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古代の遺産――前編――

とある山奥――地震の衝撃によって山崩れが発生し、山の側面が大きく削られた。そこに姿を現したのは、石造りの建造物の断裂部だった。


入口は歪み、長い年月の経過を物語っていた。ぽっかりと開いたその闇は、まるで何かを飲み込もうとするかのように、静かにその存在を露わにしていた。


セオリス王国・王の寝室にて。



「何!? 古代遺跡が現れたとな?」



臣下の報告に、大柄な体躯と険しい顔つきをした男が、長い眉を寄せて声を上げた。

この国の第二権力者にして、『王冠の影』と名高い宰相――アグナス・ヴァルドである。


重厚な青のベルベットに似た魔法繊維の長衣を纏い、銀の帯で腰をゆったりと締めている。黒いローブを羽織ったその姿は、王にも劣らぬ威厳を放っていた。



「は。加えて、王立中央図書館からの報告によりますと、完全ではありませんが……調和の塔が、わずかに傾いたようです」



家臣は言いにくそうに、宰相アグナスの機嫌を伺いながら恐る恐る続けた。



「何!? 調和の塔が傾いたじゃと!?」



「今のところ”歪み”に異変は見られません。しかし、今回の地震と古代遺跡の出現には、何らかの関連があるのでは――というのが、王国中央図書館の見解です」



――『歪みとは』


時空の境界が揺らぎ、異なる次元や過去・未来との接点が不安定に現れる現象を指す。通常は目に見えず、王国の魔法学者たちが長年にわたり観測を続けているが、強い魔力の干渉や地殻変動などによって顕在化することがある。


歪みが発生すると、封印された古代の魔法具や失われた文明の痕跡が現れることもあり、王国にとっては危険であると同時に、貴重な知識の源でもある。


そして『調和の塔とは』

セオリス王国の中心にそびえる「調和の塔」は、王国全土の魔力の流れを安定させるために建てられた巨大な魔法構造物である。


塔は古代の魔法技術によって築かれ、地脈と星脈の交差点に位置している。塔が傾くということは、魔力の均衡が崩れ始めている兆候であり、王国の安全保障に直結する重大な異変とされる。


塔の状態は常に王立中央図書館によって監視されており、異常があれば即座に王宮へ報告が入る。


アグナスは眉間に深い皺を刻みながら、報告の言葉を反芻した。



「……歪みには異変なし、か」



彼の低い声が寝室の空気を震わせた。


歪み――それはこの世界に存在する、目に見えぬ魔力の裂け目。時空の境界が揺らぎ、異なる次元や過去・未来との接点が不安定に現れる現象である。


通常は沈黙の中に潜み、王国の魔法学者たちが長年にわたり観測を続けてきたが、強い魔力の干渉や地殻変動によって顕在化することがある。


歪みが活性化すれば、封印された古代の魔法具や失われた文明の残滓が姿を現す――それは王国にとって、危険であると同時に、計り知れぬ価値を持つ知識の源でもあった。



「調和の塔が傾いたというのは、確かなのか?」



アグナスの問いに、家臣は小さく頷いた。



「はい。王立中央図書館の魔導士たちが、塔の基盤に微細な揺らぎを検知したとのことです。塔の魔力安定陣に、わずかな偏差が生じていると……」



「王立中央図書館は、何と言っている?」



「地震による地殻の変動と、古代遺跡の出現が、歪みに影響を与える可能性があると……。塔の傾きは、魔力の流れに異常が生じ始めている証左かもしれないと、彼らは警告しています」



王立中央図書館――それはセオリス王国における最大の知識の集積地であり、魔法、歴史、地理、神話などあらゆる分野の文献が収蔵されている。


特に「歪み」や「調和の塔」に関する研究は、図書館内の特別研究部門によって扱われており、王国の魔法政策に深く関与していた。


図書館の魔導士たちは、古代遺跡の出現や地震などの自然現象を魔力的観点から解析し、王宮に助言を行う役割を担っている。


アグナスは窓の外を見やった。遠く、王都の中心にそびえる調和の塔が、わずかに傾いて見えるのは気のせいか――それとも、時代の歪みが本当に始まったのか。



「……王、とんでもない知らせですぞ。」



アグナスは「うーむ」と唸りながら、節くれだった指で長い髭をつまみ、思案に沈んだ。


寝室のベッドでは、王が天蓋の陰に隠れて姿は見えない。だが、背もたれにいくつもクッションをあてがい、上半身を起こして座していた。


そのとき、宰相の影から穏やかな声がゆっくりと響いた。



「もう下がっていいよ」



厳格な宰相とは対照的な、柔和な声が室内に溶け込んだ。


家臣は一礼し、静かに部屋を退出する。

宰相アグナスは、ベッドに腰掛ける王に向かって厳粛な声で問う。



「王様。いかが致しましょうか? 中央の塔が傾いた件については、関係者には箝口令を敷き、調査は冒険者ギルドに任せますか? あるいは、事態の重大性を鑑み”王立中央アカデミー”にて部隊を編成いたしましょうか?」



 宰相アグナスの問いかけにパラ……パラ……と、紙をめくる音が返ってきた。



「”中央王立アカデミー冒険者取得試験”を最初から、特急Sランクモンスターを倒し、今回の盗賊捕縛については随分と活躍したそうだね。この女性は…」



 紙をめくる音に次いで穏やかな口調で王は衝立の向こうに控えている人物に声をかけた。



「は。しかも、レオニス第二王子様との相性もよく、まぁ……面白い女性ですよ。彼女は……」



 衝立の向こうの人物はくっくっくとかすかに喉を鳴らして微笑んでるような口調で王の問いかけに答えた。



「は!あのレオニスについていける女か!それは愉快だ」



 返ってきた答えに王は堪えきれずに笑いだした。

 穏やかな談笑の中、1人だけ心穏やかで無いものがいた。

 宰相アグナスだ。



「まさか……王様……その得体の知れない女を登用なさる気では……」



 宰相アグナスの予感は当たった。

 王はのんびりとした穏やかな口調で



「この者……エミリウス・レイヴェルとか申したな。この者とレオニスに任せよう。なに、心配なら其方の者をつければ良い。アジノ、お主も同行せよ。そのほかの人選はアグナス、そちに任せた。」



名前を呼ばれ、衝立の影からアジノがすっと出てきた。


 そういうと王は堪えきれなかったように急に咳き込んだ。慌てて枕元に駆けつけるアグナスと、アジノを近づくなと制するように手を上げる。


 その腕は土気色でやせ細っていた。



「よい。近づくな。いつもの癪じゃ。大したことは無いから侍医もよぶな。自分の体のことは自分でよくわかる。」



 そう言うと、王は疲れきったようにクッションに身を沈めた。



「アグナス、アジノ下がって良い。ワシは少し休む。

 用があればまた呼ぶ」



 と言うと、荒い呼吸を沈めるようにふーっと深く深呼吸して、もう一度



「下がりなさい。」



 低くハッキリした声で言って、2人の家臣を自室から下がらせた。


その日、アジノとレオニスは、できるだけ平民に紛れ込めるよう衣服に気を配っていた。絹の質を落とし、綿の細身のパンツに身を包み、目立たぬよう工夫していた。


レオニスはベルトに『翼の剣』だけを差し、アジノは皮のバッグに紙と木炭片だけを入れて、エミリウスの宿へと向かった。すべては、エミリウスに会うための彼女の指示によるものだった。



