余韻の後
……トントントントン……。
城下町の人々や冒険者が集う、賑やかな一軒の酒場。昼間であっても客足が途絶えることはない。
その店内の一角、テーブル席にて。澄んだ青のアーモンドアイが印象的な、軽装の女魔剣士が座っていた。彼女は正面に座る二人の男性をじとりと睨みつけ、腕を組んだ左手の指先で、苛立ちを示すようにリズミカルにテーブルを叩いていた。
その視線に晒された青年――透けるような亜麻色の柔らかな髪を持つ彼は、顔を真っ青にし、脂汗を流しながら隣の青年の頭を鷲掴みにする。
プラチナブロンドの髪と碧眼が目を引く美青年の頭を、テーブルに叩きつけるように押さえつけると、彼自身も深々と頭を下げた。
「ごめん! エミリウス! 許して! 今回だけは!」
容姿が際立つ三人が揃い、しかも男性二人が頭を下げている構図は、店の客たちの注目を集めていた。
「で!?……自分たちが何をしでかしたか、分かって言ってる? 特に第2王子……」
エミリウスが言いかけた瞬間、亜麻色の髪の青年アジノは慌てて彼女の口を塞いだ。
「あー! あー! あー! 第2王子の噂は後にして! レオンと僕の話を聞いてー!」
苦しい話の持っていき方だったが、エミリウスの怒りと、現状の立場にアジノは冷静ではいられなかった。
その時、店の奥から声が響く。
「マスター! 昨日の英雄に、今飲んでるやつ追加してやってくれ!」
他の席の男性がエミリウスに向かってカップを掲げ、ウィンクまで添えてきた。
エミリウスは愛想笑いを浮かべながら、蜂蜜酒の入ったカップを掲げて礼の合図を送る。
奥からマスターが現れ、彼女のテーブルにお代わりの蜂蜜酒を置きながら言った。
「”王立アカデミー冒険者登録”で、いきなり特級ランクを取ったかと思えば、昨日は騎士団と組んで盗賊を一掃して、宝を街に還元するなんて粋じゃねぇか! 俺が冒険者だった頃には、そんな美談はなかったぜ、嬢ちゃん!」
屈強な元冒険者を名乗るマスターに背中をバシッと叩かれ、エミリウスは衝撃でカップの酒を半分ほどこぼしてしまった。
それすらも素晴らしいと言わんばかりに、マスターは豪快に笑いながらカウンターへと戻っていく。
エミリウスは、奢ってくれた客とマスターに感謝の意を込めて作り笑いを貼り付け、カップを掲げて一気に飲み干した。
そして、空になったカップを静かにテーブルに置き
――「で!?」
背後に青い炎が揺らめくような、静かな怒りを湛えながら、エミリウスは再び二人を見据えた。
彼女の名は、既に国中の冒険者ギルドで知られていた。『王立アカデミー冒険者登録資格』の初戦で、いきなり特級モンスターを討伐したという噂が広まり、名声は瞬く間に広がった。
――そこまでは、彼女の計画通りだった。
だが、その計画を台無しにしたのが、アジノとレオンと呼ばれる青年二人だった。
「とりあえず、説教がてら殴らせて?」
エミリウスは極上の笑みを浮かべながら拳を握る。
みしり……と、グローブを握りしめる不吉な音が響き、アジノはさらに青ざめる。さっきまで納得がいかない様子だったレオンも、その音に初めて顔を青くした。
「たしかに……君の計画を潰してしまったのは謝ろう。しかし、善行を成し遂げ、街の人々に感謝され、騎士団からセオリス功労勲章まで授与されたんだ。何が不満なんだ?」
レオンは少し青ざめながらも、謝罪に見せかけた反論を口にする。彼には、エミリウスが何にそれほど怒っているのか、まだ理解できていなかった。
その瞬間、エミリウスの目がギン!と見開かれる。彼女はレオンの上等な上着の襟を掴み、顔をぐいっと引きよせて睨み上げる。
「……わたしは、勲章や栄誉なんて要らないんだよ。世間知らずのクソ坊ちゃん! お宝と金が目的で働いてんだ。それ以外はクソみそほども望んでないんだよ!」
