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静かなる布陣

王妃の脱獄は、王国の威信を揺るがす一大事として、極秘裏に調査が進められていた。

彼女は王侯貴族の血を引く身であり、貴族層に多くの支持者を持つ。そのため、潜伏先の特定が叶ったとしても、軽々しく踏み込むことは政治的に困難であった。

 

加えて、王妃自身も外部との接触が難しい状況にあり、強行策は避けられ、当面は監視という形見守ることとなった。

この任務は、イザーク率いる国家隠密部隊ヴェイルと、王直属の密偵たちによって遂行され、王妃の一挙手一投足は厳重な監視下に置かれることとなった。

 王妃が匿われてる実家と懇意にしている貴族屋敷の一室

 

夜は深く、灯火の揺らめきが王妃の影を壁に踊らせていた。

ロクサーヌは椅子の肘掛けを握りしめ、沈黙の中で焦りと絶望を隠せないでいた。


 

「どうして、あの子が…」

 

 

声は誰に向けたものでもなく、ただ漏れた。

マリオンの継承権放棄――それは彼女にとって、王冠を失う以上の痛みだった。

王妃としての誇り、母としての願い、そのすべてが否定されたように思えたのだ。


そのとき、部屋の奥から一歩、音もなく現れた男がいた。

シーリウス。『星霜の賢者』と呼ばれ、その誉高い名声で知られる奇跡の賢者。

 王子マリオンを王位継承者にするべく、彼の力を借りようと、金を積み、権力を行使し、呼び寄せた今は王妃の知恵袋である。

 


「焦っておられるようだ、王妃殿下」


 

彼の声は柔らかく、だが冷たい水のように心に染みた。


 

ロクサーヌは顔を上げる。


 

 「あの子は王になるべきなの。誰よりも…」


 

「ならば、奪うのではなく、選ばせるのです」


 

シーリウスはゆっくりと歩み寄り、王妃の前に立った。


 

「王が自ら、マリオンを選ぶように仕向ける。それが最も確実で、最も適切な道です」


 

「選ばせる…?」


 

その言葉に、ロクサーヌの眉がわずかに動いた。


 

「民の支持を得るのです。学者としての功績を積ませ、慈善事業にその名を冠する。

王は民の声に耳を傾けざるを得ない。やがて、王自身が“彼こそふさわしい”と口にするでしょう」


 

沈黙が落ちた。

ロクサーヌは目を伏せ、指先を震わせながら思案する。

それは遠回りに見えて、確かに王の意志を動かす道だった。


 

「ならば、そのように動いて」



彼女の声は低く、だが確かだった。


シーリウスは微笑んだ。


 

