第42話 契約書の目的
「そうやって決まったのがこの三つなんだねぇ」
ユーゴがテーブルの端からぴらりと紙を取り上げた。
今日の謁見で、フィンレーとリノアが交渉し、その場で結ばれた魔術契約書だ。
内容に抵触すれば魔術による警戒音がなるもので、その警戒音を無視し続けると制裁が下るとされている。
貴族たちも同席していたので、内容は知られている。
『魔術契約書
一、甲は乙をこちらの世界へ呼び出した代償として、乙が死ぬまでの生活を保障する。ただし、過度な要求は両者の協議によって退けることができる。また、保障の条件に関して、双方のどちらかより変更の申し出があった際は、両者の協議によって変更及び内容を決定する。
二、乙は、甲の依頼により、こちらの世界について学ぶことを約する。教師、教材、学習に関する場所の提供などは甲の負担とする。甲はこの依頼の対価として、乙の安全を保障する。これが損なわれた場合、乙は他国への移住を行ってもよい。
三.甲は、聖女召喚、特に送還に関する研究を続けなければならない。またその結果を随時、乙へ報告しなければならない。
甲:ウェルゲア王国 国王フィンレー・アルビー・ウェルゲア
乙:異世界人 リノア・ミハイル 』
「もう少しこの国にいることを前提に契約を結んだほうがよかったんじゃないか」
「移住権か」
フィンレーは赤ワインをぐっと飲んだ。
心地よい渋みが口の中に広がる。
「移住権もだし、生活の保障についても」
「あの子の希望なんだ」
「リノアちゃんから? あの子、見かけによらず計算は得意だと思うんだけど、ずいぶんきわどい提案をしてきたね? こっちに危機感を持たせそうな内容だし、そもそも条件はつけないほうが贅沢できそうなのに」
身も蓋もないこと言うなと言いながら、フィンレーはもう一口ワインを飲み込んで口を開く。
「贅沢はしないという意思表示もあるんだろうが、どちらかというと先を見すえた牽制だと思う」
「牽制?」
「どういうこと?」
「リノアは、進んでこの国から出ようとしてるわけじゃないと思う。三つ目の送還の研究はあいつにとってはとても大事なことだろう。それを続けさせるとわざわざ契約に入れたわけだから、研究の結果を待つ気はあるんだろうさ。だから、この契約のキモは『協議』だ。つまり、リノアが何らかの形でこっちに不満を持った時、話し合いの場が必ず設けられる、ということだよ」
はっと息をのむ音が二つ。
決まったのは、つきつめれば、もしモメたら絶対に両者で話し合わなければならない、ということだ。
「そうやって協議の場を確保して、いつでもこっちにものが言える状況を整えたんだろう。もうひとつは、安全を保障しろ、さもなければ移住するぞっていう脅しを含ませることだったんじゃねぇかな。まぁ問題が起これば必ず協議してくれるってのはこっちにとってもありがたいことだからな、現時点ではいいかと思って」
「現時点では、か」
「ああ、ちなみにそれも内々だが契約した。結ぶ契約について、破棄、変更は双方の協議をもって可能とする、ってな」
「なるほど。契約についての話し合いの条項がある以上、接点は常に持てるわけだ。それなら、まぁ……」
ウェルゲア王国にとって、一番避けなければならないのは、異世界人の国外流出だ。
魔獣の鎮静が遅くなるだけではなく、大変な不名誉であり、国威を大きく損なってしまう。
それに加えて、彼女たちがこの国に好意を持っていない以上、敵の勢力にまわる可能性もあるのだ。
聖女ではないただの異世界人であったとしても、リノアが持つ膨大な魔力を見てしまったら、そう思わずにはいられない。
だから、どんな形でもウェルゲアと彼女のパイプは繋いでおかなければならない。
「それに、これは俺たちの契約であると同時に、国内の面倒くせぇ連中への牽制にもなるだろう」
「牽制か。彼女に何かしたら国外へ出られてしまう上に、国王からの処罰があると思わせたかったわけだな」
「しかもあれだけの面子を揃えて、あれだけ強烈に脅したわけだから、威信にかけて厳罰を下すよねえ」
「そういうことだ。それに、こちらの依頼で『学んでもらう』という形をとったからな。本人が決してこちらに好意をもっていないということは嫌でも伝わるだろう。ヘタに藪はつつかないほうがいいと判断するだろうよ」
「まぁよっぽどの馬鹿でない限りはな」
「そのよっぽどの馬鹿がいるのが実情だけどね」
「それは言うな、悲しくなる……」
「まあ状況を見れば、手出しせずに丸め込む方がいいという判断になるだろう。ダルクスとガズメンディは今回のことでリノアに嫌われたとわかるだろうし、俺がいよいよ貴族の整理に手を付け始めると思うだろう。そうすれば謀略が減ってリノアの身もある程度は安全になると思う。まあその下の連中まではリノアは把握していないし、こちらからも伝えていない、ということにするから、護衛は必須だが」
ん? とユーゴが首を傾げた。
「ってことは、第一王子派、第二王子派からの接触も許すのかい?」
「拒否はされんかったからな」
「ああ、教師の派遣か」
フィンレーは、庭園での交渉の時、派遣する教師はこちらに一任してもらっていいか尋ねた、とその時のことを二人に話した。
リノアは少し考えて、それはそれは楽しそうににんまりと笑って言ったのだ。