地を這うような低い声で囁かれたその言葉に、さすがのレオンも黙って青ざめるしかなかった。
エミリウスは襟を放すと、不機嫌そうにカップを握りしめながら続ける。
「特級ランクを取っておけば、依頼には困らないし、あの取り方をすれば噂になって、他の冒険者と依頼を争うこともなくなる。楽できると思ったのに……」
彼女の手はカップごとワナワナと震え、怒りが滲んでいた。
「あんたら二人がついてきて、余計なことしてくれるから、あんなことになったんじゃないさ!」
エミリウスはカップを壊さんばかりに、ドン!と勢いよくテーブルに叩きつける。
「二人とも、絶対に許さないから……」
地の底から響くような低い声で、睨み据えたまま吐き捨てるように言い放った。
「これは誤解と偶然の産物なんだよ……お願いだから、僕の話を聞いてくれ。エミリウス……頼むよ……」
アジノは青白い顔で縋るように懇願した。栗色の瞳がキラキラと揺れ、あどけなさの残る顔立ちにぴったりの表情だった。
――これまで、この顔に落ちなかった者はいない。
「その顔で騙せると思わないでね。」
エミリウスはピシャリと一喝した。
内心『イける!』と思っていたアジノは、心の中でちっと舌打ちをしたが、表情には出さなかった。
「まぁ、ここで事情を話すのはなんだから……」
アジノは、マスターに声をかけた。
「マスター!個室貸して貰えますか?」
アジノは柔らかな雰囲気で声をかけた。
マスターは笑みを浮かべて答える。
「今度うちのカミさんと娘を描いてくれるなら、二階室ぜんぶ貸切にしてやるよ!あと、その嬢ちゃんも描いてくれ!」
「話が終わったらすぐにでも。マスターのご好意に感謝しますよ。」
アジノは姿勢を正し、優美に礼をした。
背後ではエミリウスが
「何でわたしの絵まで必要なのよ!」
と騒ぎ立てていた。
騒ぎ立てるエミリウスを宥めながら二階にある個室席にレオンを先立ってエミリウスの口を抑えながら、背中を押して個室まで上がって行った。
その間も、下の階から
「よっ!セオリスの英雄!」
だの
「セオリスの功労者!」
だのと、好奇のヤジが飛んでいた。
二階の個室に入ると、エミリウスは憮然と椅子に腰をかけ、レオンはソファ席に腰を沈めた。
アジノは、後ろ手でドアに鍵をかけると、エミリウスの真正面に腰を下ろした。
「じゃ、弁明を聞きましょうか?」
エミリウスは2人を交互に見て目を細めた。
アジノが口を開いた瞬間エミリウスは片手を上げて
「あんたはいいわ。大体分かってるから。どうせギルドで盗み聞きして、好奇心抑えきれず、あたしの後でもついてきたんでしょ?」
エミリウスの牽制にアジノはサラサラした髪をかき混ぜるように頭をかいて
「あはは……ご明察……」
と、タジタジになって認めた。
「で、レオン――レオニス殿下がついてきたのは?」
エミリウスが、じろりとレオンに視線を移した。
――時を遡ること二日前――冒険者ギルドにて。
その日も冒険者ギルドは賑わっていた。
クエスト掲示板でクエストを探すもの、攻略をパーティーと練るもの。クエストを終えて、賞金を換金するもの。
どのギルドもそうだが、ギルドと名のつくものは大概が冒険者ギルドでは、モンスターや賊の討伐、遺跡調査が主な依頼内容だ。
一方、商人ギルドでは商品の収集や取引が中心となる。
両者の境界は曖昧で、旅の商隊の護衛や商材の回収など、依頼内容が重なることも多い。
ただし、商品の仕入れ・売買・提供といった『店』に関わる業務は、商人ギルドの専権事項であり、冒険者は立ち入れない。
そのため、両方のギルドに登録している者も少なくない。
そんな混沌とした賑やかさで毎日が彩られているギルドでエミリウスの存在は異彩を放っていた。
美しい容姿に、1回で特級モンスターを倒した実力。
彼女は『王立アカデミー冒険者登録資格』を受けてその日にもうギルドどころか街の噂になっていた。