「王妃殿下の野心は、いつも美しい。だからこそ、私はこうして戻ってきたのです」


 厳重にカーテンに覆われた窓辺。

 光が差し込まないその部屋の中で、ランプの明かりだけが、温かみを部屋に添えていた。

 ロクサーヌの思いは過去に飛んでいた。

玉座の間に差し込む朝の光は、まるで私を透かすように冷たかった。

絹の衣をまとい、宝石を飾っても、この身は空洞の器にすぎない。

私は王妃――けれど、それは「誰かの代わり」として与えられた名にすぎなかった。


これは政略結婚だった。

王侯貴族の家柄を持つ私が、”出奔した王妃セレナ”の代わりに王妃の座に就いた――それだけのこと。


王は私に優しかった。礼儀正しく、穏やかに接してくれた。

けれどその優しさは、私へのものではなかった。

彼は自分を慰めるために、私に優しくしたのだ。

その奥にあるのは、いつもセレナ。

彼の心は、過去に縛られたまま、彼女だけを見ていた。


私は、王の隣に座っていても、決してその目に映らない。

それでも、王妃として微笑み、沈黙を守ることが、私に課された役目だった。


王は私に優しかった。礼儀正しく、穏やかに接してくれた。


『愛されていない』――そんな感覚は、私にとって初めてではない。

けれど、王妃として、妻として、母として、その痛みはあまりに深かった。

私はただの代替品。王の心に触れることは、決して許されない。


そんな私の世界を変えたのは、息子マリオンの誕生だった。

彼は私の血を引き、王の血を継ぐ者。

王位継承権を持つ、正統なる王子。


その瞬間、私は初めて「選ばれた」と感じた。

王にではない。運命に、歴史に。

私は王妃としてではなく、”次期国王の母”として、王国に意味を持ったのだ。


マリオンには望むものは何でも与えた。

学問、礼儀、人望、名声――すべてを。

彼が王になるために、私は王妃としてのすべてを捧げた。


王の心は私に向かなくてもいい。

だが、王冠は――マリオンの頭にこそ、ふさわしい。

それが私の誇りであり、復讐であり、唯一の愛だった。


シーリウスは窓辺に立ち、夜の帳に沈む王都を見下ろしていた。

その横顔には、情ではなく、計算の光が宿っている。


 

「王妃ロクサーヌは、愛されていないことに気づいている。だが、それでも王妃であり続ける。なぜか? それは“王妃であること”が、彼女の唯一の武器だからだ」


 

彼は帳に散りばめられている星を見ながら独白していた。

 彼の思いはエミリウスへと馳せていた。

 


「私はその執着を利用する。彼女の焦り、孤独、母としての誇り――それらすべてを、策の駒に変える。

彼女はマリオンを王にしたい。ならば、私は“王に選ばせる”道を示す。民の支持、学者としての名声、慈善の名を借りた印象操作。すべては、王の心を揺らがせるための布石だ」

 


 シーリウスは手元の赤ワインを持ったグラスをくゆらせ


 

「情は捨てろ。王国は感情で動かぬ。動かすのは、利と理と、恐れと希望だ。

私はそれを知っている。だからこそ、誰よりも深く、王の心を読むことができる」

 


彼は再び窓の外を見やった。


 

「ロクサーヌは、私の策にすがるしかない。だがそれでいい……」


王都では、いつしか市民の声が変わり始めていた。

『次期王位補佐』などという控えめな呼び名では足りぬ――そう囁かれ始めたのだ。

代わりに響くのは、『王太子にふさわしい』という声。

それは王都だけに留まらず、遠く他の大陸からも届き始めていた。


その流れの裏には、シーリウスの冷徹な手腕があった。

彼はマリオンの財源を巧みに操作し、貧民街の整備、炊き出しの支援、孤児院への寄付――

ありとあらゆる善行を、マリオンの名のもとに積み重ねていった。


民の心は見事にシーリウスの策略へと落ちていった。

王子が自らの手で国を癒していると信じた。

そして、信じた者は語る。語る者は広める。広まった声は、やがて王の耳にも届く。


シーリウスは語らぬ。

だが、彼の布陣は着々と進んでいた。

王妃の執念を燃料に、王子の名を冠した善意を盾に、王国の空気そのものを塗り替えていく――

それが、彼の策だった。


王は沈黙の中で、マリオンを呼び出した。

玉座の間に響いたのは、ただ一言


 「お前が望んだのか」


その声は静かだったが、問いの奥には怒りと疑念が潜んでいた。

王都に広がる“王太子に”という声。

それが、王の心を揺らがせたのだ。


マリオンは、まっすぐに父を見て、首を横に振った。


 

「私は…望んでいません。そんな器ではないと、わかっています」


 

その言葉は誠実だった。だが、王の目はなおも鋭く、答えを測るように彼を見つめていた。


その頃、セリウスは民衆の熱狂に目を伏せていた。

炊き出し、孤児院、貧民街の整備――善行は積み重ねた。

だが、マリオンの否定は、そのすべてを虚しくした。


 

「やはり、私ではなく、あの子の方が王の器なのではないのか?…」


 

その思いは、静かに彼の胸を冷やしていった。


一方、レオニスは王妃ロクサーヌの動きに憤りを隠せなかった。

慈善事業の裏にある意図。民の声を操る手。


 

「王妃は、王冠を飾りにするつもりか…」


 

その怒りは、義理とはいえ王家の名を背負う者として、王国の秩序を揺るがすものだった。

彼にとってロクサーヌは母ではない。だが、王家の誇りを汚す者として、彼女のやり方は許しがたかった。

沈黙の中で、誰もが次の言葉を待っていた。

怒りはある。疑念もある。だが、今必要なのは衝動ではなく、策だった。


最初に動いたのはイザークだった。

彼は椅子の背に手をかけ、低く言った。


 

