第114話 ボドリー伯爵邸にて3
メリルは、主家の女主人たちを前に、身が縮むような気がした。でも、ここは絶対に伝えたかった。
だから、できるだけ穏やかな言葉を選ぶ。ルネやユーフェミアが少しでも飲み込みやすいように。
「ルネ様、ユフィお姉さま。リノア様は、決して怖い方ではありません。とてもやさしく、懐の広い方です。でも、決してあからさまにはされませんけれど、召喚されたことを許してはいらっしゃらないと思います」
心から謝罪すれば許してくださる方だけど、私はそれに甘えないと決めたから。できることを、できる範囲でやろう。それが私なりの謝罪。
メリルは、ふわりとルネに視線を向けた。そして、少しだけほほ笑む。
「スティラお姉さまのおっしゃる通り、私も、リノア様は今、試していらっしゃるのではないかと思います。信頼できるか、できないか。口は堅いかどうかを、じっと見定めていらっしゃる」
そして、メリルは持っていたバッグから、一つの小さな箱を取り出した。
「ルネ様、スティラお姉さま、ユフィお姉さま。リノア様は、実はもう作り出したものがいくつもありますの。これもその一つ」
箱を開けると、そこにはオレンジ色のころころしたメレンゲクッキーが詰められている。
「メレンゲクッキーと言います。これは、私だけではなく、シプラスト宰相閣下やジュランディア魔術師団長様から護衛騎士の皆さま、魔術師団棟の料理人たち、出入りの食料品店の店主や会頭にもふるまわれています」
「まあ。メリル、それは結構前からかしら?」
「はい、スティラお姉さま。リノア様が今のお部屋に移られてからですから、こちらに召喚されて少し経ったくらいからかと」
「お母様、このお菓子の話、お聞きになってる?」
ルネは社交界の重鎮だ。いろいろなところに情報源がいる、情報通なのである。
気を取り直したように背を伸ばしてから、ルネはしっかりと娘を見て首を横に振った。
「いいえ、貴族家はもちろん、平民たちからも聞いていないわ」
「リノア様は、これをお渡しする相手を吟味し、どこから話が漏れるのかを確認していらっしゃるように思います。だって私たち、このことを話してはいけない、内緒にしなさいとは言われてませんから」
メリルは、静かにそのメレンゲクッキーに「水の浄化」をかけて、ルネたちに差し出した。
「今日実家に帰る際に、リノア様から頂戴したものです。その時にリノア様が仰いましたの、『自分で食べても、誰かにあげてもいいわよ』って」
びくりと三人が反応した。
分かるわ、怖いわよね、とメリルはこっそり思う。
預けられたものが信頼なのか、それとも罠なのか。よくわからないのは怖い。私も、本当は少し怖かった。
「よろしければ召し上がってください」
一番初めにメリルがとって口に運ぶ。こんな時だが、甘酸っぱくておいしい。
次に手を伸ばしたのはスティラだった。迷わず、オレンジ色のクッキーを摘まみ上げ、ぽいと口に放り込む。
「!」
紗がかった青の目が真ん丸になって。
「おいしい……! これ、アドルジュの味がするわ……! しかも何て不思議な感触なの、すうっととけてしまったわ!」
ぽい、ぽいぽい。
気に入ったのか、いくつも口の中へ入れて、味と食感を楽しんでいる。
ルネとユーフェミアは、手を出さず、ただじっとメレンゲクッキーを睨んでいた。
「ルネ様、ルネ様のお耳にこのお菓子のことが入っていないとうことは、」
「……ええ、そうね、誰も話を漏らしていないということね。とんでもないことだわ。人に秘密を守らせるのは難しいのに」
「リノア様は秘密になさってるわけではありませんの。ただ、周囲がとても慎重になっているのです。私も含めて、ですけど」
だからたぶん、ルネ様がここでメレンゲクッキーの話を「利用した」としても、リノア様はお怒りにはなりません。でも、
「おそらく、次の話はないのではないかと思います」
「!」
