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インドア聖女は早くおうちに帰りたい  作者: 和原茉白


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第88話 ゆめうつつ


 ライリー・ティレルが目を開けると、真っ白な天井が広がっていた。

 ぼんやりと目だけを左右に動かすと、深緑の目と、紅色の目と、薔薇色の目が、何かを言いながらこちらを覗き込んでいた。

 その薔薇色から、次々と雫がこぼれ落ちていて、それがきれいだなと思いながら目を閉じると、すうっと意識が闇に沈んだ。






 次に目を開けた時、同じく真っ白な天井がまず目に入った。


「ライリー……!」

「ライ兄、わかる?」


 薔薇色の目からぼろぼろと涙をこぼしながら、姉が笑っている。

 その隣では、鮮やかな紅色の目を潤ませながら、弟が笑っていた。

 何かを言おうと思って、唇も喉も動かないことに気が付いた。

 ただ呼吸をすることしかできない。いったい何が。

 その思いもどんどん外殻を失っていく。

 姉が、ハンカチのようなものを唇に当てて、そこからしずかに水がしみ出てきた。

 ひくりと舌が動いて、その水が喉の奥に落ちていく。


 甘いなあ。うまいなあ。


 ぼんやりそう思っていると、兄の声がした。いつも穏やかなその声が、少しだけ震えていた。


「ライリー、もう大丈夫だから、ゆっくりおやすみ」


 そうか、大丈夫なのか。

 兄が大丈夫というなら、そうなのだろう。

 ライリーは安心して、ゆったりと目を閉じた。






 その次に目を開けると、ロゼリアがいた。

 こちらを見て、目が合うなり、目を真ん丸にして、ライ兄様、と叫んだ。

 そしてその大きな緑の目からぼろぼろと涙をこぼしながら、ライにいさま、ライにいさまと呼んでいる。

 幼いころを思い出す、いとけない響きに、泣くな、と頭を撫でようとして、手が動かないことに気が付いた。


 どうしたんだろう。


 のったりとまばたきをしていると、ロゼリアの反対側から女性の声がした。

 柔らかな、高くもなく低くもない、風のような声。


「ロゼ、大丈夫。少し離れてくれる?」


 ロゼリアが離れて、その時に手から何かが離れる感触がして、その時にライリーはやっと、自分の手がどこにあるのかを認識した。

 いったいなにが。

 混乱しかかった時、その風の声で、「リカバリー」と呟くのが聞こえた。


 ふわりと、体が軽くなる。

 ぱちりとまばたきをすると、意識が一層クリアになった。

 少しだけ動ける気がしたので、一番に可愛い妹に声をかける。



「――――ろぜ、」



 無理やり動かした唇から、自分のものとは思えない、ひび割れた音がこぼれる。

 ロゼリアはとうとう、小さくしゃくりあげはじめた。



「――――なくな、ろぜ」



 先ほど思いだした手のありか。

 そこに力を込めて、ゆっくりと持ち上げ、泣いているロゼリアの涙をぬぐう。

 その手を、ロゼリアがすくい上げて自分の頬に当てた。

 手を通して、ロゼリアのあたたかい体温が伝わってくる。

 ライリーは、自分の体が冷えていることに、そこで初めて気が付いた。

 指を動かし、妹の頬を撫でる。

 それだけなのに、なぜかひどく疲れた。


「少しだけでいいから、水を飲んで」


 さっきの柔らかな声とともに、唇に何か細いものが当たる。

 そこからゆっくりと水が落ちてきた。少し甘くて、しょっぱくて、うまい。


「うまいなあ……」


 呟くと、とたんに意識が眠りへ引きずられる。

 いやだ、と思った。また起きられるのかわからないという恐れがぶわりと浮かんだからだ。


「大丈夫」


 その時、さっきの風の声がした。

 だいじょうぶ、と言っているような気がする。

