第161話 釣りをしています
日本の聖女の本を読み終わって、自分なりの弔いと感謝もして、日常が戻ってきた。――――とはいかなかった。
今、りのは魔術の講座をお休みしている。レノアも魔術師団棟の厨房には出かけていない。
それは、「聖女が魔術師団に対してとても怒っている」という噂に信ぴょう性を持たせるためだ。
資料管理課は秘された部門なので、その上にあたる魔術師団、ひいては魔術師団長とモメた、ということにしてあった。
その後、モメたせいで聖女たちの遺した本の翻訳が行われないかもしれない、という噂を流し、資料管理課の中に潜んでいるスパイとその協力者、もしくは依頼者を炙り出しているのである。
だからこそ、りのが読書のために部屋に引き込もるわけにはいかなかった。
「聖女リノア様、どうぞ魔術師団へお戻りください!」
りのがロゼリアと一緒に、裏手の道から図書館へ移動しているとき。
ひとりの、魔術師のローブを着たむさくるしい男が行く手に立ちふさがった。
(野生の魔術師があらわれた! って言うんだっけ?)
噂を真に受け、なんとか聖女史料を訳させ、そこから聖女の知識を得ようとするものは、後を絶たなかった。そして彼らの中には、りのを説き伏せようと直談判をしかけてくるものが多かったのである。なんで自分なら納得させられると思っているのか、りのは不思議でならない。
まあとにかく、そういうのを釣るために、りのが外出する必要性があったというわけだ。
(いったいどこから私の情報を得てるんだろうなあ。まあそれを調べるために囮になってるわけだけど)
さすがに王宮内の部屋まで押しかけてくるものはおらず、ロゼリアや近衛騎士団の騎士たちはほっとしていた。騎士団員の中に情報を漏洩するものはいなかったということになるからだ。
ロゼリア曰く、引退した騎士たちが戻ってきて、精神面からバシバシ鍛え直されており、その影響が出ているのではないかということだった。
たしかに、以前の騎士モドキたちなら平気で情報をお漏らししてそうだなとりのは納得した。そして、今動かないならかなり慎重なスパイが近衛の中にいるということでは? という危惧も持った。
(いくら貴族相手とはいえ、国の内部情報を漏らされるってやっぱりかなりナメられてるよねえ、アルフィオ様もユーゴ様も)
はあ、何人目だろうなあこれ。
ため息をつきつつ、飽きたなあと思いつつ、その男に目をやった。
同じことを繰り返すのがそれほど苦ではないりのでも飽きるほど、似たような直談判を何度も受けているのだ。
「何ですか、あなた」
「私は」
「ああ、名乗らずとも結構です」
(特に興味もないしな!)
今日、どのルートを通って図書館へ行くかについて、いくつかのパターンを用意してある。その情報を、魔術師団員をグループに分けて流していた。情報漏洩の道筋を確かめるためだ。
それぞれのルートをまっとうな魔術師団員と騎士たちが見張っていて、そこに現れた人物を調査していくことになっている。
この道を知らされているのは、外部と繋がっている可能性が高い連中を集めたグループだ。つまり、この道に出てきただけで、かなりの確率でクロなのである。
「で、何のご用ですかー」
煽り倒すのも面倒になってきて、ものすごくおざなりに聞くと、その魔術師団員かどうかもわからない男は滔々と語りだした。
曰く、聖女として招かれたのだから、今までの聖女の本を訳すべき、というもの。
熱が入ってきたのか、その言葉が聖女を叱るような、不敬を滲ませたものになっていく。
りのはそれを神妙な顔の裏で、しめしめと笑って聞いていた。
不敬が一線を越えれば、不敬罪で逮捕できる。今までも、それを狙ってせっせと煽ったり、泣きそうな顔でうつむいてみたりしているのだ。