特級モンスターを、倒した実力の者にやすやすと喧嘩を売って来るやつもいないし、仕事も選び放題だ。
まぁ、中には好奇心や腕試しで襲いかかってくる輩がいないことは無いが、軽くいなしてしまえばそれも噂となって面倒よけになる。
不利益はなかった。
エミリウスがギルド掲示板の前に立つと、人の壁がサッと別れて道ができる。
ざわめきが一瞬止まり、誰もが彼女の動きを見守った。
『うーん♡悪くない感じ』
エミリウスが上機嫌で掲示板を眺めていると、ひとつの依頼が目に留まった。
『中級ランク:最近街道を荒らす盗賊を討伐せよ。条件:5人以上のパーティー。報酬:古代金貨1枚。条件:頭目の生け捕り。財宝はギルド内で分配の後、国庫に上納される。』
「なるほどね、悪くない条件だわ。これにしましょ!」
彼女はクエスト用紙を手に取り、ギルドカウンターへ向かった。
カウンターでは、男性スタッフがお決まりの笑顔で迎える。
「中央王都セオリス冒険者ギルドへようこそ! クエストはお決まりですか?」
エミリウスは用紙を指先でヒラヒラと揺らしながら、満面の笑みで言った。
「街道を荒らす盗賊退治、いっちょお願い」
そう言って紙を揺らすのをやめ、バンとカウンターに叩きつけた。
「拝見いたしますね」
横柄とも言える態度にも、スタッフは嫌な顔ひとつせず用紙を受け取り、目を通した。そしてエミリウスを見て、周囲を見回してから申し訳なさそうに言った。
「お客様、大変申し訳ございません。こちらは中級者向けのクエストとなっておりまして、パーティー同行が必須条件となっております」
至極残念そうに、用紙を突き返してくる。
『あー、やっぱりそう来るわよね』
想定内の反応に、エミリウスはライトアーマーの首元からネックレスのペンダントトップを引き出す。そこには、特級Sクラスのバッジが重ねてつけられていた。
彼女はそれをスタッフの前でプラプラと揺らして見せる。
「まさか、下級ランクのクエストは受けられないなんて言わないわよね? それにギルドの規定じゃ、特級ランクは指定クエスト以外は自由参加のはずよ」
ウィンクをひとつ添えて、バッジを見せつける。
スタッフの顔色がみるみる変わり、エミリウスの首から下がる鎖ごとバッジを引っ張って、クエスト用紙と彼女の顔を何度も交互に見比べた。そして、青ざめた顔で叫ぶ。
「ヒドラ斬りのエミリウス!?」
とんだネーミングセンスの二つ名を口走る。
「何!?その呼び名は!」
エミリウスがスタッフの声に驚いて声を上げる。
すると、知らない年季が入ってそうなプレートアーマーを着けた剣士が、彼女の方に手を置いて、呆然とカウンターで立ちつくすエミリウスの方に手を置いて
「なんだ?嬢ちゃん本人が知らねーのか?あんた有名だぜ」
というと、他の場所からも声が上がった。
「『王立アカデミー冒険者ギルド登録の特級Sランクモンスター』を一瞬で倒した女魔剣士がいるってな!」
「その名も”ヒドラ斬りのエミリウス”ってな!」
「”ギルド”でも、街でも噂になってるぞ!」
次々から上がる声に、エミリウスはとんでもなく恥ずかしくなり、片手で顔を覆った。
ギルドスタッフは慌てて居住まいを正し
「し、失礼いたしました! エミリウス・レイヴェル様、クエスト申し込み手続きをさせていただきます!」
金魚のように口をぱくぱくさせながら、スタッフは受領手続きを始めた。
エミリウスは針で指先を軽く刺し、サインを書いた後、一滴の血を垂らす。血は文字を這うように広がり、サインを真紅に染め上げた。
「これで受付は完了となります。締切は一週間以内です。期間内にクエストが完了されない場合は、自動削除となりますのでご了承ください」
そう言って、スタッフは深々と頭を下げながら、顔を赤くして足早に立ち去るエミリウスを見送った。
――その夜。
盗賊を見つけるのは、驚くほど容易だった。
