第156話 ミッション完了……?
りのは涙を気合と根性で止めた。
泣くのはここでじゃない。部屋に戻ってからでいい、ここで泣いたって何にもプラスにならない。
まばたきしないように目をガン開きながら、二つの山にわけた本たちを並べなおす。そして、十分に目が乾いたタイミングで、一つ瞬きをして隣のユーゴに向き直った。
干しきれなかった涙が一粒だけ転がっていく。
「ユーゴ様、こちらの山の本は、私には読めなさそうです。一応拝見しましたので何か手がないか考えてはみますが、確率はかなり低いと思ってください。そしてこっちの山は、」
ねこちゃんと目を筆頭とした謎の文字の山から、確実に読める本を集めたほうへ指先を揃えて動かす。
「こちらは、私のいた世界の文字です。おそらく同じ世界からこちらへ連れてこられた人たちの遺したものでしょう。まずこちらの五冊から読ませていただいても?」
「聖女リノア様っっっ!!!」
突然大音声で叫ばれて、りのはソファの上で一センチくらい飛び上がった。耳がキーンとする。
イラっとして声の主を睨みつけた。叫んだのはヒルメスだったらしい。
睨まれてうっと腰が引けたところに、キーツが畳みかけてくる。
「聖女リノア様、おお慈悲深き方、どうぞお教えくださいませ! この五冊、すべて別の国の文字なのでしょうか!?」
目の前の三人は、りのの一挙手一投足をなんかものすごいきらきらの目で見ていた。
(……きもちわる)
毒はきれいに隠して、口の端を少しだけあげる。うっすらと微笑んでいるような、無表情のような、りののお得意の顔だ。
ちらりとユーゴを見ると、軽く肩をすくめられた。お任せしまーすという感じである。
「正確に言うと、三種ですね」
りのは五冊の本を英語、フランス語、日本語の三つの山に分けた。
「この三冊は同じ言語です。ただ書かれている国と時代は少し違うでしょう。この言語は、私の世界でも話者の多い言葉でした。複数の国で公用語として扱われていて、各国の特徴も反映されているだろうと思います」
ブロークンな癖字の英語はおそらくアメリカ。
オールドイングリッシュはイギリス、もしくはかなり古い時代のアメリカ。他の英語を公用語とする国の可能性もあるが、読んでみなければ何とも言えない。
そして最後の筆記体は、おそらく西欧の国で書かれた英語だ。筆記体はアメリカではあまり見ない分、ヨーロッパ各国ではよく見る。ただ、どこの国かはわからない。
(苗字から考えるとフランスとかオランダとか……でもあの辺りは国を移る人も多いからなあ。母国語じゃなくて英語ってあたりも謎だし)
「おお……なんとすばらしい……」
感に堪えないようにように天を仰いだのはワイツだった。
「そ、それで、なんて書いてあったんですかっ? お願いです教えてください!」
この一瞬でわかるわけないだろうがよ。
りののイラっとメーターが上昇する。
それでも薄い笑みは崩さず、穏やかに言葉を発した。
「さあ……文字を確認しただけで、中身を読んだわけではありませんから。それで、ユーゴ様、この五冊、持ち帰ってもよろしいのでしょうか?」
もちろんいいよというユーゴの言葉に被さったのは、ヒルメスの憤慨したような声だった。
「とんでもない! お読みになる部屋は用意いたしますので、ぜひそちらで! 翻訳をお願いします!」
すっと空気が冷えた。
ユーゴとゼノンが真顔になったのだ。
キーツだけがその変化を感じ取ったのか、話そうとしていた言葉を飲み込んだが、他の二人はなぜか盛り上がっている。
「とうとう僕たちもこの本が読めるんですね! 何が書いてあるんだろう!」
「聖女さま方の英知が書いてあるに違いないだろう。楽しみだ!」
「聖女リノア様、いつ頃翻訳は終わりますか? 一週間後くらいですか? お食事とベッドもご用意いたしますので!」
「いやあ、聖女リノア様はさすがだ! あちらの、『怠惰な聖女様』とは一味も二味も違っておられる!」
誰も止めないのをいいことに、ワイツが嬉しそうに両手を上げた。
「カノン様はちらっと見るなり、わかりませんの一言でしたからね! いやあリノア様はちゃんと見てくださって嬉しいなあ!」
「まったく、だ、…………あ、れ?」
大興奮でそこまで喋って、二人は周りが沈黙していることにやっと気づいたらしい。
だが何が悪かったのかわかっていないようで、二人で不思議そうに首をかしげている。
