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第13話「合法の壁、めんどくさい」

 合法。


 この二文字が、こんなに重いと思ってなかった。


 ミナトは机に突っ伏したまま、キーボードに額を当てた。

 カタカタと打つ音はしていない。してないのに疲れている。

 画面の中には、終わりの見えない申請フォームの海が広がっている。


【資源採取申請書】

【利用目的の詳細】

【安全対策】

【収益化の有無】

【収益の内訳】

【協会規約 第〇条に基づく確認事項】

【同意チェック:はい/はい/はい】


「……はいしかないんかい」


 声が乾いていた。

 目も乾く。肩が凝る。

 指先まで冷えてくる。胃も重い。


 ダンジョンより疲れるって、どういうことだ。


 ミナトは笑いながら、ため息を吐いた。

 笑ってるのに苦しい。

 こういうのが一番イヤだ。


 背後から、低い声が落ちた。


「それは戦いか」


 ノクスだ。

 部屋の隅に立っている。

 相変わらず圧があるのに、今日に限って“生活感”が混じっていて余計に困る。


「戦い。しかもボス戦。ラスボスより硬い」


「我より硬いのか」


「硬い。殴っても減らない」


 ミナトは画面を指さした。


「見てこれ。“安全対策の詳細”を三百文字以上で書けって。三百文字も安全にできること、そんなにないよ。俺、歩くって書いていい?」


 ノクスが真顔で頷く。


「歩くのは重要だ」


「重要だけど、重要すぎて逆に疑われる」


 胃が鳴った。

 昼飯の音じゃない。制度に殴られた音だ。


 そこへスマホが震える。協会からの通知。


【申請書類の不備があります】

【提出期限:本日中】

【期限を過ぎた場合、利用停止の可能性があります】


「……本日中!? こっちは今、人生を入力してんだが!」


 ミナトは椅子を蹴りそうになって踏みとどまった。

 椅子を蹴っても申請は進まない。むしろ椅子が壊れて出費が増える。

 合法は金がかかる。


 ミナトは深呼吸して、画面の“次へ”を押した。

 次へ。次へ。次へ。

 進んでるのに、進んでない気がする。


 玄関が開く音。サエキが入ってきた。

 今日もきっちりした制服。

 きっちりした表情。

 でも目がちょっと死んでいる。


「……お疲れさまです」


「サエキさんも? 目が死んでるけど」


「窓口の空気は……人を削ります」


「分かる。机の前だけで削れてる」


 サエキは資料の束を持っていた。紙の束。

 見ただけで肩が凝る。


「オンラインだけじゃないんですか?」


「紙も必要です。原本が必要な箇所が……」


「原本って何……この時代に……」


 ミナトは笑った。

 笑うしかない。涙は出ない。胃液は出そう。


 協会の窓口は、ダンジョンの外にある迷宮だった。


 白い壁。整った椅子。案内板。受付番号。

 すべてが正しい顔をしている。

 その正しさが、心を押す。


 ミナトが番号札を握りしめると、指が冷えた。

 冷えるのは緊張。冷えるのは嫌な予感。

 でも顔には出せない。出したら負ける。


「次の方、こちらへどうぞ」


 受付の女性は笑顔だった。

 笑顔が整いすぎていて、逆に怖い。


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


「ダンジョン資源の利用申請です。採取した素材を、料理配信で使いたくて……」


「承知しました。安全のため、手順のため、まずこちらをご確認ください」


 “安全のため”“手順のため”。


 その言葉が出るたびに、空気が重くなる気がした。

 目に見えない石が肩に積まれていく。


 ルール厨ゴーレムが、ここにいる。

 目の前の人じゃない。空気そのものがそうだ。


 受付は紙を一枚差し出した。

 紙の見た目は普通。

 でも内容が普通じゃない。


【規約説明(全五十ページ)】

【同意の確認】

【禁止事項】

【違反時の措置】

【例外条件】


「……五十ページ?」


 ミナトが声を漏らすと、受付は丁寧に頷いた。


「安全のためです」


 正しい。

 正しいけど、正しさが人を殴る。


 受付の言葉は淡々と続いた。

 一文が長い。言い回しが硬い。

 耳に入るのに、意味が入ってこない。


「なお、当該資源の利用においては、協会が定める認定事業者を通じた手続きを推奨しており――」


 推奨。

 また推奨。


 ミナトの胃がじわじわ痛む。

 怒りじゃない。嫌悪だ。

 嫌悪って声にならない。だから余計に溜まる。


 その時、掲示板が目に入った。

 協会の“公式認定企業”の一覧。

 ロゴが並んでいる。


 ミナトは、見覚えのあるロゴを見つけた。

 あの“好条件すぎる案件”に付いていたやつ。


「……え?」


 声が小さく漏れる。

 隣のサエキも気づいたのか、目が一瞬揺れた。


 受付は続ける。


「認定事業者を利用することで、申請の簡略化が可能となります」


 簡略化。