 その声が続けて、気にせず眠っていいのよ、次に起きたらもっと元気になってるから、とささやいた。


 そうか、俺はまた、起きられるのか。


 深い安堵が身の内を満たした。

 兄弟たちとも、両親とも違う、やわらかい手がそっと頭を撫でてくれる。

 それが心地よくて、恐れがしゅるりと消え、今度こそライリーは眠りの海へ沈んでいった。







 目を開ける。

 真っ白な天井と、陽光が飛び込んできて、思わず目を細めた。


「ここ、は……、」


 乾いた喉から出たのは、驚くほどかすれた声。少し動かしただけなのに、唇がぴり、と裂けたのがわかった。


「いったい、なにが、…………魔獣、シャドウアラクネ、と、ヴォルカンマンティコア……」


 あの恐ろしい強さの魔獣が。

 あの深い森の中、運悪く、かち合って。

 団員たちが。

 そうだ、うちの騎士たちが!


 そこまで思って、はっと目を見開く。ライリーは無理やり体を起こした。あちこちが痛みを叫ぶ。


「あいつらが……!」


 自分を二体のもとへ通すために倒れ伏した団員たちの顔が目に浮かんで、絶望と焦燥感にもがいて、



「団長!!」



 体を、ぐっとおさえつけられた。

 反射で更にもがくが、びくりとも動かない。

 首元に熱い息が当たり、恐怖がこみ上げた。

 これは、あの時のヴォルカンマンティコア、剣を、こいつを殺さないと、シャドウアラクネが、騎士たちが、


「しっかりしろ、団長! 俺が分かるか!!」


 耳に飛び込んできた声に、混乱していた意識が途切れた。

 声に導かれるようにぱっと目を開けると、目の前に薄青があった。

 よく知っている色だ。そう、これは、


「アダ、ン……?」

「おう、俺だ。自分の名前は言えるか?」


 じぶんの、なまえ。

 何だっただろうか。

 名前、自分の、あ、そうか。


「……ライリー、ティレル」

「そうだ団長、あんたはライリー・ティレルだ」


 くしゃりと、男臭い顔が笑うように歪んで、すっと離れていった。

 押さえつけられていた体も自由を取り戻した。どうやらベッドの上だったようだ。

 痛みがひどくて、体中が重くて、動かせる気がしなかった。

 それでも何とか起き上がって、アダンと話をしなければ。

 ライリーがそう思ってもがいていると、アダンがベッドヘッドにクッションを集めて立て、そこに体をもたれかからせてくれた。

 ひとりでは起き上がることもできない痛みが全身を駆け抜けるのを、しばらくじっとこらえて、やっと痛みが落ち着いたころに、気づいた。


「……ああ、俺は、惑っていたのか」


 重傷者が意識を取り戻すとき、前後の状況を把握できず暴れることがある。俺もそうなっていたのか、とライリーは情けなく思いながら言った。

 騎士団を預かるものとして、団長として、恥じなければならないことだ。


「あんた、死にかけっつうかほぼ死んでたんだぞ。そこからの生還だ、多少の惑いは恥にもならねぇだろ」


 そんくらい飲み込め、とアダンが深いため息をついて、この石頭が、と小さく罵倒した。

 よく聞く罵倒だ、いつも言われている。やれ石頭だとか、頑固者だとか、ちっとは大人になれだとか。


「生還……?」


 ちょっとムカッとしたが、それよりも気になる単語。


「ああ。ここは、俺たち第三騎士団の根城だ。王城に帰ってきた」

「王城に。――――城に、帰ってきた?」

「そうだ。ヴォルカンマンティコアとシャドウアラクネ二体を討伐し、アトラロ城へ帰還した」


 ヴォルカンマンティコア。

 シャドウアラクネ。


 討伐。


 そうだ、とライリーは少しずつ戻ってくる記憶を、糸を手繰るように思いだし、状況を確かめはじめた。




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