「ねえ、ヒルメス・アンゲリー」
極限までやさしい声で、りのはフルネームを読んだ。
友人たちに怖すぎると言われたりのの猫なで声。怒りが満ち満ちているのが分かりすぎて怖いと言われた、嫌がらせの手段のひとつだ。
呼ばれたヒルメスが、ひっと小さく叫んで身を後ろに引く。
「なぜ、私は、あなた達に監禁されてこの本を翻訳しなければならないの?」
「か、監禁なんて」
「あら、そこのワイツ・ハエンが言ってたじゃない。食事とベッドも用意するって。自分の部屋に戻らせず、あなたたちのために昼も夜もなく翻訳をしろってことでしょう?」
「そ、そんな、つもりは、」
「じゃあどんなつもりだったのかしら?」
声が柔らかく、甘くなるほど怖いそうなので、りのは笑顔で甘さを足した。ほっぺたが引きつったが、おそらくバレまい。
「ワイツ・ハエン、私に、この五冊を一週間ですべて翻訳しろと? きっと眠る暇なんてないわね。そしてあなたたちは、私が寝食を削って翻訳させられたものをタダ読みするつもりなの?」
「ひ、いえ、そ、そんな」
目を細める。魔力は出さないようにコントロールした。
力で押さえつけても、彼らのプライドは砕けないからだ。
魔術師団長直属の、秘された課に所属している彼らは、きっとさぞかし自分の知能に自信があって、プライドも高いだろう。
(だから、折るならそこ)
「ねえ、おれからも聞きたいなあ」
りのの横で、ゼノンが魂が抜かれるようなうるわしい笑みを浮かべた。意図して蠱惑的に見せている。
その笑みが直撃した二人の口が、ぽかんとあいた。
「あんたたち、いつの間にこの本をカノン様のところに持ち出したの? おれ、そんなこと一言も聞いてないなあ」
「それ、は、あのう、早く、中身が知りたくて。キーツ先輩もいいっていったから……」
焦ったようにキーツがおい! と叫んだが、二人はまだぽやーっとしている。
「そうなんだあ。いつくらい?」
「ええと、三か月くらい、前でしょうか……護衛騎士様が、今ならいいぞ、って……」
「ふうん」
そこでユーゴが動いた。ぱちんと指をはじくと、三人の体にどこからか現れたツタがぐるぐると絡まり、その行動の自由を奪った。
「!?」
「え」
「ひえぇ」
りのは三人の意識を体からはがすように、話しかけた。
「聖女カノン様が読めなかったのは当たり前でしょう?」
「え?」
こいつら、本当に聖女を道具としか思ってないんだなあ。
「これらの文字はね、私たちのいた国ではすべての民が学ぶの。法律でそう決められているから」
フランス語は学ぼうと思った人だけだが、まあいい。言う必要もない。
「カノン様は、これから、読み方をしっかり学ぶはずだったのよ。私はもうそれを習い終わったから読めるだけ。あなたたちがこの世界にむりやり攫ってきたから、カノン様はもう学べなくなったの。わかる? あなたたちのせいで、カノン様は学ぶ機会を奪われた。カノン様が読めないのはあなたたちのせいだわ。それなのに、勝手に怠惰だの読めないなんてだの、ずいぶん偉そうね。知らなかったわ、資料管理課って聖女より偉いの?」
きょとんとしていた三人のうち、キーツとワイツが少しずつ青ざめ、ヒルメスはうつむいた。
りのはソファから身を乗り出して、テーブルに片手を突いた。反対の手でうつむいたヒルメスの髪をがっとつかんで、無理やり上向かせる。その歪んだ顔に、にっこり笑ってやった。
「ねえ、自分たちで学ぶことも研究することもせずに、攫ってきた女を道具扱いして、奴隷扱いして、翻訳させるのが資料管理課なのね? どっちが『怠惰』なのかしら」
つかんでいた髪の毛を、ぶんと下に向けて振り放った。がくっとヒルメスの体が前に傾ぐ。
「あ、そうか、ごめんなさい、私勘違いしてたわ」
カノンの前で、がっかりしたり馬鹿にした様子を見せたりしてたら、絶対に許さない。地の底まで追いかけて、心をばきばきに複雑骨折させてやる。
そんな気持ちで、りのはにっこりと笑った。
「怠惰だから学んだり研究したりしなかったのではなくて、自分たちではできなかったのね。つまり、それだけの能力がなかった。だから私たちを使おうとしたってことかあ!」
三人の目が大きく見開かれて、そこに自分の歪んだ笑顔が映っているのを見据えながら、りのは演出できるせいいっぱいの無邪気さで明るく告げた。
「あなたたち、無能なのね!」




