第110話 てあて
アラチェリアは、慣れてしまった痛みにひたすら耐えていた。
今は痛み始めだから耐えるのも易しいが、ここからさらにきつくなることを知っていた。
周囲から声がするが、考えることをせずに、反射的に答える。考え事をする余裕がもうなかった。
どこかを動かせば、それが痛みとなって跳ね返ってくる。ただただ、動かずに、じっと、こらえて……
しばらくじっと痛みをこらえていると、がん、がん、と釘でもうたれているかのような痛みの上に、なぜかひやりと冷たい感触が被さった。
手がひくりと慄くが、それもゆっくりと止まる。
冷たさが気持ちよかった。
(……気のせいかしら。がんがんするのが、弱くなってきたような)
うっすらと、いつの間にか閉じていた目を開ける。
前には、黒いレース越しにもつややかな黒髪に高貴な紫と金色の目をした美しい少女。
目が合うと、彼女は少しだけ微笑んだ。
「しびれるような感じはありますか?」
ぼんやりと首をかしげると、彼女は、他にずきずきするところは? と聞いてきた。
氷をあてられていた場所の少し下をさすと、氷がそちらに移動する。
そうやって、何度か氷の位置を変えられた。右へ左へ、上へ下へ。
時折、氷を取り換えているのだろうからんと澄んだ音がした。
「………あら」
アラチェリアはぱちりと瞬いた。
痛みが、減っている。
釘を打たれるような激痛が、ゆるやかにひいていくのだ。
強い光が黒いレースに遮られて、目の奥の痛みも柔らかくなっていく。
目の前の美しい少女を見ると、彼女は静かに微笑んだ。
「どうでしょう王妃様、強い痛みは少し楽になられましたか」
「……ええ」
冷たさで頭痛が起きていませんかと問われて、いいえと答えると、彼女は侍女にお茶をお願いしますと言う。
運ばれてきたお茶はカップに半分ほどの量だったが、今まで見たことのないほど濃い茶色で、思わずぎょっとすると、彼女がくすくすと笑った。
「このままでは苦みと渋みがあると思いますので、ミルクを入れてください」
侍女が、カップにミルクをとぽとぽと落とすと、濃い茶色が柔らかい色にかわっていく。
蜂蜜を少しいれてくださいという彼女の声の通りに蜂蜜が入れられて、侍女が銀のスプーンで毒見をし、それがアラチェリアの前に置かれた。
「ミルクティーと言います。濃く出したお茶の成分が痛みを抑える可能性がありますので、わざと濃く淹れてもらいました。蜂蜜の味や香りは気持ちを穏やかにする効果がありますし、栄養もあります」
口に含むと、やわらかな甘みとやさしい舌ざわり。大好きな紅茶の香りもしっかりと残っていて気持ちが和らぐ。
体の隅々に甘みが広がって、おもわずほぅとため息がもれた。
「……おいしいわ」
「よかったです」
侍女が、本当によかった、と小さくつぶやいて、すばやく目を指で抑えた。
最近、食事はおろかお茶や軽食もなかなか喉を通らなくなっていたので、不安にさせていたのだろう。
「……もうレースをとってもいいかしら。あなたときちんとお話がしたいわ」
「光が目に痛くなければ問題ありません。少しだけずらしてみてください」
おそるおそるレースをめくってみるが、少しまぶしいくらいで痛みは出ない。
そう言うと、彼女がもし動けそうであれば木陰に移動しましょう、と言った。
わかったわ、と立ち上がろうとすると、できるだけゆっくり動いてくださいと指示されて、言われるがまま、護衛騎士のマカリアに手を引かれ、ゆっくりゆっくり移動する。
木陰は涼しく、気持ちがよかった。
椅子に腰かけ、そっと黒レースがとられると、目に刺さる光は木陰に遮られていて、ほどよい明るさだった。
明るい中で見ると、本当にきれいな子だとアラチェルは感嘆した。
宵闇のような黒髪、白よりもう少しぬくみのある肌の色、そして何より、可憐な菫と陽光の色をした瞳。
その瞳からうかがえる、確立された自我と知性。
(この子は見かけよりもたぶんずっと大人びている)
「改めまして、初めまして、異世界よりのお客様。わたくしはこの国の王妃、アラチェリア・フィリス・ウェルゲアです」
立ち上がって礼をしようとすると、どうかそのままで、と引き留められた。
「ではあなたもどうかそのままで」
「ふふ、ありがとうございます。はじめましてウェルゲア王妃様。私は異世界より呼ばれた、リノア・ミハイルです」
