第八話 絶望
ペドル冒険者パーティーの行軍は非常に順調であった。ミズダメにやられた冒険者パーティーの位置からさらに西に入り込むと、森の様相にも変化があった。草木の背丈はどれも低くなり、気温や湿度は元いた砦とは全く異なる。この日、早朝から南中までペドルらの進む森を濃霧が包み込んでいた。
進むごとに全身の毛皮が濡れて束状になるのを気にするミレーニャの耳に、不可解な音が流れ込んできたのは南中からやや経った時だった。
「『ケタケタ』みたいな音デス」
ミレーニャの報告にその他の者たちが耳を澄ますと、一人また一人とその音を捉え始めるものが出た。
「聞こえました、確かにそんな音です」
「蝉の抜け殻でも擦り合わせているような、変な音ね」
「自然音じゃあ、ないな」
この奇妙な音から逃れるために、一刻も早く立ち去ろうと足を早めた時に濃霧の形どる影が動いた。そうヘイルヴィルが認識した瞬間に、彼と片腕の長さほどしか離れていない木の幹に無数の弾痕が出現した。そして、周囲には濃霧で薄れた赤色が飛び散った。
ヘイルヴィルは近くの木の影に飛び込んだ。間も無く、ペドルの掛け声が響く。金属の甲高い音が木霊する。ヘイルヴィルはライフルに特別弾を込める。震える手、鳴る心臓、湧き上がる悪寒。曲がる膝に喝を入れて立ち上がる。それは死の合図。
彼の左腕は熱い衝撃に吸い込まれてしまう。押し付けられる左腕の痛みを殺して、彼は照準器を除いた。相対したそれはまるで悪魔のよう。そいつはブルブル身震いして第二射を用意する。
彼は落ち着いた。右腕の言葉を眺めて。周りから気を逸らした。血の匂いがするから。冒険者のヘイルヴィルは引き金を引いた。跳ね上がる衝撃に肩ははじけ、左腕は力無く垂れ下がった。
そいつは、ミズダメは四肢を投げやって倒れた。背中の窪みから水が溢れる。
——ケタケタケタケタ
乾いた音がその時に鳴った。同時にヘイルヴィルは、濃霧に隠されていたミズダメに蔓のような植物が巻きついていることに気がついた。その蔓の端に枯葉のような器官があって、ケタケタという音が鳴るたびにそれは細かく振動していた。そして、音と共にミズダメが動き出した。
「ミズダメは寄生されている! そこが本体だ! 射て! ヘイルヴィル!」
後方からのペドルの叫びに背中を押されたヘイルヴィルは、ガンマンの本能に従ってホルスターの拳銃を抜くのと変わらない刹那で蔓の枯葉を撃ち抜いていた。今度こそ、ミズダメは完全に沈黙した。
ヘイルヴィルは、仲間の姿をよく見ることができなかった。霧のせい、そう彼は思った。足元は泥のようにぬかるんでいた。
「ケニー……スノー……ミレーニャ……」
彼は込み上げる嗚咽を堪えることができなかった。現実の異物のように転がる仲間たちを直視することができなかった。希望に縋り付くように彼はペドルを探す。彼もまた、同じように赤い海の中に転がっていた。ヘイルヴィルはすぐに駆け寄った。ペドルは肺を貫かれ、絶えず吐血していた。その痛々しさにヘイルヴィルは何も考えられなくなってしまう。
ペドルは隣に伏すミレーニャに力無く手を伸ばした。逆立った毛を整えるように頭を撫でるが、生気なき今の彼女はなんの反応も示さなかった。彼の目の端には涙が溜まっていて、走馬灯に似た追憶を経験する。
——オレは火が好きだ。ずっとあっちこっちに揺れて飽きないし、音も心地いい。街で労働してた頃から火が好きだった。意味わからねえかもしれないが、火を間近で見たくて山の中で暮らすようになった。
二十の頃だったかな。いつしかアンスロの国で嫁を貰って、成り行きで冒険者にもなった。その頃には火と同じくらい好きなものがいくつもできてた。嫁が好きだし、気の知れた仲間と冒険するのが好きだし、誰の手垢もついていない新天地を巡るのが好きだ。そこが絶景だったらなおさら興奮する。
なんか、いつの間にかそいつらが融合してオレの中で夢ができちまってた。いつか、どれだけ先でもいいから、誰も訪れたことのないまっさらな新天地で、平和な街を作りたい。そこでオレはミレーニャと静かに暮らして、ケニーは畑を耕すんだ。スノーは街で一番の薬屋になって、ヘイルヴィルは記憶を取り戻して家族と越してくる。悪くねえ、悪くなかったんだがなあ……オレは火の中で燃え尽きちまったようだ。夢もここで……頼んでも…いいか…お前に全て——
「……ヘイル…ヴィル」
ペドルは呆然とするヘイルヴィルの右腕を、力一杯のか細い力で引っ張る。
「……頼む…夢を……西へ…西へ…持っていってくれ!」
『GO!WEST!』その言葉が血で霞む。