第106話 涙から墓穴
ティアーヌは、しばらく、ドレスのリボンをつまんだりひねったりしていた。
りのは急かさない。考えをまとめるのに、ていねいに時間をかけたい人はけっこういる。りののお客さまにも多かった。ましてやティアーヌはまだ子どもだ。王女であろうと、導きと手助けが必要な子ども。
りのがじっと待っていることに気づいたのか、ティアーヌはどこかほっとしたような顔で、口を開いた。
「わたくし、ユフィが大好きなの」
ぎゅっとリボンを握って、まっすぐにりのを見上げている。
「小さいころからずっとそばにいてくれて、叱られたりもするけど、ユフィが一番、わたくしに真剣に接してくれていたわ。それなのに、いつのまにか顔を見ることが減ってしまって、寂しくて。それで、ファルカにユフィを呼んで、と言ったら、」
ぎゅっと、今度は唇をかみしめた。
「ユーフェミアは、忙しいからファルカが相手しなさいと言っていた、って聞いて」
ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
リシェルがそっと腕を緩めると、その涙をぐしぐしとぬぐって、ティアーヌは背筋を伸ばした。
「わたくし、ユフィがとても忙しいことを知っていたわ。ロンダが赤ちゃんができてやめてしまって、残った仕事をユフィが一人でしていたの。そのうえでファルカとソニアに仕事を教えていたのだもの、忙しくて当たり前よ。だから、わたくし、ファルカにそう言われても、がまん、しようと、思って」
大きなサファイアの目が潤むが、必死に涙をこらえていた。
「そのうち、ユフィもソニアも来なくなって、どうしたのって聞いたら、ファルカが、二人ともわたくしのことが嫌になったから、やめましたよって。失礼な人たちですね、ひどいですね、ティアーヌ様はひとりぼっちですねって」
ぐうううう、と重い呻き。
りのがファルカの正座しているつま先を、魔力を棒みたいにしてぶすっとつついたのだ。腹いせである。ぶすっぶすっと何度か強めにつついておいた。
「お父様はお忙しくて、お、お母様は、ご病気が重くなってきてるから、お話はできませんって、ファルカに言われたの。だからわたくし、がまんしなきゃって、時々お会いしても、王女なのですもの、わがままを言わないで、いい子にしていなきゃって、そうしていたら、お母様が元気になって、ユフィとソニアも帰ってきてくれるんじゃないかって、わたくし、そう、思って……」
こらえきれなかった涙が、ぼろぼろと白皙の頬を滑り落ちる。
りのは、泣きそうな顔をしているユーフェミアに近寄って、その肩をとんとんと叩いた。
頑張った子どもをほめるのは、近くにいる大人の仕事なんじゃないかとりのは思う。ティアーヌが褒めてほしいと思う大人が寄り添うのが一番いい。
ユーフェミアは、一瞬茫然としたが、すぐさま深々と礼をして、ティアーヌに走り寄った。
淑女の鏡のような自分の侍女が、泣きそうな顔で走ってくるのを見たティアーヌは何を思っただろうか。
「ティア様……!!」
「ユフィ、ユフィ………うわああああん!」
ぎゅっとティアーヌを抱きしめてユーフェミアは、お一人にして申し訳ありません、ティア様頑張りましたね、えらかったですね、と繰り返しその紺碧の髪を撫でていた。
さて、と。
ティアーヌの泣き声が小さくなってきたころを見計らって、りのは後始末にかかることにした。
はたしてこの侍女はどこに突き出すのが一番邪悪だろうか。もちろんこの侍女にとって。
(本当ならティアーヌ王女の周辺の護衛騎士たちが適任なんだろうけど、そっちにもこの侍女の仲間がいて逃がされそう。で、ごまかされてうやむやにされそう。なんか、人知れずスパイを潜り込ませるのうまいよね、あの一味って。だからティアーヌ王女からは却下だな。リシェル先生の方は……なんか、難しいっぽいね?)
ちらりとリシェルを見るが、いまだ無表情を通り越した無である。怒っている。
何に?