まずは酒場で情報収集。闇の中にたまるのは闇の言葉通り、数人で屯するいかにもな面構えの連中の傍で会話を聞きまわる。
貴族や高価な品を扱う商人の護衛を任されている者たちから少し話を聞き、そっと席を外す男の後をつける。
ここで巻かれないように、相手に気づかれないように跡をつけるのがコツだ。
ある程度まで尾行し、それらしい森や林に入ったら獣の足跡を探す。粗相する場所や食事場がすぐ見つかればハズレ。逆に、足跡はあるのにそれらがなければビンゴ。動物は最も気が抜ける場所で食事や粗相をするからだ。
尾行三人目でヒットした。
森の中の廃村を根城に、盗賊たちが盛り上がっていた。
「明日は商人の商隊を狙うぞー!」
「お宝もがっぽりだー!」
宝を隠してありそうな廃墟の入口にはむしろがかかっており、隙間から漏れる灯りのそばに、酔いつぶれた見張りが二人座り込んでいた。
頭目らしき男が上機嫌で仲間に檄を飛ばす。
「明日の夜、この付近を通ったら狙って襲うぞ! おまえら、支度を怠るなよ!」
「お前はバレないように、連中のところに戻ってろ!」
フードで顔を隠した男に指示を出すと、頭目はそのまま大いびきをかいて眠り始めた。
宴の灯りはまだちらほら残り、その規模と溜め込んだ宝物の量を仄かに示していた。
エミリウスはベルトのソードホルダーから短剣を抜き、人の目線より低い、動物の目線に合わせて引っ掻き傷のような印をいくつか刻んだ。
すると、横から不意に声がした。
「へー。今踏み込むんじゃないんだね」
見知った声に思わず声を上げそうになり、慌てて短剣の鞘を口に押し込んで声を殺す。
「アジノ……あんたいつの間に!?」
小声ながら驚きが隠せない。
『私に気配を感じさせずに近づくなんて……コイツ、結構やるんじゃない?』
そんな疑念すら湧くほどの気配の消し方で、アジノはマントを頭から被り、片手にパレット、もう片手に紙を持ってエミリウスの背後から現れた。
エミリウスはアジノのマントを強引に引っ張り、足音を立てないよう慎重に二人で森を抜ける。
「ちょっと! 王室御用達絵師さまが、あんな所で何してるのよ!?」
安全と思われる場所まで引っ張り出すと、腕を組み、左手で右腕をトントンと叩きながら目線で問い詰める。
「いやー、いいネタがないか冒険者ギルドに顔を出したら、君がクエストを受託してるじゃないかー!で……」
「これは面白そうだと思って、今日一日あたしを尾行してたわけね」
じとりと睨みつけると、アジノはパレットと紙を仕舞いながら口を尖らせる。
「尾行だなんて人聞きが悪いなー、エミリウス。こっそり後をつけてみただけじゃないか!」
城や街の人間なら大抵これで許してくれるが、この女は別だった。
「あんた、あそこで見つかったらどうすんのよ!? あたしが助けるとは限らないでしょ! 危機管理能力ってもんはないわけ!?」
怒りが頂点に達し、エミリウスは街道の入口で怒号を放つ。
アジノは両手で耳を塞ぎながら言った。
「ごめんてばー。お願いだから、そう喚かないでおくれよ。まだ人目がある時間だろ?」
その指摘に、エミリウスは口を噤む。
「君といると創作意欲が湧くんだよ、エミリウス! 明日討伐に行くんだろ? 邪魔しないから近くで見学させてくれ。僕が自分の身を守れるのは”王立アカデミー冒険者登録資格試験”でよく知ってるはずだ」
『そうだ。コイツ、まかりなりにも貴族で、しかもあの”色彩魔法”が使えるんだったわ。その件も聞かなくちゃ』
『色彩魔法』とは、通常の呪文詠唱とは異なり、特別な染料を用いて発動する“絵画魔法”と呼ばれる術式。その魔術は芸術と称されるほど美しく、今では失われた禁術とされている。
「あんたの使う魔法……”色彩魔法”じゃ……」
エミリウスが言いかけたその瞬間、アジノは腰から一枚の絵図を取り出して遮った。