「ならば、盤を崩すのではなく、盤の外から揺らすべきだ。騒ぎを鎮めるには、民の熱を冷ます手が要る」


 

メイアースが頷いた。

「善意の仮面を剥がすのは得策ではないです。むしろ、マリオン王子自身が一歩退くことで、民の期待を静める方が自然ですね。彼の言葉で、騒ぎは収まると思います」


 

レオニスは眉をひそめたが、黙って聞いていた。

彼の怒りはまだ消えていない。だが、王家の名を守るためには、感情よりも秩序が優先される。


アジノが静かに口を開いた。


 

「マリオン王子を説得して、民の前で語らせよう。

 “王位は望まぬ”と。だが、同時に“国のためには尽くす”と。

それで民は納得する。”王太子”ではなく、賢者としての道を示せば、騒ぎは自然と沈む」


 

エミリウスは皆の言葉を聞き終え、ゆっくりと立ち上がった。


 

「じゃ、マリオン王子にお願いしに行きましょ。でも、民衆にそれを伝える場その場はわたし達でが整える。

王妃の手が届かぬ場所で、王の耳に届くように。

この騒動は、静かに終わらせる。盤を壊すのではなく、盤を整え直すのよ」


 

誰もが頷いた。

怒りはまだ残っている。だが、それを燃やすのではなく、冷たい知略に変える時だった。


こうして、騒動を鎮めるための策が動き出した。

それは、戦ではなく、言葉による収束。

そしてその言葉は、マリオン自身の口から語られることになる――

王国の空気を、もう一度静けさへと戻すために。

 

エミリウスは一歩前に出て、マリオンの視線を受け止めた。


 

「夜会でお会いしました。あのとき、あなたが孤児院の寄付について語っていたのを覚えています」



その声は柔らかく、だが芯が通っていた。


マリオンは少し目を細めた。


 

「…あぁ!あの夜お見かけしました!父王を庇ってくださったこと、お礼を申し上げます。父を傷つけていたら、母の罪はもっと重くなっていたでしょう…まぁ、今の母も充分罪は重いのですが…」


 

と、肩を落としマリオン王子は呟くようにランプに点ったロウソクのゆらめきに視線を落としながら言った。


 

「大丈夫です。王子のお気持ちは分かってるつもりです」

エミリウスは柔らかく言ってから、表情を引き締めた。


 

「今は、あなたの言葉が必要です。あなたの言葉が、王国の空気を変えるのです」


 

レオニスが横から口を挟んだ。


 

「マリオン、民は騒いでいる。だが、それはお前を見て王にしたいからではない。

お前が“国を見ている”と感じたから、声を上げたんだ。

だからこそ、今、お前自身がその声に応えるべきだ」

 


マリオンは沈黙した。

彼の中で、王位への拒絶と、民への責任がせめぎ合っていた。

彼は王の器ではない――そう思っていた。

だが、器でなくとも、国のために立つことはできるのではないか。


 

「……私に、何を語れと?」



その問いは、迷いの中にある決意だった。


エミリウスは静かに答えた。


 

「“王位は望まぬ”と。だが、“国のためには尽くす”と。

それだけでいいのです。あなたの誠実さが、民の熱を静める。そして、王妃の策を、言葉で封じることができる」


 

マリオンは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


 

「……わかりました。語りましょう。私の言葉で、私の立場を」

 


レオニスは頷き、エミリウスは静かに微笑ん


マリオンは目を伏せた。


 

「私は…望んでいない。王位など、私には重すぎる」


 

マリオンはしばらく黙っていた。

その沈黙の中に、彼の葛藤があった。

王の器ではないという自覚。

だが、民の期待を裏切ることへの恐れ。

そして、母ロクサーヌの執念に、自分が巻き込まれているという痛み。

 


「…それで、騒ぎは収まるのですか?」


 

彼はようやく口を開いた。

 