「いやー!こんな格好するの初めてだよ。なんか身軽すぎて不安になるね、レオン」



街中を歩きながら、アジノは楽しげにレオニスへ語りかける。

レオニスは絹のシャツの首元を引っ張りながら、不思議そうな顔で言った。



「こんな着心地の悪さは初めてだ。でも、平民はこれより質の悪い生地で服を仕立てていると聞く。これより着心地の悪い服なんてあるのか?」



かなり失礼な発言ではあるが、それもそのはず。彼は唯一国の第二王子。常に最上級の衣服をまとい、調度品に囲まれ、最高の食事を享受してきた。


だからこそ、エミリウスと出会ってからの経験は、彼にとってすべてが新鮮で驚きに満ちていた。


もちろん、彼がそこまで生活レベルを落とし、彼女の指示に従うには理由がある。



その願望を知るアジノは、彼に付き合いながら、彼の信条


「楽しめるものはすべて楽しめ!その感性が最高の芸術を生む」


――に従い、ただ合わせるだけでなく、心から現状を楽しんでいた。


きっかけがなければ、平民の生活を貴族や王族が経験することは永遠にないだろう。

そんなことを思いながら、アジノとレオニスはいつの間にかエミリウスの部屋の前に立っていた。

エミリウスの部屋をノックする。


普段の彼女の態度を思えば、妙な緊張感が走る。


中から『入ってー』と声がして、レオニスはゴクリと喉を鳴らしながら扉を開けた。

部屋に入った瞬間、二人は目を見張った。


異国情緒漂う一枚の大判の布を、体のラインが出るワンピースのように巻き付け、首元で独特の縛り方をして布の端を結んでいる。

深い蒼の涙型ネックレスと同色の大ぶりの宝石が揺れるピアス。タンザナイトのような深い紫の長い髪をポニーテール風に結い上げた姿は、妙な色気を漂わせていた。


とても一撃でヒドラを倒した女には見えない、美しく静かな姿で椅子に腰掛け、蜂蜜酒の入ったカップを傾けながら、青いアーモンドアイで二人を見上げるエミリウスがそこにいた。


正直、二人は見とれてしまった。


いつもイライラしているか、怒声を上げている彼女の姿はそこにはなく、水面のような光を湛えた眼差しで、静かに酒を飲みながら二人を見つめる穏やかなエミリウスがいた。



「開けっ放しにしないで、二人とも入って扉閉めてくんない?」



エミリウスが静かに言うと、レオニスはハッと我に返り、慌てて扉を閉めた。

アジノは興奮気味に声を上げる。



「エミリウス、その格好どうしたの!?火の大陸の女性がそんな服装をしてるのは知ってるけど、君は風の大陸出身だろ!?すごいよ!綺麗だ!よく似合ってる!」



すぐに


「うるさいわね!ほっといてよ!」


とでも怒号が返ってくるかと身構えた二人だったが、エミリウスは褒められるとほんのり耳を赤く染め、照れたように小さな声で



「……ありがと」



と呟き、照れ隠しのようにカップを煽った。

その思わぬ反応に、二人は思わず「可愛い」とさえ感じてしまった。



「しかし、アジノ。あんたすごいわね。よくわたしが風の大陸出身だって分かったわね。衣装だって炎の大陸の着方だって……」



エミリウスが驚いたように目を見開くと、アジノは胸を張って答えた。



「骨格や特徴かな?僕は王宮お抱えの絵師だから、各国の要人の絵も描く。エミリウスの衣装の着方は炎の大陸の女性独特のものだし、アーモンド型の瞳は風の大陸の人間に特有の形だ。服装の着こなしや顔の特徴で、だいたいの出身大陸は分かる。これが絵師の眼力ってもんだよ」



アジノは他にもいろいろ尋ねてみたかったが、エミリウスの人との距離感や接し方から、あまり知られたくないことが多いのだろうと、短い付き合いの中で察していた。


だからこそ、深入りするのは不粋というものだ。

――と、そこへレオニスが興味津々に椅子に座りながら詰め寄った。



「お前は風の大陸出身なのか!?炎の大陸の着こなしも知ってるということは、炎の大陸にもいたのか!?どれくらい世界のことを知ってる!?」



『ここにいたー!不粋な奴!』


アジノは驚きを隠せず、思わず手で顔を覆った。

エミリウスの怒号を覚悟したが、彼女はカップでレオニスの顔を押し返しながら、



「ちょっと……顔が近い」



と不機嫌そうに言っただけだった。以前のような怒り方はしない。

その変化に、アジノはどこか不思議な気持ちを抱きながら、レオニスの隣に腰を下ろした。



「……で、今日は何の用なの? 話があるって言うから私の部屋に呼んだけど、まさか面倒事じゃないわよね? わたし、見ての通り今日はオフなのよ。」



じとりと、エミリウスは青い目を細めて二人を見つめる。その視線に、アジノとレオニスは脂汗をにじませた。



「その姿も魅力的で素敵なんだけど……エミリウス、悪いけど、いつもの格好に着替えてほしいんだ。」



申し訳なさそうに言うアジノに、エミリウスはそっぽを向いて答えた。



「やーよ。今日はオフだって言ったでしょ?」



その拒絶に、レオニスは険しい顔つきで言い放つ。



「着替えるんだ、エミリウス。すぐ俺たちと一緒に登城する――これは国王命令だ!」



キッパリと、しかし重々しく告げるレオニス。



「俺たちは、お前を連れてくるよう命じられた。」



その言葉に、エミリウスは目を大きく見開き、驚愕の声を上げた。



「――はぁ!?」



思いもよらぬ展開に、ただただ驚くしかなかった。


――それから数時間も経たないうちに。


エミリウスは、いつもの装いで衝立の向こうから姿を現した。黒に近い深紺に光るライトアーマー。黒曜石のような輝きを放つレイド・ブレイザー。革のような魔法生地で仕立てられた黒いブーツ――フェイズ・トレッド。自前のマントを羽織り、腰の革ベルトには宝玉をあしらった長剣と黒い短剣がソードホルダーに収められている。



