第15話「ヒカリ、炎上を制御する」
通知音が、怖い音になった。
ピロン。
ピロン。
ピロン。
スマホが鳴るたび、ミナトの胃も一緒に縮む。
鳴るというより、握り潰される感じだ。
朝。目覚ましより先に、画面が光った。
【あなたの発言が話題になっています】
【急上昇:切り抜き動画】
【トレンド:ラスボス擁護】
【警告:危険行為の拡散】
「……いや、どれも怖いんだけど」
声がかすれている。
寝起きのせいじゃない。昨日からずっと喉が乾いてる。
スクロールするたび、短い言葉が刺さる。
『ラスボスを美化するな』
『危険を拡散するな』
『協会の言う通り閉鎖しろ』
『こいつら煽動者だろ』
『ノクスは討伐対象』
短いのに重い。
刺さる言葉ほど、切れ味がいい。
ミナトはスマホを伏せた。
伏せても刺さったままだ。
目を閉じても残る。脳内に焼き付いた字幕みたいに消えない。
また鳴る。
ピロン。
たかが通知音が、警報みたいに聞こえる。
胃が「やめて」と言ってる。
「……飯、食えるかな」
小さく呟いたとき、机の下の影が揺れた。
いや、揺れた気がした。
顔を上げる。
部屋の角に、白い光が浮いていた。
スマホの既読マークみたいな薄い光。
小さなチェックが、ふわふわ漂っている。
それが増える。
一つ。
二つ。
三つ。
空気が重くなる。肩が沈む。
視線を合わせたくないのに、勝手に見てしまう。
そして見た瞬間、心が落ちる。
「……なにこれ」
既読スルー・ゴースト。
返信できないDMが、形になって追ってきている。
幻覚だとしても、最悪にリアルだ。
白いチェックが、ゆっくり近づく。
“返せ”と言っている気がする。
ミナトは椅子を引いて立ち上がった。
「ごめん、今は無理。無理だから……来ないで」
言っても来る。
通知は止まらない。DMも止まらない。
『返事ください』
『見てますよね?』
『なんで既読つけた?』
『都合悪いと逃げるの?』
『説明しろ』
文字が頭の中で勝手に再生される。
息が浅くなる。胸の奥が熱くなる。
熱いのに寒い。
その時、玄関が開いた。
「おはよ。生きてる?」
明るい声。ヒカリだ。
ミナトは振り返って、苦い笑いをした。
「生きてるけど、胃が死んでる」
「いつもじゃん」
「今日はレベルが違う」
ヒカリはスマホを見て、即座に察した顔になった。
察して、ため息を吐いて、笑う。
「うわ、燃えてるね。朝から火力MAX」
「見ないほうがいい?」
「見る。だけど、触らない」
ヒカリは机に腰掛け、画面を高速でスクロールした。
速すぎて、目が追いつかない。
ヒカリの脳だけ回線が太い。
ミナトは壁に背中を預けた。
背中が冷たい。壁が体温を奪っていく。
「……なぁ、これさ」
ミナトは震える声で言う。
「俺、何か間違えた?」
ヒカリは少し黙った。
沈黙が怖い。
でも、すぐに言った。
「間違えたんじゃなくて、“切り抜かれた”」
「切り抜き……」
「うん。文脈を取られて、言葉だけ歩いてる。今はそれが一番燃える」
ヒカリはスマホを見せた。
【切り抜き】
『我は守るために在る』
『討伐は不要』
『協会が触ってる』
文字だけが並んでいる。
前後がない。
説明がない。
だから意味が変わる。
ミナトの胃が、さらに縮んだ。
「……最後のやつ、俺言ってない」
「でも“言ったように見える”形で繋げてる。編集でね」
その瞬間、空気が濁った。
遠吠えみたいな声がする。
外じゃない。スマホの向こう、SNSの海の奥だ。
ワン。
ワン。
ワン。
同じ言葉が、吠え声みたいに繰り返される。
『危険を拡散するな』
『ラスボス擁護』
『煽動者』
『閉鎖しろ』
『討伐しろ』
声が声を呼ぶ。
言葉が言葉を増やす。
切り抜きウルフ。
しかも今日は一匹じゃない。群れだ。
吠え声が重なって、音が“塊”になる。
塊がこちらに転がってくる。逃げ場がない。
ミナトは耳を塞ぎたくなった。
でも塞いだら、画面の文字が刺さる。
塞ぐ場所がない。
「……どうすればいい」
ミナトが絞り出すと、ヒカリは即答した。
「温度を下げる」
「温度?」
「今、正論で殴ると燃える。分かる?」
ヒカリの目は笑ってない。
声だけが落ち着いている。
「正しいこと言えば言うほど、“言い方”で燃える。
だから今やるのは、説明じゃなくて整理」
「整理……」
悔しい。
言い返したい。違うって叫びたい。