「それに、このメレンゲクッキーに限らずなのですけれど、リノア様は、こういうお菓子やお料理の作り方を公開するには準備が必要、と仰っておられましたわ」
「――やっぱり、そう考えていらしたのね」
スティラが、どこか満足そうにつぶやく。
「スティラ?」
「昔、お呼びした聖女様のおひとりが、スライムを利用したお手洗いの機構を伝えてくださったことがあったの」
いきなり話が飛んだ。
ルネとユーフェミアは慣れているのか、自然とその話についていく。
「え? スティラ様、浄化の魔道具ではなく、スライムですの?」
「そうよ、あの、魔獣のスライムよ。機構に問題はなかったそうなのだけど、聖女様が亡くなられてからその機構がものすごい勢いで広がったのですって。そしたらスライムの乱獲が起きて、だんだんスライムが捕まえられなくなり、養殖も当時は全然うまくいかなくて、結局その機構はすたれてしまったの。その後に浄化の魔道具を作ってくださった聖女様の時代まで、とても不衛生なお手洗いに逆戻りしてしまったそうよ」
リノア様は、ご自身のためだけではなく、この国のためにも見定めようとなさっているのね。
嬉しそうなスティラ。だが、その言葉の意味に、ルネとユーフェミアはついていけていないようだった。
メリルは自分なりにスティラの話をかみ砕いて、別の例に変える。
「その通りだと私も思います。たとえば、もしこのメレンゲクッキーの作り方を公開したら、それを独占して高く売ってやろうとか、政治的な道具にしようとか考える人が出るでしょう。でもそれをリノア様は望んでおられないと思います。皆がその新しいものを長く楽しめるように、そして多分、そこからさらに素敵なものができるように、材料や作り方の独占や混乱を防ぐための準備をする必要がある。それが整うのを、今は待っていらっしゃるのだと思います」
だから。
「それを邪魔すると、嫌われると思います」
ルネは深くため息をついた。
「今日来てくれて本当にありがとう、メリル。よくわかったわ。危ない橋を渡るところだったわね……」
「いえ、そんな」
「まぁお母様、私だってちゃんとお話しましたのに」
「あなたはもう少していねいに、順序を追って話してちょうだい。みながみな、あなたの話の早さについていけるわけではないのよ」
それはそう。
「うう……メリル、どうしたらリノア様と仲良くなれるかしら? スティラ様みたいにお友達になればいいのかしら?」
「ユフィ、あなたまだそんなことを言っているの?」
「だってスティラ様、私、ティアーヌ様からお願いされてるんです、またお話したいって! でも、どこにも話の持っていきようがなくて……」
あら?
メリルは首をかしげる。
「普通に面会を申し込めばよいのではと思いますけど……」
「ティア様、リノア様にひどいことを言ってしまったのでしょう? だから、受けてもらえないと思うってティア様が……」
「ティアーヌ王女殿下に怒ってはおられないと思いますけど……」
えっ、とユーフェミアの動きが止まった。
「お、怒ってない?」
「え、ええ」
かぶりつきに寄ってくるユーフェミアに、思わず体を引きながら、再度メリルは頷いた。
「ほ、ほんとに?」
「ええ。あの、王女殿下に関して怒っておられたのは、王女殿下の衣装係はもっと研鑽を積むべき、ということだけでしたので」
あんっな快活でかわいい子に着せるなら、フリルとレースの分量とバランスをもっと考えるべき!
甘い雰囲気のドレスなら何でもいいというわけではない!
ドレスも髪型も、もっと本人が動きやすいように整えてあげてほしい!
「メリル……!」
ユーフェミアは、がしっとメリルの手をつかんだ。
「リノア様って、なんてわかっておられる方なの……!」
目を白黒させるメリルの横でスティラが爆笑し、ルネがあらあら困ったわね、とのんびり言いながら、メレンゲクッキーをつまんでいた。




