第82話 第三騎士団棟裏庭にて
※喫煙描写がありますが、喫煙を推奨する意図はありません。
よろしくお願いします。
その頃、アダンは、徹夜明けの一服を楽しんでいた。
第三騎士団南棟の裏手はちょっとした木立になっていて、外からの視線が届かない。監視者がいれば自分のギフトでわかるので、アダンが休憩ポイントとしてよく使っているところだ。
ロゼリアの指示に従い、団長と五人は命の危険は脱したが未だ治療中ということにし、他の団員の治療の指揮をとっていた。その仕事がひと段落したのが夜明けすぎで、すっかり寝る時間を逃してしまったので、睡眠はもういいかとシャワーを浴びてから仕事をし、やっと少し手が空いたので煙草を吸いに来たのである。
ピペルトという覚醒効果のある薬草の葉をベースに、自分の好みで香草をブレンドして作る紙巻き煙草。手間はかかるし、知識も必要にはなるが、目覚ましや体力増強といった効果を持ち、自分の好みにブレンドした香りを纏うのが粋とされるこの煙草を、アダンは好んで巻いていた。
火をつけて深く吸い込む。
ピペルトの目の奥にしみるような冷たい香りの後に、レモンの青い香り。そのうちレモンの香りが中心になって、その奥から最後にふんわり漂うのは甘めの白ワインの芳醇な香りだ。
睡眠不足と疲れでぼやけた頭の芯が、移り変わる香りで目覚めていく。
この心地が、アダンはとても好きだった。
木に背を預けてゆっくりと力を抜き、再度吸い付く。
(………死者なし、傷病による退団者も出なさそうだ)
胸に明るい光がある。
誰も失わずに、魔獣を、それも危険度の高い魔獣を二頭も倒したのだ。シャドウアラクネとヴォルカンマンティコア、どちらもめったに出てこない恐ろしく強い魔獣で、一頭ずつでもかなり分の悪い戦いになる。それを、被害は甚大だったとはいえ、誰も死ぬことなく倒せた。目を覚ましてからの確認にはなるが、おそらく後遺症もなく騎士に復帰できるだろう。そういう治療だった、あれは。
(腕のいい治癒魔術師がいれば、俺たちはまだまだやれるってのに)
そう思って、ぎりりと吸い口をかみしめる。
(……まあそれでも、死人が出なかっただけよかった。聖女様のおかげだ)
黒髪に紫と金の目をきらめかせた少女。
雷のようにやってきて、疾風のように癒した。
もともと、聖女を召喚したという話は団長経由で聞いていた。
これで少しは魔獣の発生頻度が落ちるかと期待したりもした。他人事だったから、何の罪悪感も持たずに、早く魔獣の数が減らねえかなと思っていた。
そんな自分を殴りたい。異世界から少女を攫ってきて危険な仕事をさせようだなどと、騎士道以前に人として恥ずかしい行為なのに。
それでも、呼ばなければ魔獣は際限なく増えるという。多くの騎士が、その後は多くの民が死ぬだろう。
少女一人を犠牲にしてすむのなら、という判断も、卑怯ではあるがわからないでもなかった。
「はーーーー……っ!? ごほ、っ、げほげほ、ごはっ」
やるせなさと情けなさを、煙草の煙に紛れさせて吐こうとしたとき、ひょこりと横から飛び出てきた少女に、アダンは思い切りむせた。ギフトには何の反応もなかったのに、いや気を抜きすぎていただけか!?
