第31話 ごめんなさい
謁見の間での異世界人との面会から二日目の朝。
ウェルゲア王国の王都アトラロの王城は、どことなく暗い雰囲気に包まれていた。
この世界の希望として呼ばれた二人の異世界人のうち一人が帰りたいと泣き続けていて、もう一人は何の反応もなく部屋に閉じこもっているからだ。
一人は確実に聖女だと言われていて、第一王子が後見についたにもかかわらず、この世界へ好意をもってくれていないというのがことさらショックが大きかった。
瘴気の増大による、魔獣やダンジョンの活発化。
それによる世界の不安定化。
そうやってこの世界の国々が何度も興亡を繰り返してきたことは、一般の民まで広く知られている。
せっかくお呼びした聖女様に、見捨てられるのではないか。
不安が、城勤めの者たちの間に広まり始めていた。
その空気の中、ロゼリアはレノアとメイドのイリット、メリルとともに王宮の一角を歩いていた。
彼女たちが世話をしている異世界人、リノア・ミハイルのもとへ向かっている。
二日前から、世話はいらないのでしばらく放っておいてほしい、と言われたロゼリアたちは、確認のために毎朝昼夜、様子を伺いに彼女の部屋へ赴いていた。反応はまったくなかったが。
物音ひとつしない、静かな静かな部屋。
謁見の間から帰ってきてからすぐの時は、泣き声がしていたが、しばらくたつと声一つしなくなってしまった。
護衛として部屋の前に立っている騎士たちに聞くと、夜になれば明かりがついて消えるらしいので、倒れたりはしていないのだろうけれど、お茶も風呂も世話をしていない。
「リノア様、おなかすいてないかな……」
レノアがぽつりとつぶやいて、あ、ごめんなさいと頭を下げた。
下働きの少女が正式なメイドや護衛騎士に話しかけることは普通はできない。身分が大きく違うので無礼とされるからだ。しかし、リノアの希望で、レノアは見習いではあるが特別にメイド扱いをされており、さらにリノア自身がロゼリアやレノアたちと気軽に接したり食事をしたりすることを好んだので、その無礼をロゼリアが叱ることはなかった。ロゼリア自身もあまり堅苦しいことは好きではない。
ほかの人がいるところではしないこと、正式にメイドになりたいならばしっかり学ぶように、とレノアのために言い聞かせた程度だ。
「あれから二日ですものね……まだ食材も結構あったとは思いますが、ご自身でお料理されるご気分でいらっしゃるかどうか……」
日ごろはおとなしいメリルが、珍しく口を開いた。心配そうな声音。
「今日は出てきてくださるとよろしいのですが。リノア様のお食事が恋しくなってしまいますよね」
無理やりに明るい声を出したのはイリットだ。とはいえ、ロゼリアもレノアもメリルも、その言葉には全く同意である。リノアの作る食事は目新しく、その種類が豊富だった。材料はすべてこの国のもので同じはずなのに、作り方が増える、あるいは変わるだけでこんなにもおいしく楽しいのかと。
それが当たり前の国から来たリノアにとって、この国の食事はどれほど辛かっただろう。
「故郷に帰れないというのは、……どれほど辛いことなのでしょうね」
小さくつぶやいたロゼリアに、一同の顔が暗くなる。
そうさせてしまったのは、間違いなくこの世界なのだ。
リノアにあてがわれた部屋の前には、フィリベルが手配した護衛の騎士が二人立っていた。
声をかけると、「夕べから物音一つしていません」と心配そうに教えてくれた。
一つ小さく、深く息を吸って、ロゼリアはそのドアを叩いた。
「リノア様、ロゼリア・ティレルです。ご用向きはいかがでしょうか」
この数日、繰り返してきた言葉だ。
今まで返事はなかったが、それでも希望をこめて、ロゼリアはじっと待った。
「……ロゼ?」
かすかな声が。
「リノア様!」
レノアがぴょんと跳ねた。確かに聞こえた。メリルとイリットが口元を手で押さえて顔を見合わせている。どちらの顔にも驚きと喜びがあふれていた。
「ごめんねロゼ、ちょっと手が離せないから入ってきてー」
おそらく、台所から話しているのだろう声は小さいけれど穏やかで、いつも通りのように聞こえる。
ロゼリアは失礼します、と言ってドアを開き、部屋の中へ踏み込んだ。
リノアは、台所にいた。
火にかけた少し大きな鍋の前に立ち、ぐるぐるとかきまぜている。
オーブンからはふんわりとチーズの焦げる匂い。鍋からは優しいスープの匂い。
いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていたが。
「……っ」
目は赤く腫れ、頬のあたりのむくみも目立った。
「おはようございます。みんな朝ごはん食べた? よかったら一緒にどう?」
いつものように軽やかに声をかけてくる。
きっと二日間泣き通したのだろう。
自分たちのせいで帰れなくなったのに、それでもこうやって、いつものように―――。
ロゼリアは、跪いた。衝動的に、けれどこうするしかないと確信をもって。
イリットもメリルも、そしてレノアも、ロゼリアに続くように跪いて手を組んでいる。
「え、どうしたの、なにが」
「リノア・ミハイル様」
ロゼリアは深く頭を下げた。
「本当に、本当に申し訳ありません……!!」
ひゅっとリノアが息をのむ音が聞こえた。
「私たちの世界のせいで、あなたからすべてを奪うことになってしまった。この世界に生きる人間として、深く、深くお詫び申し上げます……!!」
異世界人と会うまでは、それほど重いことだとは思っていなかったのだ。
聖女の身分は高い。生活は保障されるし、深い尊崇も受ける。とても名誉なことだ。
ウェルゲア王国の王都アトラロは、こちらの世界でも有数の大きく豊かな都市。ここで暮らすことはウェルゲア王国のみならず、全世界の人々の憧れの一つでもあった。
だから。
だから、帰りたいと慟哭されるほど、辛いことだと思わなかったのだ。
それがどれほどの傲慢であったことか!
きつく唇をかみしめて頭を下げ続けるロゼリアの目に、さらりとリノアのスカートの裾が映った。
衣装にあまり興味のないリノアにロゼリアが勧めた、モーブ色のワンピースドレス。一人でも着やすくて軽い、とリノアがとても気に入ってくれたドレスだ。彼女の黒い絹のような髪と深い紫の目によく合っていて……。
そこまでぼんやり思って、ロゼリアははっと目を上げた。
スカートの裾が広がって地面についている。
目を上げた顔のすぐ近くで、おなじく膝をついたリノアが泣きそうな顔で笑っていた。
「ありがとう、ロゼ。イリットもメリルも、レノアもありがとう」
ロゼリアの手をとって、ぎゅっと握る。
あたりまえの、人の温度がそこにあった。
「――あなたたちがそう思ってくれるなら、私はいろんなことをのみ込もうと思えるよ」
もう一度、リノアはぎゅうっとその手を握り、その手を放して立ち上がった。
「あなたたちの謝罪は受け取りました。あなたたちに召喚に関する権限はなかったのだから、それで充分です」
ああ、この人はやはり怒っているのだと、ロゼリアは思った。
深く、強く、この人は怒っている。
そして同時に、心から謝罪すれば、それを許してしまえる人なのだろう。
さあごはん食べよう、と笑うリノアに引っ張られながら、ロゼリアたちは立ち上がった。