「おー! 炎の大陸の衣装も良かったけど、やっぱりいつものエミリウスが一番しっくり来て素敵だね!」



アジノの賛辞に、エミリウスは軽く答えた。



「そりゃ、どーも。」



あまりの呆気なさに、アジノは『ははは……』と小さく笑った。



「さ、支度は整ったし、王城に行きましょ!」



先頭を歩くレオニスに続いて、アジノ、そしてエミリウスがその後を歩き出した。


王城に到着すると、アジノとレオニスは国王に目通りするため正装へと向かい、エミリウスを王室前に残して着替えに向かった。


一人残されたエミリウスは緊張を隠せず、重厚な扉の前でしばしウロウロしていた。王室前には門番の姿はなく、代わりに扉の下には奇妙な魔法陣が敷かれていた。



「コレは……武器を検知する魔方陣ね。」



床にしゃがみ、魔法陣を観察しながらエミリウスは独りごちる。しかし、剣を立てかける場所も宮人の姿も見当たらない。



「てことは、中ね。」



そう呟き、彼女は意を決して扉をノックした。



「――入れ……」



中から、嗄れたが威厳のある、岩が軋むような声が聞こえてきた。


扉を開けると、玉座の前にはすでに三人の人物が控えていた。その前に立つのは、かなり大柄で恰幅の良い体躯に、深紺の長衣を銀の帯で締め、黒いローブを羽織り、白銀地のマントを肩にかけた老練な男。長く伸ばした髭を弄びながら、琥珀色の瞳で鋭くエミリウスを見据えていた。


一歩踏み出すと、やはり防犯用の魔法陣か、円の外から出られない。脇に控えていた宮人が一人、前に進み出て言った。



「武器をお預かりします。」



エミリウスは大人しく、革ベルトに付けられたソードホルダーごと長剣と短剣を預ける。



「お身体を検めさせていただきます。」



もう一人の宮人が現れ、ライトアーマーからレイド・ブレイザー、フェイズ・トレッドに至るまで、隠し武器や毒の有無を隅々まで検査した。



「異常ございません。前にお進みください。」



宮人が深々と頭を下げて道を開けると、魔法陣の効力が消え、エミリウスは前へ進み出た。



「――お主が、エミリウス・レイヴェルか?」



岩が響くようなしゃがれた声が、部屋を揺らすように静かに響いた。



「エミリウス・レイヴェル。国王命令により参りました。」



エミリウスは膝を折り、礼の形を取る。

鋭い視線を向けたまま、初老の男が唸るように言った。



「儂はアグナス・ヴァルド。この国の宰相を務めておる。」



そのとき、後方から駆け込むようにアジノが現れ、検閲を終えると急いでエミリウスの横に滑り込んだ。



「アジノ・ルクヴェール!宰相殿に拝謁します!」



息を切らせながら礼を取り、深く頭を下げる。

続いて、検閲を終えたレオニスが足早に部屋へ入ってきた。

宰相アグナスは一歩下がり、自らが立っていた場所をレオニスに明け渡す。



「アグナス、父上は?」



「は。王はお加減が悪くなり、今権は私が預かるようご命令なさいました。」



そう言ってアグナスは手を胸に当て、礼を取った。レオニスは頷き



「あとはそなたに任せよう。俺は父の元に行ってくる。」



と言い残して部屋を後にした。


『ああしてると、いかにも王子様なのよねー』


感心しながら、エミリウスはレオニスの背をこっそり視線で追った。

宰相アグナスが咳払いをひとつし、列の中央に立つと、皆が居住まいを正し、膝を折って頭を下げた。



「皆が知るとおり、先の地震の折り、山崩れが起きた。」



その言葉に、皆は頭を下げたまま静かに耳を傾ける。



「これは極秘じゃが、その地震により新たな遺跡が発見された。これにより王命を国王代理として、宰相アグナス・ヴァルドより命令を下す。

ガイアス・ヴォルグ、メイアース・セルフィナ、イザーク・カルデロ、アジノ・ルクヴェール、そしてエミリウス・レイヴェルは、早急に第2王子レオニス・アルセインと共に遺跡を調査するように。これは国王命令である!」



その宣声に、五人は声を揃えて呼応した。



「はっ!賜りました!」


装備を整えるため、五人は街へと繰り出した。

それぞれがクエストに必要な品を買い揃え、中央広場に集まる。費用はもちろん王室持ちだ。


そして五人は連れ立って、隠された遺跡へと向かう。

道中は険しい山道が続き、自己紹介もままならないまま、互いに助け合いながら目的地を目指した。


昼前に出発したが、遺跡前に到着した時にはすでに日が暮れていた。


山肌には山崩れの跡が痛々しく残り、泥が流されて岩肌がむき出しになっている。


その岩肌と同化するように、半分土に埋もれながらも原型を辛うじて留めた岩が積み上げられ、神殿跡のような建物が歪んだ門をぱっくりと開けて来訪者を待っていた。



「夜に遺跡に入るのは危ない。ここで野営しよう」



レオニスの提案で、遺跡の入口近くにキャンプを張ることになった。



「しかし……こりゃ寝るところを探すのが大変だわい」



ガイアスと呼ばれた男が周囲を見回しながら、遺跡の入口付近を探索する。


遺跡の周りは山崩れの影響で、なぎ倒された木々や岩が溜まり、流れてきた土がこんもりと山を作っていた。


それを見たエミリウスが『わたしに任せて』と声を上げる。


彼女は腰に提げたマジックバックから小さな包みを取り出し、人差し指の第一関節ほどの小さな種を2、3粒取り出すと、等間隔に土へ植え、地面に掌をあてがった。


『大地の精霊グラウディスよ……汝の祝福を与え、土に命を! 出てよ、ゴーレム!』



呪文を唱えると、種を植えた場所の土がモコモコと動き出し、次第に人の形を形成していく。



「まさか! ゴーレムの種!?」



メイアースと呼ばれた青年が驚きの声を上げる。

出来上がった巨大な土の人型は、ゆうに五メートルはあろうかという三体。


エミリウスの命令で、流れてきた木々や岩、土を遺跡の脇に崩れないように運び置き、ついでに岩から適当な大きさの石を選んで即席の竈を作った。



「はーい♩︎ご苦労さんね!」



エミリウスはゴーレムを誘導し、額から『核』となる種を取り出すと、ゴーレムはみるみる崩れて土塊に戻った。


ゴーレムのおかげで遺跡の周囲はすっかり整い、竈の周りも土が綺麗に避けられ、緑の草が顔を出していた。



「じゃ、腹ごしらえしましょ♩だれか、この鍋に水汲んできて」



エミリウスが空の大鍋を手に持ち、イザークと呼ばれた青年に手渡す。


彼女はマジックバックからじゃがいも、人参、玉ねぎ、干し肉、包丁、まな板、調味料を次々と取り出し、戻ってきたイザークに鍋を竈に置いてもらう。



「わたし、火打石持ってます!」



名乗りを上げたメイアースが火をつけ、エミリウスは手際よく干し肉と野菜のシチューを作り始めた。

その様子に男性陣は「おー!」と感嘆の拍手を送る。

エミリウスはスプーンでシチューをひとすくい味見し、高揚した顔で



「ん! 今日も美味しい! わたしって天才♡」


と自画自賛しながら、マジックバックから木の椀とスプーンを取り出した。



「ほー! そのバック便利だな」



次々と道具が飛び出す様子に、レオニスが物珍しそうに言う。



「これは魔法道具の一種で、中は魔法空間になってるの。家一軒分はゆうに入るわ」



事も無げに言うエミリウスに、レオニスは驚きの声を上げる。



「そんなに小さいバックに家一軒!?」



「僕も持ってるよー!」



アジノが自分のバックを振って見せる。



「私も持ってます……」



おずおずとメイアースが手を挙げ、



「俺も持ってるな」



ガイアスが続き、



「オレも」



イザークは笑いを噛み殺しながら答えた。



「じゃ……持ってないのは俺だけ?」



膝をついて盛大に落ち込むレオニスに、アジノが元気づけるように背中をバシバシ叩きながら明るく言う。



「まぁまぁ、しょうがないじゃない! 僕は職業柄荷物が多いから、持たざるを得ないし、君はまがりなりにも王子なんだから、自分でそんなに荷物持つことないだろ? 欲しけりゃ、国の宝物庫にそれなりのがころがってると思うから、そっから持ってくればいいじゃない!」



