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期間限定の関係

作者: ky5912

 ポッキーが食べたい。

 梅雨の半ばの六月中旬とあって、雨が数日間続いていた。湿度も高く、汗のせいでブラウスが肌に張り付く感触が更に不快感を誘う。

 今日はここ数か月間チームで取り組んでいるプロジェクトの役員報告会だった。この役員会さえ通せば、この企画案は採用確実になるとあって、準備は連日徹夜で取り組んだ。

 今の若い子は、仕事に情熱がない。数か月前まで、私も同じように偏見を持っていた。今は謝りたい。彼ら、彼女らの情熱が無ければ今日の成功はなかった。

 会議に合わせて、数年ぶりに買ったネイビーのスーツ。普段はカジュアルを意識していたが、好きなカラーの組み合わせで挑みたかった。ネイビーのスーツの上下に淡いピンクの襟付きのブラウスを着たら、後輩からは就活生とからかわれた。しかし、この姿が私にとっては気持ちが入る。

 買い換えたパンプスもスーツに合っているが、こちらはまだ足が慣れていないせいで靴擦れを起こしてしまった。右足の小指が歩くたびに擦れて痛い。玄関まで来たのだから、靴は履き替えるべきだった。

 ケヤキの並木道を歩く。数分前まで帰宅に着くために歩いた道を巻き戻すように再び駅に向かって足を進めた。目的地は、駅前のコンビニエンスストア。

 プロジェクトの成功を祝って、今頃みんな飲んでいるに違いない。時計を見て、風景を予測する。ムードメーカーの村井がみんなを盛り上げてくれていて、いつもは物静かな若宮も笑っていればいいな。その輪の中にいられないモヤモヤと、理不尽な依頼に心が乱れている。

 なぜ行かないのか。みんな、私の不参加を悲しんでいた。私も同じ気持ち。一緒にここまで取り組んだのだから、喜びも一緒に味わいたかった。しかし、明人を待たせるのは無理だ。

今の私があるのは明人のおかげ。彼を家で待たせるなんてできない。

 雨はやんでいるはずなのに、葉から落ちてくるしずくがジャケットにあたってジャケットが湿っていく。十分ほどで着くはずのコンビニが長く感じる。

 地味で、取り柄なんてものはなかった。クラスメイトとなんて打ち解けられない私は常に勉強で時間を潰していた。いじめにも合わなかったのは、その存在感すらなかったのだと思う。人から話しかけられるのは、わからない勉強の箇所の質問やノートのコピー位だった。

 そんな私に生きている価値を見出してくれたのが明人だった。大学でも静かに生きてきた私を見つけ出して、愛してくれた。

 彼に拾われてから、私は彼に好かれるように自分を変えた。慣れないメイク、ファッションも挑戦してステータスを上げる努力をした。彼の横にいて、恥ずかしくない自分になりたい。常に私の行動の根幹には彼の目があった。

「美咲、愛してる」

 一日の最後にその言葉を聞ければ、どんな苦しい日もすべてを忘れることができた。今日も彼にとって、私がかけがえのない人に慣れているはず。その気持ちだけが私を満たしてくれた。

 スマートフォンが震えた。歩きながら目を落とすと、画像を若宮が送ってくれていた。大人しい性格だが、よく周りに気を配っているチームに欠かせない存在。昔の自分が重なり、目をかけている部下だ。

 みんな、高村班でよかったと話しています。これからもよろしくお願いします。村井さん達はこれから二次会だそうですが、私は失礼します。

 写真はチームみんなで撮影したもので、高村班全員集合とメモ紙にわざわざ書いて、村井が真ん中で持っていた。誰もいない道を歩きながら、口元が緩んだ。

 視線にコンビニの明かりが入った。

 なんで、帰りついたタイミングで言うかな。

 最近になって、明人に対しての不満が溢れてくる。帰宅の連絡は入れているので、欲しいものはそのタイミングで入れてくれればこんな目に合う必要はなかった。こうやって、私に嫌な依頼を押し付けることで、彼に対しての愛情を試されている気がする。

 いや、昔からこれは感じていた。付き合い始めた頃から、常に私は試されていた。でも、あの頃の私は無知だったからすべてを受け入れられた。

 今は違う。私はこうやって沢山のものを手に入れた。

 もちろん、それは私を愛してくれた明人のために変わろうとしたからだ。ただ、その努力は私の意思であるもので、彼にこれからも尽くす必要はあるのだろうか。

 こんな時間にお菓子をねだり、私は文句を言わずに受け入れた。一緒に苦労して大きな成果を得た人間たちの誘いを断った先に待っていたのは、こんな用事のためなんて。

 自動ドアが開き、足を進める。明るい場所に出たので、ハンカチで頭を拭いて軽く前髪を直した。店内には客もまばらにいた。

 まっすぐにお菓子コーナーへ足を進めた。目当てのポッキーに手を伸ばした。

 その時、横にあるポッキーに目がいった。期間限定。その言葉が目に入る。

 彼は私にとって定番商品なのか。それとも期間限定なのか。

 ずっと一緒にいようと言ってくれている限り、定番商品なのだろう。そうだ。私は彼と今後も一緒に生きていかなければないないのだ。

 そう思って、手が止まる。なんで、主語が彼なのだろうか。今まで、誰からも相手にされていない私は自分自身を主語になんてしていなかった。でも、私の人生は私で切り開いてきたもの。特に仲間たちは私を信じてついてきてくれていた。その時の私は、自分の意思で動いていたはず。

