第40話 ずっと、ずっとね……
ぷすぷすぷす。
ダルクス侯爵とガズメンディ公爵の頭頂部がほんの少し焦げている。髪の燃えた、鼻につく匂いもする。
しかし、一同はそれどころではなかった。
今目にした、魔術のまの字も知らなかった少女の生みだした業火に、言葉を失っていたからだ。
(――――すさまじいな)
焚きつけたアルフィオ自身も、まさかここまでとは、とあっけにとられていた。
横にいるユーゴだけは興奮で琥珀の目をぎらぎらさせているが、彼以外のほとんどの人間は、まずいと思っただろう。
聖女であろうがなかろうが、これだけの魔力を持つ人間を外へ逃がしてはならない。他国へ流出させるなどとんでもない、いつ自分たちを滅ぼしに来るかわからない。
ウェルゲアは強国ではあるが、魔術に長けた国や戦争で領地拡大を狙っている国が世界にはある。これだけの魔力を持つ者が魔術を身につけたとしたら、それは一種の兵器だ。戦争となったときに、その兵器がウェルゲアに牙をむくかもしれないなどという状況は、絶対に避けなければならない。
押さえつけられていた者たちが、ぶはあっと大きく息をつき、げほげほと咳込みながら呼吸を整えだす。
アルフィオとユーゴの指導で、リノアの魔力が落ち着いたのだろう。
その連中に、フィンレー王の重い声がかぶさった。
「さて、言い訳があるなら聞こうか、ダルクス、ガズメンディ」
物理的な重しが外れたところに、フィンレーの威圧が襲い掛かる。
いきなり最大値の威圧をくらえば、慣れているアルフィオやユーゴでもきついのだから、鍛錬などしてもいないだろうその辺の貴族に耐えられるはずがない。
連中は凍り付いたように目線すら動かせず、浅い呼吸だけを何とか繰り返している。
「私は何度も言ったはずだ、異世界からお招きした方がいらっしゃるだけで、この世界のバランスは保たれ魔獣も落ち着く、と。それまではできる限り自力で対処せよ、とも言った。そなたたちはその自信がないのだな? だから私の言葉を聞かず、異世界よりのお客人に一方的に頼ろうとしたのだな? 民を守る自信も誇りもないのならば、貴族位を返還して身軽になってもかまわんぞ。それとも、遠回しに私の言うことは信用せぬと、私の命には従わぬと言っておるのか?」
フィンレーの声が冷え、逆にその体の周りに赤い炎が吹きあがった。
隣でユーゴが、んー一応守っとこうか、と小さく指をはじく。すると、フィンレーの座っている椅子や床、装飾の入った柱などに薄い膜がかかった。
(防護をかけるのが人ではなく謁見の間か!)
(えーだって直すの面倒でしょ、貴族とは距離があるし、フィリベルたちは慣れてるから平気平気。ちょっと暑くなるだけだよ)
思わず小声でつっこんでしまったが、まあおおむねその通りである。
フィンレーは火風水土光の五属性持ちで、一番強いのが火魔術だ。感情に合わせて可視化された魔力が、炎の形をとって燃え盛っている。
それは、いつでも燃やせるぞ、という力での脅迫であり、名指しで呼んだ二人への強い警告でもあった。
ひぃ、と取り巻きの小さな悲鳴が聞こえた。
それも当然だろうと思う。大きな派閥の頭が王の不興をかってその地位を失うなど、派閥下の者にとっては悪夢以外のなにものでもない。自分のところも漏れなく共倒れだ。
アルフィオは、一連の芝居のような一幕を見て、これが狙いか、と目を細めた。
フィンレーは、今まで彼らの言動を咎めたり制限したりする気配を見せないようにしていた。先王の後始末に改革の大ナタを振るったため、貴族たちの警戒が強くなってしまったからだ。
貴族を軽視しすぎるのも、安定した政治のためにはよくない。そのため、多少のことは目をつぶりつつ、足元を固めていたのである。
貴族たちもそれを感じ取っていたから、時には王を無視するような形になるのも気にせず、自由にふるまっていたのだろう。