「さ! 料理ができたから取り分けるわよ!」



エミリウスが人数分の椀にシチューを注ぎ、皆に配る。



「それじゃ、いっただっきまーす♩」



明るいエミリウスの食事の合図と共に、皆が口々に声を上げ、シチューをひとすくい口に運んだ。


「美味しい!」とメイアース。


「イける!」とイザーク。


「美味い!」とガイアス。


「うっま!」とアジノ。


「これは……」とレオニス。



それぞれがシチューに舌鼓を打った。



「まだお代わりあるからね〜♩」



というエミリウスの言葉に、即座に「お代わり!」と空の椀が次々に差し出される。


あっという間に鍋は空になり、エミリウスが片付けようとすると、イザークがすっと立ち上がって彼女を制した。



「あんたは寝床になる野営地を作って料理までしてくれたんだ。片付けくらい俺らに任せてくれ」



ぽんと軽くエミリウスの頭に手をのせ、座るよう促す。



「そうだよエミリウス! 片付けくらい僕らがやるから!」



アジノも同調し、椀とスプーンを持って立ち上がる。



「そうだよ。お嬢さん。お前さんは座っておれ」



ガイアスも椀とスプーンを引き取り



「自分達で後片付けしますから、座っててください。あの……ご馳走様でした」



メイアースも立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。


アジノがレオニスを引っ張って立ち上がらせ、皆と一緒に澄水が残る川べりへと向かっていった。


「ほらほら! 王子様も立ち上がって民衆と一緒に食後の労働労働!」


アジノはレオニスを引っ張って立ち上がらせると、皆とともに澄んだ水が残る川べりへと向かっていった。



「みんな……」


その温かな心遣いに、エミリウスの胸にほんのりと灯火がともった。

イザークに手を置かれた頭が、なぜか妙に熱く感じられる。



「何……? この感覚……」



触れられた部分にそっと手を当てながら、エミリウスは小さく呟いた。

 

腹ごなしを終え、ひと段落ついた頃、皆で焚き火を囲んだ。

これまで慌ただしく動いていたため、互いの顔をじっくり見るのはこれが初めてだった。


沈黙を最初に破ったのは、ガイアスだった。



「うーむ……ここで黙っててもしょうがないな。短い期間とはいえ、王命を受けて集った仲間同士だ。王子様を差し置いてなんだが、まず俺から挨拶をしよう。ざっと見たところ、俺が一番年長みたいだからな。」



ガイアスはゴホンと咳払いをひとつし、目線を漂わせながら小さく呟いた。



「どうにも、かしこまったのは苦手だな……」



何度か咳払いを繰り返した後、少し硬い表情で照れくさそうに頬を赤らめながら言った。



「俺はガイアス・ヴォルグ! 生まれは炎の大陸だが、要請を受けて軍事国ゼノ=フレア王国から中央セオリス王国にやって来た。今はセオリス騎兵団第2士隊の隊長を任されている。皆、よろしく頼む!」



彼は、2メートルはある体躯をできるだけ縮めて胡座をかき、頭を下げた。

炎の大陸に多く見られる、陽の光のような癖のあるオレンジ色の髪を短く刈り込み、顔は同じ色の髭に覆われている。


四角く角張った顔におさまるカーネリアンのような赤褐色の瞳は、彼の人柄を映すように明るく煌めいていた。



「わしの獲物はこれじゃな」



そう言って、背中に背負った突槍を指さす。

それは通常の槍の倍はありそうな大きさと太さを誇り、重量感も圧倒的だった。


さらに、背負っているのは重厚な縦盾。身に纏うのは重装甲冑にガントレット、脚甲。

そして背中には真紅のマントが揺れていた。


常人なら着るだけで動けなくなりそうな装備にもかかわらず、彼の身のこなしは険しい参道をものともしないほど軽やかだった。



「そんでー、あのー……」



ガイアスは言いにくそうに手を擦り合わせ、指先をもたつかせながら恥ずかしそうに口を開いた。



「わしも、趣味程度なんじゃが……その、料理が好きでな。後で嬢ちゃんが作ったシチューのレシピを教えてもらえんか? 野営の材料であれだけのものが作れるなら、次の野営で隊の仲間が喜ぶと思ってな……」



顔を真っ赤に染めてしどろもどろに話すガイアスの、屈強な見た目とは裏腹な愛嬌ある仕草に、エミリウスは思わずぷっと吹き出した。

そして、にっこりと笑みを浮かべて言った。



「OK! お安い御用よ♩」



「年齢順で自己紹介なら、次は……ざっと見た感じ、俺かな?」



イザークが言葉を紡ごうとしたその瞬間、レオニスが手を挙げて制した。



「次は俺からいこう。」



レオニスが口を挟むと、イザークは肩をすくめて口を閉ざした。


その時、レオニスの胸には、先ほどのイザークとエミリウスのやり取りが妙に焼き付いていた。

その感情に名前はつけられない。


ただ、心が波打っていた。



「皆が知ってのとおり、俺はレオニス・アルセイン。立場は言わずもがな、この国の第2王子だ。」



プラチナブロンドの長い髪を風に揺らしながら、レオニスは碧い瞳で一瞬、鋭く視線を走らせる。

そして、凛とした口調で言い放った。



「今回のこのパーティーの責任者だ。」



 レオニスの口調に空気がピンと張り詰めた。

そんなレオニスの首を狩るように、勢いよく飛びついて腕を回し、場の空気を和らげたのは陽気なアジノの一言だった。



「あはは! レオン!君のことは誰だって知ってるさ! なんたってこの国の顔のひとつなんだからね♩なんなら諸外国の人間だって君のことは知ってるよ。みんな〜、ちょっと堅苦しい奴だけど、彼のことは“レオニス”でも“レオン”でも気軽に呼んであげて!」



陽気に笑いながらそう言うアジノに、レオニスは何か言いたげに口を開こうとした。


だがその瞬間、アジノは笑顔のままその言葉を封じ、自分の自己紹介へと話を切り替えた。



「知ってる人もいるだろうけど、僕はアジノ・ルクヴェール! 王室御用達の絵師だよ。今回は記録係として同行することになったんだ。よろしくね!」



そう言って、目にかかりそうな亜麻色の透けるような髪をふわりとかき上げる。

そこから覗いたのは、ビー玉のように丸く、人懐っこさを湛えた栗色の瞳。

その瞳に笑顔を乗せて、アジノは皆に向かって軽やかに挨拶をした。


次に、おずおずと手を挙げたのは、痩せ型の青年だった。

シルバーの髪で顔を隠すようにしており、ラベンダージェダイトのような淡く揺れる瞳が、髪の隙間からちらりと覗いていた。


彼は気の弱そうな様子で、分厚い魔導書と、月光石が嵌め込まれた杖を抱えるように胸元でぎゅっと握りしめていた。

彼は震える声で口を開いた。



「私の名前はメイアース・セルフィアと申しまして、し……白魔法が使えます。”王立アカデミー”では、”王室図書館”の司書をしながら、”王立中央図書館”の司書見習いも兼任させてもらってます……古代魔法用語などを嗜んでおりますので、遺跡では皆様のお役に立てるかと思います。その……どうぞよしなに……」