この男は、煽るより黙って聞いていた方がいいと判断した。喋ることで自分に火をつけていくタイプである。
(この手の人はヘタに口を挟むより、黙って聞いてる方がいいのよねー。話してるうちにどんどん見ていたものを好きになって、欲しくなっていくタイプのお客さん。まあこいつの場合は客じゃないからさっさと不敬発言してほしいなあ)
りのがぼーっとそう思っていると、案の定どんどんヒートアップした男が、決定的な一打を繰り出した。
「聖女であるからには、聖女として働くのが当然でしょう! あなたも『怠惰な聖女』に成り下がるつもりか!」
「はーい、アウト―」
「あうと?」
「招かれたんじゃなくてあんたたちがさらってきたんでしょ。面の皮が厚いのもたいがいにしなさいな誘拐犯」
「へ」
「『固定』」
りのが呟くと、足元からもこもこもこ、と土がすごいスピードで盛り上がって、男の足元から体の上へ這いあがっていく。首から下が覆われ、それがぱきっと固まった。
男はいきなりこんなことをされるとは思っていなかったのだろう、茫然としている。
近づいてこんこんと叩くと、けっこうしっかり硬かった。木材くらいの強度はありそうだ。ヨシッ。
「ロゼ、みてみて、『固定』でも結構固くできたかもー」
「あ、本当ですね。試し切りしてみます?」
「ロゼがやったら、あっさり中身ごとまっぷたつだよー。まあまっぷたつになっても別にいいけど」
「そうですよね、別にいいのでは? リノア様の魔術の練習に使いましょうか?」
「えー、攻撃魔術はまだ怖いんだよね……『風刃』とか?」
「丸太だと思って」
「じゃあ口まで塞ぐか」
ロゼリアも結構面倒になってきたのだろう。りのにつきあってくれた。
男は青ざめて震えているようだが、なにせ首から下は固まっているのでよくわからない。
正直こうやってからかうのも飽きた。何度目だという話なので。
「あ、出遅れた。すんませんリノア様、おつかれさまっすー」
「あ、おつかれさまでーす」
そうやって、八つ当たりのように男をビビらせていると、顔なじみの魔術師がひょこりと植込みの中から顔を出した。
この炙り出し作戦が始まってからよく顔を合わせている魔術師で、どこかの騎士爵家の長男らしい。ほぼ平民なんで、と笑う彼はつき合いやすいタイプで、りのも普通に返した。
「こいつ、魔術師団のひと?」
「いや、たぶん違いますね、たぶんっすけど。でもまあ魔術師団員でもクビ間違いなしっすから、遅かれ早かれ魔術師団の人ではないっす」
「そりゃそうか。でもこれはあたりかな? 『怠惰な聖女』って言ってたから、例の一派だと思うな」
「魔術師団員を装ってるのが出てきたのは初めてっすね、って『沈黙』!」
会話をしながら流れるように魔術をかける。どうやら男が魔術を唱えようとしていたらしく、「沈黙」の魔術で詠唱を奪いそれを阻止したようだ。捕縛側にまわっているだけあって、とても有能な魔術師なのである。
そう言って褒めると、彼はぶんぶんと片手を振った。
「団長がいますからね、そんな調子に乗れないっす。団長は無詠唱なんて軽々やってますけど、あれほんと難しいんすよ。たいていは無理っす」
「そっかー」
「ま、研鑽あるのみってことっすね。じゃあこいつ、もらっていってもいいすか?」
「どうぞご自由に」
ご協力ありがとうございましたー、と軽い雰囲気で手を振る魔術師と、固められて変な石像のようになっている謎のスパイ君。
りのは魔術師に軽く手を振って、スパイ君は完全無視し、本来の目的地である図書館へ歩き出した。
「んー、これで何人目だろ?」
「さあ……?」
「そろそろ終わるかなあ、いい加減飽きたわー」
「そうですね……」
りのとロゼリアのため息が、青空に溶けた。今日も、とてもいい天気だ。




