが……」
「俺のせいです」
ミナトは即座に言った。
言った瞬間、胸がきゅっと縮む。
自分で自分の首を絞めた気分になる。
サエキは首を振った。
「あなた“だけ”のせいではありません。ただ……火種になったのは事実です」
火種。
炎上の種。
笑える言葉じゃない。実際に燃えている。
その時、もう一人が玄関に現れた。
スーツ。腕章。
協会の人だ。
丁寧な笑顔。丁寧な声。
「おはようございます。ミナト様。安全のため、お話を」
安全のため。
その言葉が出た瞬間、ミナトの背中が冷えた。
善い言葉が檻になる気配がする。
協会職員は続ける。
「現在、施設周辺で不穏な動きが見られます。
ミナト様には、一定期間、配信活動の自粛をお願いしたく」
お願い。
でもこれはお願いじゃない。
“お願いの形をした命令”だ。
ミナトは口を開こうとして、言葉が詰まった。
詰まった瞬間、頭の中で“既読スルー・ゴースト”が増えた気がした。
返事をしないと。
でも返事をしたら、切り抜かれる。
今は何を言っても危ない。
そこに、ヒカリが滑り込んできた。
「おはよー。空気、重っ」
軽い。
軽いのに、場の温度を一段下げる軽さだ。
ヒカリは協会職員に向かって笑う。
「安全のため、って言葉、便利ですよね。
でも今それ言うと、誤解されますよ。あなたたちのほうが」
職員の眉が動いた。
笑顔が一瞬、硬くなる。
「誤解の余地はありません。現に問題が――」
「問題があるのは分かってます。
だから今は“拘束”じゃなく“鎮火”です」
鎮火。
その言葉が、ミナトの胸に落ちた。
鎮火しないと、また誰かが燃える。
ミナトは震える手でスマホを持った。
配信をつけるべきか迷う。
迷ってる時間が一番危ない。
画面にコメントが流れる。
『凸った奴は正義!』
『協会が悪い!』
『ミナトを守れ!』
『閉鎖派は敵!』
『討伐しろ!』
この空気のまま喋ったら地獄だ。
文字が速すぎる。声が追いつかない。
その時、廊下の壁に注意書きのプレートが見えた。
堅い文章。冷たい文章。
【危険行為を助長する発言は処罰対象となります】
【協会の判断に従ってください】
見た瞬間、口が勝手に動いた。
「……俺が言っても、どうせ処罰されるってこと?」
言ってしまった。
空気が「カチッ」と変わる。
誤解の碑文。
言い回しが勝手に“悪い意味”へ変換される罠。
『処罰されるって言った?』
『協会に喧嘩売ってる』
『煽ってるじゃん』
『やっぱ危険配信者』
『調子乗ってる』
「違っ……!」
否定しようとした瞬間、ヒカリがミナトの腕を掴んだ。
「止まって。今は説明しない」
呼吸が浅い。胸が熱い。
泣きそうで、腹が立つ。
でも泣いても燃えるし、怒っても燃える。
「今やるのは止めること。
短い謝罪と、お願いだけ。分かった?」
ヒカリの声は低い。
低いのに、優しいわけじゃない。
生き残るための声だ。
ミナトは唾を飲んだ。
喉が痛い。そして怖い。
謝るのが怖い。
頭を下げるのが怖い。
負けたみたいで怖い。
でも今、誰かが傷ついている。
自分の言葉の熱で。
ミナトはスマホを握りしめ、配信をオンにした。
赤い●が点く。
その●が今日は、いちばん怖い。
「……ミナトです」
声が震えた。
『きた』
『説明しろ』
『謝れ』
『協会許すな』
『凸ったの正義だろ』
コメントが速い。
速いけど、目を逸らさない。
逸らしたらまた勝手に燃える。
ミナトは、ゆっくり頭を下げた。
人生で一番、重いお辞儀だった。
「……ごめんなさい」
たったそれだけで、喉が痛い。
胃がねじれる。
プライドが擦れる音がする。
でも続ける。
「お願いです。凸しないでください」
短い言葉。
短いほど、真剣になる。
「協会の人に、文句を言いに行かないで。
施設の前で揉めないで。
人を傷つけないでください」
胸が熱くなる。
悔しさと怖さと責任が混ざっている。
ミナトは息を吸って、もう一度言った。
「俺が全部受けます。だから、お願いです。やめてください」
コメント欄の流れが少し変わった。
『……わかった』
『凸はさすがにやばい』
『ミナトの胃が死ぬ』
『正義の暴走よくない』
『落ち着こう』
全部じゃない。
でも、空気が少し戻る。
火が弱くなる。
ヒカリが小さく頷いた。
止血できた、という顔だ。
ノクスがミナトの横に立った。
いつもより静かに。
そして、珍しく長い言葉を口にする。
「正義は剣に似ている。
抜く者の心で、人も守るし、傷つけもする」
ミナトは内心で思った。
(ラスボスが人生訓言うの、強い……)
でも今は笑えない。
笑えばまた切り抜かれる。
笑った顔だけ、切り抜かれる。
「……ありがとう。ノクスさん」
ノクスは頷いた。
配信を切った瞬間、ミナトの足が少し震えた。
立っているのがやっとだった。
ヒカリが言う。
「今ので、一旦止まる。
でもまた燃やしてくるよ。組織だもん」
「……分かってる」
協会職員の“安全のため”が頭に残っている。
善い言葉の顔をした檻。
ミナトはふと考えた。
配信休止したほうがいいんじゃないか。
俺が黙れば、誰も傷つかないんじゃないか。
その考えが頭をよぎった瞬間、背中が軽くなる気がした。
逃げ道が見えた気がした。
でも同時に、別の冷たさが来た。
サエキが小さく言った。
「……あなたが黙ると、協会の言葉だけが残ります」
その一言が、背中を冷やした。
冷やして、立たせた。
黙ったら終わる。
黙ったら向こうの“正しさ”だけが残る。
ミナトは拳を握った。
胃が痛い。怖い。
でも逃げない。
「……じゃあ」
息を吸う。喉の奥が痛い。
「謝罪配信をします。逃げずに」
ヒカリが頷いた。
サエキも、ほんの少しだけ目を動かした。
ノクスが静かに言う。
「謝罪とは敗北ではない」
ミナトは苦く笑った。
「今日のその言葉、刺さります」
正義は熱い。
熱いものは、火傷する。
だから配信者は、火を扱う責任を持つ。
ミナトはその責任を、ようやく自分の手で握った気がした。
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