「『お任せしますが、どうぞ楽しい人をお願いしますね!』」
ぞぞぞーっとアルフィオとユーゴの背に寒気が走る。
ろくでもないことを考えていそうなセリフだ。
「選出はお前たちに任せるが、教師の派閥は気にしないでいい。あれらの派閥に突っ込まれた人事でもある程度は見逃して構わん」
「接触する機会は均等に、ということだな? たしかに、嫌われたのを察すれば、関係改善を狙って教師を志望することはありうる」
「あの子の場合はその方がいいだろう。貴族どもも安心するだろうし、何より自分で交渉ができる人間だ。彼女自身に人脈を持ってもらうのも悪くはないだろうしな。ダルクスとガズメンディ本人、それにあの場にいた取り巻きの者たちだけ弾いてくれ」
頭の痛いことに、自分の派閥だけでは、彼女の家庭教師を用意できなさそうだ。自分の至らなさをこんな時に痛烈に自覚する。人材が足りない。
それに彼女は、人脈を広げればいいこともあると知っているだろう。
「そのかわり、聖女の周囲に置く人間には注意してほしい、と言われた」
「は?」
「なんでいきなりそっちに話が飛んだの!?」
「いや、年齢の話からな」
軽い雑談の中の一幕だったのだ。
見かけにそぐわないリノアの話しっぷりに、フィンレーは不作法と知りながら、思わず言ってしまった。
「お前、そんなに若いのにこんな話ができるなんて、ずいぶん苦労してきたんだろうなあ」
「いえ、べつに?」
「嘘つけ、経験がないと考えつかんだろうこんなこと」
リノアはふん、と顎をあげた。
「言っておきますが、私、カノン様よりもずうっと長く生きてますからね?」
「は? カノン殿は十五だったろう。お前はどう見ても二十歳前後じゃないか」
「二十歳なんてとっくの昔に越えております」
信じられない気持ちでまじまじとリノアを見た。
つややかな黒髪も、ハリのある白い肌も、どう見たって二十代、下手すればカノンと同年代に見える。
リノアはその不躾なフィンレーの視線に怒るでもなくふふふと笑った。
「いえわかります、若く見えるんですよね。私たちの国は、男女問わず若くというより幼く見えると世界中で言われてましたから、そうみられることを知ってますし慣れてますので。でも、本当にカノン様より大分と年上なんですよ」
「そうなのか……え、じゃあいくつなんだ?」
「あら、女性に年を聞くなんて失礼な方ね!」
ふざけたようなリノアの甲高い声が面白くて思わず笑ってしまい、リノアも一緒になって笑った。
「――でも、カノン様は本当に十五歳のようですから、守ってあげてください。彼女に寄り添って、話を聞いてあげられるような人を傍にお願いします。私たちの国では、十五ってまだ親の元で育てられ、さまざまなことを学んでいる年頃なのです。甘言や暴言への抵抗力はまだ育っていない時期です。少ししか話せていませんが、彼女はまっとうなご両親に愛情をもって育てられてきたお嬢さんのように思えますから余計でしょう。どうか、そのことをお忘れなきよう」
笑いをおさめた静かな声に本気の心配をかぎ取って、フィンレーはわかった、と頷いたのだった。
「甘言や暴言、かぁ」
ユーゴが白ワインをグラスに手酌で満たしながらぎゅーっと額にしわをよせた。
子どもっぽいその表情は幼なじみの二人には見慣れたもので、特にコメントすることもなく会話を続ける。アルフィオはワインから水に切り替えた。
「言葉にするのは簡単だが、今の状況ではこれほど難しいこともない……」
「同世代同士、ロロやカティに任せるのはいいんだがなぁ、後ろにいるのがダルクスじゃあなぁ……」
「ロロが今、それを跳ね返せるかというとちょっとねぇ」
「うーん……カティもそういう意味ではいっぱいいっぱいというところだしなぁ」
「申し訳ない……」
「いや、しかたがないことだ。――リシェル嬢に頼むかなぁ……」
リシェル・レンデリーア。
レンデリーア公爵家の末子で、美しさと賢さで知られたローランの婚約者である。
「レンデリーア公爵は厳しいから、ロロの利になることはさせないんじゃない?」
「あんのクソオヤジ、娘可愛さに婿いびりってどうなんだ!?」
「ローランにはいい訓練になると言って黙認したのはお前だろうフィン」
「そうだけどさあ!!」
がーっと頭をかきむしった拍子に足が当たってテーブルが揺れた。
行儀が悪いぞ、とアルフィオが頬を赤く染めたまま眉を寄せ、ユーゴがけらけらと笑う。
「――何にせよ、リノアに関してはこれでしばらく様子見ができるだろう。ユーゴ、『鑑定』の分析をできるだけ早く頼む。無理を言ってすまんな」
「りょーかい。気にしないでいいよ、僕も早く知りたいしね」
「アル、教師の選定を頼んだ。それから、リノアの護衛に関しても引き続き頼む。フィルとうまく連携をとってくれ。俺のことは気にしなくていい」
「わかった」
軽く、けれどこれからの大きな方針を伝達して、フィンレーはやっと肩の荷をひとつ下ろした。
後は親友二人に任せておけば大丈夫だろう。
(ああでも、時々は会いに行こう。旨いものが食えそうだし、あいつ面白いしな。あんなに若くなけりゃ側妃に口説きたいところだがなあ)
りのに知られたらぶっ飛ばされそうなことを思いつつ、フィンレーは赤ワインを口に含んだ。