しかし、ここで潮目が変わった。
異世界人に手を出せば、いつかの粛清の時のように、国王が苛烈に動く。
それをここにいる貴族全員が実感しただろう。
「も、申し訳ありません、陛下」
「決してそのようなことはなく、その」
「ふむ、そのようなことはなく、なんだ、ダルクス」
「そ、その、民の不安を一刻も早くぬぐってやりたいと、その一心で!」
フィンレーの威圧が一段強くなった。
嘘をついていることくらいわかっている、という無言の脅しなのだろう。二人は固まったまま動かない。
「ほう、ならばすぐに領地へ戻り、魔獣退治に精をだすがいい、ダルクス。お前のこちらでの仕事は他に割り振るゆえ、心配するな」
「は……っ。すぐに、我が騎士団を、出します」
「なんだ、こんな華奢な少女を前線に行かせようとしたくせに、お前は出ないのか。せめて領地へ戻り、その顔で民を安心させてやるくらいはしろ」
「は、はっ」
つまらなさそうに言うと、フィンレーは威圧と炎を消し去った。
けれど、威圧をかけられていた者たちはぴくりとも動かない。
自分たちの言動が、ウェルゲア国王の逆鱗に触れたということにやっと気づいたのだ。
「ミハイル嬢、重ね重ねの無礼、心から謝罪する。そなたが我らを信用できないとするのも当然であろうよ、このざまではな」
玉座の上からとはいえ、頭を下げたフィンレー王を、じいっと見つめて、リノアは口を開いた。
「陛下。先ほども申し上げましたように、私はこの国のほとんどを信用しておりません。今までもそう思っておりましたが、そこのお二人のように、私を道具扱いして、魔獣の前に押し出すような方が貴族としていらっしゃるとは。まさかそこまでとは思ってもみませんでした」
声とまなざしに、強い嫌悪と軽蔑がにじむ。
「陛下、そこのお二人とのおつきあいは遠慮させていただきたく思います」
ひっ、と、二人が息を飲んだ。
特にガズメンディ公爵の方は顔が青くなっている。
「……仕方あるまいな。そう思われて当然のことを抜かしおったのだから。よかろう、この二人には、そなたへの接触禁止を申し渡す」
「陛下……陛下、どうぞお許しを!」
「私は民を思いやっただけなのです……!」
冷ややかな目で告げられた処罰に、二人の大貴族が泣きを入れるさまを、アルフィオはやれやれと思いながら見ていた。
(ガズメンディはともかく、ダルクスの方は逆恨みに走りそうだな……護衛を見直そう。フィリベル卿にも頼むか)
ぐだぐだと言い訳を並べるダルクス侯爵と、ひたすらに謝り続けているガズメンディ公爵の声を聞き流しながら、これからするべきことを頭の中でまとめ、貴族のバランスについて考えて。そして、アルフィオはすっと手を上げた。
「陛下」
「どうした、宰相」
「リノア嬢とお話をさせていただけませんでしょうか」
「ふむ、よかろう」
立ち上がり、アルフィオはリノアの近くまで歩み寄った。
リノアは、薄く笑みをたたえたいつもの顔でこっちを見ている。が、何度も彼女と話し合いをしてきたアルフィオにはわかる。
あれは、面白がっているのだ。
「リノア嬢」
「なんでしょう、アルフィオ様」
許しませんよーという雰囲気を醸し出しているが、細めた目がきらきらしているのがその証拠だ。
彼女は、基本的には合理的な性格だ。無駄なことは好まないことをアルフィオは知っている。
ならば、この芝居には目的があり、きっとそれは彼女が今ほしいものだろう。
つまり、身の安全と、その保障。
それならば、少しくらいは自分も手助けできる。
「我が国の貴族が、リノア嬢を、いいえ、リノア様を失望させましたこと、深くお詫び申し上げます」
深々と頭を下げる。
リノアは驚いていないが、後ろの貴族たちからはどよめきが聞こえた。
「ダルクス、ガズメンディ含め、我々ウェルゲア王国の貴族を信用できないと言われるのもいたし方ないことと存じております」