(ティアーヌ王女に対して、じゃあなさそうね? かといってこの侍女でもない、もっと何か違うものを見てる? だって侍女ならさっさと捕まえてるよね、リシェル先生なら。じゃあ黒幕を知ってる感じで、そっちに怒ってるのかな?)
考えてみれば違和感はあった。
聖女としての佳音を軽んじ貶めようとする。それに、ダルクス派として何の利益があるだろうか?
これがりのに対するものなら、佳音ちゃんを押し出そうとしてるのねーと納得もいくのだが。
(ダルクス侯爵が黒幕じゃない感じなの? でもこのずさんさ、ずさんなわりにうまくいっちゃう悪運の強さ、ダルクスって感じなんだけどなぁ。私の毒殺といっしょでさ。――うっ、思いだすと胃が痛くなってきた……)
どうしようかなあ。
よし、ちょっとつつくか。
「ねえあなた。これはどういうことかしら。あなたの告げ口は、全てうそだったみたいね? ティアーヌ王女殿下を傀儡にして、えらそぶるのは楽しかった?」
少しだけ首をかしげる。ピュアっぽいポーズで、ファルカの怒りを煽りまくるのだ。
若干恥ずかしいのは置いておく。
「このままだと処刑ですって。苦しいのかしらね? ティアーヌ王女殿下は一年苦しんだんですもの、あなたも一年くらいは苦しいのがいいのではないかしらね?」
にやにや笑ってやった。
この手の人間は、前後の状況を把握しない。火が付いたらその場で沸騰する。
案の定、ファルカはその目をギラギラさせてりのにかみついてきた。
「なによアバズレのくせに! ローランさまとカーティスさまに言い寄る娼婦が聖女だなんて、異世界は恐ろしいところね!」
あまりの台詞に、ロゼリアが、ファルカを取り押さえながらレイピアに手をかける。
「ティアーヌ王女殿下、お聞きしてもよろしいですか?」
「ひっく、っく、……ええ、いいわ。なあに?」
「さきほど、私にいろいろなことを仰ってましたね。学園をサボってるとか、第一王子殿下やカーティス様に色目を使ってるとか」
ティアーヌの表情がぴきりと凍った。
「あと、高い買い物ばかりしている、でしたっけ。それらは、王女殿下ご自身が確認なさったことなのかしら?」
私がそういうことをしていたのを、見たことがあるのかしら?
ティアーヌは、青ざめながらも首を振った。
「わたくしが直接見たわけではないの。その、」
ためらうように一度言葉を切って、ぎゅっと目をつぶった。
一年近くの間、悲しい想いや不愉快な思いをさせられても、ティアーヌの傍にこの侍女がいたことは事実。そこに何らかの情がうまれていてもおかしくはない。たとえ裏切られていたとしても、だ。
けれどティアーヌは、それらを振り切るように目を大きく見開いて、
「ファルカと、今わたくしの周りにいる侍女たちや護衛騎士たちが、そう話していたのを聞いたの。だから、わたくしはそれが真実だと思ったの」
「なるほど」
あっぶねー! やっぱり侍女から護衛騎士から、ダルクス侯爵に乗っ取られてんじゃん!
「じゃああなたはどうなんです? あなた、まさか私がローラン第一王子やカーティスに色目を使っているのを、見たことがあるとでも?」
ひっかかってくれーと思いながら、ハン、と鼻で笑ってやった。
怒れば怒るほどコントロールの効かなくなるタイプだと見た。きっと嘘も平気でつくだろう。
「見たわよ! 学園まで行って調べたわ!」
わーいやったー。
――――なんかあっさりすぎて、拍子抜けだ。
思わず脱力したりのに、勝機を感じたのだろう。
ファルカは続けざまに叫び出した。
「アンタがサボってるところも! ローラン殿下にべたべたしてるところも! カーティス様を物陰に引っ張り込んでるところだって見たわ! 高い買い物してるのだって、帳簿を見たら一発よ!」
うわー、これ、佳音ちゃんの予算、横領されてない?
わりとドン引きするりの。
勝ち誇ってさらに言いつのろうとしているファルカ。
そこへ、唐突に涼やかな声が響いた。