「ええ。あなたの言葉が、最後の鍵です」



エミリウスは確信を込めて言った。



「我々が場を整えます。王妃の手が届かぬ場所で、王の耳に届くように。

あなたはただ、真実を語ればいい」



その夜、王都の中央広場に、静かに人が集まった。

騒ぎを煽る者はおらず、ただバルコニーに立ったマリオン王子の言葉を待つ者だけがいた。


マリオンはバルコニーに立ち、深く息を吸った。

そして、静かに語り始めた。

 


「私は、王位を望んでいません。

それは、私の器ではないと、よく知っています。

ですが――この国のために、私ができることがあるなら、

それには、命をかけて尽くします。です”王太子補佐”の座に恥じぬよう!」

 


その言葉は、風のように広場を包んだ。

誰も叫ばず、誰も騒がず。

ただ、静かに頷いた。


こうして、騒動は収束した。

王妃の策は、民の静かな理解によって封じられ、

王の疑念も、息子の誠実によって和らいだ。


盤は壊されなかった。

ただ、整え直されたのだ。

そしてその中心には、王冠ではなく、言葉を選んだ王子が立っていた。


 ――3日後


王宮は祝賀の空気に包まれていた。

セリウスの王太子即位式典と、マリオン王子の”王太子補佐着任式が同時に行われたのだった。

セリウスの金糸の衣が揺れ、マリオンは銀糸の衣を身にまとい、両者の忠誠の言葉が交わされる。

だが、その荘厳さの奥に、誰も気づかぬ火種が潜んでいた。


式典の最中、突如として騒ぎが起きた。

王妃ロクサーヌの協力者が、王宮内に潜入し、式典の進行を妨害したのだ

警備が乱れ、民衆がざわめき、王宮のは混乱の渦へと突き落とされた。


その混乱の中で、マリオンは静かに壇上へと歩み出た。

銀糸の衣が風に揺れ、彼の瞳は冷静そのものだった。


 

「落ち着いてください。王宮の安全は確保されています」


 

その声は、堂々としていて、とても落ち着いていて騒ぎを鎮めるには十分だった。

民衆は彼の言葉に耳を傾け、騒ぎは次第に静まっていった。


その姿に、王は動揺した。

病に伏しながらも即位したセリウスの背後で、民衆の信頼を集めるマリオン。


 

『マリオンにあんな一面があったとは――もし彼が王位を望むなら……』


 

その思いが、再び王の胸に迷いを生んだ。


その瞬間を、シーリウスは見逃さなかった。

彼はマリオンの前に現れ、静かに耳元で囁いた。


 

「あなたは、王太子になりたいのではないのか?常に兄たちの影に身を隠し、兄達を敬い続けた――でも自分で気づいているんだろう?自分は兄たちと遜色はないと。影に身をやつしてる毎日に癖癖としてると、王太子にふさわしいのは自分だと!――さぁ、縛りは無くなった。己の想いを解き放て!」

 


その言葉は、マリオンの内に眠る魔王因子を揺さぶった。

理性の仮面の下で、欲望と焦燥が交錯する。

ドクンと大きな胸の鼓動が耳の中で木霊した。

そして――因子は暴走した。


 

「おおおぉぉぉぉっ!」

 


 マリオンは咆哮をあげ、体から衝撃波を飛ばす。


周囲の魔力が制御不能に陥り、空気が震えた。

魔導士たちが驚愕し、王宮の結界が軋む。

マリオンの瞳は、感情を失ったように冷たく光っていた。


 

「おかしいです!エミリウスさん!マリオン王子の魔法回路の形が変わりました!」

 


 メイアースが、杖で結界を作りながら、マリオン王子に、起こってる異変を告げた。


 レオニスは、父王を庇いながら剣を抜き、メイアースに、問いかける。


 

「メイアース!マリオンに何が起こっているんだ!?」


 

「分かりません!こんな現象初めてです!」


 

 戸惑うメイアースにエミリウスは声を張り上げ


 

「分かってる!私に任せて!」

そう言って、エミリウスは飛行魔術を使い、マリオン王子の元に飛んでいった。



「やめて!」

 