「そうですか」
「ですが、リノア様、ひとつだけ、お願いがございます」
「何でしょう」
淡々と、しかしその奥に、かすかな笑みがにじむ声。
「どうぞ、これからの私たちをご覧くださいますようお願いいたします」
「え?」
さすがに驚いたのか、リノアが小さく声を発した。
それに構わず、アルフィオは頭を深く下げ腰を折ったまま、言葉をつなぐ。
「私たちは、自身の行いによりあなたからの信頼を失った。自業自得です。ですので、これから、私たちは、リノア様の信頼に足る貴族としてふるまってまいります。崩れた信頼を、ひとつひとつ、積み上げてまいります。どうか、その努力をすることをお許しください」
半分は本心だ。暗殺未遂を防げなかったこと、それすらも政治に利用したことで、自分が彼女に信用されていないことを知っている。信頼関係を積み上げていきたいと思う気持ちは本当だ。
もう一方で、こう言うことで、ダルクスやガズメンディにも、ほんの少しだけ許しが与えられることになる。
王から申し付けられた接近禁止、リノアからの絶縁宣言は取り消せないが、許される可能性はあると言えるので、なんとか派閥も維持できるだろうからだ。こうすれば両派閥に貸しを作れるし、政治的なバランスを考えれば、一挙にこの両派閥が崩れるのはまずい。
そして何よりこう言っておけば、計算高い貴族たちは下手な動きはしないはずだ。そうすれば、あからさまなリノアへの危害は減るだろう。
身の安全を、少しは確実にできるだろう。
受けてもらえるだろうか。
アルフィオとしてはどちらでもいい。拒否されても当然のことをしているのだから、受けてくれなくてもいい。受けてくれたならもっといい。
頭を下げ続けたまま、息を殺して、リノアの返事を待った。
「許すとはかぎりませんが。というか、とても大変なことだと思いますが。それでもよければ、眺めることはいたしましょう」
明らかな苦笑をにじませた、柔らかな声がした。
頭を上げてください、と言われて、姿勢を戻す。少しくらっとしたが、目の前でリノアがこっちをじっと見ているので、何食わぬ顔をした。
「――――皆さんを、見ておりますよ、ずっと、ずっと……」
柔らかな声がすっと冷えて、視線が自分から後ろの貴族たちへ、そしてダルクスとガズメンディへ動き、そこで固定された。
低い声が、空恐ろしい響きをもって。
「ずっと、ね…………」
謁見の間に、沈黙が広がった。
「感謝する、ミハイル嬢」
フィンレーの穏やかな、威圧のかけらもない声が響いた。いいタイミングでの声かけ。ふっと緊張していた場が緩み、空気も柔らかくなる。「いい話」で終わらせられそうだ。アルフィオも少し気を緩めた。
「私も、そなたとの信頼を紡ぎなおせるよう、誠心誠意、励むとしよう。そのためにも、これから話し合いの際は互いの意見に齟齬が出ないようにきちんと交渉をし、魔術契約を用いてそなたが安心できるようにしようと思うが、どうだろうか」
魔術契約は、破れば罰が与えられる厳しい契約だ。国王であれ、その厳しい罰から逃れることはできないと言われている。
その言葉に、リノアが答えた。
「陛下、陛下は私に心から謝意を伝え、ゲルダの蜜で暗殺されかけた私にお詫びを贈ってくださり、アルフィオ宰相様やユーゴ魔術師団長様とともにさまざまな気遣いをしてくださいました。私を道具とみなす人々を助けようとは欠片も思いませんが、陛下はそういう方ではないと思っております」
立ち上がっていたリノアは、するりともう一度椅子に腰を下ろした。
「ですので、陛下との交渉には応じます。陛下は偽りない心を差し出してくださいましたから、怒りも恨みも吞み込んで、交渉に応じましょう」
「感謝する」
フィンレー王は数段下のリノアを見下ろして。
リノアは数段上のフィンレー王を見上げて。
たがいに、にんまりとよく似た笑みを浮かべあった。




