第一話 記憶喪失の男
大冒険時代始まりの街ビギニングシティから西にエリナ川を遡った先にあるフロンティアライン上の名もなき砦。半年前に設営されたばかりのそこは、冒険者ギルドの他にはどれもこぢんまりとした貧相な建物が雑多に並んでいた。
日干しレンガ造りのギルドを中心にして、合わせて十数棟の貧相な丸太小屋と芝土小屋、片手で数えられるだけの板張りの建物が玄関の向きすら揃えないで座っている。
もっと酷いのは、道という概念を知らないかのように無数のテントがそこら中に生えていることだ。
そこを歩く人々はテントの隙間を縫って道というにはあまりにも狭い隙間を行くが、誰も彼もそんな惨状を気にかけない。彼ら冒険者はそんな些事に興味はないからだ。彼らが情熱を注ぐのはフロンティアの冒険。否、その先にある輝かしい未来と素晴らしい財産である。
本日、彼らの仲間入りをしようとする若者が一人、この砦へ足を踏み入れた。彼はたった今、西部への旅路を終えて誘われるように冒険者ギルドの門戸を押し開けた。
彼は冒険者ギルドに併設されていた一階の酒場を素通りすると、二階のギルド事務室に声をかけた。
受付嬢と呼ぶのを少々憚られる年老いた老婆が彼の前に座って、筆記用具と書類を机に投げ置いた。
「冒険者登録だろ? 名前と出身地を書きな」
受付嬢の言葉に彼は口籠った。
「なんだい? 文字が書けないのかい? じゃあ簡単な身分証でもいいから。移民なら帰化届を出しな」
彼はまたも口籠った。
「言葉が通じないのかい? 参ったね、アタシゃ外国語なんて知らないよ」
受付嬢は面倒そうな顔をすると、ふいっと手を振り、帰れと身振りした。それに反抗しようと声を上げようとした矢先、彼の後ろから声をかける者がいた。半開きの事務室の扉越しに男の顔が覗く。
「コイツの身分はオレが保証する。オレの弟だ。名前は……『ヘイルヴィル』……だろ?」
彼は男に促されるまま静かに頷いた。受付嬢の老婆は逡巡すると「まあいいだろう」と言って、書類に判を押した。受付嬢は書類を慣れた手つきでファイリングした後、事務室の奥から薄い冊子と金属製の板を持ってきた。
「これは冒険者を証明する徽章だよ。初めはEランクからだ。それとこっちは冒険者規約ね。どうせ読まないんだろうから要約すると、目に余ることをしすぎると契約解除するから気をつけろってことさ」
彼はそれらを受け取った。プレートは指で摘めるサイズの鉄製の板で、長い間湿気の多いところで保管していたせいだろうか、ところどころ錆びて光沢は薄れている。
「さあ、行った行った。これで今日からアンタは『冒険者』だよ」