「これで、手を打とう。エミリウス」
差し出された紙には、盗賊のアジトの見取り図が詳細に描かれていた。木炭で描かれた線は正確で、盗賊の人数や配置まで把握できるほどの精密さだった。
エミリウスは『色彩魔法』の話を喉の奥に引っ込め、思わずその絵図に見入ってしまう。
「アジノ……あんた、あの短期間で……」
呆気にとられて絵図を眺めるエミリウスに、アジノは肩をすくめながら言った。
「ここじゃなんだから、君の部屋にでも行こう」
そう言って、二人はエミリウスが滞在する宿へと向かった。
「凄い……あんた、あの短期間で、よくここまで正確に掴んで、精密に描けたわね。」
アジノの絵図を見て、エミリウスが感嘆の息を漏らした。
「これはこれは、お褒めに預かりまして、光栄にございます、お嬢様。」
茶化すように、アジノは優雅に一礼する。
「じゃ、ありがとね♡」
エミリウスはアジノの手に銀貨十枚を握らせると、肩を押して部屋から追い出そうとした。
「ちょっと待って!待って!エミリウス!そんな邪険にしないで!それに、僕の絵が銀貨十枚で済むわけないだろ!?」
どうでもいい情報(失礼)とともに、両足を踏ん張って部屋から出ようとしないアジノに、エミリウスは肩で息をつき、とりあえず話を聞くためにテーブルに座った。
そして夕飯代わりの赤ワインのサングリアに口をつけ、喉を潤す。
「で……あんたの絵って、いくらなの?」
ふと湧いた疑問を、気まぐれに問いかける。
「代々宮廷絵師を務める家系でも、突出した才能を持つ僕を、なめてもらっちゃ困るなー。古代金貨一枚でスケッチ一枚かな?」
「はぁ!?古代金貨一枚ですってぇ!?このスケッチ画が!?」
古代金貨は銀貨百枚に相当する。
「王宮直属の絵師って、儲かるのね〜」
感心しながらスケッチ画をテーブルの上に置き、その上に肘をついて顎を載せ、まじまじと見つめながらエミリウスはしみじみと呟いた。
彼女のつぶやきに、アジノはどこか誇らしげに胸を張る。
「まぁ、伊達に赤マントを賜ってないってことだよ。」
その言葉に、エミリウスはアジノの鮮やかな深紅のマントをまじまじと見つめ、不思議そうに問いかけた。
「そのマントって何か意味でもあるの?」
その反応にアジノはギョッとし、信じられないという眼差しで栗色の瞳をまん丸にして彼女を見つめる。
「君、もしかして王都に居ながら……いや、この世界に居ながらマントの意味も知らない?階級制度も?」
エミリウスはふるふると首を振り、平然とスケッチ画の上に腕をついて、手の甲に顎を載せたままきょとんとしている。
その様子にアジノは愕然とした。
「君は戦闘慣れしてる割には、世の中に疎いというか……まぁ、そこが君の面白いところなんだけど……」
今度はアジノが考え込む素振りを見せ、ちらりと横目でエミリウスを見てから意を決したように、彼女が下敷きにしていたスケッチ画を引き抜き、その上に新しい紙を置いて木炭を取り出した。
「これからはマントをつけている者に大勢出会うだろうから、僕が説明しよう。いいかい?”王立アカデミー”はわかるね?」
まるで教師が生徒に問いかけるように、アジノは真摯に尋ねる。
その問いに、エミリウスはどこか顔を赤く染めながら答えた。
「王都で、魔術・武術・医学・薬学・錬金術・学問、すべての分野の機関を担ってる場所でしょ?その力は全大陸の指示にも影響を与える中央王都国家機関ってことくらい、知ってるわよ。」
憮然とした様子のエミリウスに、アジノは思わず泣きたくなりながらも気を取り直して説明を始める。
「いいかい?その『王立アカデミー』では、立場や階級を明確にするために、王家から各分野の最高位の者が見極めて、階級マントを賜るんだ。『中央国家・セリオス王国――アルセイン王家』からね。」
アジノはバサッと布地の擦れる音を立てて、自身の深紅のマントを翻した。