 今の地獄を、彼らはショートカットできる。


 同じ行為なのに。

 同じ素材なのに。

 同じ危険なのに。


 “協会のお気に入り”は許される。


 ミナトの胃が、静かに冷たくなった。

 熱い怒りじゃない。

 冷たい嫌な気持ちだ。


 口を挟みたくなる。

 突っ込みたくなる。

 でもここで突っ込んだら絶対不利になる。


 規約読み上げ扉は、途中で口を挟むと床が沈む。

 社会の床も同じだ。


 ミナトは、耐えた。

 耐えた自分に、ちょっとだけ驚いた。


 成長って、胃を痛めて手に入れるものなんだな。


 ノクスが静かに口を開いた。


「ならば規則は、誰のためにある?」


 低い声。鋭い言葉。

 余計な飾りがないから刺さる。


 受付の手が止まった。

 隣の職員も固まった。

 空気が一瞬、真っ白になる。


 ミナトは内心で拍手した。

 拍手したいけど、手を叩いたら終わるので心の中だけで叩く。


 受付は数秒かけて笑顔を戻した。


「……皆さまの安全のためです」


 それしか言えない。

 それしか言えない時点で、答えになってない。


 ノクスは続けようとした。

 でもミナトが袖を引いた。


「ノクスさん、今の最高。でもここでやると負ける。帰ってから作戦会議しよう」


「作戦会議」


「比喩です」


「理解した」


 理解が早いのも困る。


 受付は咳払いをして説明を再開した。

 延々。延々。延々。


 ミナトの目が乾く。肩が凝る。

 でも今回は耐えた。


 途中で口を挟まない。

 途中で顔に出さない。

 その耐久が、現代の攻略だ。


 ようやく説明が終わった頃。

 外のベンチにヒカリがいた。スマホ片手に笑っている。


「おつ。顔、死んでる」


「死んでない。合法に殺されかけてるだけ」


「ほぼ死んでるじゃん」


 ヒカリは肩をすくめる。


「抜け道あるよ。合法って壁じゃなくて道だから。作れる」


「作れる?」


「公開配信の透明性を条件に、限定許可を取りに行く。世論を盾に合法を作る。協会は密室が嫌い。表でやれば、向こうも手を出しにくい」


 ミナトは口を開けた。

 発想が強い。

 合法を“守るもの”じゃなく“作るもの”として扱っている。


「……それ、やっていいの?」


「やっていい形にする。これが大人の戦い」


 大人、怖い。


 少し離れた場所で、サエキが拳を握っていた。

 何か言いたそうで、言わない顔。


 ミナトが近づくと、サエキは小声で言った。


「……本当は」


「うん」


「……いえ、すみません。今は言えません」


 言えない。

 その言い方が、組織の怖さをそのまま持っている。


 ミナトは無理に聞かなかった。

 仲間になってほしい。でも無理はさせたくない。


「大丈夫。言わなくていい。助けてくれてる時点で十分」


 サエキの目が一瞬だけ揺れた。

 救われた顔。

 でもすぐに職員の顔に戻る。


 ヒカリの作戦は効いた。

 協会は渋い顔をしながらも、“限定許可”という形で妥協した。


 ただし条件が刺さる。


【監視強化】

【配信内容の事前申告】

【収益の一部徴収】

【協会指定の認定事業者との連携推奨】


「……徴収って言った?」


 ミナトの声が乾いた。


 ヒカリが笑う。


「言った。取るよ。取れるところから取る。それが制度」


 ミナトは紙を見ながら悩んだ。

 飲むしかないのか。

 飲んだら、どこまで飲まされる。


 でも飲まなければ配信が止まる。

 配信が止まったら、また“密室”になる。

 それは嫌だ。


 ミナトは震える手でサインした。


 胃が痛んだ。

 でも同時に、少しだけ肩の荷が降りた。


「……合法って、勝っても痛いんだな」


 ノクスが静かに言う。


「勝利とは、代償を伴う」


「今それ言うと格言っぽくて腹立つ」


「そうか」


 そして帰り道。


 スマホに新しい通知が来た。


【通知:当該申請に不備が確認されました】

【不備が解消されるまで、特定権限の行使が制限されます】

【対象:同行者(危険存在)】


 ミナトの足が止まった。


「……え?」


 ノクスを見上げる。

 ノクスは普段通り立っている。

 でも何かが違う。


 空気の重さが、少し薄い。

 圧が、ちょっとだけ弱い。


 ミナトの背中が冷えた。


「……ノクス、なんか弱くなってない?」


 ノクスは眉をひそめた。


「制限、か」


 短い。

 短いほど嫌な予感がする。


 ミナトはスマホの画面を握りしめた。


 敵は刃じゃ切れない。

 敵は、紙で殴ってくる。


 合法の壁、めんどくさい。


 でも“めんどくさい”で済ませたら負ける。


 ミナトの胃が鳴った。

 今日の鳴り方は、いつもより低かった。

 嫌な低さだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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