でもヒカリの言う通りだ。
叫んだら切り抜かれる。叫んだ瞬間が餌になる。
ミナトは拳を握った。
爪が手のひらに食い込んで痛い。
痛いほうが、今はマシだ。
「じゃあ、整理って何をするの」
ヒカリは指を立てた。
「分類。三つ」
一本目。
「①反応しないもの」
二本目。
「②謝るもの」
三本目。
「③証拠を出すもの」
ミナトは瞬きする。
「……謝るの?」
「謝るのは“事実のミス”だけ。気持ちに謝らない。
例えば、言い方が悪かったとか、誤解を生んだとか。
でも“お前らが悪い”は言わない。燃料になる」
冷静すぎて怖い。
でも冷静じゃないと、今は死ぬ。
ヒカリは続けた。
「反応しないのは、煽り。釣り。人格攻撃。
謝るのは、配慮不足。誤解を生んだ点。
証拠を出すのは、切り抜きの文脈」
ミナトは頷いた。
頷きながら胃が痛い。
痛いけど、頭は動く。
「……これが、配信者の技術?」
「うん。炎上は、火じゃなくて熱。
熱は、空気で広がる。
だから空気を切る」
その言葉が、今は救いだった。
部屋の奥から、低い声が落ちた。
「ならば敵を討てば良いのか」
ノクスだ。
いつの間にいたのか、部屋の隅で腕を組んでいる。
真剣な顔。善意。
でも方向が物騒。
「討たない! ネットは討つと増える!」
ミナトは反射で叫んでしまった。
叫んだ瞬間、ヒカリがミナトの口元を手で軽く押さえる。
「声、でかい。切り抜かれるよ」
ミナトは口を閉じた。
胃がまた縮む。
もう自分の声すら信用できない。
ヒカリはノクスに向かって言った。
「敵を倒すより、吠えさせない。
吠えたとしても、響かないようにする。
そういう戦い」
ノクスは眉を寄せた。
「卑怯ではないのか」
「卑怯じゃない。安全管理」
ヒカリの言い切りが強い。
ノクスは少し考えて頷いた。
「……理解した。ならば守る」
その言葉が今日は、ありがたかった。
ヒカリはスマホを操作しながらミナトに言う。
「切り抜きに勝つ小技、やるよ」
「小技……?」
「フル尺への導線、固定コメント、タイムスタンプ。
“見れば分かる”を見に行ける形にする」
ミナトは目を丸くした。
「それで、変わる?」
「変わる。全部は無理。
でも“まともな人が戻れる道”は作れる」
ミナトは息を吸った。
胸の奥の熱が少しだけ下がった気がした。
コメント欄でも動きが出る。
視聴者が協力し始める。
『タイムスタンプ貼った!』
『フル尺ここ!』
『この部分、切り抜きと違う』
『落ち着こう』
『ミナト、胃守れ』
吠え声が少しだけ薄くなる。
群れが一瞬、迷う。
ミナトは肩の力がほんの少し抜けた。
「……すげぇ。これ、効いてる」
「効いてるよ。燃やしたい奴には効かないけどね」
ヒカリが目を細めた。
その目が、嫌な方向を見ている。
「……効かない奴?」
「いる。中核がいる」
ヒカリは画面を見せる。
同じ文言。
同じ言い回し。
同じ導線。
テンプレみたいに揃っている。
台本みたいに揃っている。
『危険を拡散するな』
『子どもが真似したらどうする』
『協会に通報しました』
『閉鎖が妥当』
投稿の時間も、ほぼ同じ。
アカウントの作りも似ている。
ヒカリが言った。
「これ、個人じゃない」
ミナトの胃が冷たくなった。
個人じゃない。
つまり――
そこへサエキから連絡が来た。
珍しく電話じゃなくメッセージ。
短い文字ほど怖い。
【今、話せますか】
【小声で】
ミナトは咄嗟にドアを閉めた。
意味はないかもしれない。
でも何かしないと落ち着かない。
通話を繋ぐと、サエキの声は本当に小さかった。
『……協会の広報が、似た文章を……使っています』
ミナトは息を止めた。
「……似た文章?」
『部署内の資料で、です。言い回しが……そのまま……』
喉の奥が痛くなる。
冷たい汗が出る。
脳が一気に覚醒する。
ミナトはヒカリを見た。
ヒカリは静かに頷いた。
ミナトは声を絞る。
「……やっぱり、“組織”だ」
切り抜きウルフは、群れで吠える。
群れが吠えるとき、そこには餌がある。
餌を撒く誰かがいる。
ミナトの胃が鳴った。
今日の鳴り方は、最悪に低い。
でも、逃げるわけにはいかなかった。
逃げたら、文字が勝つ。
ミナトはスマホを握りしめた。
握りしめた手が、少し震えていた。
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