肺がうまく動かずにげほげほしていると、当の本人は呆れたように「えっそんなにびっくりしたの?」と言って、半目でこちらを見ている。
咳がなかなかおさまらない。
だんだん申し訳なくなったのか、えっと、ごめんね? と小首を傾げてアダンの背中をさすってきた。小さな手のひら。
たった今思い浮かべていた、聖女様だ。
「………っこはっ、はぁ……すまん、もう大丈夫だ」
煙草の煙を肺から追い出して、アダンは新鮮な空気を肺に入れる。目ににじんだ涙を適当にぬぐって、傍らの少女を見下ろした。
「おはようございます。昨日はお疲れ様でしたー!」
ぺらりとした笑顔でそんなことを言う少女。
ちょっとイラっとした。こっちは昨日、膝をついて本音で懇願したってのに。
その後だって遠慮なく話していただろう。
「あー……おはよう、ございます」
「ふふ、昨日通りでお願いします」
「じゃあそっちも。薄っぺらいツラすんな」
「そう? ありがとう、じゃあそうさせてもらうね」
思ったよりすんなりとこちらの荒い言葉を受け入れた少女は、照れくさそうに笑っている。
ああこれは距離感がわからなかったのか、ずいぶん不器用なところもあるんだな、とアダンは内心驚いた。
これではまるで、というか、本当に、普通の少女と変わらないではないか。
「……体調はどうだ?」
「うん? まだ疲れはちょっと残ってるかな。魔力もカンペキってわけじゃないけど、まあ普通に動く分には問題ないってとこ。副団長さんは?」
「寝てねぇからな。だがまぁ問題はない」
「は? 寝てないの?」
くるんと目を丸くして、少女は流れるようにアダンに手をかざし、小さく何かをつぶやいた。
その瞬間、ふわりと手から柔らかな白い光が差し、一瞬アダンの全身を包む。
「……は?」
「どう? 疲れはとれた?」
体の奥底に淀んでいた疲れが軽くなっている。眠気はそれほど取れてはいないが、体力も回復しているような気が。
「えっとね、体力回復ポーションみたいなやつだと思ってくれたらいいよ。完全に回復してるわけじゃないけど、今日一日くらいは何とか持つんじゃないかな。今夜はしっかりご飯食べてゆっくり寝てね」
「――――はぁ………」
「なにその呆れたようなため息」
じっとり見上げてくる少女の頭を、アダンはぐっと手のひらで押し下げた。さすがに、ぽかりとやるのはダメだろうと思ったので。
「いいか、嬢ちゃん」
「嬢ちゃんってなに? 私、リノアって言うの」
「……リノア」
「はぁい」
そこじゃねえ、と反射で返そうと思ったが、リノアの顔を見てやめた。にまりと笑いをこらえている。完全にわかってやっている。
「……俺が公言するこたぁねぇが、どこで誰が見てるかわからねぇんだ。うかつに治癒関係の魔術は使うな」
「わかった。やっぱりここでは要注意の魔術なんだねぇ」
試してやがったこいつ。イラっとして、今度こそぽかりとやる。
「痛!」
「口で聞け」
「はぁい」
感じていた感謝やらなにやらが煙草の煙のように霧散して、アダンは深い深いため息をついた。ちゃんと感謝させてほしいのだが。
「あらためて、私はリノア・ミハイル。この間聖女様と一緒に呼ばれた異世界人です」
「俺はアダン・ヴァロだ。第三騎士団副団長をしている。昨日は本当に世話になった、改めて感謝させてくれ。ありがとうな」
「どういたしまして! さっきのぞいてきたから大丈夫だと思うんだけど、夕べは問題なかった?」
「ああ、治してもらったやつらはみんなぐっすり眠れてた。呻きももがきもせずに寝られてて本当によかった」
リノアはきゅっと眉をひそめた。
「なぁんか、日ごろの苦悩が透けて見えるセリフだよねぇ……」
アダンは小さく肩をすくめて、黙って煙草をふかした。清涼感のある香りが少しずつ甘くなりながら辺りに漂う。
「ねーヴァロ副団長さん、聞いてもいい?」
「アダンでいいぞ。なんだ?」
「アダンさんね。アダンさん、どうして第三騎士団には治癒魔術師がいないの?」
いきなり投げかけられた質問は、アダンの、そしてこの第三騎士団の泣き所だった。