消え入りそうな声で自己紹介を終えた彼は、前髪の隙間からそっと皆を見回し、ぺこりと小さくお辞儀をした。


そういえば、レオニス以外の面々は赤いマントを羽織っていたが、彼だけは装いが異なっていた。


白と藍色を基調とした法衣を纏い、胸元には”王立中央図書館・叡智の森”の印章が施されている。

その上に身につけていたのは、灰色のマントだった。



「じゃ、次は俺かな」



穏やかな口調で、イザークが名乗りを上げた。



「俺はイザーク・カルデロ。城では主に隠密業が役目だ。遺跡で役に立てるとしたら、罠の解除や宝の鑑定かな。獲物はこれだ。」



そう言って彼は、細身ながら均整の取れた筋肉に覆われた身体を軽く動かし、腰に巻いた革ベルトの両側に収まる鋭い短剣を取り出した。


シャツは“霧のような幻影布”と呼ばれる非常に希少な布地で仕立てられており、胸元には『王室隠密部隊の緋色の紋章』が刺繍されていた。


その刺繍は、見る者によって形を変えるという不思議な性質を持っていた。


イザークは短剣を掌でくるくると回し、空を切るように演武の一振りを見せると、素早く鞘に収めた。

何より彼に強く惹かれてしまうのは、その容姿の素晴らしさだった。


緋色の先まで丁寧に切り揃えられた艶やかな長い髪。

女性のように繊細な顔立ちに収まるのは、ガーネット色の鮮やかな赤い瞳。

その瞳の色は、見事なまでに髪の色と調和していた。


レオニスの容姿を“光”と捉えるなら、彼の容姿は“燃える闇”だった。


その視線がエミリウスを捉え、キラリと瞬く。


一瞬、心の奥を見透かされたような気がして、エミリウスは落ち着かない気分になった。

彼女は小さく首を振る。



「まぁ、邪魔にはならないだろうと思う。よろしくな」



イザークは周囲を見回しながら、首を傾げるように軽く礼をした。



「じゃ、最後はわたしかしら?」



エミリウスが声を上げると、アジノがすかさず口を開いた。



「エミリウスはいいよ! レオニスと同じくらい認知度高いから! だって……」



アジノが皆を見渡し、小さく『せーの』と合図すると


――「ヒドラ斬りのエミリウス!」



全員が声を揃えて、笑いながら口を開いた。



「な……! 何なのよ! その失礼な二つ名は!」



エミリウスが真っ赤になって反論の叫びを上げると、彼女を除く皆が笑い出した。



「君は王都一の有名人だよ、エミリウス。知らなかった?」



アジノが笑いながら言うと――



「まぁ、あのヒドラをものの数分で片付けたのが、こんな若い嬢ちゃんだとは想像もつかんがな」



と、ガイアスが続けた。

夜の静けさが辺りを包み、焚き火の炎がぱちぱちと音を立てては、赤く揺れる光を仲間たちの顔に映していた。


風は穏やかで、遠くの木々がささやくように葉を鳴らす。

その中心で、彼らはようやく肩の力を抜き、言葉を交わし始めた。



「……それにしても、あのヒドラのときは本当に驚いたよ」



アジノが笑いながら言うと、エミリウスはまた顔を赤らめて火を見つめた。



「もう、その話は勘弁してよ。あれもこれから暮らしやすくする為の作戦のひとつだったの!」



照れ隠しをするようにエミリウスは声を荒らげた。

レオニスは黙って火を見つめていたが、ふと口を開いた。



「この任務、ただの探索じゃ終わらない気がする。王命の裏には、何かある」



その碧い瞳が炎を映し、鋭く光った。


 後ろを振り向き、遺跡でぽっかりと口を開いて来訪者が訪れるのを待ち構えているかのような、入口の闇に皆の視線が集まる。



「そういう勘、当たるから怖いんだよなぁ」

アジノが肩をすくめて笑う。



「でも、記録係としては面白い絵が描けそうだ。皆の表情、今夜だけでも何枚も描きたくなるよ」



火は静かに燃え続けていた。

誰かが薪をくべ、誰かが笑い、誰かが黙って空を見上げる。


それぞれが違う過去を持ち、違う未来を見ている。

けれど、この夜だけは、同じ炎を囲んでいた。

その語らいは、旅の始まりに灯された小さな誓いのようだった。


言葉にしなくても、誰もが心の奥で感じていた。

――この仲間となら、乗り越えられるられるかもしれない。


――翌朝。


持参したパンを干し肉と一緒に軽く火で炙り、卵を炒めて焼いた簡素な朝食を、皆で取った。

今朝のコックはガイアスだった。野営地では定番の食事らしい。



「材料も少ないし、簡単なうえ、腹に溜まるからな」



そう言ってガイアスは、温かいパンと柔らかくなった干し肉を皆に振る舞った。

炙られたパンの香ばしさと、干し肉の歯ごたえが心地よい満腹感を呼び起こす。


食後、澄んだ川の水で顔を洗い、さっぱりしたところで装備を確認し、身支度を整える。


いよいよ、遺跡への潜入が始まる。

遺跡の入口から中を覗くと、陽の光はほとんど届かず、奥は闇に包まれて見通しが効かない状態だった。



「どうする? 松明を持って入るか?」



ガイアスの問いかけに、エミリウスが慣れた手つきでカバンを開きながら答えた。



「松明じゃ効率が悪いわ。ちょっと待ってて。明かりを作るから」



彼女は人数分のカンテラを取り出し、ロウソクの代わりに月光石の欠片を中に入れていく。


その様子を、メイアースとイザークが興味深げに覗き込み、アジノは紙と木炭片を取り出してスケッチを始めた。


イザークも何が起ころうとしているのか、エミリウスの背後に立ってじっと見つめる。



「白魔法は苦手だけど、この程度なら……」



エミリウスはぶつぶつと独り言を呟きながら、宝玉が施された剣の柄を握り、月光石入りのカンテラに手をかざす。


『天地の母にして、光の化神ルクス=エルディアよ。

その御手みてに輝く光の玉から、一条の欠片を我に与えんことを願う。――”ルーメイン!”』


呪文が歌のように響き渡り、結びの言葉とともに彼女の手が光り輝く。

その光が月光石にまとわりつき、カンテラ全体が柔らかな光を放ち始めた。


ロウソクを使わず、最悪カンテラが壊れても光が消えない、魔力による発光石の完成だった。


その術に、メイアースは目を丸くする。


「”ルーメイン”にこんな使い道があったなんて……」



感嘆と、少し悔しさの滲んだ声だった。



「”ルーメイン”ってなんだ?」



レオニスの純粋な問いに、メイアースが答える。



「白魔法のひとつで、光の主神ルクス=エルディア様のお力を借りて、本来は強い光を放ち、アンデッドの浄化や目くらましに使える魔法です。ですが……こんな使い方は私も初めて見ます」