その声が、暴走の中心に届いた。

エミリウスだった。

彼女は、机の端に置いた手の記憶を胸に、マリオンの名を呼んだ。


 

「あなたは、そんな人じゃない。

民の痛みに寄り添っていた、あの夜会のあなたを、私は知ってる」


 

その言葉は、理性の奥に沈んでいた感情を揺らした。

エミリウスは、彼の頭を抱えるように抱き締めた。

彼女の胸の鼓動が、規則的にマリオンの耳に響いていた。

それは、秩序ではない。温もりだった。


その言葉が、胸の音が、マリオンの自我を呼び戻した。

暴走していた魔力の波動が収まり、空気が静けさを取り戻す。

彼は、ゆっくりと目を閉じた。


 

「……違う! こんなんじゃない!」


 

その声は、嗚咽混じりだった。


 

「私は王位を望まない! 母上の政治の道具でも、兄上たちの影でもない!私は私だ! 望んでこの道を選んだんだ!」


その叫びは、民衆の胸に届いた。

誰もが息を呑み、静かにその言葉を受け止めた。


エミリウスの胸から解放されたマリオンは、自らの意思で強く立ち上がった。

銀糸の衣が風に揺れ、彼の瞳には確かな覚悟が宿っていた。


 

「母の策略も、王冠も、私には不要だ。

私は、民のために立つ。だが、王にはならない」


 

その宣言は、静かだった。

だが、誰よりも力強かった。


王はその言葉を聞き、深く頷いた。

セリウスは、咳をこらえながらも微笑んだ。

そして、エミリウスは静かに目を伏せた。

彼女の手は、あの日のまま、彼の中でまだ机の端に置かれていた。

その距離が、彼の心に触れたのだ。


 

「――マリオン……」


 

民衆に紛れ、彼の姿を見守っていたロクサーヌは、膝から崩れるように落ちた。

その瞳には、涙が溢れていた。

息子の思いが、彼女の策略を超えて届いたのだ。


その涙は、敗北ではなかった。

それは、母としての誇りと悔いが混ざった、静かな祈りだった。


そして、王宮の空気は変わった。

王冠の重みは、もはや一人の頭上にあるものではなかった。

それは、選ばぬ者の覚悟によって、王国全体に広がっていくものとなった。


その後民衆に紛れていたロクサーヌは、イザークに見つかり、身柄を拘束された。

式典に曲者を侵入させた咎、牢を脱出した咎により、本来は処刑でも、おかしくはないのだが、マリオンの嘆願と、”王子を産んだ功績”もあり、彼女の身柄は王宮の牢獄の最上階にある部屋での一生涯の幽閉で済んだ。

 

 彼女が牢へ送られる時、囚人服に身を包み、それでも、金髪の髪をきっちりと結い上げ、凛と立つロクサーヌの姿は王妃然としていた。

 見送りに来たのは、マリオン、エミリウス、レオニス、アジノ、メイアースだった。ガイアスはいつも通り騎兵団の部下の特訓に精を出していた。


 

「お母様……」


 

マリオンが静かに声をかけた。

その声には、怒りも反発もなかった。ただ、確かめるような響きがあった。


だが、ロクサーヌはキッと彼を睨みつけ、言葉を叩きつけた。


 

「私の息子は“王位継承権”を持つ者です。それを放棄したあなたは、私の息子ではありません!さっさと立ち去りなさい!」


 


その言葉に、マリオンは視線を落とした。

胸の奥が、静かに軋んだ。


レオニスがその場に立ち上がり、ロクサーヌに掴みかかろうとした。

だが、エミリウスとアジノが素早く彼を止めた。


 

「待って。分かるでしょ?本心じゃないわ。今は、彼女の言葉の奥を汲み取って」


 

エミリウスの声は、冷静だった。


ロクサーヌは、マリオンに背を向けながら、なおも言い放った。


 

「マリオン、今日からあなたという息子は、私の中から消えました。精々、兄弟仲良く政をすることね」


 

