第29話 悔恨と咆哮
ウェルゲア国王、フィンレー・アルビー・ウェルゲアは、泣きつかれてぷつりと気を失った聖女が護衛騎士たちに抱えられて退出していく様を見守り、誰にもわからないように小さく息を吐いた。
魔力にあてられ倒れていた貴族たちも、ようやっと身を起こし始めている。
すさまじい魔力の奔流だった。
魔術師団長であるユーゴが、魔力の暴発をおさえるためにあそこまで魔力を練り上げたのを久々に見た。
謁見の間にいた貴族たちも、大半は腰を抜かすか動けなくなっていたかのどちらかだろう。
聖女は非常に魔力が高いと歴史書に残されていたが、あの時、自分たちの予想をはるかに上回る膨大な魔力が暴発しかけていたのだ。
想像したくないくらいの大惨事になっただろうと思うと、ぞっとする。
(……結果はまだ解読できていないと言っていたが、こちらもおそらくは聖女並みに魔力があるのだろうな)
侍女と間違われた方の少女をみやり、フィンレーはあらためて息子たちのしでかした愚行に頭を抱える。
(あれだけの魔力の奔流を受け止めて、さらには収めてしまうとは)
修練のないものが魔力を溢れさせると、たいていその魔力は暴発してしまう。
それをおさめられるのは、訓練で技術を得た者か、同クラスあるいはそれを上回る魔力の持ち主のみ。
だからユーゴは最大の魔力を練り上げたし、リノアと名乗った彼女は、おそらく聖女カノンと同じくらいの魔力を持っているのだろう。
フィンレーはこの謁見の間に入るにあたり、最大に近い「威圧」を発した。「威圧」とはフィンレーの持つスキルの一つで、かけた相手から抵抗する気力を奪い、ひれ伏せさせるものだ。抵抗する気力だけでなく、敵意を奪い尊崇に変えることもあるため、聖女たちから敵意をなくせたらと思ったのだが、どうやらかからなかったようだ。
いや、おそらく聖女カノンのほうにはかかったのだろう、とフィンレーは思いなおす。
かかったがすぐに解け、それが恐怖に変わり、感情と魔力の暴発につながった。
魔力の暴発は周囲だけでなく本人の生命をも奪ってしまう。
(危なかった……本当に紙一重だった。下手を打ったことには変わりないが、惨事は防げた……)
背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、フィンレーは気合をいれなおした。
フィンレーの今日の仕事はまだある。
もうひとりの異世界人との対話だ。
「ウェルゲア国王陛下」
聖女カノンが退出し、ローランが所在なさげに佇み、フィリベルが玉座の横に戻ってきて、ユーゴが荒い呼吸をようやっと鎮めたころ、リノア・ミハイルがすっと立ち上がって声を発した。大きな声でも、先ほどのような怒りと悲しみに震えた声でもない、淡々とした静かな声。
それは、先ほどの聖女の言葉や行動にざわついていた謁見の間を、一瞬で静まり返らせた。
「……なんであろうか、ミハイル殿」
「二つほど、お願いがございます」
丁寧な、貴顕に対するにふさわしい口調。平民だと聞いているが、カノンもリノアも礼儀正しくふるまえるようだ。きっと丁寧に、愛情をもって育てられ、教えられてきたのだろう。そう思って、フィンレーのうちに苦みが走った。
そういう少女たちを家族から引き離して連れ去ってきたのは、間違いなく自分なのだ。
耳の奥から、先ほどの聖女の母を、父を呼ぶ声が離れてくれなかった
「できることならかなえよう。言ってみてくれ」
「ありがとうございます」
菫と黄金の美しい目がすいと細められた。
「今後のことについて、話し合いが必要かと思いますが、私も心の整理ができておりません。少しお時間を頂ければと」
「承知した。そなたたちにとって辛いことを押し付けているのは我々のほう。そなたの良い時に声をかけてくれ」
通常であれば、国王が他者に予定を合わせるということはない。しかし、聖女相手なら別だ。国王と聖女は並び立つ存在だからだ。
そしてこのやりとりで、貴族たちには自分がリノア・ミハイルを聖女と同等に遇しているということは伝わるだろう。
「ありがとうございます。ではもうひとつ」
そこで、リノア・ミハイルは目を伏せた。
なぜか、泣き叫んでいた聖女を思い出した。
「お酒を、二本ほどいただけないでしょうか」
「酒……? ワインでもよければかまわぬが……」
静まり返っていた広間が、またざわざわと動き出す。
そのすべてを受け止めながら、リノア・ミハイルは穏やかな声で告げた。
「聖女様もおっしゃっていたでしょう」
ぴたりと、ざわめきと、息の音が止まった。
「私たちは、今までの人生から引きはがされ、持っていたもの、得るはずだった未来、愛しい人々、すべてを奪われたのです……一方的に、理不尽に、この世界の、この国のためなどという、私たちには全く関係のない理由で。私たちにも両親が、兄弟が、友が、愛しい人がいたのに、もう二度と会えないのですよ――――あなたたちのせいで」
それは、さきほどからちらほら聞こえていた聖女カノンに対する批判や侮蔑を受けてのものだったのだろう。
自分はお前たちの側ではなく、聖女カノンの側にいるのだと、宣言してみせたのだ。
「お酒は、やけ酒用です」
ふわりと視線を下げて、リノア・ミハイルは言った。
「やけ酒して、泣きます」
謁見の間からの帰り、りのはワインを受け取ってから、食事も世話もいらないのでしばらく一人にしてほしいとロゼリアに告げた。ロゼリアは固い表情でメイドたちやカーティスへの連絡を請け負い、レノアも預かってくれることになった。
ひとりきりで、あてがわれた豪奢な部屋に入る。
ドアを閉めて、りのはそのままずるずるとドアを背に座り込んだ。
(やばいな、思ったよりずっとショック受けてるわ、私)
帰りたいね、と佳音に告げた言葉は、そのまま自分の本心だった。
今日が茶番だということもわかっていたし、頭を切り替えて、気持ちを整理したつもりでも、実は全然できていなかったのだと苦く思う。
だって、今でも。
今でも、家に。わたしの、家に。
「……帰りたいなぁ」
涙が量を増してぼろぼろと零れ落ちてくる。
出張中、ウィンドウで一目ぼれして買ったシャツの色がじわりと変わった。この間買ったばっかりだったのに、と思ってから、ああそうか、もうあのお店には行けないんだなと思って、涙腺が決壊した。
帰りたかった。
会いたい人がいっぱいいた。話したいこと、聞きたいことがいっぱいあった。
食べたいものや飲みたいものがいっぱいあった。
見届けたいもの、欲しいもの、売りたいもの、読みたいもの見たいもの。
もうそのすべてに、手が届かない。
「会いたいなぁ」
弟妹がいるとはいえ、両親はもう年で、持病もあって、入院したりもしていて。
四十を過ぎて結婚も出産もしないりのを責めることもない両親だ。反発したり、老いて変わっていく姿にショックを受けたりしても、大好きな両親。
弟も妹もマイペースにりのに接してくるが、兄弟だという意識は強くあった。幸せになってほしいし、そう願われていることも疑っていない。
結婚した友だち、独身のままの友だち。別れた恋人、長く会っていない知り合い。
いろいろなことを教えてくれた師匠のようなひと、いろいろなことを教えてくれたお客さんたち。
近しい人も、遠くの人も、すれ違いのように時間を共有した人も。
もう、会えないのだ。
もう、家に、帰れないのだ。
りのは、吠えた。
獣のように、悲鳴のように。
大声を出して、泣いた。