気を取り直したアジノは、説明を始めた。
「いいかい?この”王立アカデミー”では、立場や階級を明確にするために、王家――中央国家セリオス王国、アルセイン王家から各分野の最高位の者が見極めて、階級ごとのマントが賜られるんだ。」
そう言って、アジノはまたバサッと布地の擦れる音を立てながら、自身の深紅のマントを翻した。
「まずは色と役職の見極め方について説明するよ。
至高位、アカデミーの頂点に立つ者にのみ許される長たる証。アカデミー最高顧問、王室直属の大導師、魔導師・学術師・技術の頂点に立つ者に与えられる。儀式時のみ着用される、紫地に銀糸刺繍のマント。
そして『司書七聖』王立図書館”叡智の森”の七大司書。知識の守護者であり、魔導書の封印管理も担う。白銀地に銀糸織のマント。
で、王宮直属の実務・研究職:王宮貴族、王立技術士、魔道士、芸術家、騎士、図書館職員、そして僕ら宮廷絵師に与えられるのが深紅のマント。
それから高位研究員・分野長・指導者・学術・魔導・技術の分野を率いる者。講義や研究監督を担う者に与えられる群青色に金糸の縁取りのマント。
で、正規研究員・講師に与えられるのが青色のマントで、実験・論文・教育を担当する専門職。分野ごとに紋章が異なる。
それで、補佐研究員・助教・助手:実務支援や研究補助を担う者。緑色のマント。見習いから昇格する者も多い。
次いでに、見習い生徒(初等・中等課程)が、賜るのが紋章なしの灰色マント。基礎学問や魔導訓練を受ける者。
あと特待生:見習いの中でも特に優秀な者。将来の高位候補で、特別講義への参加資格を持つ。灰色に白糸の縁取りが施されたマント。
ざっとこんな分類だ。だが、ここからが重要なんだ。」
アジノは勢いよく紙に円を描きながら、力を込めて語る。
「王家が認めた外部協力者にのみ与えられる、黒地に銀糸の細縁のマント。これは特別なんだ。王立アカデミーと契約した外部技術者や魔導士に与えられるもので、正式所属ではないが高い権限を持つ。つまり、王国では貴族並み、いや、場合によってはそれ以上の権力を持つ者にしか許されないマントなんだよ!」
アジノは熱く語りながら、紙の上の『銀糸の細縁のマント』に何度も円を描いて縁取った。
「ふーん。それで?」
アジノの熱弁とは対照的に、エミリウスは退屈そうに欠伸をしながら聞き返す。
「つまり、君が外部契約魔法剣士として認められれば、王国内の遺跡調査や、もっと壮大で大きなクエストにありつけるんだよ!分かるかい、エミリウス!考えただけでワクワクしてこないかい!?」
アジノが熱く語る傍らで、エミリウスはすでに衝立の向こうに姿を消していた。
「そんなしょーもない話より、明日の晩飯のための稼ぎが優先。」
衝立の向こうでは服を脱いでいるのか、ライトアーマーや元々身につけていたマントが次々と衝立の縁にかけられていく。
「わたし、これから明日の準備もあるし、寝るから部屋から出てってくんない?あーあと、明日の盗賊討伐は見学禁止。分かったら早く出てってよね、深紅のマント様!」
ひょいと衝立から顔だけ覗かせたエミリウスは、アジノに向かってブーツを投げつけ、部屋から出ていくように促す。
「わっ!ちょっと、物を投げるのやめて!え!?そんなエミリウス〜!」
彼女のつれない態度に、アジノは泣く泣く部屋を後にするしかなかった。
――そしてその夜。
「あー!多分こうなると思ってた!分かっていたのよあたし。でも、一縷の望みをかけたあたしが馬鹿だったわ……」
深い森の中。盗賊のアジトとされる廃村を見張りながら、エミリウスは昨日印をつけておいた木の根元に身を潜めていた。そこはアジトからの死角になる絶好の位置だ。
彼女の隣にはアジノ。そしてそのさらに隣には、長いプラチナブロンドの髪と碧い瞳が印象的な青年がいた。銀色のアーマーに長いマントを纏い、精巧な紋様が施された、いかにも高価そうな剣を携えている。あまりに場違いなその姿に、エミリウスは軽く目眩を覚えた。
