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第14話「ノクスの弱点は“システム”」

 違和感は、音より先に来る。


 ミナトはダンジョン入口で機材を点検しながら、ノクスを横目で見ていた。

 いつもの立ち方。いつもの静けさ。

 なのに今日は、ほんの少しだけ引っかかる。


 ノクスの指が、動きかけて止まった。


 あの人は普段、迷わない。

 迷うくらいなら黙って進む。

 黙って進んだ先で、全部片付ける。


 なのに。


「……どうしました?」


 ミナトが聞くと、ノクスは手を握り直した。

 握り直す、という動き自体が珍しい。


「引っかかる」


「え」


「できぬ、ではない。引っかかる」


 短い言葉。

 短いほど、嫌な予感が強い。


 サエキが測定器を見て眉を寄せた。


「……数値が、微妙に揺れています」


「また?」


 ミナトの胃が、きゅっと鳴った。

 ダンジョンの“また”は、だいたい良くない。


 ミナトは配信を開始する。

 限定許可は取った。監視も強化された。

 やるなら堂々とやるしかない。


「はいどうも、ミナトです。今日はちょっと検証回です。最近、変な感じがするので。安全第一で行きます」


『検証回!』

『胃痛枠きた』

『ノクスさん大丈夫?』

『サエキさんもいる?』

『今日も合法?』


「合法です。合法の範囲で生き残ります」


 自分で言って、嫌になった。

 合法って単語、最近口癖になってる。

 ほんと、嫌だ。


 ゲートをくぐると空気が変わる。

 ひんやりした湿気。石の匂い。

 ここまではいつも通り。


 でも次の一歩で、世界が“変な歩き方”をした。


 景色が、カクッ、と揺れる。


「……ん?」


 ミナトは足を止めた。

 錯覚じゃない。

 目の前の通路が、ほんの一瞬ズレた気がした。


 もう一歩。


 カクッ。


 背景が遅れてついてくる。

 スマホの動画みたいに、フレームが落ちる。


『え、ラグい?』

『画面カクカクしてる』

『回線?』

『落ちる?』

『ミナト固まった?』


「待って待って、俺じゃない! 俺は動いてる!」


 ミナトは慌ててスマホを確認した。

 回線は安定している。

 映像も落ちていない。


 じゃあ、何だ。


 顔を上げる。


 通路の先の松明の火が、少し遅れて揺れている。

 炎だけじゃない。壁の影も遅れて動く。


 空間そのものが、ラグい。


「……回線じゃない。場所だ」


 ミナトが言うと、サエキが息を呑む。


「……ここ、同期が……ずれている?」


「同期?」


 ミナトは言葉を繰り返した。


 同期。

 ゲームならサーバーと端末。

 配信なら映像と音。

 現実なら――体と世界。


 嫌な単語だ。


 ノクスが前に出ようとして、また止まった。

 普段なら影が揺れる。空気が重くなる。

 あの“演出”が来るはずなのに、来ない。


 ノクスは自分の手を見つめた。


「……ここは、遅い」


「遅い?」


「我の動きが……引き戻される」


 引き戻される。

 その表現が妙にリアルで、ミナトの背中に汗が出た。


 ミナトは恐る恐る足を踏み出す。

 反応が遅れる感覚は、自分の体の中にもある。


 歩く。

 見える。

 でも届くのが遅い。


 手を伸ばして壁に触れる。

 触れたはずなのに、触れた感覚が遅れて来る。


「うわ……気持ち悪……」


『酔うやつだ』

『FPSでラグいときのやつ』

『現実がラグいの怖い』

『ミナト顔青いw』


 笑いがある。

 でも笑っていいやつじゃない。


 その時、床の石が微かに沈んだ。


 罠だ。


 小さな罠。

 普段なら避けられるやつ。


 ミナトは反射で足を引こうとした。

 でも引くのが遅い。


「っ……!」


 足首が石の縁に引っかかった。

 バランスが崩れる。

 世界がカクッ、と落ちる。


 遅れて、恐怖が来た。


 心臓が遅れて跳ねる。

 汗が遅れて出る。

 息が遅れて詰まる。


 ミナトは転びそうになって必死に壁に手をついた。


「危な……っ」


 背中に冷たいものが流れた。

 自分の反応が信用できない。

 それが一番怖い。


 サエキが叫ぶ。


「ミナトさん、動かないで! 無理に動くと……!」


「無理に動くと何!?」


「余計にズレます!」


 余計にズレる。

 世界と自分が、もっと合わなくなる。


 ミナトは歯を食いしばった。

 喉が乾く。胃が重い。

 嫌な緊張が、全身に広がる。


 ノクスがミナトの前に立った。

 いつもの圧がない。

 でも守る位置にいる。


「……動くな。今は、待て」


 低い声。

 低いのに、普段より頼りなく聞こえる。


 ミナトは反射で言ってしまった。


「ノクスさん、いつものやつ……できない?」


 ノクスは少し黙った。

 黙る時間が長い。

 空間のラグと同じくらい重い。


「……我の力は、“我のもの”ではない」


 ミナトは目を見開く。


「え?」


コアの割り当てだ」


「コア……割り当て?」


 頭が混乱する。

