第138話 猫がはがれる
庭園に落ちたのは重い沈黙だった。
風の音と、どこからか小鳥のさえずる小さな声が聞こえるほどの沈黙。
第二王子は演技をやめたのか、それともする余裕がなくなったのか、ぽかんと口を開けている。それは第二王子の侍女や護衛もそうだった。平然としているのはロゼリアぐらいのものだっただろう。
りのはその一切を無視し、静かに、リシェル先生に習った通りの高位貴族の作法で紅茶を飲む。何の関心もないように。
「……あなた、失礼すぎるでしょう!」
最初に怒鳴り声をあげたのは、侍女だった。
あらあら中身は残念な人だったのね、おいしいお茶を淹れられるのにねえ、と冷めた目でりのがそちらを見ると、彼女はよけいにヒートアップしたようで。
「何も聞かずに、テオさまのお願いを断るとは、恥を知りなさい!! 本来なら喜んでお受けすべきことでしょう!!」
「だめだよイモージェン、おちつ」
「落ち着けませんわテオさま! この女、たかが平民のくせに聖女気取りで、第二王子殿下に、将来の国王となられる方にこんな失礼なことを」
「イモージェン!!!」
大音量で名前を呼ばれて、侍女ははっとしたようだった。
自分が何を言ったか、我を忘れて何を口走ったか、今さらながらに理解したのだろう。
そしてその言葉が、仮にも聖女に向けてはならないものだということも。
「へえ、そう。たかが平民の聖女きどり、ねえ。で? 将来の国王、ですか。へえ~~」
カタカタと震える侍女を、もうりのは視界にいれなかった。
「第二王子殿下、もうお暇してもよろしいでしょうか」
「あ、」
「『たかが平民の聖女気取り』に、『将来の国王』陛下がかかずらうことなんてございませんわね?」
「ち、ちが」
「それにしても、存じませんでしたわ。いつの間に王太子におなりに? 私がぼうっとしていたのかもしれませんが、初めて聞きました。ああ、これではそちらの侍女様に罵られてもしかたありませんわね。『たかが平民』ですから、きっと誇り高い高位貴族であらせられるそちらの侍女様はお許しくださるでしょう」
「わ、わたし、ちが、」
震えながら必死に手を伸ばす侍女。そこへ、
「リノア様」
冷え冷えとした声で呼ばれた。ちらりと振り返ると、ロゼリアがレイピアに手をかけている。
「捕縛いたしますか? 十分な不敬罪に当たると思いますが」
「構わないわロゼリア卿、この国がそういう国だと改めて知っただけのこと。そうご報告申し上げてちょうだい」
ロゼリアが一瞬唇を噛むのが見えた。
ああごめんねロゼ、ちょっと露悪がすぎた。あとで謝らなきゃ。
(でもこのくらいやらないと、この子は多分、しっぽを出さない。本性を見せないままのこの手の人と、話なんてしたくないから)
侍女の発言であったとしても、明確に「自分が次の国王」と名乗った。それは大幅な越権行為だろう。
そして今、りのが「ご報告申し上げて」と言った先が誰であるのか、この子どもはきっとわかっている。
「……聖女様、ああ慈悲深き聖女様、どうぞ愚かなこの侍女をお許しくださいませ。けっして根の悪い侍女ではないのです」
哀れっぽい声がして、りのが目線をうつすと、第二王子が手を組み、両膝をついてりのを見上げていた。
(――へえ、この期に及んでまだそういうことをするんだ? なかなかな根性だね)
「お断りします」
わざとらしいポーズに、付き合う気が一気に失せた。
ここまできて演技で何とかしようと考える子どもの相手なんて、面倒の一言に尽きる。
「ど、うして、」
まさか自分がここまでやったのに、と言いたげな第二王子からは、たしかに余裕が抜け落ちている。それだけ侍女を守る気ではあったのだろう。侍女を切り捨てない態度はりのにとってプラスポイントだが、それ以外のマイナスが大きすぎる。
りのがこの侍女を上に直接告発すれば、この侍女もファルカ・エスタリと同じような道をたどるだろう。
ファルカ・エスタリの話くらい、この子どもは仕入れているはずだ。
それなのに、侍女の未来と、もしかしたら命がかかっているこの場面で、まだ自分の演技が通用すると思っている。
それだけりのを侮っているのだ。
りのは自分を侮る相手を、対等な交渉相手とは見ない。
信頼に値しない、それに尽きた。
「許されて当然だと思って行われる謝罪に、どんな価値があるというのです? それは謝罪ではなくただの演技でしょう。それに、そもそもどこの誰が慈悲深いなどと? 勝手にそう思われるのは大変不愉快です。私は、この世界に誘拐されてきた、一市民の被害者にすぎません。勝手に人を慈悲深いことにして自分たちの罪をごまかそうなどと、傲慢にもほどがあると思われませんか」
にっこりとほほ笑みながら言うと、侍女の方はますます顔色をなくした。護衛騎士も固まったまま。こちらには、ロゼリアが鋭い殺気を向けているので、動きたくても動けなかったのかもしれない。
「それでは、失礼いたしますわ、第二王子殿下。――ああ、王太子殿下と、お呼びしたほうがよろしいのかしら?」
最後まで嫌味たっぷりで笑う。
怖い子どもではあったが、ここまで言えばもう手出しはしてこないだろう。
ロゼリアがあげる報告にりのは基本的にノータッチなので、することは特にない。
あとでチェル様に報告を入れて、第二王子の周囲の人員のチェックと、本人にチェル様からメッとしてもらえばそれでいいかな。
この子どもと話をする気は、当分の間わかないだろうし。
そう思いながら踵を返す。
さあて、もう本の続きを読む気分でもないし、部屋に戻ってランチの支度でもしよう。
「待ってください、リノア・ミハイル様」
さっきまでの、涙交じりの同情を誘うような声から一転、淡々とした声がりのを呼び止めた。
(おや、本性がでてきたか。でもこのタイミングで? もうあきらめた方がよくない? というか、その侍女の発言の後始末にかかったほうがいいのでは? けっこう君もヤバいと思うよ?)
しかし、その声の奇妙な冷静さが、りのの興味をひいた。
どうしようかな、と一瞬迷って、結局、少年を振り返った。そうしたほうが良い気がしたから。
(ふうん、こっちが本性。――思ったよりも、これは)
そこには、先ほどの王子様然とした、子どもらしさを残した少年はいなかった。
おそろしいほど冷徹な目で、こちらをまっすぐに見ている。媚びも甘えもない、まっすぐな姿だ。
「なんでしょう、第二王子殿下」
「わたしの侍女の無礼な発言、すべて撤回しお詫び申し上げます。こちらへ犯罪同様に連れてこられたあなたを、こちらの世界の貴族籍にないからと愚弄することは、決して許されることではない。この下らぬ侍女の発言、わたしからも深くお詫びいたします」
そして、深々と、両ひざにおでこがつくくらい、腰を深く曲げた。
その様子は、いつぞやコルティアドの庭で、彼の父親がとった謝罪のポーズによく似ていた。
そして彼は、その姿勢のまま、続きを口にする。
「それに、もうひとつ発言の訂正を。わたしが、次の国王につくということはありえません」
テオさま!? と侍女の悲鳴のような声がした。
しかし、第二王子はそれを黙殺する。
「それは絶対にありえません。なぜなら、」
そこで顔を上げてぎりっと侍女をにらみつけた。
「わたしは、次の国王の座を望んだことなど、今までに一度たりともないからだ!!」
え、そうなの!?




