第33話 副業:聖女
朝食が終わった後、イリットとメリルが部屋やバスルームの、レノアがキッチンの掃除に取り掛かるのを横目に、りのはロゼリアとコルティアドの庭園に散歩に出かけた。
庭園というよりは薬草畑なのだけれど、周囲を壁に覆われていて落ち着くし、木陰や水場もあるし、何より青空が地面にあるような風景が好きで、時々ここを訪れている。たいていは考え事をしたい時だ。
だから、コルティアドの庭にいるとき、ロゼリアはすっと気配を消して護衛に徹してくれる。
この日も、りのは木陰に置いてあるガーデンテーブルセットに腰を据えた。朝食と同時進行で作っていたランチもしっかり持参しているので、ゆっくり考え事をするつもりだ。
(いろいろ整理をしよう)
休みと定めた怠惰な二日間を経て、やっと頭が回り始めたりのは、手から下げた小さなカバンから紙とペンを出した。お願いして用意してもらったものだ。
その紙の一番上に、目標、と日本語で書いた。メモを見られたり紛失したりしても考えが読まれないように、である。ちなみに、ウェルゲア語も書ける。書く前にウェルゲア語で、と念じれば、手が書きたいことを自動変換してくれるのだ。とても気持ちが悪いので、早めにこちらの文法や文字を学び、気持ち悪さを解消したいところである。
(目標。今までのことをふまえて、これから、何をして生きていくか。どんな人生を送りたいか)
おかしな話だなぁ、と思う。日本にいたころは、そんなこと考えもしなかった。
大好きな美術品や工芸品に囲まれて、ささやかな日常を送ることで満たされていた。将来を不安に思いながら、それも自分の選択したことだから受け入れようと思っていた。
なんて贅沢だったんだろう、と思う。自由に生き方を選べた、選べるようにしてくれた家族や周囲の人々に感謝を叫びたい。
けれど、こちらにはそんな優しい人々はいない。りのに何かをさせよう、強制し搾取しようという魂胆の見える人々ばかりだ。
(私に利用価値があることは間違いない事実。これは認めなきゃ。でも、生き方を強制されるのは絶対ムリ。絶対イヤ)
だから、まず大事なのは。
「自分の生き方を自分で選べるようにする」
「目標」の下にそう大きく書いて、軽く頷いた。
守るもの、受ける仕事、住む場所に付き合う人々。基本的には自分で選びたい。
道具扱いされるのはまっぴらごめんだ。
義理人情を軽視するつもりはないが、それに足をとられるのは本末転倒。
(そのために必要なもの、手に入れなければならないことは何だろう)
少しスペースを開けて段を落とし、「必要なもの、こと」と書く。
まず必要なのは、この世界で生きるための後ろ盾だ。先々はともかく、安全と生活を保障してくれる人。
「異世界人」「聖女」と銘打たれている以上、ややこしいことに絡まれることは間違いない。魔法でぶっ飛ばして終わり、ってできればいいけど、そうはいかないだろう。では、どこが一番後ろ盾としていいのか。
(現状を見ると、王家の力はやっぱり大きい。でもなあ、私を平気で何かの囮にするような人らが国の中心にいるからなあ。それに加えて、王家よりも横暴なことをする貴族もいるわけで)
「後ろ盾→王家?」と書いて、ため息をついた。
落としどころを探るにも、王家が自分に何を望むかがわからないので何とも言えないところだ。他の勢力についても知らないことが多いし、そもそもダルクスとガズメンディは除外である。
それに何より、自分が聖女であることはまだ伏せているので。
(聖女ってわかれば囮にしたりはしなくなるんだろうけど、聖女って認められたらきっと自由に動けなくなるよね。うーん、異世界人としての価値を認めさせつつ、聖女ほどがっちり囲い込ませないようにする感じだと生きやすいかな?)
というか、そもそもこの世界における聖女って何なのだろう。
具体的にどんなことができて、どんなことをさせたいと思われているんだろう。
今までの聖女の扱いってどうだったんだろう。
(うん、情報不足。情報を集めて、そのうえで先方の出方次第だね)
聖女ではないと言い切ったせいで、周囲の人々がりのに聖女について話を振ってくることは皆無だった。おそらくそういう指示がでているのだろう。
ロゼリアに聞いてみても良かったが、彼女を困らせたくはないし、もう少し国の出方を見てからのほうがいいだろうとりのは考える。
求めるものと求められるものが一致すれば、それは良い取引になるだろうから、そこを目指すのがいいのではないだろうか。
そうなればこの国はビジネスパートナーだ。それ以上でも以下でもなく。
(ここが帰る場所になるのかならないのか、その判断を間違わないことが一番大切だな。ロゼリアたちとはできるだけ切り離して考えるようにしよう。どこかほかの場所に帰る家を持ってもすぐに会えるように、「テレポート」は必死こいて鍛えよう。あと、もし魔法が使えなくなった時のための代替手段も考えよう)
「後ろ盾」の下に、「テレポートを鍛える」「交通手段を考える」と書いた。
(他に必要なもの。これは間違いなく知識。っていうか、こっちの世界の常識だな)
短期間ではあったが、図書館でできる限りの知識を詰め込んだつもりではある。
だが、本で得る知識と、常識は違うということをりのは良く知っていた。
(本の知識は一部だ! 間違ってることもあるし、書かれていないことで大事なことはいっぱいある! それでどんだけ損をしたか……!!)