出来上がったカンテラを一人ひとりに配りながら、エミリウスは口を開いた。



「本来、光魔法は同じ属性同士の結びつきが強いのよ。その性質を利用して、発光作用を持つ月光石と組み合わせると、月光石の持つ魔力を燃料にして、数日間でも光を失わず、持続させることができるの。まあ、魔力調整がちょっと面倒なんだけどね」



皆にカンテラを配り終えると、エミリウスは自分のカンテラを掲げて言った。



「基礎と応用の組み合わせね。性質をきちんと理解すれば、さほど難しくないわ」



明るく言い放つエミリウスに、メイアースは思わず声を張り上げた。



「これは簡単にできる術式じゃありません! 光の調整、魔力鉱石との相性、すべてを理解して制御できなければ使えない高位魔法の一種です! ”王立アカデミー”所属の魔導師で、同じことができる者が一体何人いると思いますか!?」



興奮して叫ぶメイアースに対し、エミリウスは一歩前に足を踏み出し、口角に皮肉な笑みを浮かべて言い返した。



「さっきから聞いてりゃ、”王立アカデミー”が一体何様なのよ。わたしから言わせてもらえば、“井の中の蛙”もいいところね。魔術なんて、魔力キャパシティと呪文構成の意味、魔術の特徴さえ理解できれば、”契約魔術”を除いて、どこでも学べるし、力をつけることだってできるわ。特権階級だか栄誉だか知らないけど、自分ができないからって、いちいち当たられるのは迷惑よ。自信がないなら、帰りなさいな。坊や」



エミリウスは、彼女独特の言い回しで、挑発的にメイアースへと噛みついた。


エミリウスの言葉が鋭く突き刺さる。


メイアースは顔を紅潮させ、杖を握る手に力が入る。

空気が張り詰め、焚き火の残り火さえ沈黙したように感じられた。

その瞬間――



「……やめとけ、エミリウス」



イザークの声が、低く、しかしはっきりと場を切り裂いた。

彼は二人の間にすっと歩み寄り、どちらにも目を向けず、ただ前を見据えたまま言葉を続ける。



「言葉で切り合っても、何も残らない。今は、そんな時間じゃない」



エミリウスが口を開きかけるが、イザークはそれを遮るように、静かに言葉を重ねた。



「メイアース、お前の言ってることは正しい。術式の精度、魔力の調整、石との相性――全部、簡単じゃない。

でも、エミリウスがそれを“簡単”って言うのは、彼女がそれだけ積み重ねてきたってことだ。

それを否定するのは、努力の形を一つに決めつけることになる」



彼の瞳は、焚き火の光を受けて淡く揺れていた。

冷静で、感情を抑えた声。けれどその奥には、仲間を守ろうとする強い意志が宿っていた。



「エミリウス、お前も。メイアースの言葉は、ただの反発じゃない。

自分が届かない技術に、純粋に悔しさを感じてるだけだ。

それを“坊や”って切り捨てるのは、ちょっと違うだろ」



エミリウスは眉をひそめたまま、しばらく黙っていた。

メイアースも俯いたまま、杖を握る手を少し緩める。

イザークは、二人の間に立ったまま、最後に一言だけ残した。



「……俺は、誰かが誰かを見下すパーティには、加わる気はない。それだけは、覚えておいてくれ」



その言葉に、場の空気が静かに落ち着きを取り戻す。


エミリウスは小さく舌打ちしながらも、カンテラを掲げて前を向いた。


メイアースは深く息を吐き、そっと目を閉じた。

そして、誰も何も言わないまま、遺跡の闇へと足を踏み入れていった。


遺跡に足を踏み入れてすぐ、ガイアスはこっそりイザークに耳打ちした。



「いやー、お前さんが場を収めてくれて助かった。どうも俺ゃこういう事は苦手でな。拳で語った方が早い。」



 ガイアスの言葉にアジノも、同調する



「いや、ホントに助かったよイザーク。エミリウスとレオニスのやり取りだったら僕もどうにかできるんだけど、メイアースくんの事はイマイチよく分からないし、正直セルフィア家とは揉めたくなくてね。」



 セルフィア家とはメイアースの実家で、王国でも有力な高位貴族だ。


 ガイアスと、アジノの言葉にイザークは苦笑を浮かべ



「貴族様のことはよく分からんが、ガイアス、1個師団の隊長のあんたなら分かるだろ。仲間割れが一番『死』に近いからな。」



 イザークは、表情を引き締めると



「この先、何があるか分からないからな。仲間がかけることをなるべく避けるのが俺の――俺たちの使命だと思ってる。」



 ガイアスとアジノは同時に頷いた。

 先頭を歩いていたレオニスに、エミリウスが声をかける。



「これ以上奥に進む前に、隊列を変えましょう。先頭はあたし、メイアース、アジノ、レオニス、ガイアス、そして最後尾にイザーク。この順で行きましょ。理由は二つあるの。

 まず、わたしは魔術も剣術も使えるし、古代文字も多少は読める。何か起きても、メイアースとアジノくらいなら守りながら戦えるわ。経験もあるしね。

 メイアースは白魔法が使えるし、古代文字の解読もできるみたいだから、わたしと二人で前方に立てば罠の解除にも対応できる。それに、遺跡にはアンデッド系のモンスターが多いから、白魔法が使えるのは心強い。アジノも自分を守るくらいの魔法は使えるから、特に心配してないわ。

 これが野戦なら、レオニスやガイアスを先頭にしたいところだけど、遺跡では何が起こるか分からない。だから、戦力は温存しておきたいの。

 そして最後にイザーク。彼には本来なら最前列で罠に対応してもらいたいけど、わたしもダンジョン慣れしてるし、ある程度の罠解除はできる。でも、ダンジョンで一番怖いのは、後方から出てくるトラップなのよ。正直、これが一番厄介。

 だからこそ、罠解除に詳しいイザークには最後尾に回ってほしいの。」



 エミリウスの立てた作戦に皆が同意し、隊列はエミリウス、メイアース、アジノ、レオニス、ガイアス、イザークの順で遺跡探索を再開した。



「あと、クエスト慣れしてない人たちに言っておくけど、無闇に壁に触ったり、わたしが通った道以外を歩かないでよ? トラップがあるかもしれないから。巻き込まれたら、たまったもんじゃないわ。」



 注意とも嫌味とも取れる言葉を残し、エミリウスを先頭に、一行はカンテラの明かりを頼りに足を進めていった。

 ――一階層、二階層、三階層と、慎重に歩を進める。モンスターに遭遇することもなく、一行は順調に探索を続けていた。


 遺跡は上層から下層へと降りていく回廊構造になっており、壁一面には精緻な壁画が刻まれていた。アジノはカンテラの光を頼りに、すべてを描き尽くす勢いでスケッチを続け、メイアースは手にした魔導書と照らし合わせながら、壁画や古代文字の解読に夢中になっていた。


