3.見えない
男子プロテニスのビックサーバーのサービスは、220キロ位でるのだそうです。
隻腕ピッチャーの腕の長さは、大体テニスラケットを持った位です。
「ガンガン打ってけよ!」
「さっさと終わらせるぞ!」
「情けかけんなよ!」
味方から、盛んに野次が飛んでくる。
言われるまでもなく、そのつもりだった。
相手の隻腕のピッチャーはかなりの長身だが、片腕が無いので、振りかぶる事は出来ないようだ。
テニスのサービスを打つような要領で、膝を曲げ、肘を頭の後ろに突き出した。
「かなり高い所から投げて来るのがやっかいだが、それだけだな。一応、球の出所だけは、見極めないとな…」
足を振りかぶった格好は、どう見てもバランスを崩しており、まともな球が投げられるとは到底思えなかった。
そう、思っているまもなく、球が消えた。
ズドォォォン…
見極めもなにもなかった。
振りかぶった足が大きく踏み込まれた、と思った時にはもう球がミットに納まっていた。
あの馬鹿みたいに長い肘の動きが、全く見えなかった。
気がつくと、球場全体が静まり返っていた。
あれだけ盛んだった野次も、ピタリと納まっていた。
「ス、ストライク…」
随分な間があった後で、審判のコールが響いた。
審判にも見えていなかったようだ。
ただ、キャッチャーミットがど真ん中に納まっていたから、間違いようがないだけだろう。
キャッチャーが下から転がした球を受け取って、相手ピッチャーが再び投球動作に入る。
構えるまもなく、すでにピッチャーが振りかぶっている。
「ち、ちょっと…」
ズドォォォン…
全く、球が見えなかった。
「す、ストライク…」
審判も、呆然としながら、それでも職務を全うしようとコールをかける。
「ちょっ、ちょっと、今のはまだ構えてない…」
「えー、ピッチャーが投球動作に入ったら、タイムは認められない」
「わ、判りましたよ…タイムお願いしますって、あんなのアリですか?!」
「ちょっと審判!あんなの許されないでしょう!」
猛然と監督も駆け寄ってきて抗議する。
「えー、抗議の理由が判らないのだが」
「判らないも何もないでしょうが!あんなのどうしろって言うんだ!」
「あんなの、というと?」
「だから、あんな…」
言いかけて、監督は言葉に詰まった。
確かにプレートはきちんと踏んでいる。
投げる前に投球動作を止めているので、ボークにはなり得ない。
しかし「あんな人間離れした腕で投げるのは、規則違反…」
…言いかけて、言葉に詰まったのである。
選手の重量に規則のあるボクシングや柔道ならともかく、野球では体の制限は存在しない。
こんな腕の長い選手がいるなどと、想定すらしていないのである。
将来はともかく、今のところは規則違反ではない。
結局、トップバッターの肩を叩いて監督は引っ込むしかなかった。
監督たるものが、動揺していてはならないと思い至ったのである。
肘から先の腕が長すぎるので、日常生活は大変不便です。
まず、手を口元に持っていくのに難儀します。
肘を後ろに伸ばし、腕をを顔に近づけて、最後に手首を顔の方に返して、ようやく食事や歯磨きができます。顔は、自分では洗えないのでタオルで拭く位ですかね。