 混乱するのに、妙に現代の単語が浮かぶ。


「え、権限アカウント……? ロール……?」


『権限アカウントw』

『ラスボスがシステム管理されてるの草』

『こわいんだが』

『コアって何』

『サエキさん顔やばい』


 笑ってるコメントがある。

 でも笑いきれてない。

 みんな分かってる。これ、ヤバいやつだ。


 ノクスは続けた。


「我は……役割だ。守る者として割り当てられている。

 その役割に応じて、力が与えられる」


「役割……」


 ミナトは喉を鳴らした。

 役割。ロール。

 つまり――


「それ、変えられたら……?」


 ノクスの目が細くなった。


「形が変わる。奪われることもある」


 ゾッとする。


 ノクスが弱いわけじゃない。

 肉体が弱いわけでもない。

 “役割”をいじられたら、強さの意味が変わる。


 最悪だ。


 サエキの測定器がピッ、ピッ、と嫌な音を鳴らした。

 画面の数値が跳ねる。

 安定しない。落ち着かない。ずっと異常。


「……こんな値、見たことありません……」


 サエキの声が震えている。

 震えているのに逃げない。

 それが逆に怖い。


 壁の紋様が、ぼんやり光った。


 ただの装飾じゃない。

 見た目が“画面”っぽい。

 監視の表示みたいに、線が走る。


 ミナトは思わず息を止めた。


「……え、これ、UI……?」


 紋様が点滅する。

 見られているみたいに。


 ノクスが低く言った。


「外から触られている」


 ミナトの胃が、きゅっと縮んだ。

 外から。触る。

 そんなことができるのは――


「協会が……?」


 言いかけて、飲み込んだ。

 ここで言ったら終わる。

 証拠がない。

 言葉は切り抜かれる。


 でも心の中では、答えが出てしまっている。


 ノクスは目を閉じた。

 怒りでもない。悔しさでもない。


 諦めの手前の静けさ。


「我が強いのは……割り当てがあったからだ。

 我が弱いのは……割り当てがあるからだ」


 ミナトは唇を噛んだ。


 強さが自由じゃない。

 強さがシステムに管理されている。


 それは檻だ。


「……じゃあさ」


 ミナトは自分でも驚くくらい真剣な声で言った。


「倒すとかじゃなくて……書き換えるしかないってこと?」


『書き換え…?』

『ロール変更?』

『更新するの?』

『主人公、急に賢い』

『胃がんばれ』


 賢いんじゃない。

 追い詰められたら考えるしかない。


 喉の奥が痛い。

 言葉を出すたび、責任が増える気がする。


「ノクスさんを“討伐対象”にするんじゃなくて……

 守る役割を、守るままに……でも縛られない形に変える」


 言ってることは分かる。

 でもやり方が分からない。


 分からないことが怖い。

 胃が重い。


 サエキが小さく言った。


「……もし、コアのログが見られれば……」


 言いかけて、口を止めた。

 まただ。

 言えない。言ってはいけない。


 ミナトは見ないふりをしなかった。

 でも無理に聞きもしなかった。


 今は命が優先だ。


「とりあえず、この空間から出よう。ここ、体が信用できない」


 ノクスが頷く。

 頷き方が、少し遅れた気がした。


 それが怖い。


 ミナトは一歩ずつ床の線を見て歩いた。

 急がない。派手に動かない。

 同期ズレの間は、派手に動いたら負ける。


 ゆっくり。

 ゆっくり。

 現実に合わせるみたいに。


『ミナト慎重でえらい』

『ラグ空間こわ』

『ノクスさんマジで弱ってる?』

『帰ろう帰ろう』


 通路を抜けかけたとき。


 画面が一瞬だけ暗転した。

 スマホがチカッ、と光る。


「え?」


 次の瞬間、映像の端に“変なもの”が混じった。


 文字。

 細い文字。

 見たことない表示。


 ログみたいな、流れる文字。


【CORE LOG : sync drift】

【ROLE : guardian / restricted】

【ACCESS : external】

【…】


「……今の、何」


 ミナトの声が震えた。


『今の見えた!?』

『ログ出た!』

『スクショした!』

『コアログって書いてた』

『消えた!』


 すぐに消えた。

 でも確かに見えた。

 確かに混じった。


 ミナトの背中が冷えた。

 怖い。

 でも同時に、心の奥が熱くなった。


 証拠になるかもしれない。

 真相に近づけるかもしれない。


 ミナトは喉を鳴らした。


「……今の、ログ?」


 ノクスがゆっくり頷いた。


「核の声だ」


 核の声。

 システムの声。

 外から触られている証拠。


 ミナトはスマホを握りしめた。

 指が冷たい。胃が重い。

 それでも目は開いている。


 倒すんじゃない。

 更新する。


 その言葉が、まだ芽のまま胸の奥で揺れていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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