 エミリウスは、壁画を見つめながら階層ごとに古代文字を読み進めていくにつれ、次第に険しい表情を浮かべていった。


 そんなエミリウスの表情の変化に気づいたイザーク、レオニス、そしてメイアースが声をかけた。


アジノは一心不乱に木炭片を動かし、ガイアスは何事かおきているのか?とカンテラを高く掲げた。



「どうした、エミリウス。この遺跡に何かあるのか? 眉間にシワが寄ってるぞ」



レオニスが顔を覗き込む。



「こんなに興味深い遺跡は初めてです! 文化財ものですよ! なのに、どうしてそんな怖い顔してるんですか?」



メイアースが髪の隙間からエミリウスの様子を伺う。



「……何かあるのか?」



イザークも心配そうに視線を送った。



「なんでもないわよ。ただ、無事に調査を終えて、早くここから出たいだけ」



 エミリウスはそう言って、壁画から目を離さずに歩を進めた。



「ここには何が描かれているんだ?」



 エミリウスの足取りは、どこか急いていた。壁画に刻まれた古代文字を目で追いながら、彼女は小さく息を吐いた。



「……やっぱり、ここだったのね」



 その呟きに、メイアースが耳をぴくりと動かす。



「何か分かったんですか?」



 エミリウスは立ち止まり、壁画の一部を指差した。そこには、円環の中に二つの対極が描かれていた。片方は骸骨の村、もう片方は根を張る巨木。そしてその中心に、宝玉を抱えたドラゴンが横たわっていた。



 「この遺跡は、エルナ族が築いたものよ。始まりにして終わりの種族――彼らは調和の塔の安定を保つために、この場所を選んだ。塔の根幹は、世界の均衡を司る“歪み”に依存している。その歪みを安定させるために、彼らは二つの相反する力をここに封じたの」



 メイアースが目を輝かせる。


「アンデッドの村と、地のドラゴン……?」



 「そう。アンデッドの“生ける死”――死してなお動く存在が放つ負のエネルギー。そして、地のドラゴンが死に至ることで生まれる“死せる生”――大地の循環が生み出す陽のエネルギー。この二つが交わることで、歪みは均衡を保ち、塔は揺るがない」



 レオニスが腕を組んで唸る。



「だが、地のドラゴンが死にかけてるってことは……その均衡が崩れかけてるってことか?」



 エミリウスは静かに頷いた。


「ええ。大地のエネルギーが滞っている。もしドラゴンが完全に死んでしまえば、“死せる生”は消え、負のエネルギーだけが残る。そうなれば、調和の塔は崩壊するわ」



 イザークが低く呟く。


「つまり、俺たちがここに来たのは……その崩壊を防ぐためか」



 壁画の最後には、宝玉を抱えた竜の周囲に集う六つの影が描かれていた。それぞれが異なる武器と魔法を携え、竜の命を守るように立っていた。

 エミリウスはその絵を見つめながら、静かに言った。

 


