最後のゲーム――前編――
――キィ……
「誰?」
軋んで開いた扉。
殺気も気配もなく、入り込んで来た影は、苦しそうに床に倒れた。
「ちょっと!大丈夫!?」
殺気がないので、警戒はしつつもエミリウスは慌ててその影を助け起こした。
なんと、自分の腕に捕まって立とうとしているのは、かつての恋人で今は敵になった゛星霜の賢者゛シーリウスだった。
彼女は突然の彼の来訪に驚いて、思わず声を上げた。
「シーリウス……!? どうして、今――」
部屋の扉を閉めた彼は、少しだけ疲れた笑みを浮かべていた。
そして、何の前触れもなく――彼女を抱きしめた。
「――っ!ちょっと!」
部屋の扉を閉めた彼は、少しだけ疲れた笑みを浮かべていた。
驚きと戸惑いの声を上げながらもがくエミリウスを、彼は軽々と抱き上げ、ベッドにそっと横たえた。
その動きに力はなく、ただ、彼女の温もりを確かめるような優しさがあった。
彼は覆い被さるようにして、彼女の頬に手を添えた。
その指先が、彼女の輪郭をそっとなぞる。
「お前は、こんなにも強く、美しく成長したんだね。私の愛しいエミリウス……」
その声は、今までの残酷な恍惚感を帯びた今迄彼の姿ではなく、共に暮らし、歩んできた愛しい男性の彼だった。
エミリウスは、彼の瞳を見つめ返す。
そこには、後悔も、罪も、赦しも、すべてが混ざった光が揺れていた。
二人は、言葉にならない想いを抱きながら、静かに寄り添った。
それは、戦いの余白に訪れた、ほんのひとときの安らぎだった。
「……最後に、お前と睦あいたかったんだよ」
その言葉に、彼女は目を伏せた。
そして、そっと彼の手を握り返す。
「……なら、ちゃんと覚えててよ。私が、あなたを許したことも。あなたが、私を選んだことも」
シーリウスは微笑んで、彼女を抱きしめ、何かを囁いた。
それを聞いてエミリウスは静かに頷く。
「……そう。最後のゲームが始まるのね。」
何もかも飲み込むようにエミリウスは答えた。
「ゲームを、終わらせよう。私の”自我”が保てる間に」
――『私を殺してくれ』
彼女にはそう聞こえた。
「分かったわ」
決別するように2人は互いの体を離した。
シーリウスは、衣装を整えると、そっとその場を後にした。
エミリウスは、今までの全てを洗い流す禊の様にシャワーを浴び直し、床についた。
――来るべき日が近づいてる。
夜が明ける頃、王都は不穏な気配に包まれていた。空気が重く、鳥たちは沈黙し、街の灯火さえも揺らいで見えた。
シーリウスは、王都の中心にある古の祭壇へと足を運んでいた。かつて魔王が封じた秘術――“深淵の契約”を行使するために。
彼の内に眠る魔王因子は、すでに理性の境界を侵し始めていた。人を守りたいという思いは、破壊したいという衝動に塗り替えられ、孤独は怒りへと変わっていく。
「……私は、もう”人”ではいられない」
彼は祭壇の前に立ち、静かに目を閉じた。エミリウスとの最後の夜が、脳裏に焼き付いていた。彼女の温もり、彼女の覚悟――それが、彼の最後の理性を繋ぎ止めていた。
「エミリウス……お前だけが、私を終わらせられる……」
秘術が発動されると同時に、シーリウスの身体は黒炎に包まれた。骨が軋み、皮膚が裂け、彼の姿は伝説に語られる魔獣“咎獣”へと変貌していく。
咆哮が王都を揺らした。