ゆるやかに下げられる頭の上で、きらきらとわずかな光が黒い髪に反射する。
「最初に申し上げました通り、まず王妃様のお体のお話からさせてください。今は痛みを一時的に抑えているだけですので、時間がたてばまた痛みが出る可能性があります。その前に、お部屋でお休みになれるように準備を整えておいてください」
「あの、ミハイル様、整える際に気をつけたほうがよいことはございますか?」
長く傍についてくれている侍女が、ていねいに、必死さを隠しながら伺いを立てている。挨拶の許可も出していないのに、そんな無作法をする侍女では決してないのに。
アラチェリアの具合が悪くなったとき、とても心配してくれた心強い侍女だ。いろいろ調べてはくれたけれど、それぞれに対応する薬を飲むしかないと言われたと落ち込んでいた。だから、何か新しい知識を得たいのだろう。
(……でもそれは、一方的な搾取でしょうに、私もあさましいことを)
しなければならないのは、まず何よりも謝罪。それから教えてくれたことに対する礼と対価ではないのか。
長くくすぶる不調と痛みに萎れかけていたアラチェリアの頭が動き出し、同時に青ざめた。
聖女ではないとしても、異世界人の持つ知識の力を、アラチェリアは王妃としてよく知っている。
勢いよく顔を上げると、ずきんと痛みが走って、思わず頭を押さえた。
「う」
「王妃様、いろいろすべて後で構いません。まずは、体調を戻しましょう」
静かに動いてください、それで戻ると思います。
穏やかな、ささやくような声に従ってゆっくりと顔を上げる。
苦笑を滲ませた美しい紫の目。
「気をつけること。そうですねぇ、ずきんずきんという痛みの時は、とにかく暗い部屋で、静かにすることが大切ですね。光や音が頭痛をひどくすることがありますから。もし夜、お休みになるまでにずきんずきんという頭痛がとれましたら、ぬるめのお風呂につかってください」
「ぬるめのお風呂ですね」
「はい。胸の下くらいまでの湯量で、少し長めに。お好きな香油などがあれば、それで香りをつけてもらっても大丈夫です」
「こう、ゆ?」
「あれ、ないのかな。ええと、たとえばバラの花びらをお湯に入れると、浴室にバラの香りが満ちますよね。そうやって香りで気持ちを和ませながらお湯に入ると、体調を整えやすくなりますよ。果物の皮などでもよいのですが、その際、肌に悪い影響がないか、専門の方に聞いてみてくださいね」
侍女がメモを取りながら頷いている。
アラチェリアは「こうゆ」という言葉に首を傾げつつ、自分も彼女の言葉に耳を傾けた。少し低めの柔らかい声が心地よい。
「それから、日が落ちてから先ほどの濃い紅茶を飲むのは避けてください。眠れなくなる可能性がありますので。それに、あの濃い紅茶は飲みすぎてもよくありません。ずきんずきんという痛みがきたら、できるだけ早く、あの紅茶を飲んでみてください。そして、それ以外では飲まない方がよいかと思います。そうですね、一日に三杯ほどまでだったら大丈夫だと思います。他の水分補給時や夕食を終えてから飲むのであれば、こちらもおすすめです。メリル、お願い」
「承知しました」
メリルと呼ばれた侍女からアラチェリアの侍女へそっと差し出されたのは、緑色の缶だった。
「トルカリアという薬草だそうです。私の居た世界で、心を和ませて良い眠りに誘うと言われていたものとよく似ています。私もお茶にして飲んでいますが、頭痛に効く効かないは別にしても、蜂蜜を入れると香りがよくて甘くておいしいですよ。蜂蜜をいれなくてもほんのり甘いので手軽に飲みやすいかと思います。こちらをお持ち帰りになり、毒見をしたうえでお飲みになってみてください。お抱えの食料品店や商会がありましたら、そちらから手に入れて頂いてもよいかと思います」
どうやらアラチェリアの対応をしている間に、彼女の侍女が持ってきたものらしい。
侍女が受け取ってふたを開け、中身を少しだけ皿に出した。
さらりとこぼれおちてきたその薬草は、淡いピンクの可愛い小さな花を干したもの。
「可愛い花ね」
「ええ、ほんとに。お茶にしてもとてもかわいい桃色になるんですよ」
目を合わせて、ふふふと笑いあう。
アラチェリアの体からもう一段力が抜けて、頭痛がまた少し軽くなった。