「この遺跡は、ただの遺産じゃない。これは“今”を守るための場所。私たちがここに呼ばれたのは、偶然じゃないのよ」



「そして、間違いじゃなければ……」



 エミリウスが突き当たりの石造りの大扉の前で立ち止まった。その言葉に、一行は足を止め、彼女の背後に集まる。



「ガイアス、悪いけどこの扉を開けて」



 力自慢のガイアスに向けて、エミリウスが扉を指差す。



「よーし!任せろ!」



 ガイアスは気合を入れるように両手に唾を吐きかけ、肩をぐるりと回すと、勢いよく扉に体当たりするように力を込めて押し開いた。


 重々しい音を立てて扉が開くと、目の前に広がったのは石造りの大広間だった。天井は高く、空気はひんやりと澱み、静寂が支配している。


左右には巨大な石像が並び、それぞれが異なる武器と装束を身にまとっていた。まるで、かつてこの地を守っていた戦士たちの記憶が石に刻まれているかのようだった。




「……すごい。これ、全部エルナ族の守護像ですか?」



 メイアースが目を輝かせながら魔導書を開き、石像の意匠を照らし合わせる。



「彫りが細かいな。こっちの像、手にしてるのは……双剣か?」



 アジノがスケッチ帳を取り出し、カンテラの光を頼りに素早く描き始める。石像の配置、装飾、空間の緊張――すべてを記録するかのように、手は止まらない。



「こっからは必ず、わたしが歩いた場所を辿って。でないと、ゴーレムの餌食よ!」



 エミリウスの鋭い指示に、メイアースは悲鳴を上げながら、石畳を一枚一枚慎重に踏みしめて進む。


 ガイアスは「よっ……ほっ……はっ!」と、大きな体躯を無理やり小さく折りたたみながら、石畳の安全を確認して進んでいく。


 イザークは風のように滑り込んだ。

 足音ひとつ立てず、空間の罠を読むように視線を走らせ、正確な石畳を踏み抜いていく。重心の移動は無駄がなく、まるで空気の流れに乗るような動きだった。

次の瞬間には、エミリウスの隣に立っていた。



「で。他にもなんかあるんだろ?」



 その問いは、見透かすような鋭さを帯びていた。イザークの瞳は真っ直ぐにエミリウスを捉え、彼女の表情の奥にある不安を読み取っていた。

 エミリウスは頷く。



 「巨像の中にひとつだけ、宝玉を持つものがいるわ。その宝玉を取り出して、正面の扉の窪みに嵌めれば、扉が開いて次の階層に進めるの」



 険しい顔を崩さないエミリウスに、イザークは静かに腕を伸ばし、彼女の肩に触れる。

 引き寄せるというより、重心を預けるような自然な動きだった。



「そんな心配しなさんな。これくらいなら、俺がどうにかしてやるよ。だから、あんたは気楽に笑えよ」



 囁きは耳元に風のように届き、吐息が肌を撫でる。

 エミリウスは思わず肩を竦めた。

 そのやり取りを見ていたレオニスが、低く鋭い声を放つ。



「おい、そこ……何してる」



 レオニスの動きは瞬間的だった。

 空間の罠を正確に読み、迷いなく踏み込む。


 その足取りは、感情に突き動かされながらも、戦士としての本能が研ぎ澄まされていた。

 一直線に二人の間合いへと踏み込むその姿は、まるで獣が獲物に迫る瞬間のようだった。


 途端――ガコン……。

 嫌な音が広間内に木霊した。

 直後、床が震え、空気が軋む。左右に並んでいた巨像が、石を軋ませながらゆっくりと動き出す。

 エミリウスは頭を抱え、怒声を上げた。



「人の話、どこで聞いてんのよ!? この唐変木!」



 レオニスは肩をすくめて頭を下げる。



「す、すまん……」



 殊勝な態度ではあるが、状況をどうすることもできない。


 メイアースは悲鳴を上げて後退し、ガイアスは巨像の動きに合わせて身構える。


 だが、イザークだけは落ち着いていた。



「まぁ、やることは分かってる。俺に任せろよ」



 その声と同時に、イザークは動いた。

 空間の罠を読むように視線を走らせ、石畳の間を風のように滑り抜ける。


 巨像の腕が振り下ろされる寸前、彼はすでに別の位置にいた。

 動きは無駄がなく、重心の移動は獣のように鋭い。


 空気の流れを読むかのように、イザークは襲いかかる巨像の合間を縫って、宝玉を持つ石像を探し続けていた。


 その動きは風のように滑らかで、敵の攻撃を先読みするかのように、常に一歩先を行っていた。


 エミリウスは飛行魔法で宙に浮かび、巨像の攻撃を躱しながら、イザークの動きを目で追っていた。



「おっ、あれだな!」



 レオニスが『風の剣』を振るい、衝撃波を放つ。


 風の刃が巨像の足元を叩き、石の巨体がぐらりと揺れて膝をついた。


 その隙を逃さず、レオニスは宝玉を持つ石像に飛び乗る。


 腰から短剣を抜き、石の胸元に刻まれた宝玉をくり抜くと、目にも止まらぬ速さで正面の扉へと駆け、窪みに宝玉をはめ込んだ。


 石の扉が、低く唸るような音を立てて開き始める。



「こっちだ! みんな早く!」



 イザークが開き始めた大扉の前で声を上げる。


 レオニスは衝撃波を放ちながら後退し、アジノは器用に巨像を避けつつ、スケッチを続けながら扉へ向かう。


 ガイアスはメイアースを庇いながら走り、エミリウスは魔法で援護しながら宙を飛んで彼らに追いついた。


 アジノ、ガイアス、メイアースが扉を潜り、続いてレオニスとエミリウスが中へ入る。


 最後にイザークが滑り込むように扉を通過すると、宝玉が嵌った扉は自動的に閉まり、広間の騒乱は遮断された。


 全員、何とか事なきを得た。


 しかし、次の瞬間――


 皆の不穏な視線が一斉にレオニスへと集中する。

 レオニスは頭をかきながら、脂汗を滲ませて言った。



「いやぁ……すまん……」



 誤魔化し笑いを浮かべつつ、深くうなだれる。

 そして、静かに拳を軋ませる音が響いた。



「いいから、1発殴らせて♡」



 エミリウスがグローブをぎゅっと握りしめ、拳を振り上げる。

 殴りかかろうとする彼女を、全員で止めるのに必死だったという。


 扉の向こうは水路のようになっており、石造りの道の脇を清らかな水が流れていた。

 水は澄み切っていて、まるで神殿の聖水のような美しさを湛えていた。



「エルナ族って、意外と文明が発達してたみたいですね」



 水路を流れる水を覗き込みながら、メイアースが感慨深く呟いた。



「あまり近づかないで。水妖性のモンスターがいてもおかしくないから」



 エミリウスがメイアースに注意を促したその瞬間、水に手を伸ばそうとしているレオニスの姿が目の端に飛び込んできた。

 エミリウスは長剣を鞘ごと抜き出すと、低く呟いた。



「言うこと聞け、このトラブルメーカー」



 スコーン!


 小気味よい音を立てて、鞘に収まったままの長剣でレオニスの後頭部を殴り飛ばす。



「あうっ!」



 レオニスは悲痛な叫びを上げてしゃがみ込む。


 周囲が「まぁまぁ」となだめる中、エミリウスはじとりとレオニスを睨みつける。



「余計なことすんなって、何回言わせるのよ!? あんた、パーティ全滅させる気!?」



 怒りのこもった声に、レオニスは不貞腐れたように壁に体を預ける。



「そんなに怒らなくても……俺だって反省してる……」



 ――と言い切る前に、レオニスの体は壁に吸い込まれ、姿を消した。



「レオニス王子!」



 メイアースが悲鳴を上げる。

 アジノは呆れを通り越して笑い出し、ガイアスは慌てふためき、イザークは驚きのあまり口を開けたまま言葉を失っていた。


 エミリウスは絶望的な表情を浮かべ、顔を両手で覆う。



「もうヤダ……部屋に帰りたい……」



 泣き出したくなる気持ちを必死に堪えながら、彼女はレオニスが吸い込まれた壁を調べ始めた。



「遺跡を安定させる宝玉に力が通ってないから、次元が不安定なのよ」



 そう呟くと、エミリウスはバッグから長いロープを取り出した。

 彼女を先頭に、メイアース、スケッチを中断させたアジノ、ガイアス、イザークの順で、一直線になるように腰にロープを結びつけていく。



「最悪の場合、時空が崩れてどこかに飛ばされる可能性があるから、ロープと、隣の誰かの服の端でも腕でもいいから、しっかり掴んで。絶対に離れないようにしてね」



 エミリウスはロープの端を近くの円柱にしっかりと結びつけると、皆を引き連れて時空の穴へと飛び込んだ。


 次元の歪みの中は、空間が不安定で、視界も感覚も揺らいでいた。


 重力も方向も曖昧で、まるで夢の中を漂っているような奇妙な感覚が、彼らを包み込んでいた。


 水の中を泳ぐように先へ進むと、すぐ目の前に、空間にぷかぷかと浮かんで漂うレオニスの姿があった。

 殴り飛ばしたい衝動を必死に抑えながら、エミリウスは彼のそばまで近づき、服の端を強く握って引き寄せる。



「この腐れ唐変木! あんた、人の話を聞くって能力、母親の腹の中に忘れてきたんじゃないの!?」



 とりあえず怒声を浴びせる。

 もう誰もレオニスを庇う者はいなかった。

 エミリウスに怒鳴られ、レオニスは萎縮して頭を下げる。



「……重ねてすまん……」



 その時だった。



「エミリウス! 大変だ! ロープが……!」



 焦った声を上げたイザークが、自分のロープの端を掴んで見せる。

 ロープは、イザークの背後約1メートルの位置で、ぷつりとちぎれていた。



「嘘でしょ……!?」



 エミリウスは青ざめた。

 これでは、元の場所に戻る手段が断たれてしまった。


 何とかしなければ、一生この次元の歪みに閉じ込められてしまう。



「こうなったら、一か八かね」



 彼女は全員がロープで繋がれていることを確認すると、片手でレオニスの腕を引き寄せてしっかりと掴む。



「ちょっと荒業に出るわよ! みんな、自分の腕を隣の腰に回して、しっかり掴まって!」



『次元が歪んでる。中の時空も不安定……どこに飛ばされるか分からないけど、外に出るには試す価値があるわ』


 皆がエミリウスの指示に従い、互いの腕を掴んだり、腰に回して連なりを確かなものにしたのを確認すると、彼女は空いた手で腰の短剣を抜き取った。


『頼んだわよ……!』


 祈るような気持ちで、勢いよく短剣を振り下ろす。

 ビリッ――。

 布を裂くような音が空間内に轟いた。

 全員が前方を見据えると、空間が裂け、裂け目の奥から黒い闇が広がっていた。



「どこに出るのか不安だけど、ここにいるよりはマシよ! みんな、あの闇に向かって飛び込むわよ!」


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