 残り二個の限定ポッキーを掴むと、レジに進んだ。店長の名札を付けた中年の男性がレジを受けた。

「すみません。このポッキーは、在庫ありませんか」

 私はおもむろに訊ねた。店長は商品を眺めて、私を見た。

「この商品は期間限定なので、もう仕入れが終わっています。在庫限りになり、申し訳ないです」

「そうですか。ありがとうございます」

 会計を済ませると、お店を出た。

 期間限定商品は、その期間に私たちの気持ちを満たしてくれる。必要な時期だけの味。在庫が亡くなれば、ここで役割は終わるのだ。

 足の痛みが増す。でも、今日はもう少し歩かないといけないな。私の中で、何かが変わった気がした。

 彼にとっては定番商品。これからも無くならないと思うから、雑にも扱う。大切な定番商品ならよかったが、私はそういう立ち位置ではない。

 きっかけを得ることで、私は沢山のものを得た。それは、彼という出会いがあったからこそだが、それをずっと愛し続ける必要はない。

 なぜ気が付かなかったのだろう。愛しているという言葉を聞けなくなるのが寂しかったからなのか。

 いつしか、あの言葉に重みはなかったのに。

 どういった気持ちで、あの地味で取り柄の無い私を誘ってくれたのかはわからない。ただただ、話しかけられただけで舞い上がっていた私にはその理由すら知らなくてもよかった。

 現在はどうなのか。もうどうだっていい。ただし、あの頃と違って今は興味がないだけだ。

 歩きながら、スマートフォンを出して電話を掛けた。

「もしもし、高村さん。どうしましたか」

 相手は若宮だった。

「ごめんね。写真ありがとう」

「いえ、みんな盛り上がっていました。高村さんがいなくて残念でしたから」

 あまり飲んではいないのか、いつもと変わらない口調で話している。

「また今度行きましょう。このプロジェクトは終わりじゃないわよ」

「はい、これからもよろしくお願いします」

 普段しない電話をしているからか、何か探るように彼女は答えた。

「ねえ、私うまくやれているかな」

 意を決して質問した。彼女は若干の間を空けた。

「いきなりどうしましたか。私たちみんな、高村さんについていったのですが」

「いや、ちょっとね」

「珍しいですね。私は高村さんが常に理想を高く設定して努力をしている姿を見ていますから、その姿を追いかけているだけです」

「私を」

「はい、高村美咲さんを追いかけています。それ以外にはありませんよ」

 そうだ、私は私だ。作ってもらったわけではない私なのだ。

「ありがとう」

 知りたかった答えが見つかったので、電話を終わらせた。部下にこんな時間に電話したのは初めてだ。明日謝らないといけない。

 痛みはあっても、足取りは軽かった。

 私の中で会った重みはこれだったのか。窮屈な世界から救い出してくれた人を信じていたが、彼は私を便利な家政婦としてしか扱ってくれなかった。そして、私も自分自身を彼の所有物だと勘違いして生きてきた。

 しかし、全くの誤りだった。すべては私の決断で生きてきた。

 人から愛されたい。もっとたくさんの人間と接していきたい。昔から持っていたはずの心の奥底にあった願望を、私は彼の意思と勘違いして生きてきたのだ。

 マンションに着くと、鍵を開けて中に入った。

「美咲、ありがとう」

 遠くから声が聞こえる。玄関のシューズラックを開き、履きなれたパンプスを出した。

「買ってきました」

 いつもの口調で、テレビに目を向けたままの明人の横にポッキーを置いた。

「あれ、この味じゃないけど・・・」

 ポッキーにだけ視線を移す彼を見て、心を決めた。もう、彼の視線に私はないはず。

「私にとって、あなたは期間限定だった。こんな私の気持ちを変えてくれてありがとう」

 答えは聞く必要はない。なぜなら私が決めたことなのだ。

 背中に言葉が聞こえてくるが、無視して通勤用のバックを取ると玄関へ向かって早足で出ていった。

 出しておいた靴を履き、そのまま家を出た。彼は追って来ない。スマートフォンが揺れていた。マンションを出たタイミングで、拒否ボタンを押した。

 何も考えずに出てきたが、どうしようかな。ホテルでも探すしかない。明日のことを考えないといけないが、今はすっきりしている気持ちで満たされていた。

 そんな大した話ではない。彼と私の期間が終了したのだ。頬を涙が伝ったが、これは寂しさなのか、理由はよくわからない。

 大丈夫。ここまでも私は自分で道を決めてきた。これからもそうやって生きていけばいい。

 履きなれたパンプスで、じめじめした並木通りを歩いて駅に向かった。


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