「アジノは来ると思ってた。それなりの準備もしてきた。でも……隣にのうのうと居座るあんたは誰!?しかも暗闇でそんな光を反射する装備なんかして……」
『勘弁してよ……』
と泣きたくなる気持ちを抑え、彼女は木陰に身を潜め続けた。
「彼は――」
アジノが口を開いた瞬間、エミリウスは手で制し、低く呟き始める。
「わたしは一人……わたしは一人……」
まるで呪文のように繰り返すその声に、アジノは口をつぐむ。
そこへ銀色の青年が小声で叫んだ。
「おい!出なくていいのか?奴らが動き出したぞ!」
「バッカじゃないの!?いきなり飛び出してどうすんのよ!少数派には少数派の戦い方があるんだから、勝手なことしないでよ!」
エミリウスは小さな声ながらも鋭く、青年に釘を刺した。
「さーて、これからショーの始まりよ!」
彼女は指を立てて風向きを確かめると、口角を上げてペロリと舌なめずりをした。そして腰の皮袋から拳より一回り小さい玉状の物を取り出し、篝火へ向かって器用に投げ入れる。
玉に火がつくと、もくもくと煙が立ち上り、辺り一面を覆い始めた。
「何だ!?この煙は!前が見えんぞ!」
風向きのおかげで煙は煙幕となり、盗賊一団を完全に包み込んだ。
「いい?狙うは頭目ただ一人よ!頭目さえ捉えて人質に取ればどうにでもなる。賞金首は頭目だしね!」
エミリウスは事前に用意していたスカーフで口元を覆い、煙幕の中へ飛び込もうとした。
その瞬間、背後から声が響く。
「そんな姑息な手は俺の矜持が許せん!」
プラチナブロンドの青年が彼女の前に飛び出し、剣を掲げて叫んだ。
「風よ!全てを薙ぎ払え!」
一筋の風の衝撃波が煙幕を切り裂いた。
「え!?」
エミリウスが驚きの声を上げる。
「まさか……伝説の”翼の剣”!?」
すんでのところでマントを翻して衝撃波を受け流し、怪我は免れたものの、風向きが変わって煙がこちら側へ流れ込み、逆に彼らが煙幕に包まれてしまった。
青年はさらに剣を振るい、もう一度衝撃波を放って煙を完全に払った。
青年が剣を振るうと、再び衝撃波が走り、煙幕は完全に晴れてしまった。その結果、エミリウスたちの姿は盗賊団に丸見えとなった。
「ちょっと!なんてことしてくれんのよ!」
エミリウスの怒号も虚しく、銀色の青年は剣を構えたまま、単身で盗賊団へ突っ込んでいった。
「……あの馬鹿!」
エミリウスは呆れと怒りを込めて、低く吐き捨てた。
仕方なく、エミリウスもその背中を追った。
背後から複数の気配を感じたが、今は頭目を捉えることに集中するしかない。エミリウスは頭目らしき男を目がけて一直線に駆け出した。
すると、背後から「わーっ!」と鬨の声が上がり、甲冑に身を包んだ兵士たちが次々と現れ、盗賊たちを取り囲んだ。
その中で先頭を走っていた男が兜を上げ、声高に名乗りを上げる。
「我ら、セリオス王国騎士団第二支隊隊長――ヴァレンシア=ガーノルド!”レオニス第二王子”に続けーっ!」
その叫びとともに、騎士たちは戦場へと突入していった。まるで蜂の巣を突いたような混乱の中へ。
「また……余計なもんが、余計なことを……」
エミリウスは泣きたい気持ちを堪えながら、向かってくる敵をいなしつつ、なおも頭目を目指して突き進む。
「くっ、もう……めんどくさい!」
彼女は長剣の柄を高く掲げ、叫んだ。
『グラシスビット!』
剣に嵌め込まれた宝玉が淡く輝き、冷気が地を這うように広がっていく。瞬く間に頭目とその周囲の数人の足元を、氷の礫が絡め取った。
足を奪われた頭目以外の数名は、騎士団の兵士たちによって次々と捕縛され、頭目以下数十名はヴァレンシア率いる騎士団の手で制圧された――かに見えた。