若かりし頃の海外での仕入れの失態や損したことが次々に思いだされて、りのはくっ、と唇を噛んだ。何年たったって悔しいは悔しいし、見事な黒歴史でもある。
実際、本で読んだこととスティラに教えてもらったことがずれていたことも、二度や三度ではない。
スティラが言うには、本になるまでに時間がかかるので、最新の知見は直接人から聞くのが早いのですよ、とのことだった。そりゃそうだ、向こうでもそうだし、と納得したりのである。
(それにそもそも、その知識の部分だって謎が多すぎる)
たとえば、時間や暦だ。
ウェルゲア王国では、六十分で一時間、二十四時間で一日、七日で一週間、四週間で一か月、十二か月で一年という単位の暦になっている。
それを見てりのが思ったのは、「何をもとにして作ったんだこれ」だった。月の移動、太陽の移動、どれをもとにしたとしても、こんなにきちんと割り切れるものだろうか。実際、日本では太陰暦でも太陽暦でも、閏年やなんやで細かい調整をとっていたはずである。しかし、研究書を見るに、こちらの天体学研究はそもそもそこまで進んでいない。なんでだ。もしかしてずれないのだろうか。惑星じゃないのだろうか。まさかの天動説とか?
(なーんか、逆転してる気がするんだよねぇ)
先に暦を作って、そこから天体に関する研究を行っている。
まるで誰かが時間や日・月・年の概念を教えて、そこから研究をしているようではないかと思った。
ちなみに、時間だけでなく、重さや距離などの単位や、十進法に関しても同じことが言える。
(もともとあった暦や時間や単位や計算方法をやめて、新しい概念を取り入れて、それについて研究を始めたんだったらこんな感じになるかもしれない。やっぱり、異世界人なのかなぁ? でも、暦とか時間とか、ズレたら不便なのでは? その辺りどうやって調整してるんだろう。閏年があるわけじゃなさそうだしなぁ)
今まで何人もの聖女を呼んでいるようだし、もし自分と同じ世界の人たちが呼ばれてその人たちから知識を得てきたのなら、このさまざまな単位の一致は理解できるし、おかしな研究の軌跡もわからないではない。
りのにとっては生活しやすいので、別に文句はないし、むしろありがたいなとは思うのだが、気にはなるのだ。
(家庭教師の先生がほしいなぁ)
その辺りもふくめて、知識を歴史から教えてくれる先生。これが難題だ。
知識があって、理屈を知っていて、なおかつこちらが何にひっかかっているのかを察してくれる人が理想なのだが。
(これは王様案件かなぁ。たぶん事情を知ってる知識人階級ってことになるだろうから、国から斡旋してもらうのが確実で早そう)
必要なもの・こととして、「家庭教師」と付け加えた。
次に、この世界、というかこの国の常識について考える。
この国、あるいはこの国の貴族に我慢ならなくなったときは、市井に紛れて生きていくことも手段の一つとしてアリだ。その時のために、常識や市井のことを知っておくのは必要だろう。
これは、案内人をつけてもらって町に降りるのがたぶん一番早い。その辺りが固まれば、市井に紛れて生きていくのもまあなんとかなるような気がする。
メモに、さらに「街の視察、街になじむための調査」と書き入れる。
(とはいえ、いろいろ足りないものが多すぎるから難しいよね……。理想は、最低限の生活の保障をしてもらって、自分で自由に仕事を選んでする感じだね。聖女のお仕事ってどんなのがあるか知らないけど、依頼人は選びたいし危険なことをやるのもまっぴら。何させられるかわかんないし。道具扱いしてくる奴らの依頼なんて蹴っ飛ばしてやる。そうやってお金をためて、自立できるようになったらまた考えればいいか)
それに、「聖女のお仕事」とりのがやりたい仕事は違う可能性が高いのだ。
(まぁ今何の仕事がしたいのかと言われるとわからないんだけどねぇ。好きな感じの美術工芸品を扱うのもいいし、そもそも日本と同じレベルの生活をしたいっていうのもあるし。そっちが本業、聖女が副業って感じがいいかもしれないな。うん、「副業:聖女」はアリだわ。それなら、仕事に関してはこの国が本拠地ってことになるのかあ……危ないかな? でもほかの国のこと、何も知らないしなあ)
うーんとうなりながら考えをまとめ、「幅広く知識と常識を学ぶ→やりたい仕事を見つける」「聖女は副業」「本拠地はどこに?」と書き添えた。
後ろ盾に関してはとりあえず保留のままだが、これからの方針が何となく見えた、というところだろうか。
現状では何も進んでいないけれど、焦って突っ走るのも良くないと、りのは経験上知っている。
いろいろな失敗を積み重ねてきたのは伊達ではない。
うん、今日はここまで。