その言葉は、冷たく、突き放すようだった。

だが、レオニスの目には、違うものが映っていた。


彼女の手は、わずかに震えていた。

その背中は、強く見せようとするあまり、張り詰めていた。

そして、最後の言葉「兄弟仲良く政をすること」

それは、マリオンを完全に否定するものではなかった。


ロクサーヌは、王家の秩序を守るために、母としての情を切り捨てた。

だが、彼女は知っていた。

マリオンが王位を拒んだのは、弱さではなく、選択だったことを。

そして、その選択が、王国に必要なものだということを。


だからこそ、彼女は冷たく当たった。

王妃として、母として、彼を突き放すことで、彼の道を守ろうとした。


そして、レオニスに目を向けずに、言葉を残した。


 

「あなたは、兄として、王家を支える者として、彼を見守りなさい。それが、私の最後の願いです」


 

その言葉は、誰にも聞こえないほどの小さな声だった。

だが、レオニスには届いた。

彼は静かに頷き、マリオンの肩に手を置いた。


 

「行こう。お前の選んだ道を、俺が見届ける」


 

マリオンは、母の背中を見つめながら、何も言わなかった。

だが、その瞳には、涙ではなく、決意が宿っていた。


ロクサーヌは振り返らなかった。

その背中は、王妃としての誇りと、母としての痛みを背負っていた。


 

「ちょっと待ってください」

 


 アジノはみんなから抜け出して、ロクサーヌの、元に戻ると、彼女にそっと耳打ちしてから戻ってきた。


 

「……母に、何を話したんですか?」

 


「マリオン殿下に同じ贈り物をしましたよーって。あ!王様の、許可は取ってありますからね。安心してください!」


 

 アジノの言葉に皆クエッションマークを飛ばしている中、彼だけが先立つように意気揚々と歩いていった。

 マリオンが、自室に帰ると、そこには垂れ幕がかかったイーゼルが置いてあった。


 『マリオン殿下に同じ贈り物をしましたよー』


 という、セリフが同じように牢に置かれた布のかかったイーゼルを見つける王妃とマリオン王子の胸に去来する。


 2人が同時に布を取ると、そこには銀糸の衣に身を包んだマリオンと、王妃の冠を被ったロクサーヌの姿が描かれていた。

 暖かく微笑むロクサーヌの横で、『民の為に政を――』そんな意思を感じさせる、目をした『王太子補佐官』マリオン王子の堂々たる姿が描かれていた。


 

「――お母様……」


 

 マリオンは、肖像画を胸に涙を流し、同じように牢の部屋では声にならない声を上げて、肖像画に取縋るロクサーヌの姿があった

 

 

そして、王宮の空気は、静かに変わっていった。

王、そして王太子、レオニス、マリオンの家族の絆と確固たる王族の姿が確立されていた。


騒動が収まり、王宮は静けさを取り戻していた。

民衆は帰路につき、王は玉座へ戻り、マリオンは自らの道を選んだ。

だが、その夜、地下のシーリウスの私室では、別の戦いが続いていた。


シーリウスは、一人、魔導陣の中心に座していた。

周囲には、砕けた魔導石と、焼け焦げた記録装置の残骸。

空気は冷たく、魔力の残響がまだ壁に染みついていた。


彼の指先は震えていた。

それは、魔力の暴走によるものではない。

因子の波動が、彼の意識の奥にまで入り込んでいたのだ。


 

「……静かにしろ」


 

シーリウスは、誰にともなく呟いた。

その声は、かすれていた。

まるで、自分自身の中に潜む何かを宥めるように。


 

「私は、まだ壊れる訳にはいかない……」


 

彼は額に手を当て、深く息を吐いた。

意識が、波にさらわれるように揺れていた。

理性が、少しずつ削られていく。


だが、彼はまだ抗っていた。

魔導陣の中心に座り、記録を手繰り、思考を繋ぎ止める。

自我を保つための、最後の防壁。


 

「――くっ……うっ!」


 ガリッとシーリウスは何かを抑え込むように石畳を引っ掻いた。

 床には指の形のまま血の跡がのこる。

 彼は苦しみを飲み込んで、顔をあげた。

 長い髪の間から深灰色の瞳が妖しく光る。


 

「さぁ――ゲームを終わらせようか?エミリウス……」


 

 そう絞り出すようにつぶやくと、彼はまたどこかへと歩き出した。

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