だが、レオニスやヴァレンシアが浮き足立っている隙を突き、頭目は巧みに隠れていた仲間に助け出され、混乱の中を逃走していた。
エミリウスがその事実に気づいたのは、戦場の片隅でお宝を物色していたときだった。
しかし、そのお宝も『第二王子と騎士団の名の下』にすべて回収され、持ち主の分かるものは街へ返還され、一部は冒険者ギルドに還元、残りは国庫に収められることとなった。
エミリウスは、自分の気の緩みを悔やみ、そして浮かれ騒ぐ騎士団を心の底から呪った。
さらに、戦闘の最中にもかかわらず、影から嬉々としてスケッチを描いていたアジノと、すべてを台無しにしたレオニスを、決して許すまいと心に誓った。
結局、第二王子と騎士団の介入、そして頭目の逃亡により、ギルドのクエストは正式に「未達成」として消滅した。
だが、盗賊団が壊滅し、奪われた宝が回収されたことで、国益に貢献したと見なされ、エミリウスは
「盗賊討伐に貢献した者」として、ありがたくも(彼女にとってはまったく意味のない)
セリオス功労勲章を授与されることとなった。
彼女の手元に残ったのは、慌てて掠め取った古代金貨ひと握りと、彼女には何の価値もない『名誉と栄誉』だけだった。
――そして、時は現在へと戻る。
個室の中、拳を握りしめて怒りをぶつけるエミリウス。その怒りを真正面から受け止めるアジノは、ついつい騒動を楽しんでしまったことを深く反省していた。
一方、事の顛末に不服を申し立て、あっさり返り討ちに遭っているレオニスの姿もあった。
「――とにかく!」
バンッとテーブルを叩き、怒りを露わにしたエミリウスは叫んだ。
「アジノ!余計な奴を連れてきた罰として、今回描いたスケッチ画の枚数分、古代金貨をわたしに払うこと!そして――”レオニス第二王子”!あんたは”翼の剣”を私に渡して、永久に目の前から消えて!」
怒り心頭のエミリウス。その激しい感情を、アジノは短い付き合いの中で初めて目にした。
「金貨は払うよ、エミリウス。その代わりと言ってはなんだけど――」
「はい!あんたに発言権は無し!」
何かを言いかけたレオニスにもすかさず
「アンタにも発言権無し!勝手をした”代償”を払ってもらうわ。」
と冷たく言い放った。
「……わかった。」
レオニスは静かに腰に下げていた剣を取り出し、テーブルの上に置いた。
エミリウスがその剣に手を伸ばそうとした瞬間――
「その代わり!」
レオニスが彼女の手首を掴み、口を開いた。
「俺とパーティを組んでくれ。」
その申し出に、エミリウスは氷のような視線でレオニスを見つめる。
「あんた、舐めてんの?”王子様”アンタは自分が迷惑をかけた代償を支払おうとしてるのよ。それを要求のダシに使おうって考え、甘いんじゃない?」
エミリウスの冷たい視線と、レオニスの熱い眼差しがぶつかり合い、空気がピシピシと音を立てるような緊張が走った。
「実は……困ったことが起きている。それが解決するまででいい。解決したら、この剣も――私の装具も、すべて渡す。」
レオニスの真剣な眼差しに、アジノが縋るように言葉を重ねる。
「僕からもお願いだ、エミリウス。」
いつもとは違う、喉を震わせるような絞り出す声で話すアジノに、エミリウスは尊大とも言える態度で椅子に腰を下ろした。
「……それは……」
重い口を開こうとしたその瞬間だった。
突然、地鳴りが響き、グラリと視界が揺れる。まるで何かの胎動のような地震が起こり、咄嗟に三人はテーブルの下へ身を寄せた。
外からは、屋根瓦が数枚落ちて割れる音が聞こえてくる。
揺れが収まると、レオニスとアジノはエミリウスを庇うようにして、テーブルの下から這い出た。
「何……?今の地震……」
どこか物騒な気配を感じながら、エミリウスは低く呟いた。
この騒動が、物語のほんの序章に過ぎなかったことを――エミリウスも、アジノも、レオニスも、まだ知る由もなかった。




