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インドア聖女は早くおうちに帰りたい  作者: 和原茉白


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第22話 ゲルドの蜜


「あれ、イリット、具合悪い?」


 ある日、りのはお茶の準備をしようとしているイリットの様子に目をとめた。

 監禁から解放されてすぐのころからりののお世話をしてくれているメイドはふたり。そのうちの一人のイリットは、バラーシュ男爵家の二女で、明るく前向きな性格の子だった。兄弟が多く裕福ではないので、結婚の持参金のために王城で働いているという。王城で仕事ができるのは、下働き以外は貴族の出身でなければならないが、お金のために王城で働く貴族も別に珍しくはないそうだ。

 図書館から帰ってきて、お茶を飲んで一休憩、といういつものタイミングだったのだが、朗らかでおしゃべり好きな子が黙っているので、違和感があった。よく見ると、顔が白く、脂汗も浮かんでいる。


「す、すみません、大丈夫です、ちょっと、おなかの具合が悪くて」

「ありゃ、それは大変。午前中からずっと痛かったの?」

「いえ、休憩の、後から、痛くなりまして」

「お昼ご飯に何か当たっちゃったのかな?」


 そこ使っていいからお手洗いいってらっしゃい、と促して、りのは自分でお茶の準備を始めた。

 すすすとロゼリアが近寄ってきて手伝ってくれる。今日はもうひとりのメイドであるメリルは休みで、イリットしかいなかった。

 ドアの向こうからかすかに嘔吐する声が聞こえてきて、りのは眉を顰める。

 やがてよれよれと出てきたので洗面所で口をすすがせ、白湯を飲ませ、タオルで汗をふいた。

 リノア様、お手が汚れます、と首を振って遠慮するイリットに笑ってみせた。


「私こういうお世話はわりと慣れてるの、気にしないで。それより、何か悪いものにあたったんじゃない? 全部出せた?」

「おかしなものは食べていないはずなのですが……食堂で昼食をとっただけですし……。ありがとうございます、リノア様、大分楽になりました」

「それならよかった。おなかをこわすと体力が落ちて別の病気を引き込みやすくなるから、今日はもう帰ってあったかくして休んでちょうだい。明日はお休みよね、ゆっくりしてね」


 ありがとうございますすみませんすみませんと涙ぐみながら退出していくイリットの後姿を見ながら、りのは治癒魔法について考えていた。

 ケガの治癒に関しては、基本構築を医学で、細かいところをイメージでやればうまくいくだろうという予感があるが、病気や毒については悩ましい。

 治癒魔術で病気が治ると本には書いてあったが、どういう理屈なのかわからない。向こうの世界の医学をベースに魔法を使うにしても、まず原因を間違ったらどうしようと思うし、細菌性やウィルス性のものだと、そっちが活性化してしまうみたいなこともあるかもしれない。


(ウィルスも細菌もまるごと除去? 洗剤かな? それとも異常をもとに戻すって感じのほうがいいのかな? こればっかりはやってみないとわからないけど、なかなか実験台がいないからなあ)


 イリットで試すのはもちろん、病人探して勝手に試すのも怖いし、と思ったところで、ドアがノックされる。

 ロゼリアが誰何すると、幼い女の子の声で「お茶菓子をお持ちしました」という。

 イリットさんに頼まれました、という声はわずかに震えていて、緊張が感じられた。

 りのが入ってもらってと許可を出し、ロゼリアがドアを開ける。

 まだあどけなさを残した少女が、銀のトレーにクッキーののった皿を抱えて入ってきた。


「り、りのあ・みはいるさまに、お菓子をおもちするように、といわれました」

「ありがとう」


 まだ幼いし、ふるまいも拙いところを見ると、下働きの子だろうか。

 通常ならメイドさんが来るはずだけど、と思って、イリットの体調の悪さを思いだす。辛くて、その場にいたこの子に頼んだのかもしれない。りのがその辺の身分差を気にしないのを、イリットも知っている。りのとしても特に問題はないし。

 彼女が携えてきたお皿を見ると、丸いクッキーがいくつか並んでいた。こちらの世界のクッキーはどちらかというと固くて甘みの薄いビスケットのようなものが多く、それほど好きではなかったが、甘いものはこの国でも高価なものなので、用意されたときは断らずありがたくいただくことにしていた。


「あなた、お名前は?」

「は、はい、レノアです、じゃなくて、もうします」

「レノア。私と似た名前だねー。お菓子ありがとう、はい、レノアにもあげる」

「ひぇ」


 もらえませんもらえません、と両手を振るが、レノアの目はしっかりとクッキーに向かっている。

 小さい子はお菓子好きだよね、私はあんまり食べないから協力しておくれーとりのは心の中で笑う。


「急なお仕事のお礼。でも、よその人には内緒にしてね。バレないようにここで食べちゃって」


 小さな手にクッキーをいくつか握らせて、自分もひとつ口にほうりこんで見せた。そうしないと、幼い少女は食べにくいだろう。

 ばりっとかみ砕くと、生地のぼそぼそした感じとほのかな甘み。いつもの味だ、と思ったら、とろりと甘苦い刺激が走る。

 ジャムかな、と思った次の瞬間、全身が痙攣した。



「ぅが……、ごほっ」



 どさりと音がした。

 気が遠くなり、感覚が遠くなった。

 あれ、と思ってうっすら目を開けると、視線が床に近い。


(これってば……こっちに来た時とおんなじだあ……)


 りのがうっすら目を動かすと、大きな血の塊が見えた。自分が吐いたらしいが、そんな感覚もなかった。

 全身が震える。痛いというよりは、寒い。

 されるがまま、仰向けになった。

 腕も、足も、首も、動かせない。



(あー、なんかやばそう……えー、これで死ねるかも? 向こうに帰れたらいいなあ……その時生きてたらなおうれしい)



 死というものが間近にいて、けれどあまり恐ろしいものでもなかった。

 向こうに帰れるかもしれないという思いがその恐怖をぼんやりさせてくれていた。

 帰りたいしなあ、うん、もういいでしょ。すごくさむいし、さむいのいやだし。

 はやく、うちに帰りたいし。


 

 ガタガタ震えながら目を閉じようとして、お腹のあたりがうっすら暖かいことに気づく。

 くっつきたがる瞼を何とか引きはがしてお腹を見たら、小さな小さな手が白くぼんやりと光って、そこにあてられていた。


「りのあ様、しっかり、しっかりしてください! お医者さまがきます、おねがい、しっかりして!」


 幼い声。視線をひきあげると、クッキーを持ってきた少女がボロボロ涙を流しながら叫んでいた。


「リノア様、リノア様!」


 横を見ると、ロゼリアが綺麗な顔を青く染め上げて叫んでいる。

 りのはとてもびっくりした。

 ロゼリアとはたかが二か月程度、レノアとは会ったばかりなのに、二人がこんなにも動転していることが不思議だった。

 けれど、沈み込もうとする意識をつなぎとめる二人の声は、とても悲痛で、真剣で。



(あー……だめだ。わたしがいなくなったら、この二人はどうなっちゃうの)



 こんなに泣いてくれているのに、死んだら、もっと泣いちゃうかもしれない。

 罰だって、うけるかもしれないし。




 薄れていく思考の中で、りのは力を振り絞ってイメージする。




(じっけんだい。――どく? うーん、何のどくかわからない、から、――――そうか、いじょうを、もどす、)



 そして、小さくかすれた声で呟いた。



「『きゅあ』」


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